第4話 伊集院代官

(一)

 川東村の中央、太郎次郎の家の前で荷駄は止まった。太郎次郎が家から飛び出してきて平伏する。今様の、黄金大鯰の兜を被った体格のいい武将が馬を下り、平伏する太郎次郎をねめつける。そして、懐からおもむろに書状を取り出し、芝居がかってぱらぱらと開いた。

 「臨時の軍用である。太郎次郎よ、川東村、各戸十俵ずつ、納めてもらうぞ。」

厭らし気な声の響きだ。下の者を虐めるのを、楽しみにしているような声だ。

 「長迫様お待ちくだされ。この間も各戸十俵お納めしたばかり、このままでは味噌も醤油も、冬の着物も買えません。冬が越せず亡くなる者も出てまいります。」


閑話休題

 明治期に到るまで、米本位制をとる日本の百姓において、米は食糧ではなく現金であった。食べるのは雑穀である粟や稗であり、米を全部取られても、飢え死にするわけではなかった。

 米で贅沢をするわけではない。基本的に米とは、百姓が人間らしい暮らしを送るための原資だった。冠婚葬祭や衣服代病院代、家や農具の修理費から、牛馬の購入資金、米が無ければ、場合によっては、命すらも危ない状況が待っていた。


「少しくらい辛坊せえ。我ら伊集院家は、新しい世をつくるため、命がけで太閤殿下にお仕えする覚悟である。太閤殿下の臣民であるお前たちも、新しい世のため、命を削ってお仕えするのが道理というものじゃ。」

 長迫は、虎髭をしごきながら、悦に入ったような顔で言う。

「命を削ってまでお仕えして、一体どんないい世の中が来るのでございますか。」

 ぴくりと、長迫のこめかみに血管が浮いた。洒落て恰好はつけているが、元々気の短い乱暴者であり、腕は立つが家中の嫌われ者である。

「そんなこと、お前ら百姓の知るところではない!百姓は黙って働き、言われた通り税を納めておれば良いのだ。」

 「無体な。それでは、牛、馬と変わらないではないですか!百姓をなんとお考えか。」

 今度は、太郎次郎が血相を変える番だった。長迫は聞こえない様子で、太郎次郎に、つかつかと歩み寄った。

 「元の領主の教育が、なっとらんようじゃ。このわしが、正しい百姓というものを教えてやろう。」

 そう言うと、持っていた槍の柄で、思いっきり太郎次郎の顔面を殴りつける。不意を打たれた太郎次郎の鼻から、血がしぶいた。倒れこむ太郎次郎を、何度も何度も足蹴にする。あまりの凄惨さに、村人たちも周りの伊集院勢すらも、凍り付いた。


(二)

 一瞬の沈黙の後、堪り兼ねた太郎次郎の妻お春が、飛び込んで夫の背に覆いかぶさった。

「何をすっか女子!太閤殿下の代官である伊集院忠棟様、その代理たる長迫蔵人の仕置きに、女の分際で異を唱えるか。」

 そう言うと、足を上げてお春の腹部を激しく蹴った。あまりの激痛に、我知らずにうめき声が上がるが、お春は夫の上から離れない。激怒した蔵人は、お春に向かい、さらに2回3回と強い蹴りを食らわしていった。


 ぎりぎり

五郎丸は、歯噛みしてこの様子を見ていた。お父、お母。飛び出していきたいが、いま飛び出しても、お春の二の舞だ。この子は、天下人になりたいという夢を描くだけあり、腕白ながら賢く冷静なところがあった。辺りを見回す、村の中央、伊集院勢の固まっているすぐ後ろに火の見櫓と半鐘がある。


 「これは、火事や野盗の襲来の時に、気が付いたものが鳴らすのだ。」

 太郎次郎から、教えてもらったことがあった。

 「殿様たちが助けに来るのか?」

 尋ねる五郎丸に、大きく頷きながら太郎次郎は言った。

 「それだけではない。ここで鳴った半鐘に、気づいた他の村も、

  半鐘を鳴らすことになっておる。半鐘は繋がり、場合によっては

  鹿児島から島津の大殿様が駆けつけてくださる。」

 「すごいな。」


 目をキラキラさせたのを思い出した。五郎丸は、草むらから這い出ると、見つからないように家々の後ろを回り、火の見櫓のほうへ向かった。


(三)

 「蔵人もうやめよ。」

 同輩の月野平左衛門が止めた。小柄な平左衛門は、温厚で人当たりが良く、蔵人と異なり家中での評判もいい。長年の戦友である、嫌われ者の蔵人とは、なぜか仲が良い。主人以外の言うことは聞かぬ蔵人も、平左衛門の言うことには耳を傾けた。そんな関係から、両者は組んで仕事をさせられることが多い。平左衛門は、蔵人の暴走を止める役である。


 「そうじゃ、そうじゃ、太郎次郎も十分わかったじゃろう。」

 やはり同輩の森山久三が、にこにこと相槌を打つ。小太りのこの男は、何をやらせても器用にこなし、人に逆らったことがない。どういう状況でも「そうじゃそうじゃ。」と言ってその場を収めてしまう。そこからついたあだ名は、”相槌の久三”と言う。ただ、相槌ばかりでなく、弓の名手でもあるこの男は底の知れないところがある。


 しかたなく攻撃をやめた蔵人は、二人を引き起こすと、荒縄で後ろ手に縛りだした。

 「どうするんじゃ。」

 尋ねる平左衛門に、蔵人は見せしめじゃ、場合によっては殿の前に引き立てると言った。

 蔵人による乱暴狼藉の終了が合図のように、伊集院の兵たちは勝手に家々に押し入り、米俵を担いで荷車へと運び始めた。縋りついて抵抗する村人を、蹴り飛ばし、殴り倒しながら作業は続けられた。


 今じゃ。

 

 五郎丸は火の見櫓に忍び寄ると、猿のように、梯子をするすると登って行った。徴用に忙しい伊集院勢の、誰にも気づかれていない。

 櫓の上に備えられた木槌を握り、半鐘を思いっきり叩いた。


 くわーーん


 鐘は、甲高く大きく響く。五郎丸は勢いづいて続けた。


 くわん、くわん、くわん、  くわん、くわん、くわん。


 誰か、誰でもいい、早く、早く助けに来てくれ。

渾身の力を込めて夢中でたたき、後ろに影が差すまで気づかなかった。


 「おい、小僧。」

 五郎丸が振り返ると、怒りに真っ赤になり、虎髭を震わせて長迫蔵人が立っていた。

 がん。

 頭に衝撃を受け、目の前がみるみる真っ暗になっていった。

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