今から40年前のお話

 1976年9月6日。千歳の航空自衛隊にスクランブルが発令されました。しかし、Fー4EJがスクランブル発進した後、自衛隊レーダーから領海侵犯した航空機の機影が消え、Fー4EJもその航空機を見つける事ができないという大失態をしたのです。


 そして、その航空機は超低空を飛行し、函館空港に強行着陸しました。そう、当時のソビエト最新鋭戦闘機、ミグ25によるベレンコ中尉亡命事件です。


 この時、自衛隊函館駐屯地の自衛官たちは、ソビエトがミグ戦闘機が亡命機を奪回または破壊しに来るのではないかと、戦車および高射砲で迎撃態勢を固めました。しかし、これは政府の指示ではなく、函館に駐屯していた北部方面隊第28普通科連隊の連隊長の判断で行われた作戦でした。


 さて、今、どうして40年前の話を持ち出したか。


 この時の敵はソビエトでした。しかし最近、隣国の中国戦艦が我が国の接続水域を通報無しに航行したり、領海侵犯したりという事例が頻発し始めたからです。もしも、中国の潜水艦が突然領海内に姿を現したら……。


 考えたことが有りますか?


 自衛隊は速やかに領海の外に出るように、注意を促すことはできます。しかし、攻撃する事は許されていません。つまり、どんなに先進的な装備をしていても、敵戦艦からすれば単なる標的にしか過ぎないんです。そして、攻撃を受けたのちでなければ、反撃する事は許されていません。これが、専守防衛ということです。


 そして、武器使用に関しては法律に定められた手続きを経なければならないのです。こんなことをしていたら、その間にどれだけの自衛官の命が失われるか分かりません。


 実際40年前の事件も、ソビエトが攻めてこなかったので、訓練という名目で事を収めたという話を聞いた記憶があります。しかし、もしソビエトが攻めてきていたならば、指揮官の責任の元に、防衛戦を行っていたのではないでしょうか。そして、その指揮官は後に法律で罰せられていたのではないでしょうか。


 我が国の自衛官の方々は、入隊する時に「国家の安全と国民の生命と財産を守るために命を懸けます」と宣誓しています。即ち、彼らにとっては国防も災害救助も同等の意味を成しているんです。


 この様な人たちが居るからこそ、私達は現代社会を平和に暮らせているんだと、私は思っています。

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