序 2019.5.6 早朝 少女の場合

 それよりほんの少し遡った夜のこと。

 突然の車の音とどたどたと階段を誰かが登る音に少女は目を覚ました。何?と疑問に思う余裕すらなかった。いきなり部屋に懐中電灯の明かりが差し込んで、そこに焦燥しきった父と母が立っていた。

「……何?」

「携帯出せ。」

 いきなりそう言われてベッドの上にいまややってこない電気を求めて充電器に食らいついていたスマートフォンを確保しようとした。これだけは渡せないと心が叫んでいる。これを渡したら、「大切な人」との繋がってる線が途切れてしまう。恐怖が全身を走破する。

ばしっ、という音と激痛が少女を襲う。正確無比な父の平手打ちが綺麗に決まって少女は携帯を手から落とした。それを拾うと父親はにっこりと笑って「ロックを解除しろ」とどすの利いた声で詰め寄ってくる。

「やめて。」

「お前なあ、父さんが何も知らないと思っているだろう。」

 それから2つ目の机の上に置かれた女の子の部屋にふさわしくないものを指さして、「こんなものを買って、」と詰め寄ったあと、ああ?と怪物のような大声を上げた。その威嚇を判っていても、恐怖した。

 それから、「それ」―数万円するフライトシュミレーション用スティック―を乱雑に机から叩き落とすと「こんなものを買って。」と激しく怒鳴り、母は「おばあちゃんを使って随分とやるわね。」とまるで非合法薬物でも見せたかのように一緒に起こってくる。

「おまえがこんな玩具で付き合っているのは誰だ?」

「知らない。」

 ばん、ともう一発平手が入る。

「言え!」骸骨のような顔を近づけて怒鳴り散らす父に涙を流しながらも少女は口を割らない。「貴方のためを思ってお父さんは言っているの。」と母。

「その相手はJ-フォースの人間だな、それか、自衛隊の。」半ば的中させた父は少女に「脱出のチケットを譲ってもらうように言え!」と迫る。

「そんな人じゃない!」嘘の声を張り上げてウィルは力いっぱい否定した。「例えそうでもチケットなんか譲ってくれない。」

「何故そう言える。」激しい平手の嵐が少女を襲う。「屁理屈ばっかり捏ね上げて手は動かさない体は動かさない。」

「だって……。」

「だってもかってもあるか!」父の罵声に母も加勢する。「あんた、ええ、あんたに好き放題部活やらせて学費も食費も出して、こんな親なんか今は珍しいんだよ。」悲しげで怒りに満ちた声にもうすっかり麻痺した少女の心は反撃の力すら残ってなかった。

(嘘だ!)心の中で少女は怒りをぶちまけた。(貴方達が大切なのは私じゃない。私という存在、トロフィー)

 貧困がどう、中には高校進学を諦める家もあるんだぞ!恵まれているんだぞ!それどその態度か!黒知らずの癖して親を敬わないのか、と脅しに毅然と立ち向かおうとする。が……

(出来ない。)

 親の空疎な説教を信じたわけではない。ただ、反論したら殺す!の態度には反論は認めないし、あるはずもない。という威圧が抵抗運動を萎えさせる。

(やっぱり出来ない。怖い)

青い前髪を掴まれて父の顔の前に無理やり顔を持っていかれる頃には助けて、という祈りだけが彼女の中に残されていた。

「ここまでお前に金出したんだ。あいしてるんだ。」

 ペットやフィギュアに服を買うように?と付け加えるべきだという反論は、もうっころの中にすら出てこない。

「お前は家族としても義務を果たすべきだ。」

携帯を自分の方に差し出す。だが、奪い取れないようにそれはがっちりと掴まれている。

今、電話して、「向こう側の誰か」に助けを超え。お前のものは親のもの。お前の友は、所有物は、笑いは、涙は、人生は、全て自分のもの、という認識の父母、それでいてレイプだけは見事に避けている。手の打ちようを彼女は知らない。

「嫌だ!」

 あらん限りの力を込めて少女は叫んだ!

「嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!」

 パシンッと平手打ちの一撃が入る。平手撃ちばかりなのは「嫁」として売り出す時に顔が歪むと「商品価値」が下がるからだというのを少女は知っていた。

「五月蝿い!」さっきのウィルの大声すら上回る声で父が一括する。「こんな夜中に騒ぐな!近所迷惑だろ!」

「そういって話を歪めて、中断させて」一発の平手が少女の発言を中断させる。「いっつも私の話を聞いてく……」

「黙れ!」言葉を遮った父は少女をもう一度平手で叩いた。「お前は何も判ってない!」

「世の中のこともわからずぺちゃくちゃぺちゃくちゃと。騒ぎ上がって。」がん、と壁に少女を叩きつけると「これは教育だ!分かるか!」と口角を飛ばしては少女の脳内の鍵を取り出そうと躍起になる。

「もういきましょう。私が運転中に全部のパターンを入れるから。」そういう母に、ああ、と父は答えると最後に、もう一度ビビビビン、と連続殴打を繰り返し、「母さん、やっぱり八戸行こう。ツテでフェリーの席を開けてもらおう。」という声を残して父は去ってゆく。

「返して!」父の足にしがみつく。そのまま父は前に脚を振り上げ、バランスを失ったウィルは階段を滑ってゆく。

「返してったら!」

 だん、と一階に投げ出されるなり、立ち上がり、主張する。返答はグーでの顔面への一撃。

「何を……。」と驚く祖母、「母さんは黙ってろ!」という父の声。朦朧とした意識でウィルはそれでもふらつきながら父と母の後を追う。父の車は去ってゆく。

「いつも……いつも……なんで……なんで。」

 なんで自分が笑ったり泣いたりする度にどうしてそれを叱ってくるの?そして、どうして大切な物を奪っていくの!と答えの返ってこない問を問いながら少女は通信網の向こう側にいる「大切な人」に伝えるべきことを思いつくまで永遠と暗い玄関口で泣き続けた。

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