第6話 最強!囮部隊

(一)

ごっ。 

平左衛門は、旋風が通り抜けるのを感じた。

その瞬間、蔵人の身体がきりきりと回り地面に投げ出された。

自慢の大鯰の金兜はひしゃげ、前歯が何本か折れて、口から血を流し、白目を剥いて気を失い、大の字で倒れている。


「何をなさる!」

久三が国兼に叫んだ。拳固で蔵人を殴り倒した国兼は、伊集院勢を背中に、五郎丸の縄目を解いている。五郎丸が目を見張った。


 何という動きだ。とても七十の老人とは思えぬ。そう言えば、この老人、若い頃、素手で鬼を張り倒したという噂を聞いたことがある。たわいのない与太話と思っていたが、本当に、力は鬼を張り飛ばすほどあったのかも知れぬ。

 平左衛門は考えながらも、歴戦の強者らしく、動揺する部隊をまとめ、国兼を取り囲もうとした。

「太閤殿下の代官代理人に手出しされた以上は、いかに地頭と言えど裁きを受けていただく。おとなしく庄内の番所まで御同道いただきたい。」

 平左衛門の申し出に、国兼は答えない。五郎丸を後ろに回しながら、じりじりと後退していく。

 やむをえん。あの動きでは、まともにいっては怪我人が増える。ここは。

平左衛門が久三に目配せした。久三が配下に合図を送る。配下が長弓を持ち出してきた。長弓には至近距離だが、伊集院勢には関係ない。日置流腰矢、片膝ついて低く弓を射る。島津伝統の弓戦術で、至近距離に有効、殺傷力も高い。沖田畷の戦いで、龍造寺四天王百武堅兼率いる白虎抜刀隊を全滅させた伊集院勢の十八番である。


(二)

「逃げられぬぞ。覚悟をされよ。」

平左衛門の声に、国兼は歯を見せてニィと笑った。


 国兼の後ろから、すさまじい勢いで馬蹄の轟が迫ってくる。馬の鞍に中腰に立って、馬群の先頭を走っていた民部が、片手をさっと振って指示を出す。馬群は二手に分かれ、国兼の左右を駆け抜けていく。

 振り返りもせず、伊集院勢を見つめたままの国兼は、民部が横を駆け抜ける瞬間、短く「乱せ。」と言った。

 それに「承知!」と短く答えた民部は、隊の先頭で馬をジグザグ操りながら、猛然と伊集院勢に突っ込んだ。


 あまりの速度と、変幻自在の動きに、伊集院勢の弓隊は的を絞れない。慌てて、矢じりを右に左に動かしているうちに、梅北衆騎馬隊が突撃してきた。十名の騎馬兵が、先頭に並んだ伊集院の弓兵たちを馬で蹴りつけて、百名の集団の中に割って入ると、自在に動き回り暴れまわった。一通り暴れまわると、また馬を走らせて伊集院勢の後ろへ抜け、すぐ取って返して、伊集院勢をすり抜け、国兼の前で轡を返し伊集院勢に向き直った。


 見事に統制のとれた騎馬戦術だった。人死にこそ出ていないものの、被害は甚大だ。狙われた弓の弦は槍の穂で全て切られ、つないでいた伊集院勢の馬30頭は、手綱を切って逃がされた。馬に蹴られて怪我人も数名出た。敵は、その狙い通り目的を果たした。伊集院勢は、その人数を減らすことなく、一瞬にして騎馬隊と弓隊を失った。残る槍と刀で戦わねばならない。しかし、敵は我が方の十分の一に過ぎず、慌てたのか甲冑を身に着けていない。

 伊集院勢は島津軍の中でも、1,2を争う精鋭として知られる。相手の梅北軍は、肝付家の降将であった国兼が若い頃は、もっぱら先鋒として、釣り野伏りという島津軍独特の戦術の、いわいる囮として活動していた。家中で梅北衆といえば、ああ、あの囮かと、半ば馬鹿にされて言われたものだ。最近も水軍として、華々しい活躍もなかった。

彼我の戦力を比べるとき、多少の被害はあっても、勝利は揺るがないかに思えた。

 あっという間に軍を立て直した、歴戦の将である平左衛門と久三は、国兼達に向けて定石通り槍衾を作った。


(三)

 夜の闇が深くなってきた。老獪な敵は、目を離すと、どんな動きに出るか分からない。平左衛門は篝火を強くさせた。そのまま槍衾と共に、じりじりと距離を詰める。これも騎馬の動きを防ぐ定石である。敵の騎馬は、こちらを向いたまま一列を崩さず後ずさっていく。何気ないが、馬を後退さすのは並みの技術ではない。馬も騎手も相当な手練れ揃いだった。

 ばらばら

 突然、闇の中から伊集院勢の中に、何かが降ってきた。当たった兵がうめき声をあげて卒倒する。

 これは石、礫か。

 聞いたことがある。沖田畷では防備に忙しく見ていないが、四天王成松信勝率いる青龍騎馬隊の突撃を止めたという梅北衆の投石、確か遊撃隊の、鶴田甚兵衛が得意とする戦術。

 あの男が来たか。

 厄介な相手だ。元々は島津本家の直臣、タイ捨流を学び、同門の島津家剣術指南役東郷重位と兄弟弟子で、二人で丸目門下の竜虎と言われた男。剣術では、東郷を凌ぐとさえ言われている。噂に聞いただけだが、ある戦場で百人切りを達成したとか。しかし負けはしない。我らも、龍造寺一の剣の達人、百武堅兼を倒した軍だ。


「石が来た方に盾を巡らせよ!」

すぐ指示を下した。しかし

ばらばらばらばら

今度は、後方から石が飛んできた。敵は闇の中を動き回っている。闇、そうか闇か。

「篝火を消せ!陣形を方円に再編して、四方八方に盾を巡らせ!」

全方位に盾を巡らすと、亀のように防備を固めたまま、じりじりと、国兼達に向かって間合いを詰める。投石は止んだ。石の数からして、人数は大したことは無い。甚兵衛よ、いつでも斬りこんで来い。伊集院の精兵が、百武同様に倒してくれる。

 国兼たちは百名の圧に押されるように、北方の村境へと引いていく。


(四)

 村の出口まで来てしまった。慎重に追跡したので、近づきそうでなかなか届かない。しかし、あと少しだ。

「霧か、こんな夜に。近くに沼でもあるのか。」

 久三が聞いてくる。気づかなかったが、薄い靄が次第に濃くなってきている。霧で見失う前に捕まえなければ、平左衛門は歩みを早めるよう指示を下した。

 村を出た。道が狭くなり、集団の密度は高くなった。押し合い圧し合い進まざるを得ない。敵も馬を一列縦隊にして下がっているが、速度は落ち確実に距離は縮まっている。

 もう少しだ。そう思った瞬間、突然足元の地面が無くなった。雪崩れるようにして、集団が倒れこむ。槍を手に折り重なって倒れたため、味方の槍で重傷を負うもの、味方に潰されて怪我する者が続出した。

 落とし穴。こんな初歩的な罠にひっかかるとは。

 よく見ると、落とし穴は急づくりの粗末なものである。盾や板、枝などを、元々あった地面の段差に這わせ、土を被せただけの、子供でも作れる簡単なもの、霧が出ていなければ容易に判明しただろう。くそっ。


 わーーっ。


 平左衛門が、穴の中でもがき乍ら口惜しがっていると、周囲の林でときの声が上がった。いつの間にか、百名ほどの兵に取り囲まれている。川西村から駆け付けた梅北衆だろう。国兼捕縛に時間をかけすぎた。我らの負けじゃ。平左衛門は観念した。


「勝ち戦は、いいもんだなー。」

林の中で、ときの声を上げる味方の中で、ひとり悦に入っていた忠助は、喜内に睨まれて首を竦めた。

「どうされますか。」

 そう言って次右衛門が、国兼に歩み寄った。

「話し合いじゃ。」

 国兼は言った。年貢の件、こちらにも算段がある。喜内には、また迷惑をかけるが。 


がああああああああ。


そのとき、村の方で野獣の咆哮のようなものが響き渡った。


(五)

 蘇生した長迫蔵人が、縛られた太郎次郎とお春を引っ張りながら、村から出てきた。怒りのあまり、正気を失っているように見える。


「じじい、よくもやってくれたな!出てこい!さもなくば、こいつらを、この場で殺す。」

「蔵人ならぬ!口答えに過ぎぬ場合、我らに処断する権限は無い。」

味方である平左衛門の方が慌てたが、蔵人は聞く耳を持たない。

「うるせぇ!おい、じじい、さっさと出てこい。本当に殺っちまうぞ。」

そう言い乍ら、太郎次郎とお春を引っ張りまわす。二人は振り回され、ふらふらになっている。


「ちくしょう。お父ぉ、お母ぁ!」

駆けだそうとする五郎丸を、猪三が押さえる。

「仕方ないの。」

やれやれという顔で、国兼が歩き出した。

「そうだ!こっちへこいじじい。なめやがって、俺様が殴り殺してやる。」

もはや、恰好も何もない。蔵人は下品極まりない本性を現していた。


そのとき

「動くな!」

鋭い声が辺りに響いた。

硝煙の臭い、屋根の上から無数の銃口が蔵人を狙っている。

「待たせたが、……ちょうどよかったようじゃな。」

梅北衆鉄砲隊を率いる、鉄砲(かなまり)三郎が言った。


蔵人のこめかみに青筋が立った。

ぎりぎりと、血がにじむほど奥歯を噛み締める。

「撃つなら撃て!このまま舐められて終わるなら、死んだほうがましじゃ。だが、この長迫蔵人、ただでは死なん。こいつらも道連れじゃ。」

そう言うと、お春の縄をぐいと引っ張った。引き寄せられたお春がうめき声をあげる。

「お母ぁ!お母ぁ!」

五郎丸は泣き叫ぶ。

「きちがいめ!」

喜内が吐き捨てた。


やむを得んと言った顔で、国兼が再び歩き出そうとしたとき

辺りに、勇壮な法螺貝の音が鳴り響いた。

北から、ざっざっと規則正しい行軍の音が聞こえてくる。

騎馬武者を先頭に、二百名ほどの軍隊が、整然とこちらへ行進してきた。

掲げる旗は、十の下が少し右にはねた”変わり丸に十の字”である。

先頭の騎馬武者が、声を張り上げた。

「双方とも引け。この場は、この新納忠元が預かった!」

隣地大口の領主、新納忠元が、半鐘を聞いて駆け付けたのだった。


 闇に包まれた火の見櫓の上に、いつの間にか人影がある。

「くくく……面白い見ものであったに、親指武蔵めに邪魔されたか。」

鬼の面を被った人影は、そのまま闇の中に溶けるように消えた。

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