第24話 掲げられた出陣旗

 その日、桂と祐直ら稲富鉄砲隊は妙見山みょうけんさんより滝上山たきがみやまへと足を伸ばしていた。理由は、万が一宮津の細川家と戦になるようなことがあれば、こちらより攻め上がり、いち早く滝上山を押さえる為である。

 妙見山から尾根続きの滝上山は、ちょうど宮津城下を見下ろす位置にあり、ここを稲富の鉄砲隊が占拠することは、すなわち戦いの勝敗を左右すると言っても過言ではないからである。

 桂と祐直は、それぞれ南と北の斜面より鉄砲隊が陣取れそうな場所をつぶさに見て回った。


 しばらくすると、二人の元へ宮津城の動きを探りに向かった矢野藤一郎と小西宗雄らが戻って来た。


 「矢野殿、城の動きは如何でござったか?」

 桂の問いかけに、二人はお互いの顔を見合わせながら首をひねる。

「それが妙なのじゃ。城門はすべて開け放たれておって、今にも出陣しそうな雰囲気なのじゃが、城の中はいたって静かなのじゃ」

 藤一郎の言葉に宗雄が続く。

 「それに、煮炊きの煙も上がっていなければ、陣触じんぶれの太鼓も鳴ってはおらん」


 「すでに細川の兵は京へと向かったのでは?・・・」

 祐直の言葉に、藤一郎が頭を振る。

 「城から続く街道を隈無くまなく見たが、馬や兵が渡った後などまったく無かったわ。それに城に兵がおらぬなら、城門を開けておるというのもおかしな話じゃ」

 桂はそこから見下ろす宮津城を眺めながら、なおも考えを巡らせている。


 「祐直殿、まずはいったん矢野殿、小西殿の報告の為、弓木の城へと戻ることが肝要かんようかと」

 しかし、祐直は桂の提案を無視するかのように、小十郎を引き連れると、なおも滝上山を東へと歩き始める。

 祐直は、藤一郎らから聞いた宮津城の様子をあくまで自分の眼で確かめようとしているのか、それとも、あわよくば数人の兵で宮津城を乗っ取ろうとでも思っているのか、ずいずい尾根を下って行く。

 仕方なく、桂は一部の鉄砲隊員をそこに残し、矢野らと共に弓木への道を引き返すこととした。


 桂らが倉梯山くらはしやまに差し掛かった時である。彼は思わず自分の眼を疑った。

 「矢野殿、あれは・・・」

 桂の言葉に、藤一郎も手をかざして弓木城を見上げた。

 「何と、あれは出陣旗ではござらぬか」

 宗雄も大声を張り上げる。


 三人が見上げる弓木の城には東曲輪から須走すばしり曲輪、そして山頂の本丸曲輪に至まで、所狭しと出陣用の登り旗が掲げられており、城のあちこちからは煮炊き用の煙が幾つも上がっているではないか。

 「結城、これはいったいどういうことじゃ?」

 もちろん、桂が答えらぬことを知っている宗雄ではあったが、誰かに自分の感情をぶつけたいという気持ちが、彼にそうさせたのである。

 「あれでは、誰がどう見ても弓木城は戦支度いくさじたくをしていると思われてしまうわ」

 事実、そこに居合わせた二人も、同時に藤一郎と同じことを考えていた。


 「御免ごめん!」

 桂は二人に頭を下げるや、一目散に弓木城の東門目掛けて駆け上がって行った。


 「開門―っ」

 言うが早いか、桂を乗せた馬は、すでに東門から須走曲輪へと向かっている。

 曲輪のちょうど中程に与六の姿を見つけた彼は、馬を飛び降りると、直ぐさま与六に噛みついた。


 「与六、これはどういうことじゃ?」

 与六は桂の剣幕けんまくに、思わず兜を押さえながらしりもちを付いた。なおも桂は与六の肩を掴むや声を荒げる。

 「与六よ、出陣旗とはどういうことなのじゃ。いったい、誰の指図さしずで城の防備を固めているというのじゃ?」

 「わしにもようわからんが、城主様の伝令が、荷駄隊にも戦支度を整えておくようにと言っておったのじゃ」

 「城主様とは、稲富直秀なおひで殿のことか?」

 与六が相づちを打つ暇もなく、桂は弓木城主稲富直秀がいる本丸曲輪へと向かって走り出した。

 桂の後に続くよう、矢野藤一郎、小西宗雄の両名も血相を変えて走っていく。


 「何と浅はかな」

 桂は心の中で吐き捨てるように、舌打ちをひとつ鳴らした。


 しかして、稲富直秀は本丸曲輪の中程で桂らを迎える形となった。床几しょうぎにどっかと腰をおろすと、ギロリとした眼で桂らを見上げる。

 「稲富殿、いったいこれはどういうおつもりか?」

 最初に矢野藤一郎が噛みついた。

 直秀はなおも睨み付けるようにと彼らを見上げる。

 小西宗雄がことさら穏やかに問いかける。

 「稲富殿、よもや殿のお下知をお忘れではござるまいな」

 「お下知?・・・」

 直秀は、軽く頭を傾げる。

 「さよう、信長殿の生死と、織田方の動向が見極められるまでは、けっして一色家の態度をあからさまにしてはならぬということを」

 藤一郎の言葉に、直秀はふところから一通の書状を取り出すと、それを三人の前に広げて見せた。

 そこには、あの明智光秀から一色家に宛てられた文面が綴られている。


 「ここに先程、明智殿より送られし書状がある。中には織田殿を京本能寺にて討ち取られた時の様子と、その後、別働隊をして安土あづち城へと向かっているとのことが事細かに書かれておる」

 「では、織田殿が亡くなられたというのは真のこと・・・」

 宗雄の力無い言葉に、直秀はさらに続ける。

 「更にこうある。今明智殿に味方いたせば丹後一国を安堵あんど、そのうえ、若狭わかさ西と東但馬たじまの統治をも任せるとある。戦わずして、一色家は何倍もの領地を得られるということになるわけじゃ」


 直秀の言葉に、桂は怒りを抑えるように尋ねる。

 「稲富殿、この事を殿や義兼殿はすでにご承知なのでしょうな?」

 直秀は乗馬用のむちで床几の足をひとつ叩くと、桂の問いかけに声を荒げた。

 「これもすべて、一色家の行く末を案じてのことじゃ。わしの城を守るも攻めるも、城主たるわしが決めることじゃ」

 「直秀殿・・・」

 藤一郎が詰め寄ったが、すべては後の祭りということである。


 逆心の明智光秀に反旗をひるがえすどころか、この出陣旗は何と織田に対する反意はんいを示す為のものであったのだ。そのうえ、この重大な城の攻守の動きを、義定にも告げずに直秀の一存で決めてしまったというのである。


 「何と浅はかな・・・」

 再び心の中でそう呟くと、桂は睨むように大きく天を見上げた。

 空には、そんな桂の心を知ってか知らずか、ねずみ色の雲が幾重にも張り付いている。

 しかし、一色家にとっての誤算はこれだけではなかったのである。


 その夜、稲富直秀がとった弓木城の戦支度に対する評定が開かれた。

 城の主だった家臣の他、そこには先に羽柴秀吉への使者として備中へ使わされていた大江越中守の姿もある。

 桂は軽く会釈をすると、無表情を装う祐直とは対面に座した。


 間もなく、大江越中守による義定への口上もそこそこに、評定は義兼のこの言葉で幕を開けた。

 「稲富殿、如何なる所存でかようなことを?・・・」

 稲富直秀は胡座あぐらをかいたまま、うるさそうにそれを聞いている。

 決して反論する言葉が無いというわけではない。それが証拠に、城に戻った桂らを前にして、直秀は明智光秀からの書状を見せたりもしたのだ。

 しかし、彼もここではその申し開きが意味を成さないことを十分に承知していたのであろう。そのため、あえて直秀は黙りを決め込んだ。

 と言っても、ただ黙っているわけではない。逆に義定と義兼に対し、静かに質問を投げかけてきたのである。


 「時に、殿はこの後織田と明智とどちらに付くおつもりか?」

 城内は一瞬にして直秀の責任を問う話題から、今後の一色家の展望を義定がどのように考えているのかということの方に注目した。

 義定は細めた眼で、ゆっくりと皆を見回していく。


 家臣一同の視線が、自分一点に注がれているのを知ると、さらに眼を細めた。

 直秀にしては珍しく言葉を続ける。

 「大江殿、備中での首尾しゅびは如何であったか、皆にも聞かせてはもらえまいか」

 振られた越中守はその場に両手をつくと、崩れるようにと床に向かって語りす。


 「殿、真に申し訳ございませぬ。それがし、備中ではついには羽柴殿にお会いいたすことができませなんだ」

 「それは如何なることじゃ?」

 義兼が心持ち声を荒げる。

 「城を出立してから四日目、我らは播磨の姫路ひめじ城下へと入り申した。そこから直ぐにでも、備中へと向かうつもりだったからでございまする。しかし、羽柴殿の軍勢は、すでに備中はおろか、その姫路にもいなかったのでございまする」

 大江越中守の言葉に祐直がしびれを切らしたのか、真正面を向いたまま口を開いた。

 「では、羽柴軍はいったい何処へ消えたと申されるのか?」


 「消えたのではござりますまい、すでに京への道を引き返したのでありましょう・・・」

 ぼそりと呟いた桂の言葉に、城内は一斉に蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。いつもは物静かな小西宗雄までもが、顔を赤らめ話の輪に加わっている。

 「結城、京へ引き返したとはどういうことじゃ。確か羽柴殿は備中の高松城を水攻めにて攻め立てている最中じゃと聞いておる」

 矢野藤一郎の言葉に、日置の老臣が続く。

 「如何な秀吉とて、毛利を眼の前にして兵を引くことはできぬであろう」


 「引いたのではありませぬ。兵を全軍移動させたのでございます」

 「移動させた?・・・」

 桂の言葉に、またもや誰もが得心とくしんしかねると言った表情をしている。

 「左様、毛利にしてみれば一方的に不利な高松城の状況からして、和睦を結ぶは羽柴殿にとってそう難しいことではござりますまい。和睦をはかった後、全軍の兵を京へと一気に返せば良いのでございまする」


 ここで、越中守えっちゅうのかみが垂れた頭をもたげた。

 「おそらくは、結城が言うことに相違無いであろう。それが証拠に、姫路より播磨へと入った頃、摂津せっつ国と山城やましろ国の境に位置する天王山てんのうざんにて、羽柴殿の軍が明智勢を打ち破ったという噂を耳にしたのじゃ。その報に、わしらは慌てて播磨より但馬へと抜け戻ってきたというわけじゃ」


 「して、その後明智殿は如何したのじゃ?」

 身を乗り出して城代の稲富直秀が問いただす。大江越中守は、力無く頭を振った。

 「その後のことは分かりませぬ。じゃが、これ程のことを成せる羽柴殿なれば、恐らく明智殿はもう・・・」

 直秀は光秀からの書状を抱いた胸を掌で握ると、力なく肩を振るわせている。

 その姿に、義兼をはじめ、他の家臣らもそれ以上彼を問い詰めることはしなかった。


 「それにしても、本当にそのようなことができると申すのか。わしらが織田殿のことを知り得てから今日でまだ十一日しか経ってはおらぬのだぞ。その間に、毛利と和睦わぼくを結んだうえ、とって返した刀で明智の軍を打ち破るなどと言うことがはたして・・・」

 しかし、この日置主殿介の言葉も、間もなく到着した松田頼道、赤井五郎らの報告によって現実のものであることが判明することとなったのである。


 この評定より二日の後に到着した頼道らは、摂津山崎での戦のことや畿内の情勢をつぶさに報告すると共に、義定へ諫言かんげんした。

 「殿、もはや形勢は羽柴殿に傾いてございまする。一刻も早く羽柴殿に使者をお使わし下さいませ」

 「しかし、織田家には柴田勝家かついえ殿や丹羽長秀にわながひで殿をはじめ、まだ他にも名だたる武将がおるではないか」

 頼道の諫言に義兼が横槍を入れる。


 これには、頼道もつばを飛ばさんばかりの勢いで声を張り上げる。

 「織田家にとって、逆臣明智を討った第一の功労者は羽柴殿にございまする。その上、柴田殿は北国ほっこくにあり滝川一益かずます殿も北条の押さえとして関東からは出られますまい。また織田信孝のぶたか殿を補佐し四国討伐へと向かわれるはずであった丹羽長秀殿も、山崎の合戦では羽柴殿の軍にくみしてございまする」


今度は、義定が静かに口を開く。

 「だが信長殿、信忠殿が身罷みまかられたとしても、織田家にはまだ信意のぶおき殿や信孝殿がおると聞く。一家臣である羽柴殿が織田家を継ぐなどと・・・」

 しかしこれには頼道ではなく、桂が答えた。

 「羽柴殿はそれをも分かっていて、此度のような大博打おおばくちを打ったのでございましょう。そうでなければあの毛利を眼の前に、和議を結んだうえ、全軍引き返すことなど考えもつかないこと。つまり羽柴秀吉殿というお方は、織田家中において、誰よりも天下を目指しているとも言えましょう」


 日置主殿介は大きくひとつ頷いた。

 「それに、如何に織田殿の血筋とはいえ、信意殿は伊勢北畠きたばたけ家を継いでおり、信孝殿もまた神戸かんべ家の家督かとくである以上、おいそれと織田家の継承が成るものかどうか」

 この主殿助の言葉は、まさにその通りとなった。


 織田家では、光秀を討ち取ってから一月ひとつきも絶たぬうちに、今後の継嗣けいし問題及び領地再分配に関する会議を開いた。世に言う清洲きよす会議である。

 この中で、継承問題はまさに秀吉の独壇場どくだんじょうとも言える結果で幕を閉じる。

 つまりは、桂が予見したとおり、秀吉はすでにいかばかりか力を持つ信意や信孝ではなく、信忠の嫡男ちゃくなん三法師さんぽうしを前面に押し立て、自分が実質的な後見人として名乗りを上げたのである。

 当然まだ幼い三法師には政務を担う能力があるはずもなく、織田家は実質秀吉が取り仕切ることを約束させることとなったのである。


 しかしそれは、一色家にとっては必ずしも望ましい方向へと進展しているわけではなかった。

 何故なら、秀吉は先の戦で明智光秀に荷担かたんした諸将をことごとく粛正しゅくせいしたからである。


 明智一族は勿論のこと、長浜城に入った妻木範賢つまきのりかた、佐和山城の荒木行重あらきゆきしげ、山本山城の阿閉貞征あつじさだゆき貞大さだひろ父子、山崎片家かたいえらをことごとく平らげた。

 また、光秀の片腕とも言われた斎藤利三としみつを潜伏先の堅田かただで捕り押さえると、即座に六条河原ろくじょうがわらで斬首した。


 しかし、秀吉の粛正はこれだけに止まらなかった。

 七月に入るや、秀吉は山崎の合戦で明智方にくみした若狭守護の武田元明もとあきをも、近江おうみ国海津に召還しょうかんすると、海津の法雲寺にて丹羽長秀が見守る中切腹の命を下したのである。


 それはまさに、秀吉の時代が到来しようとしているかのようでもあった。


 そして、それを暗示するかのように丹波の空には、夏の雲が幾重にも天へと伸び、遠くの海間うみまからは時折雷鳴らいめいが聞こえてきそうな季節の訪れをむかえようとしていた。

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