第2話

 午前八時二十分。徒歩で学校に到着。

 靴をサンダルに履き替え、四階にある一年生の教室に向かう。

「よおっ。おはよう、康一」

 教室に入ると同級生が話しかけてくる。

「おはよう、友則」

 佐藤友則。高校に入ってから出来た最初の友人である。

「どうした。疲れたような童顔して」

「童顔は生まれつきだっての」

 自分の席に座り、鞄を脇に掛ける。

「まあ、疲れてるのは当たってるけど」

 はあ、と溜息が漏れる。

「どうした? 昨日、オナニーでもし過ぎたか?」

「違う、お前じゃないんだから」

「じゃあ、悩み事か」

「そんな所だ」

 鞄から教科書と筆記用具を取り出し、机の中にしまう。

「そうかそうか。お前の姉ちゃんは美人だからな」

「何で悩み事で姉さんが出てくる」

 お前はエスパーか。

「いや、お前の姉ちゃん可愛いじゃん。そんな人と一つ屋根の下に居たら、日々悶々とするものだろう」

「残念だけど今の今まで姉をそんな目で見たことは一度もない」

「えっ、マジで? お前、頭おかしいんじゃね?」

「お前がな」

 何処の世の中に実の姉をそんな目で見る弟が居るんだか。

「僕は至って普通の趣味だ」

「へー。山田君の趣味ってどんな子なの?」

「うーん、どうだろう。背が高くて知的な感じの自立の出来ている女性...」

 ん? 僕は今誰と話してた?

「じゃあ、年上が好みなんだ。山田君は」

「清水さん!?」

 僕の後ろで笑みを浮かべて立っているポニーテールの女子生徒。清水可奈さん。僕のクラスメイトである。彼女もこのクラスで仲良くしている友達の一人である。

「意外だね。てっきり、お姉さんが居るから年下か同い年位の子が好みだと思ってたけど」

「いや、別に。そんなに深い意味は無いよ。その、昨日のドラマの女優さんを見て思ったことだから」

「康一、何を焦ってるんだ」

「べ、別に焦ってない」

「けど、そう言う事になると山田君の好みの女性って佳織先生だったりして」

 悪戯な横目で鎌をかけてくる清水さん。

「いや、そんなつもりは」

「そうだ。止めとけ、あんな堅物そうなの。見た目が良くても中身が悪いって」

「あら、下は小学生から上は熟女までの広いストライクゾーンをお持ちの佐藤君から珍しく反対意見が。何、ああ言う真面目な先生は嫌いなの?」

「嫌いと言うか、何と言うかな・・・」

 口ごもる友則。何か言葉を選ぶように腕組をしている。

「まあ、とにかくだ。俺の勘から言わせると、あのタイプは止めといた方がいい。それだけだ」

 結局、理由も言わずに否定をしただけだった。

「いいか康一。絶対に駄目だから」

「何で僕にダメだし」

「お前の童顔ならやりかねない」

「訳が分らないし」

 と、楽しい会話を打ち切るようにホームルーム開始のチャイムが鳴る。

 担任も教室に入ってきて皆が慌しく席に戻る。友則も清水さんも自分の席にと戻っていく。

『年上が好みなんだ。山田君は』

 ホームルームが始まり、担任が話をしていても、その言葉だけだが妙に引っ掛かっていた。

 僕って年上が好みなのだろうか。


 昼休みを告げるチャイムが鳴る。

 結局、僕は悶々とした気持ちで授業を受ける羽目になった。全くと言って話が耳に入ってこない。

 年上って、今まで深く考えていなかったけど。果たして僕はどれ位年の離れた人を好みと思っていたのだろうか。

 まあ、僕の年齢が今年で十六才になるんだから十七才からって事になるのだろうけど。しかし、それは限りなく同年代に近い年上だからな。きっと違う。

 さっき、咄嗟に喋った感じだと明らかに二十代後半位。

 二十代後半→二十五~二十九才→それって姉さんでは?

 的な事がさっきからずっと頭の中を回っている。あれ、僕って姉はそう言う対象じゃないって言ったばかりだよな。それってヤバくないか?

 いやいや、僕はあの時は『背が高く』て『知的』な『自立できる』女性と言ったんだ。

 残念だがウチの姉の背は僕より低い百五十四㎝。頭の方は悪くないが知的と言うには程遠い。そして何より、自立だ。あんな堕落を化身とした姉さんを僕が好きになるはずがない。

 うん、午前中を掛けて納得出切る理由が導き出せた。これで安心した。

 ………。

 ………何をしてるんだ、僕は。授業も受けずに。

「どした、暗い顔をして? そんな事より飯にしようぜ、飯」

 友則がカレーパンとコーヒー牛乳を抱えて僕の前の席に座る。

「いいよな、単細胞は。悩みが少なそうで」

「あん? 何か言ったか?」

「何でもない」

 僕も鞄の中から弁当を出して広げる。

「お前は良いなー。姉ちゃんの愛情が篭った弁当が食べれて」

「何だよ。弁当作ってもらえないのか?」

 そう言えば友則はいつも購買部の菓子パンだな。

「いや、腹減って早弁してんだよ」

「何だよ、それ」

「朝錬とかしてるからさ、腹減るんだよ。これでも期待の新人だからな」

 ちなみに友則は柔道部所属。中学の時は有名な選手だったらしい。

「けど期待されるって結構大変なんだぜ。それに応えるのがどれだけ難しい事か、周りは分ってないんだよな」

「僕的にはがっかりだけどな」

「何がだよ」

「見た目に反してその性格が」

 チャラそうな格好してるくせに割りと真面目なんだよな、こいつ。

 頭にメッシュ入っていたり、耳にピアス穴とか開けてたりするのに部活をしてたり。それも柔道とかマジありえない。チョイスがおかしい気がする。

「おっ、今の子。安産型の尻してたな」

 まあ、けど女の尻を追い回すところを見ると結局チャラい奴だなと安心する。

「しっかし、おかしいよな、世の中はよ」

「どうした、急に」

「スポーツ万能で高身長のイケメンである俺に弁当が無くて、冴えない童顔のお前に愛情の篭った弁当があるって不公平じゃねえか?」

「いや、お前早弁してるだけだろうが」

 てか、自分でイケメンとか言うなよ。悲しくて仕方がない。

「はあ、誰か俺に弁当を作ってくれる優しくて可愛い。出来れば包容力があって、浮気にも寛大な二十代前半の女性は居ないものか」

「贅沢だな、おい」

「なんだったらばあちゃんでも良い!」

「本当にストライクゾーンが広いな」

「と言う訳で貴様の弁当のおかずは貰った!」

 目にも止まらぬ速さで僕の弁当箱から唐揚げを奪うと、そのまま口の中に放り込んで食べてしまう。

「うめー。愛情を感じる」

「止めろ。キモイ事を言うな」

「何? 実の姉が作ったものをキモイと言うのか貴様は。何と罰当たりな」

「いや、それ僕が作った唐揚げだし」

「ぶっ!」

 口からコーヒー牛乳を吹き出してくる友則。

「うわっ! 何すんだよ」

「えっ、なに? これ、お前が作ったのか?」

 手を震わせながら、驚愕の表情を浮かべて弁当を凝視している。

「ああ。てか、弁当自体僕が作ってるけど」

「嘘だろ、おい。じゃあ、昨日食べた鮭のムニエルも、先週食べたハンバーグも、先月食べた肉じゃがも、全部お前が作っていたのか!?」

「まあ、そう言う事になる」

 てか、よく先月の弁当のおかずを覚えてるな。

「マジかよ。じゃあ、お前は俺が美味そうにおかずを食べているのを見て、『どうだ、美味いか? しかし、残念だがそれは僕が作ったものなんだよ。貴様に食べさえる姉さんの料理など無い。お前なんて僕が作った弁当で十分だ!』と心の中でほくそ笑んでいたのか」

「いや。どんなキャラだよ、僕は」

「信じていたのに。まさかこんな形で友情を裏切られるとは」

「全然、裏切ったつもりはないけど」

「もう誰も使用できない」

「大袈裟だな」

 僕は構わず箸を進める。

「へー、山田君って料理するの」

「ん、清水さん」

「あっ、隣り座るね」

 そう言うと空いている僕の右隣の席に座る清水さん。

 そして何気ない動作でお弁当を広げる。

「と言う事は、自炊してるの?」

「うん。僕の方が早く帰るからね」

 しかし、毎回突然やってくるよな、清水さんは。

「じゃあ料理上手なんだね」

「そうでもないと思うけど」

「いいな。私、料理下手だし」

 そう言って蓋を開けたお弁当。

 彩りよく盛り付けられたおかずと、一口サイズで食べ易いおにぎりがピンク色の可愛らしいお弁当箱に詰められている。

 ほうれん草とベーコンのソテー。ミートボール。ウインナーは定番のタコではなく、カニの形に切られている。それにコーンサラダに色合いのプチトマト。

 なんとも女の子らしいお弁当である。

「そうでもないよ。僕より上手そうじゃない」

「これ、私じゃなくてお母さんが作ってくれたの。当の私は包丁も上手く使えなくて」

 こんなんじゃとてもお嫁にいけないよ、と笑いながら話す清水さん。

「家事全般が出来て、料理も上手で童顔。山田君は何時でもお婿にいけるね」

「僕としては全然婿養子になる気はないけど」

 そして童顔は何の関係があるんだ。

「世の中は草食系男子が流行ってるからね。さすが流行に乗ってるね、山田君」

「そんなつもりは一切ないけど」

「急で悪いんだけど、一つ頼みごとを聞いてほしいんだけど」

「本当に急だね」

「ええ、良いの!」

「まだ内容も聞いてなのに勝手に了承された!?」

「実は声を大にして言い辛いだけれど」

 僕の耳元に口を近づけて小声で話しかけてくる清水さん。やけに顔が近くて少しドキドキする。

「その...実は...」

 清水さんも頬を赤めらして口ごもっている。

 ん? この展開はもしや、告白なのでは?

「料理を教えてほしいの」

「はい?」

「だから、料理を教えて」

「はあ?」

「ほら、私、選択授業で家庭科を選んでるのね。それで今度の授業で調理実習があるんだけど、私料理が下手だから足引っ張っちゃいそうで」

 いや、自分が過度に期待していただけか。そもそもクラスメートになってまだ一ヶ月なんだ。そう簡単に人を好きになるわけないよな。

「まあ、元々はその下手な腕を少しでも上げるために選んだだけど、流石に山田君の料理みたら自分が情けなくなって。だから、今度の休日でも料理をしてほしいなー。とか思っちゃったりして」

 今日の僕は何かおかしいな。うん、少し自分に渇を入れないとな。気を引き締めていこう。

「って、山田君。私の話聞いてる?」

「へっ? ああ、うん、もちろん良いよ」

 しまった、話半分で返事を返してしまった。

「本当! じゃあ、今週の日曜日に山田君のお家でするって事で良いかな、良いよね!」

「う、うん。良いよ」

 しまった、勢いに押されてOKをしてしまった。

「じゃあ、連絡する為にメアドと番号を交換するから携帯貸して!」

「は、はい」

 しまった、反射的に携帯を差し出してしまった。

「よし、これで登録完了」

 一瞬で登録を済ませて携帯を僕に返してくる。

「じゃあ、今晩にでも打ち合わせの為にメール送るね」

 そう言うとお弁当を素早く片付け、席を立つ。

 そして教室を出て行く清水さん。その横顔は心なしか嬉しそうな表情をしていたような気がする。

「……何だった、今のは」

「さあ? 青春じゃね?」

 友則がカレーパンをかじりながら、つまらなそうに答える。

 まるで嵐のような出来事だった。そんな中、僕の携帯のアドレス帳には清水さんの携帯番号とメールアドレスが残されていた。

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