最も美しい嘘の花③


 それから、一か月が経過した。

 教室移動の際、極力避けていたのに、僕と先輩が廊下ですれ違ってしまった。

 先輩は優しいから、僕みたいな人間でも手を振って挨拶をする。それによって起こるのは他人の興味だ。


「榛!」


 僕が最も嫌いな物は、これまで何の興味も持たなかったくせに、すぐさま話しかけてくる人間。つまりこういう奴のことだ。


「お前、久留米先輩とどういう関係?」

「……」


 下品な笑顔を浮かべたそいつの名前を僕は知らない、覚えようとも思わない。

 親しげに肩を組んでくるそいつの手を払いながら、僕はあらかじめ聞かれた時のために用意していた答えを言う。


「ただの部活の先輩と後輩」


 嘘ではない。

 久留米先輩は幽霊部員だけど、美術部員だ。

 だから松葉先輩はすんなりと要求できたし、久留米先輩はそれを受けた。


「嘘つけ! ただの後輩に」

「ただの後輩にでも、ただの知り合いにでもあの人は笑顔であいさつすると思うよ」


 そうしなければ、みんなが望む『久留米千歌』ではないから。

 会釈だけでは華やかさがない、話しかければ「特別扱いしている」と思われてしまう。『久留米千歌』に特別な存在はいてはいけない。それを望んでる人間はいないから。


「ふぅーん。あ、じゃあ紹介してくんね? 俺のこと」

「僕、君の名前も知らないんだけど? なんて紹介したらいいの?」

「は!? お前去年も同じクラス……」


 ああ、そうだったんだ。

 全然記憶にないけど。

 

「僕も覚えてないような人は、先輩の記憶にも残らないんじゃない?」

「お前!」


 僕は文句を言いたいのであろう、同級生を置いて廊下を歩く。

 彼ももう追う気はないようだった。

 代わりに、家庭科の裁縫実習中に彼はずっと話しかけてきた。

 どうやら先輩を紹介してもらうことよりも、自分をすげなくあしらった僕が先輩に振られる図をみてからかうことにしたらしい。話しかける内容は僕が先輩を好きなんじゃないか、とかそういうものだった。


「僕が先輩をどういう風に見てるかなんて、君には関係ないと思うけど」

「だって俺が興味持っちゃったし」


 だからそれが鬱陶しいって言って、いないか。

 彼と会話するのはこれが初めてだし。


「別に面白い答えでもないと思うけど」

「それ決めるの俺じゃね?」

「……そうかもね」


 僕はひたすらに、作業を続ける。彼はそもそもやる気がないらしく、手にはスマートフォンが握られている。進学校であるうちの学校は、もちろん授業中の携帯電話やそれに類する端末機械の使用を禁止しているので、没収されるはずなのだが。どうしてもやめる生徒が絶えないので、先生側も黙認することにしたようだ。


 話しかけないでくれ、という僕の願いは一蹴され、彼は話しかけ続け、僕はそれを無視し続けるという実習の時間がようやく終わった。長い五十分だった。


放課後、そういうことを先輩に報告しながら、いつも通りスケッチを行う。

 先輩はクスクスと笑いながら、僕の方を向いた。


「ちょっと、動かないでください」

「私も聞いてみたいわ。榛君にとって私はどんな存在なのか」


 大して興味はなさそうに、先輩は言う。

 それでも会話を続けることにしたのだろう。この時間に先輩も空き始めているのかもしれない。


「そうですね。綺麗な人だと思います」

「それは、私にとっては褒め言葉ではないわ」

「別に褒めようと思っているわけではないです。事実なので」


 事実先輩は綺麗だ。

 見た目はもちろんのこと、声や言葉遣い、表情、一つ一つの動作まで。何もかも。


「榛君は、私を芸術作品のように思っているの?」

「そんな風には思ってません」


 彼女に心がなければ、僕は彼女に惹かれてはいない。

 僕が美しいと感じたのは彼女の心なのだから。

 心がない芸術作品のようになんて思えるはずがない。


「でも、榛君は私と対等の存在だとは思ってないんでしょ?」

「そうですね。僕みたいな人間と先輩は対等にはなれないと思いますよ」

「……そう」

「先輩?」


 先輩は立ち上がった。まだスケッチを終わってない。

 スケッチブックには先輩の顔しか描かれてない。体部分は今から書こうと思っていたところだったからだ。


 先輩は僕のところまで歩いてきて、そして止まる。

 僕の腕からスケッチブックを取り上げて、僕がたった今までペンを走らせていたページを切り取り、そして破った。


「今日でおしまい。もう帰るわ」

「え、せんぱ」


 先輩はカバンを持って去っていった。

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