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《敵魚雷、『ひりゅう』発令所に命中、哨戒長戦死》

 スピーカーから突如、副長の声が響いた。

《これが訓練で良かったな、本条・二尉》

 本条は思わず詰めていた息を吐いた。ソナー室は副長が敵魚雷の襲来を次々と想定したシナリオ通りに報告を上げてきただけだったのだ。道理でこれほど危険が迫っているにも関わらず、艦長は姿を見せず、周囲の反応も切迫感に欠けていた。発令所の多くの乗組員にはあらかじめ、本条の訓練と告げられていたのだ。潜水艦に暮らしているようなベテランたちは笑いを噛み殺している。

「哨戒長の対応、30点」

 森島がびしりと点数を下した。発令所に入ってきた山中が指摘する。

「最初、デコイを発射して舵を左に切ったことはいいだろう。だが魚雷に尻を向けたら、魚雷を誘引するデコイの効果が確認できないし、魚雷を発射した敵を探知することすらできない。いったんは失探しても、さらに回り込んで魚雷や敵を探知できる針路を指示するんだ」

「最悪なのは、反撃しなかったことだ。魚雷が飛んできたら、まずはその方向に反撃用の魚雷を撃て。そうすれば、敵だって悠々と2本目は撃てなかったはずだ」

 森島がずけずけと言った。本条はただ悄然とするばかりだったが、口元にやや不満げな色を浮かべた。

「何か言いたいことがあれば、言ってみろ。これは訓練で、晒しものにしてるわけじゃないからな」

 山中が促した。副長は艦長の補佐というより、代行者である。艦長の意を汲んで先手を打ち、航海長の兼務から行動計画の策定、教育訓練と何でもこなさなければ、将来の艦長への道は開けない。

「こんな重要なことは、潜訓(潜水艦教育訓練隊)では教えられなかったように思います。潜訓でもっと・・・」

「潜訓は基礎を教えてくれるが、それを実際に応用するのは、君たち幹部になる者の責任だ。現実には予想できない緊急事態が多い。そうした時、とっさに冷静な判断ができなくては、お前は仕方ないとしても、部下は全員死ぬ」

 深夜零時過ぎ、ようやく次の当直士官との引き継ぎを終え、本条は士官室に戻った。部屋は入口に細長いロッカー3本と机1つが備えつけられ、その奥に三段ベッドが横向きに並んでいる。本条の最上段のベッドに横になった。天井まで約30センチの空間が唯一のプライベート空間となる。そこに潜り込んだ時の開放感は格別だが、脳裏では先ほどの訓練について思い返してしまう。いつものようにすぐには寝られなかった。

 どうしてもっと、臨機応変な処置がとれなかったのか。自分は潜水艦乗りサブマリナーの資質に欠けるのではないか。夢はもちろん艦長になることだが、七十数名の乗組員を束ね、とっさの事態にも冷静な判断でその場を乗り切る力量が自分に備わる日が来るのだろうか。とめどなく考え始めると、不安が押し寄せてくる。

 ふと頭がわずかに上がる感覚を覚えた。露頂するための準備が始まったようだ。「ひりゅう」は青森沖を航行しているはずだが、蓄電池の充電を行うために、海上にスノーケル・マスト(吸気筒)を上げる時間なのかもしれない。

 本条はふと、沖田艦長の姿を思い描いた。

 沖田は「ひりゅう」の艦長に着任して半年になる。着任した当初は寡黙で、どこか近寄りがたい雰囲気があった沖田に対して「お手並み拝見」と距離を置いていた乗組員たちだったが、着任してすぐに初めて参加したハワイ沖でのリムパック演習で、沖田は米海軍の主力艦を6隻も仕留める操艦をしてみせたという。それからは「うちのオヤジに恥はかかせられない」という心意気に変わっている。

 将来、自分もそういう艦長になりたい。本条は心密かにそう思っていた。

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