第4話 ランキング、或いは数の暴力。

さて、集団心理という言葉は知っていると思う。

皆やっているからという理由で行動を決める人間の社会性に依存するそれは。

よく言えば信用、悪く言えば普通という言葉で片づけられる。


さて、このカクヨムにおいて、最も身近な集団心理とは。

まあ、タイトル見れば分かるだろうがランキングである。


ポイントがポイントを呼び、評価が評価を呼ぶ。

そう、これは一言で片付く。

読者が読者を呼ぶためのツール。

それこそがランキングである。


人間は考える葦である。

この言葉を知っている人は多いかもしれない。

これは人間が葦のように風、つまり流行や流れにたなびくということを表していると同時に。

強い葦は一本凛と立っている。周りに流されない。という意味でも使われる。

もしかすれば、何度踏まれようとも空を見上げる雑草の生命力を人間のしぶとさに揶揄したものかもしれない。

当然、かの名言を遺した偉人の頭の中、何を思って遺したのかなどわかるわけもないのだが。

非常に哲学的だ。しかし、真理を突いているともいえる。


さて、何が言いたいのかというと。

葦とは違い。人間は風に流されれば流されるほど、風を強くしていくということだ。


この前のエピソードにあるランキングについての文章(正直何書いたかも曖昧なのだが)は読んでくれただろうと思う。

でなきゃこのページ開くわけもないし。

その中で、ランキング実装の前と後では作品タイトルが様変わりしているということを書いたと思う。

というか、ここで必要なのはランキングの前と後の話であってそのほかは関係ないのだが。

アプローチの仕方が違う、でも言ってることは変わらない。

それを覚えておいてほしい。


ランキングの実装前。

つまりは作者誰もがある意味で平等な作品を見て貰えるチャンスがあった時のことだ。

ピックアップは、今のところランダムに作品を抽出しているに過ぎないのだから。

これも、ある程度評価を絞れる機能とかつかないものか。


つまりは読者は、誰がどんな評価をしているか、そして、どこに何人集まっているかを知らされず、事前情報ほぼなしで自分が面白いと思ったものに星を付けていた。


それは、ウェブ小説でスコッパ―と呼ばれる者たちによく似ている。

彼らは、石油ファンタジーや、温泉恋愛水晶青春宝石歴史戦記コメディーを探している。

勿論、そのほとんどは石ころだ。

でも、誰かにとっての宝物であることだけは確かだ。

そういうものを掘り当てていた。


その宝物が集まる鉱脈がある。鉱山もあれば鉱床もある。


それが集積されたものがランキングだ。

ファンタジー石油の山。

戦記の鉱脈

歴史宝石の鉱床。

それをおもしろさを一人で踏破独占することは非効率。

なぜなら、未知の面白さはいつの時代も変わらないからだ。

だから場所を公表する場所がある。

この場所小説ではこれだけの人が、この場所ではこれだけの資源評価が。

それが集積されるのがこのランキングだ。

厳密に言えば大分違うが。


話がズレた。

ともかく、ランキングがない時は、ランキングがある時に比べて使いづらい。

しかし、実装前でのこれはチャンスでもあった。

何しろ、他人の評価あるところまた他人の評価在り。

評価があればあるほど、評価が多いことが知られれば知られるほど。

それは増殖するからだ。


スタートダッシュの優位性。

つまりは、5位以上に入ればそれ以降を引き離せる。

恐らく大分、5,6位間の差は大きいのではないだろうか?

トップに表示されるのは、5位までなのだから。

ランキングを多くの人が待ち望んでいたということは。

ランキングが実装されたらランキングに入った小説を読むことに繋がるからだ。

読まれるということは、評価が増える重大な要因といえる。


それすなわち、資本主義社会の道理。

持つ者は更に持ち、持たぬものは更に失う。

格差の、進行である。


悪いことではない。

多くの人が待ち望んでいたランキングは、確かに、そう、確かに祝福された。

しかし、同時に、日が当たらない小説たちにとって、呪いにも等しい。


そして、公正な物差しは、今現在地球上に存在しない。

誰もが平等に面白さを体験できる物差しは、無いし、あってはいけないのだ。


ランキング欄という雲に覆われた山で、積乱雲に包まれた圏内。

そのふもとから、圏外の一番上まで、光には照らされないのだ。

雲を晴らしても、意味などない。

雲がない時に上り詰めたから、今の頂上があるのだ。

ただ繰り返されるだけ。

たまに雲の切れ目から、光のスポットライトに照らされることもある。

その間に雲の上まで行けば、ある程度安泰だ。

逆に言えば、それしかない。


さて、ここまで書いたところで晩御飯を食べて再開したので、多分内容が変わる。


人間は、風を強くすることができる。

なぜなら、精神的距離という意味での周辺にある葦に対して、巻き込むような形で影響を与えることができるからである。

そして、その風は、北風であろうと西風であろうと、その力を強めるのだ。


交差点の真ん中で立ち止まった人がいる。

莫大な人が足を止めずに歩いていく中で一人。立ち止まった人が。

それが、何の関係もない他人であれば、気にも留めないだろう。


しかし、それが複数、10人20人レベルで立ち止まったら?

これが風だ、集団心理という、流れ。

長い物には巻かれろという諺のように、他人に時間を奪われるということ。


それが家族や、友人だったら?

巻き込まれるように、足を止めるだろう。

これが精神的距離の意味で周辺に与える影響。


そして、ここで足を止めることなく立ち去るのが、ここで言うところの強い葦というわけだ。

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