第三部 RMMOG

第五話

 二〇三三年十二月一日、協定世界時(UTC)の午後三時――日本時間では十二月二日の午前零時。


 龍平はおかしな物音に気がついて目を覚ました。

 耳の奥のほうで何かがうなっているような感じがする。それほど自宅の近所というわけではないが、歩いていけるところに在日米軍の横田基地があるので、そこから何か音が漏れ出しているのだろうかと、彼は耳を澄ました。

 すると今度は、耳のすぐそばで何かが唸っているような音がする。在日米軍の航空機が離着陸する時にはもっと大げさな音がするはずだから、それではない。枕元にある時計を見ると時刻は午前零時を僅かに過ぎていた。

 ということは、緊急発進スクランブルを除いて航空機の離着陸はありえない。それに、航空機のスクランブル程度のことなら、もう慣れていた。

 ――じゃあ、今のは一体何だろう?

 龍平は頭をひねる。


 その瞬間――浩一の部屋から叫び声があがった。


「うわおおおっ!」

 そんな感じの叫び声だが、言葉になっていなかった。

 龍平は布団から飛び出す。

 ――まさか、二階なのに泥棒!?

 龍平は、部屋の中に何本か置いてある竹刀のうちの一つを掴むと、隣にある兄の部屋に飛び込む。

 途端、彼は自分の目を疑った。

 浩一は窓際に立ち、顔に怯えた表情を浮かべ、血塗れになった右腕を前に突き出している。

 その前方には黒い物体が、低くて重いモータ音を辺りに撒き散らしながら、浮かんでいる。

 そして、部屋の中にはビニルが溶けたような異臭が蔓延していた。

 龍平は一瞬だけ棒立ちになり、速やかに我に返る。

「えいっ!」

 と、腹の底から息を吐き出すようにして気合を入れると、上段に構えた竹刀を振り下ろして黒い物体を叩き落した。

 黒い物体は兄の部屋のフローリングに激突して、跳ね返り、部屋の片隅に転がる。

 そして、特にどこか壊れた様子もなく、再びモータ音を響かせると空中に浮かび上がった。

 周辺を監視するかのように、ゆっくりと部屋の中で水平方向に回転し始める。

「兄さん、大丈夫!?」

 龍平は竹刀を握る手の内を締めながら、兄に声をかける。

 浩一のほうはまだ声が出せるような状態ではなかったが、頭を大きく振って龍平の問いに答えた。

 話は伝わっている。

 黒い物体が、カメラらしき丸い窓とその隣の小さな赤いライトを、龍平のほうに向ける。

 丸い窓の中にある機械が動いた。

 カメラの焦点を合わせているのだと判断した龍平は、相手が状況を認識する前に「先の先」を試みた。

 再び息を吐きながら、物体の横に伸びている翼のような細い部分を上から叩く。

 そこならば一番構造がもろそうに見えたからだ。

 ところが、黒い物体を床に叩きつけることは出来たものの、同時に翼に当った竹刀の一部が裂けた。

 それはまるで、真剣に対して竹刀を振り下ろしたかのような感触であったから、龍平はやっとそこで黒い物体の正体に思い当たった。

 ――あのフィギュアか!

 兄のところに届いた『イーグル』である。

 確か翼のところは樹脂で安全対策が講じられていたはずだが、今の手ごたえだと明らかに鋭利な刃物に他ならない。

 龍平は一瞬頭を捻ったが、部屋の異臭でその理由に気がついた。

 ――コーティングが溶けたのか!

 事実その通りである。

 午前零時ジャストに翼を加熱する機構への給電が開始されて、表面を覆っていた樹脂が溶けていた。

 そこでやっと浩一も声を取り戻して、あえぐように叫ぶ。

「龍平、そんなやつじゃ、駄目だ! 木刀で、胴体の、真ん中にある、プロペラ部分を、突け!」

「分かった!」

 龍平は即座に部屋から飛び出す。

 すると、背中のほうから重いモータ音が追いかけてきた。

 それで、彼は『鷹』の目標物が兄から自分に切り替わったことを察知した。

 ――よし、来い!!

 龍平は自分の部屋に飛び込むと、窓際に立てかけてあった素振り用の木刀を掴む。

 そして、速やかに反転すると部屋の入口に向かって突進した。

 入口の左側から『鷹』が現れる。

 まさか、龍平が真正面から向かってくるとは思っていなかったのだろう。

 躊躇ためらいが出て、その動きが僅かに止まった。

 龍平にはそれだけで充分である。

 彼は『鷹』の下に身体を滑り込ませると、下から上に身体を伸ばす勢いを使って、胴体の中央部分を木刀で突き上げた。

 その切っ先が、プロペラ中央部の駆動系に組み込まれていたモータ本体を捉え、動力伝達部品の一つを弾き飛ばす。

 浮力を失った『鷹』は、きしむような音を立てながら廊下に落ち、モータ音を空しく響かせながらぶるぶると震えた。

 しかし、正面の窓にともっていた小さな赤いライトが消えると共に、モータの振動も止んだ。

 龍平は残身をとりながら、小さく息を吐く。


 そこに、階下から両親が起きたらしい物音が聞こえてきた。

「凄い音がしたが、夜中に一体どうした?」

 階下から父ののんびりとした声が聞こえてきたので、龍平は少し笑った。

「ごめん、ネズミが出て慌てた。もう大丈夫だよ」

「そうか」

 こういう時、物事に動じない父の存在はとても有難い。

 龍平は腰を上げて、再び兄の部屋に向かった。浩一は傷の応急処置を試みていたが、手が震えているために上手くいかないようなので、龍平が代わった。

「お前は落ち着いているんだな」

「怪我人の看病はいつものことだからね」

「ふうん、剣道って意外と役に立つんだな」

 龍平の言葉に、やっと浩一が笑顔を見せ始めた時――


 遠くのほうから爆発音が響いてきた。


 浩一と龍平は驚いて窓に駆け寄ると、音がした方向を見る。

 すると、炎そのものは直接見えなかったものの、夜空の向こう側に赤々とした炎の気配が浮かび上がっていた。そこから、夜より黒い煙が湧き上がっている。

「あそこ、米軍基地がある方角じゃないよね」

 龍平が、感情の抜け落ちた声で呟く。

「いや、仮に米軍基地がある方向だったとしても爆発というのはありえない。ここは日本だぞ」

 浩一も龍平と似たような声で呟く。

 それは仕方のないことだった。あまりにも衝撃的な場面を連続で目の当たりにすると、人は当座の感情を失うことがある。そして、自然災害の際に工場が爆発した例はあるが、それ以外で爆発現場を見る機会は、普通の日本人にはない。

 あまりの非日常な光景に、二人が何もできずに呆然としていると――


 その隣で新たな爆発が巻き起こった。


 それが二人を非現実から現実へと引き戻す。何が起きているのか分からないが、間違いなく緊急事態が発生していた。そして、それには恐らく、浩一を襲ったフィギュアと同じものが関与しているだろう。

「兄さん――」

「分かってる。俺のパソコンの画面を見てくれ」

 龍平は、兄の机の上にあるディスプレイを見つめる。そこには、斜めになった廊下らしき風景が映し出されていた。

「おまえが叩き落とした『イーグル』だよ」

「えっ? じゃあ、あれはこのパソコンから操作――」

「いや、そうじゃない」

 浩一は苦い顔で即座に否定した。

「午前零時に本番移行した『デス・スター・クロニクル』にログインした途端、画面全体に俺の横顔が表示された。その直後に『鷹』が動き出して、俺を襲ったんだ」

「じゃあ、目の前にいる人間を自動で攻撃するようになっているんだね」

「そうじゃないんだ。あれはプログラムで自動制御されている時の動きじゃないよ」

 浩一はさらに暗い顔になる。その表情を見た龍平の背中に、耐え難いほどの寒気が沸き起こった。

 浩一は話を続ける。

「機械ならばもっと無駄のない動きをするはずなのに、俺の顔を映し出した『鷹』は、直後に少しだけ戸惑ったように机の上で振動してから、空中に浮かび上がって俺に向かってきた。お前も似たような動きを見たんじゃないのか?」

「……確かに見たよ。叩き落とす前に『鷹』が戸惑うのを。でも、それじゃあ……」

「それが事実なのだから、認めなければいけない。さっきの『鷹』は誰かが操縦していたんだ。しかも、俺と同じどこかに実在している『デス・クロ』のユーザーが」

 二人は暗然とした気持ちでディスプレイを見つめた。


 と、そこで龍平が急に右上にある文字を指さす。


「兄さん、このマップというのは何?」

「ああ、それは周辺にいる友軍機の位置を確認するための画面で――」

 そこで言葉を失った浩一が、机の上にあるマウスを慌てて操作する。即座にマップ画面が展開し、地図を画面全体に表示した。

 自分たちの家を中心に、周辺の見慣れた世界がそこに表示されている。そして、マップの中央には髑髏どくろのマークが表示されていた。

 画面の右端に自宅最寄りの羽村駅が表示されていたので、表示範囲が半径五百メートル程度であることを龍平は認識する。そして、画面の中には青いマークが七つ表示されていた。

 その明りの隣には数字が表示されている。二人が見つめている間に、彼らの家から最も近いところにあった青いマークの数字が一つ増えた。


 青の三。


 それが何を示したものなのか想像して、龍平は全身の毛が逆立つような恐怖を覚える。

「兄さん、この数字は――」

「ああ、これは、たぶん、犠牲者の数、だろうな」

 浩一が陸に打ち上げられて酸欠に陥った魚のように、喘ぐように言葉を吐き出す。そして、二人は同時に別な事実にも気がついた。

「これって……」

「ああ、間違いない。集まろうとしているぞ」

 七機のフィギュアは、まるで仲間を救助するかのように、二人の家に向かって移動していたのだ。

 ――ぐずぐずしている時間はない!

 浩一と龍平は即座に動いた。

「父さん、母さん、急いでこの家から逃げるよ!」

 浩一は階段を駆け下りて、両親に声をかける。

「急にどうしたんだい、浩一? それに、その手の包帯は一体……」

「それは後で説明するから、母さん。とりあえず逃げよう! 当座の現金だけ持ってくれ」

「でも、着替えてもしていないし……」

「母さん、今はそんなことを言っている場合じゃない――」

 浩一は真剣な表情で二人の顔を見つめた。

「――今はともかく、逃げるのが先だよ」

 龍平は、自分の部屋に戻って木刀とスマートフォンを手に取ると、ついでに廊下にあった兄の外套を腕にかける。そして、両親を説得している兄の声を聴きながら玄関へと走った。

 靴を履く時間ももどかしい。転がるように外に出ると、彼は隣にある葵の家に向かった。門扉を、身体全体をぶつけるようにして開ける。すると、玄関前に葵の父親が立っていた。

 開いた玄関扉の向こう側に、葵とその母親の姿が見える。

「龍平君、これは一体……」

 葵の父親は状況をうまく把握出来ずに混乱している。龍平は叫んだ。

「おじさん、おばさん、僕もまだ正確にはわかっていないんだけど、危険が迫ってるのは確かだから、今すぐ逃げないと!」

「逃げるって、どうしてだい? 地震じゃないし、まだ緊急受信速報すら出ていないのに」

 そう言って、葵の父親はスマートフォンの画面を龍平に向けた。

「ほら、画面だって真っ暗――」


 音が聞こえた――そう龍平が思った時には、もう遅かった。


 空の上のほうからにぶいモータ音を響かせて黒い物体が降下し、

 圧縮された空気が解き放たれたような音を二つだけ後に残して、

 龍平の前を通り過ぎてゆく。

 直後、葵の父は棒のように真っ直ぐ、後ろに向かって倒れた。

 玄関前のコンクリートにその身体が叩きつけられて、鈍い音を立てる。

 彼の顔のところには鈍い光を放つ針のようなものが二本、深々と刺さっており、全身が痙攣していた。

 そして、龍平が制止する間もなく、

「あなた!」

 と叫びながら、葵の母親が玄関から飛び出す。その勢いに龍平は思わず後ずさりする。


 その瞬間、彼の目の前を何か黒いものが通り過ぎ、

 コンクリートの上に金属の軽い衝突音が響いて、

 龍平が身体を小さく縮めながらその方向を見ると、

 針が二本、目の前のコンクリートの上を滑ってゆく。


「おばさん、危ない!」

 咄嗟とっさに龍平は声をかけたが、既に遅かった。

 彼の目の前で、葵の母親が地面に伏してゆく。首筋に針が二本見えた。

 龍平は玄関を見た。

 その奥に葵がいて、目を見開いている。

 まだ泣いてはいないが、ひどく衝撃を受けていた。

 彼が玄関に飛び込み、葵に抱きつくようにして廊下に伏すと、頭の上を鋭い気配が通り過ぎてゆく。

 龍平は葵をかばいながら、玄関から外を見た。

 赤いランプ。

 躊躇ためらっている暇はない。

 それと葵との間に身体を割り込ませるようにしながら、龍平は木刀を正面から叩きこむ。

 黒い物体は回避行動を取ろうとしたが、龍平のほうが早かった。

 黒い物体は木刀に弾き飛ばされて、玄関の外へと転がってゆく。

 その先は扉が邪魔になって見えなかった。

 龍平は身体を低くして身構える。

 背中のほうからは葵の、

「あ、あ、あ――」

 という喘ぎ声だけが聞こえていた。

 今、葵は身体を動かすことが出来ないだろう。

 これでは逃げることもできない。

 龍平は前方からの物音に神経を集中する。

 龍平が葵の家に飛び込んでから、そこまでが約三十秒。二人はそれから十五秒ほど身動きせずにいた。葵の震える掌が、龍平の背中にあたる。

「ねえ、龍、平、ちゃん。お父、さんと、お母、さん、は、どうした、の?」

 葵の感情の抜け落ちた声が暗闇に響く。

 龍平は口を開いたが、言葉が出てこなかった。

「ねえ、龍平、ちゃん。これって、なんなのかな。私、全然、わかんないの、夢、なのかな」

 龍平は意識の半分を、葵の壊れかけた声に向ける。

 何か慰めの言葉を言いたいのに、言えない。言葉が見つからない。

「ねえ、龍平、ちゃん。お父さんと、お母さんは、どうして向こうから、顔を出して、くれないの、かな?」

 龍平の背中を掴む葵の両掌は、これ以上大事なものを失うことがないよう、強く握りしめられていた。


 *


 遠くのほうから、パトカーと救急車と消防車のサイレンが入り混じって聞こえてくる。

 それは、この緊急事態が既に市内全域まで拡大していることを示していた。

 浩一は両親の身の安全を確保することに全力をそそいでいた。避難先にあてはなかったが、少なくとも「自宅に留まる」という選択肢が現時点で一番危険である、と彼は考えていた。

 ――龍平、そっちは任せたぞ。

 浩一は、龍平が真っ直ぐに葵の家に向かったことを認識していた。このような緊急時の現場対応の場合、龍平のほうが本当は役に立つのだが、葵のことが心配でならない弟の気持ちはよく分かる。

 龍平にしてみれば、自分の両親を浩一に任した気分だろう。浩一は自分が緊急時の現場指揮官よりも、平常時の情報戦担当将校か技術担当将校のほうが向いていると自覚していたが、今はそんなことを言っていられる場合ではない。

 情報担当将校らしく、情報をかき集めて相手の裏をかき、見つからないように安全な場所に移動することを考える。

「とりあえず米軍基地に向かうよ」

 浩一は不安そうな顔をした両親に、そう言った。彼の両親はそもそも物分りの良い人物であったから、こういう時には黙って任せてくれるし、決して行動を躊躇ためらうことはない。

 そこで浩一は、葵の家族と一緒に移動すべきかどうか考えたが、この混乱した状況で一緒に行動する人数が多くなるのは、足し算ではなく掛け算でリスクを増加させることになる。

 ただ、一応は行き先を龍平に伝えておこうと電話をかけてみたが、スマートフォンは輻輳ふくそうを起こしており、繋がらなかった。ただ、弟も自分と同じ結論に達するであろうことは、容易に推測できた。

 このような未曾有の事態の場合、最も安全なのは米軍基地である。仮に、米軍そのものが攻撃目標であったとしても、その敵を征圧することが出来るは米軍以外にありえない。

 龍平は一歩引いて状況を判断し、決めたら迷わずに突入するタイプであるから、今頃は隣の家族の説得に成功して、横田基地方面に移動を開始しているかもしれない。

「そろそろ行こうか」

 と浩一は両親を促した。

 すると、母親が、

「龍平は橘さん達と先に行っているんでしょう? 大丈夫かしら?」

 と呟いた。

 さすがは母親、龍平が飛び出していったことに気がついていたのだ。そして、それに父親が答える。

「あいつのことだからきっと大丈夫だよ。それに、私達には浩一がついているから安心しなさい」

 この混乱した状況の中でも、父親は落ち着きを失っていなかった。浩一は改めて自分の両親を誇りに思う。

「それじゃあ、行くよ」

 浩一は玄関の扉を開けようと、ドアノブに手を伸ばして――


 ドアの向こう側から入り込んでくる異臭に気がついた。


 近接戦闘は苦手でも、このような状況把握と情報処理に浩一は長けている。

 即座に両親に向かって、

「裏口へ。急いで!」

 と、短く指示した。

 両親は彼の言葉に素直に応じて、きびすを返す。三人が玄関からキッチンまで続く廊下を進み、キッチン側に曲がった途端――


 玄関のほうから爆発音がした。


 熱風が背中のほうから押し寄せてくる。直撃を受けていたらただでは済まなかっただろう。しかし、これのお陰で状況は明らかになった。既に家がフィギュアによって囲まれている可能性が高い。

 緊急時には、悪い情報でも情報がない場合よりは遥かにましである。思ったよりも包囲される時間が早かった。浩一は『デス・クロ』の画面を立ち上げたタブレットで、周囲の状況を確認する。

 すると、家の周囲には既に二機のフィギュアが到着していることが分かった。先程までは青いランプに過ぎなかった敵が、今はマップ上で機体の種別を示すアイコンに代わっている。それによると、今、家を取り囲んでいるのは、

 ――よりにもよって『シケイダ』かよ。

 浩一は嘆息する。拠点攻撃に適したタイプだから、浩一の「自宅に留まるのが一番危険だ」という勘はあたっていたのだ。

『蝉』は常に二機が揃って作戦行動を取り、おのおのの機体に格納されている液体を対象に向けて射出する。その液は、混合した途端に爆発するのだ。最初と二回目の爆発音は『蝉』によるものだったのかと、浩一は理解した。

 そして、彼の視線がマップ上の隣の家に移動する。するとそこには『雀蜂ホーネット』のアイコンがあった。

 浩一は蒼ざめた。

『雀蜂』は、機体の両脇から針を打ち出す遠距離攻撃タイプだから、近接戦闘を得意とする龍平とはとても相性が悪い。しかも、その『雀蜂』の隣には「青い四」という数字が表示されていた。

「どうしたの」

 彼の顔色が悪いことに気がついた母親が、不安そうな声でそう訊ねたので、浩一ははっとした。

「いや、なんでもないよ。早く外に避難して龍平達に合流しよう」

 彼は努めて明るい声で言った。今は推測に身を縮めている場合ではない。速やかに行動すべき時である。

「扉を開けるよ」

 彼はキッチン脇にある扉を開けた。おかしな匂いはない。

「急いで」

 浩一は身体を低くして自宅の裏口へと向かった。

 鍵がかかっていることは承知しているので、速やかに開錠して両親を先に外に出す。

 さらに自分も外に出ようとして、

「えっ!?」


 そこで彼は、自分の認識に誤りがあったことを知った。


 勝手口から出た両親は、まず右側から飛んできた『蝉』が射出した液を全身に浴びる。

 思わず顔をしかめる両親に対して、今度は左から飛んできた『蝉』が液を射出した。

 一瞬、浩一は両親と目が合う。

 二人はとても不思議そうな顔をしており――


 その直後、浩一の目の前は紅蓮ぐれんの炎に包まれた。


 *


「葵」

 玄関の向こう側をにらみながら、龍平は腹をえて声を出した。

「言いたいことはたくさんあるけれど、今は一つのことしか言わない。これから僕は、葵を全力で守る。自分の身体を楯にしてでも、葵を守る。だから、暫くの間は僕にすべてをたくして欲しい」

 そこでいったん言葉を区切る。葵の反応はない。龍平は話を続けた。

「何も考えずに僕の後ろについて、走り続けて欲しいんだ。今、葵にとってそれがどんなに辛いことなのか、僕もちゃんと分かっている。けれども、それを約束してくれないと、僕は君を守りきれない」

 龍平は葵がひときわ大きく震え出したのを感じる。悲しみと恐怖を無理にこらえようとしているのだ。そして、彼女は震える声で言った。

「私が、ちゃんと、しないと、龍平、ちゃんも、危ないってこと、だよね」

「そうだよ」

「……分かった。泣くのは後にする」

 葵の震えが止まった。そして、彼女はとても真剣な声で言った。

「だから、龍平ちゃんも約束して。もうこれ以上悲しみを増やしたくないから、龍平ちゃんも最後まで私と一緒に走ってね」

「分かった。僕も最後まで走り続ける」

 葵が龍平の右肩に右手を載せる。龍平は更にその上に、自分の左手を載せた。

「じゃあ、これから走るルートを説明するよ。僕達はここから出来る限り裏道を抜けて東福生の駅に向かって走り、国道十六号線に出て横田基地の第二ゲートに向かう」

「龍平ちゃんの家族はどうするの?」

 自分の親を失った悲しみをいやす時間すら与えられないというのに、葵は龍平の家族を心配した。そのことに、隆平は胸の奥が熱くなる。

「大丈夫。うちの両親には兄貴がついているから。もう全員で横田基地に向かっている最中だよ」

 事前に打ち合わせをしたわけではなかったが、龍平はそのことを確信していた。

「まだ家にいたとしても、大勢で動いたほうが危険だから今は合流できない。僕達だけで行くよ」

「……分かった!」

 龍平はさすがに「二人だけ」という言葉を避けたが、葵はどうやらそれに気がついたらしい。微妙な間があって、力強い声が返ってきた。


 さて、彼らの自宅最寄り駅は羽村駅であったから、東福生駅の近くにある横田基地の第二ゲートまでは直線距離で二キロ以上ある。

 もちろん、真っ直ぐに進むことが出来るわけではないし、姿を隠しながらの移動となるから、休憩含めて一時間近くかかるだろう。

 龍平だってそんなに走り続けられるかどうか分からない。葵の華奢な身体では余計に大変に違いないのだが、二人はお互いの手の温もりに誓った。

 ――決して離れ離れにはならない。

「行くよ」

「はい」

 龍平は自分の左手で、葵の右手を握る。二人は低い姿勢になって、玄関から外に飛び出した。

 葵はそこに横たわっている、かつて自分の両親であったものを見るまいと、硬く目を閉じた。彼女は「そうしないと、自分は目にした途端に動けなくなる」と自覚していた。

 龍平のほうは、逆に全ての出来事を心に刻み付けるために目を見開く。葵の母親は、葵の父親の背中を守るようにして、折り重なっていた。

 表門を出る。

 龍平は左目の端に『雀蜂』を捕捉した。思ったよりも近い。しかも、それに気がついた時点で、状況は如何ともし難くなっていた。

 龍平は、赤いランプの延長線上に自分の姿があることを悟る。もし龍平が針を避けると、それは葵を貫くことになるだろう。

 龍平は腹に力を入れた。針が刺さるのは仕方ないにしても、それで決して倒れたりはしない。そうでなければ葵が無防備になる。

『雀蜂』のモータ音が風に乗って聞こえてくる。その機体の両側から針が打ち出されようとした瞬間――


 龍平の家のほうで大きな爆発が沸き起こった。


『雀蜂』の機体が爆風にあおられる。その瞬間を、龍平は決して見逃さなかった。

「葵」

「はい」

 二人はしっかりと手を繋いで走り出す。

 彼らが、その爆発の意味を知ることになるのは、もっと先のことだった。

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