[18]

「本条二尉、お探ししていたんですよ」

 横須賀上町のアパートに帰ったのは、午後11時過ぎだった。車のブレーキを踏む音に続いて自分の名を呼ぶ声がした。本条は階段から振り向いた。隊庶務の海曹長がジープの運転席で怒鳴っていた。

「首席幕僚から、命令を言付かっております。群司令部で緊急のオペレーション会報が開かれるので、参加してください。もう間もなくですので、お急ぎください」

 曹長から気が気でない様子で急かされた。首席幕僚の芹澤忠幸・二等海佐は、第2潜水隊群司令の片腕ともっぱら評判の人物だ。その芹澤がいきなり自分を呼び出すとは、どういうことか。本条は戸惑った。群司令部のオペレーション会報など、自分のような尉官クラスが出席できるはずがない。

 何かの間違いではないか。本条はそう思いながら部屋に戻って私服から制服に着替え、隊庶務が運転するジープで基地に向かった。ふいに自分に連絡が付かなかった理由が思い当たった。演奏会に出た時から、携帯端末の電源を切ったままだった。

 ジープは第2潜水戦隊司令部の前で停まった。本条は明かりの付いていない建物に入り、2階のオペレーション・ルームの前まで駆けつける。ふと扉の前で立ち止まった。部屋の扉は暗証番号を入力する仕組みになっているからだ。

「本条、間に合ったか」 

 沖田が廊下の奥から足早に駆け寄る。暗証番号を入力し、分厚い扉を開けた。

「部屋の隅で見学しておけ」

 本条は沖田の後から頭を低くして入る。

 遮光カーテンを引いた100平米ほどの会議室は照明がついていた。前面に大きなスクリーンが下がり、それと向かい合うように最前列に椅子が数脚、やや間を置いて後ろにも十数脚並んでいた。本条は末席に浅く腰を下ろした。

 スクリーンの近くでは首席幕僚の芹澤を中心に、司令部の要員がプロジェクターを準備したり、報告資料を並べて何事か小声で確認し合ったりしている。

 本条はそのやりとりを隅で見ながら、ある種の緊張感を感じ取った。通常の会報とは何か雰囲気が違うのではないか―。

 やがて在泊中の「せいりゅう」艦長と副長、第4潜水隊司令、最後に第2潜水隊群司令・藤堂巌・一等海佐が入室して最前列の椅子に腰を下ろす。芹澤の司会でオペレーション会報が始まった。

 芹澤は単刀直入に本題に入った。

「昨日発見されました、潜没潜水艦の動静について、情報参謀からご報告します」

 本条は耳を疑った。

 情報幕僚がプロジェクターのスイッチを押した。部屋の照明が落とされ、スクリーンに東シナ海北部の海図が表示される。情報参謀が説明を始める。

「最初に国籍不明の艦を発見しましたのは、海上保安庁の巡視船です。その後、定例の監視飛行中でした第1航空群(鹿屋基地)所属のP-3Cが、ソノブイを投下して追尾を開始しました。ソナーと目視より、潜没航行中の潜水艦と判断されました」

「単艦なのか?」藤堂司令が聞いた。

「ええ、そのようです」

「速度は?」

「昨日、1400の発見位置から本朝0700までに120マイル(約193キロ)弱しか進んでいませんので、7ノット(時速13キロ)程度かと思われます」

 7ノットといえば、自転車をこぐような遅い速度である。

「潜水艦は潜没航行中とのことだが、潜没状態でどのくらい経ってるのか?」

「約17時間以上になります」

「その間に露頂は?」

「一度もしておりません。原潜である可能性が高いです」

「その原潜の現在位置は?」

「原潜が宮古列島と尖閣諸島の間を航行していることまで掴みましたが、本朝0700に失探しました」

 芹澤が情報参謀の言葉を引き取って言葉を続ける。

「国籍不明の原潜が引き続き北に進んだ場合は大正島の南で接続海域に入り、領海を侵犯したと思われます。捜索は続けていますが、沖縄トラフに潜伏していることも考えられますので、発見はかなり困難かと思われます」

 藤堂司令は口を開いた。

「海上保安庁から申し出があり、本省は海上警備行動を発令した。先ほどの報告にあった通り、潜水艦隊司令部は国籍不明の原潜が尖閣諸島付近の領海を侵犯した恐れありと判断したため、第2潜水隊群に対して、これに基づいた作戦行動を行うよう命令が下った」

 本条は藤堂の言葉に衝撃を受けた。会議室の空気も小波のようにざわついた。海上警備行動が発せられる事態とは、すなわち非常事態を意味する。ソマリア沖に海賊対処部隊を派遣するとき以来だった。藤堂は言葉を続ける。

「海上警備行動に基づき、第2潜水隊群は尖閣諸島沖での阻止哨戒を実施し、現場海域には第4潜水隊の『ひりゅう』と『せいりゅう』を派遣する。君たちが尖閣沖に到着する頃には、内閣から防衛出動が発令されているだろう」

 本条は身震いした。防衛出動が発令された場合、それはすなわち実戦である。沖田は群司令の藤堂に問いかけた。

「敵艦の撃沈も止むなし、ということでしょうか?」

 藤堂は深くうなずいた。

「勿論である」

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