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 幹部用の食堂に入った本条は先に着席している先輩たちに挨拶した。

「おはようございます」

 テーブルの上にはバター、マーガリン、ジャム、紙パック入りの牛乳などが置いてある。程なく本条の前にスープとハムを添えたサラダが士官室係の海士によって運ばれてきた。

 通路になっている食堂の端を時おり乗組員たちが行き来する。

「本条二尉、魚雷戦の訓練では散々だったな」

 水雷長の柘植鉄次・一等海尉が食パンをちぎりながら笑った。本条の一期先輩で、アクアリウムを手作りするのが趣味だと聞いていた。実際に小さなガラス瓶に作った物を士官室に持ち込んでいることを知った時は驚いた。

「お恥ずかしい限りです。いざとなると、瞬時の判断ができなくなるのかと悩みました」

「初めから出来てたら、俺たちは先輩面してられないよ。悩んだ割には、あの晩はいびきかいて寝てたじゃないか」

 柘植が茶化すように言った。一同もくすくす笑う。本条は苦笑を浮かべた。

「まあ、いつまでも昔の失敗を引きずってるような神経の細い奴なんか、すぐにダメになるからな。その点、本条は俺なんかより図太いよ」

 次の当直に就く菅澤が食堂に入ってくる。皆に挨拶して本条の横の席に座った。

「おい、聞いたよ。結婚が決まったようじゃないか」

 船務長の森島が牛乳の紙カップを取りながら声をかけた。

「そういえば、最近、妙に嬉しそうだよな。相手は例の五井商船の船長の娘さん?」

「はい、この航海が終わった時にご報告をと思っていましたが、ついこの間、相手のご両親から、どうせ結婚するなら式の都合もあるし夏休みにと言われたものですから」

 菅澤はやや改まった口調で一同に報告した。はにかみを端正な顔に浮かべる。

「親が海運関係なら少しは安全だ」

「そう願っています。普通の家庭の女性に潜水艦乗りの生活を理解しろと言うのは、難しいですからね」

 菅澤は照れた表情を浮かべる。

 狭い艦内で生活を共にする乗組員たちは仲間意識が強く、自然と各自の家庭環境、健康問題、悩み事などが共有される。特に結婚に関しては女性との出会いが少ない職業であるためか、司令部からも心配される。

「民間の船員だって、俺たちのことは理解しづらいらしいよ。もし婚約破棄でもされたら、遠慮なく相談してくれ」

 柘植が親身な口調で言った。柘植の家庭では結婚後に2度目の航海から帰った頃、新妻が置き手紙を残して実家に帰ってしまい、実家に連れ戻すのに3か月かかったという。潜水艦乗りサブマリナーは家族にも何処へ行くのか、いつ帰ってくるのかさえ、職務上の秘密で口にすることが出来ない。

 本条はコーヒーを飲みながら言った。

「後輩にも先を越され、ぼくもそろそろ《セブンスター》の仲間入りかなあ」

「ひりゅう」に勤務する適齢期ぎりぎりの乗組員7人はタバコの銘柄に因んで《セブンスター》と揶揄されていた。本条は菅澤と同じ二尉だが、年齢は1つ下である。

「本条は女性にこだわりが強そうだから、自分で選ぶことになるだろうな」

「冷たいですね。ぼくは生涯独身ですか」

「ミスターひりゅうが情けないことを言うな。そのうち、天使が舞い降りてくるさ」

 柘植は飲み会の席で何かの拍子に、本条を《ミスターひりゅう》と呼んだ。艦で一番のハンサムでなければ、キャリアが長い訳でもないというのが命名理由だった。その後は他の乗組員からも、からかい半分でそう呼ばれるようになった。最初は恥ずかしくて抗議したが、そのうち本物のミスターが乗ってくるだろうと大人げない抵抗をやめてしまった。今では、その渾名が定着してしまったのだ。

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