第26話「アイ・ラブ・古流!!」

 ~~~新堂助しんどうたすく~~~




 御子神みこがみとの融合は、それまでのふたりとはまた違ったものだった。


 透明度の高い水の中にいるみたいだ。頭がすっきり冴えてて、何もかもが澄み切って見える。

 血管、筋組織、重心の位置。体の底の底まで透かして見えるようだ。


「……」

 手指をわきわきさせてみる。

 踵で地面を踏んづける。


 掌底。裏拳。関節蹴り。鉄槌。鉤突き。掛け蹴り。三日月。削り。指突しとつ。バラ打ち。三窩爪さんかそう。横面打ち……。

 様々な軌道で様々な部位を打つ動作、蹴る動作を繰り返す。

 ひとつひとつたしかめる。

 精神と肉体を解きほぐすようにアジャストさせていく。


(……ふん。じゃっかんの攻撃力アップってとこかの)

 ふてくされたようにシロが評する。

(ベースの底上げとしてはさほどのものでもない。パンチ力もスピードも上がっておらん。純エネルギー量が微増した程度。偉そうにのたもうておったわりには大したことない女子おなごじゃの)


 嫌味たらたら小姑みたいなことを言うシロに、御子神が反論する。

(わかっておらんな、白いの)

(だ、誰が白いのじゃ! わらわにはシロという立派な名前がじゃなあ……っ)


 べちこ、と何かを叩く音。

いだーい!)

 シロが悲鳴を上げた。

 御子神がデコピンでもしたのだろう。

 あれ、痛いんだよなあ……。


(ベース? 底上げ? 貴様はほんっとーにわかっておらん! ほら新堂! このバカに目に物見せてやれ!)

 御子神が俺に発破をかける。

「目に物って?」

(武の真髄を見せてやれと言っとるんだ! 力ではないことを! 速さでもないことを! 身体能力とか! 持って生まれた人種的特徴とか! そういった様々のどうでもいいことを! それが一切関係ないということを! 証明してやれ!)

「簡単に言いすぎじゃね? 武の真髄とかって、本気でハードル上げすぎだから」

(否やは言わせん! 貴様になら出来るはずだ!)


 体育会系特有の無茶な命令に、俺はハアとため息ひとつ。

「まあなんつうかさ……」

 ぽりぽりと頭をかいた。

「……まったく出来ないとは言わねえよ。そうだな、武の一端・ ・ ・ ・ぐらいなら……」

 ちょびっと、というように親指と人差し指で輪っかを作った。


(……ふん、韜晦とうかいしおって)

 御子神がニヤリと笑ったような気配。

 

 ……気づかれたかな。

 正直、俺はワクワクしてるんだ。

 研ぎ澄まされた感覚、肉体。

 今の俺がどこまで出来るのか、試したくてしかたがない。



「ウォオオオオオオオッ!」

 ライデンが雄たけびを上げた。

 まっしぐらに突っ込んできた。

 神太刀かむたちで迎撃されたことなどもはや頭にない。

 無為無策の、単純な突撃。

 

 右の爪を振り上げる。

 頭の後ろまで勢いよく振りかぶる。

 狙いは俺の顔面。わかりやすい軌道。


 硬い岩盤すら容易く切り裂く金属製の爪が、圧倒的な体躯と重量感を伴い凄まじい速さで迫ってくる。


(ひぃいいい!? 避けろタスク!)

 シロが悲鳴を上げる。


「──な!?」

 驚いたのはライデンのほうだった。

 一瞬後には、20メートルも後方に行き過ぎて・ ・ ・ ・ いた。

「何があった!?」

 慌ててこちらを振り返った。

 俺の位置をたしかめた。


 俺はほとんどその場を動いていない。

 左右に体を振ったり、手でいなしたりさばいたり、そういったわかりやすい回避行動をとっていない。

 だからライデンは勘違いした。


「外した……のか? このオレが……? 止まったマトを……?」

 呆然とつぶやく。


「どーしたライデン選手? バカ面してー」

 へらへら嘲笑してやると、ライデンは瞬間湯沸かし器みたいに沸騰した。


 怒りのままに、今度は左を振ってくる。

 狙いは俺のわき腹。斬り上げるような逆袈裟の軌道。

 

「──!?」

 また同じことが起こった。

 ライデンはまたも俺を通り越した。

 遥か後方、爪を空振りさせた体勢で硬直している。


(な、なんじゃ!? 何が起こっとる!? なぜ当たらぬ!? ひょっとして、あやつノーコンなのか!?)

(黙れバカ者)

 べちこ、と再びデコピンの音。シロの悲鳴。


(──短疾歩たんしっぽ、だな? 新堂) 

「ご名答」


 短くはやく歩く、と書いて短疾歩。

 古流の歩法だ。

 頭を上下させず、体幹をぶれさせず、相手の目を見ながら移動する。

 足裏、踵、ふくらはぎ、腿裏、尻、相手に見えない体の後ろの筋肉を使って移動する。


 格闘漫画で武道の達人が、「動いていないはずなのに相手の攻撃を躱した」みたいな描写をされることがあるだろ?

 あれと同じ。

 目の動きでライデンの注意を俺の顔に引きつけて、見えない位置の筋力で後退して攻撃をすかした。一切体の上下動がないもんだから、ライデンの脳は俺が動いていないものだと思い込んだ。

 二重三重に、視覚情報に騙しをかけた。


「ええいめんどくせえ! なら当たるまで繰り返すだけだ!」

 ライデンはヤケになって特攻して来た。

 左右の爪を滅茶苦茶に振り回してきた。

 蹴りや膝蹴りも織り交ぜてきた。

 触れれば一発即死の暴力の嵐。


 だけど俺は慌てなかった。

 右へ躱し左へ舞い、ライデンにけんをつけた。


 見ってのは、簡単に言うと相手を分析するってことだ。

 動き、体格、体調、心理。

 相手の状態を捉え、戦いに生かすってことだ。


 ライデンの武器は、なんといっても手甲から生えた金属の爪だ。刃渡りは長く大型ナイフほど。

 なにせ硬い岩盤すらも切り裂くほどなのだから、切れ味は保証付き。

 身長はデカい、2メートルはあるだろうか。全身を覆う装備の分も含め、体重も重そう。

 だがそれらを感じさせないほどの敏捷性がある。筋力も充分。力比べ速さ比べでは勝てない。

 戦闘に自信があるのもうなずける。


 だけどあまりに大雑把だ。

 術が無い。理が無い。甘くつたない。


 とくにボロが出るのが、移動攻撃の時だ。

 斬る、殴る、蹴る。

 すべての打撃斬撃は、足を踏ん張らなければ威力を発揮しない。

 移動して止まり、打つ。

 移動して止まり、斬る。

 これが存外難しいんだ。

 だから武道では、足を居着かせての攻撃よりも移動攻撃の練習を重視する。何千回も何万回も反復練習させる。

 そこまでしてようやく、スムーズに繰り出せるようになる。


 ライデンの攻撃は力任せで大ぶりで、打つたび体が流れてる。

 そのつど筋肉に物を言わせて無理やり立て直してる。

 実に無駄が多く、隙も多い。


「今までの相手はそれで倒せたんだろうけどなあ!」

 回避行動の中に短疾歩を混ぜ、ライデンの動きを乱した。

「ぬう……!?」


 つまずいたライデンの手首をとって回した。 

 ぐるり、巨体が宙を舞った。


(おおー! やったやった! 偉いぞタスク!)

 背中から地面に落ちたライデンを見て、シロがやんやの喝采を上げる。 


「……っ」

 俺は答えず、黙って手を見た。


 見た目は何も変わらない。

 硬い外皮も鎧も、鋭い爪も牙も、何も無い。

 白くてすべすべ、年頃の女の子らしい柔らかさ。


 だけど違う。

 今までとは比べ物にならない。


 脳からの指令が筋肉や神経に作用し、行動という結果を産む。

 起点と作用点が違う以上、必ずズレは起こる。

 コンマ何秒。コンマ何点何秒。


 その差を埋めるため、俺たちは修練を積む。

 同じ動作を何度も何度も、それこそ無意識下に繰り出せるようになるまで、反復練習を繰り返す。


 思った瞬間に極まっている──それが最終形態。

 一朝一夕にはたどり着けない境地だからこそ、世に達人というものの数は少ない。

 

 今、俺の精神と肉体は完全に融合している。

 コンマ一ミリの狂いもなく、意のままに体が動かせる。


 ──境地に、届いてる。



 すさまじい歓声で我に返った。

 ゼッカ大黒おおぐろのアナウンスが響き渡る。

「お聞きください! シロ選手のパフォーマンスに、多元世界中がどよめいています! それにしてもなんでしょうか今の動きは! つっ立ったままで攻撃を躱したかと思いきや、スピードで遥かに上回るライデン選手の動きを見切り、ぶん投げた! 夫である新堂選手の技なのでしょうか!? ジュードー!? カラテ!? ニンジュツ!? ひょっとしたら、まだ見ぬ謎の格闘技か何かなのでしょうか!?」


 跳ね起きたライデンが、怒り心頭、さらにスピードを上げて攻めたててくる。


 右、左、右、左、蹴り、右、左、頭突き、蹴り、蹴り、蹴り──


「……古流だよ」

 果ての無い連続攻撃を躱しながら、俺はぶうたれた。

「夢物語じゃない。絵に描いた餅じゃない。現実の武だ」


 いまさらながら気がついた。

 俺の一挙手一投足が、電波に乗って多元世界中に届いてるんだって。

 多くの人の好奇の目線に晒されてるんだって。

 古流の評価が、浮沈ふちんが俺の肩にかかってるんだって。


 ──お袋とふたりで見た、あの試合みたいに。


「……古流やってますって言うとさ。みんなけっこうバカにするんだよ。すげえとかカッコいいとか、最初はちやほやしてくれるんだけどさ、だんだんそれが笑いに変わってくのがわかるんだよ」


 古流は甘く見られがちだ。軽んじられがちだ。

 だって、多くの人は古びた動画の中でしか見たことがないから。

 そういうのはたいがい、老いた先生を多人数で取り押さえるみたいな見世物じみた崩しや合気の映像だけだから。

 もちろんあれにはきちんとした理合いがあるんだぜ? 力の伝導とか、合一と外しとかさ。

 でも上手く伝えられなくて、手品だろやらせだろってバカにされるばかりなんだ。


 だから若い術者は他流試合をしたがる。

 自分の修めた技術を試したがる。

 自分のやってることが無駄じゃないんだっていう確証が欲しいから。

 でもたいがいぼこぼこにされる。

 体力と体格で圧倒され、技術を見せる間もなく一方的にのされる。


 ある時、有名な流派の館長が、大型ドームを貸し切って行われるオープンな格闘技の試合に出たことがあった。

 弟子ですらない流派の看板が、実戦の場に姿を現す。

 当然注目を浴びた。

 俺はお袋に無理を言って、埼玉の会場まで連れてってもらった。


 満場の注目を浴びる中、一発で試合は決まった。

 体の丈夫さだけが取り柄みたいなやつの、力任せのローキック。

 ただ一発で倒された。

 足が折れてた。


 一瞬の静寂の後、会場中が笑いに包まれた。

 ローもカットできねえのかよ。

 やっぱり古流は弱いんじゃん。

 形だけ、理屈倒れのお遊戯じゃん。

 まあー、真面目な格闘技じゃねえからなー。

 精神の修養・ ・ ・ ・ ・が目的だからしょうがないね。


 テレビ中継を見てた古流の術者たちも、たぶんそう思った。

 古流は弱いんだって。

 俺たちのやってることに意味はないんだって。


 大好きなものが踏みにじられたのが悔しくて、俺はお袋の腕を摑んで泣きながら訴えた。

 俺を試合に出してくれって。

 あいつらにわからせてやるんだって。

 

 でもお袋は、静かな瞳でこうたしなめた。

 神武不殺しんぶふさつ。真に強き者は、無闇に力を振るわないものよって。


 でもさ、お袋──


「やってみせなきゃわからないんだよ! 座して待ってちゃダメなんだよ! 証明しなきゃ! あんたの古流はっ、あんたはっ──」


 ライデンの手をとった。

 ぐるり回して投げ飛ばした。


 ズシン、背後で巨体が地面を打つ音が聞こえる。


「強いんだって!」



(タスク……?)

 シロが戸惑ったような声を出す。

(……) 

 御子神は俺の気持ちを察してか、黙って何も言わない。

 

 俺はライデンのほうに振り向いた。

 すとんと腰を落とした。


「……見せてやるよ、おまえらに」

 あの時俺たちを笑ったおまえらに、びびって逃げちまったおまえらに。 


「古流の強さ。武の真髄を──」

 半身で構えた。

 両手は力を入れず、自然に体側たいそくに垂らした。

 

 わざと体を開いた。

 左の鎖骨から心臓へ繋がる線を提示した。

 ライデンさんライデンさん、ここが狙いどころですよって。

 あんたの得意の右のオーバーハンドなんかいいんじゃないですかねって。


「わけのわからねえことを抜かしてんじゃねえ!」

 果たしてライデンは、俺の誘いに引っかかった。

 右の爪を全力で振りかぶった。


「素直なお人柄で何より!」

 入り身になって跳びこんだ。

 斜め前へ、ライデンの右と俺の右を交錯させるような軌道で。

 ライデンの爪が俺の頬を掠めた。

 俺の掌底がライデンの下顎に当たった。

 ──ぶわり、巨体が宙に浮いた。

 そのまま思い切り、後頭部から地面に叩きつけた。


「が……あ……っ!」

 体重がある分、勢いがついた分、衝撃は大きかった。

 兜こそ割れなかったものの、地面に蜘蛛の巣状の亀裂が入った。

 脳へのダメージは計り知れない。


「誘い、待ち、合わせ。古流の理合いだ。動きを誘導して型にハメちまえば、速い強いは関係ねえ。極論、力すらも必要ねえ」

(ノリノリでござるな新堂どの)

「意趣返しは受け付けておりませんー」

 煽る御子神に、舌を出して答えた。


「こ……の程度ぉ……!」

 根性で立ち上がろうとしたライデンの顔面に左掌を当てた。

 殴るでも張るでもなく、単純に当てた。

 そこへ思い切り右掌を叩きつけた。

 衝撃が左掌を通り、鉄仮面越しに伝播した。

 内部・ ・で跳ね回った。


「ご……わ……っ!?」

 わけのわからぬ悲鳴を上げて、ライデンはよろめいた。


「裏当てを顔面に喰らって倒れねえとか……たいしたもんだよあんた。ほんとに感心するぜ」

 俺はライデンの手首をとった。

 正面から、握手でもするみたいに。

 粘りに敬意を表するかのように。


「……っ!?」

 ライデンは目を見開いた。

 手甲の先についている爪、刃渡り約20センチ。

 手首を掴んでいる俺の手は、ちょうど間近にある。

 手首を返せばちょうど・ ・ ・ ・切り裂ける位置にある。


「……バ……カめ!」

 ライデンはくるり手首を返した。俺の手首を切り裂こうとの狙いだが──

「おまえがな!」

 俺も同時に手首を返した。

 同じ方向へぶん回した。

 ライデンの体が宙を舞った。

 側頭部から地面へ叩きつけた。


「……? ……!?」

 わけがわからない、といった表情でライデンは俺を見上げた。

 目が濁っている。

 薄い膜でもかかったみたいに濁っている。


 再三の回転、頭部への度重なる衝撃。

 もうこいつは起き上がれない。


 大歓声を浴びながら伸びをした。

「しっかし御子神よう」

(なんだ?)

「これが武の真髄だとしたらさ。俺とおまえが合わさってようやくってことなんだよな」

(そうだな。私と貴様の経験。日々の積み重ね……)

(わらわもおるぞ!)

「ははっ、そうだな。シロのおかげでもあるよな」

 俺と御子神、シロを媒介にしてくっつけて、ようやくたどり着けた境地。

「あの人たちはさ……」

 俺のお袋、御子神のお袋さん。

「生身ですでに、この境地にいるんだぜ?」

(……空恐ろしい話だな)

 御子神がしみじみとつぶやく。


「なに、これからさ。俺たちはまだ子供だ。これからどんどん実戦を詰んでいって、経験を積み重ねて強くなって……」

(……いつか、あの人たちに?)

「そうさ。勝とうぜ御子神」

 そして言ってやるんだ。

 俺たちは、こんなに大きくなりましたってさ。


 ライデンが俺に向かって爪を伸ばす。

 だけど三半規管が崩壊していて、脳味噌がぐらぐら揺れてて、まるで見当違いの方向を刺している。


 俺は踵を上げた。思い切りライデンの顔面を踏みつけた。

 硬い鉄仮面にはヒビすら入らなかったけど、地面と勢いよくサンドイッチされたことで、中身はたぶんぐしゃぐしゃだ。

 ライデンはぴくぴくと痙攣し泡を噴き、やがて動かなくなった。



 ──すうううううっ。

 思い切り息を吸い込んで、ドームの天井を見上げた。

 地球ではない別の世界の空に向かって叫んだ。


「見たかおまえら! 見てたかおまえら! これが本物の古流だ! 人類が磨きあげた技術の結晶だ! 見たいんだったら何度でも見せてやる! 疑うんだったらそのつど証明してやる! 古流は強いんだ!」

 拳を握った。

 地面を強く踏みしめた。

 肉食獣がそうするように、高く高く。

「──アイ・ラブ・古流!」

 俺は吼えた。


 反響する音の中に、答えはない。

 ただ陽気なアナウンスだけが、戦いの終わりを告げていた。

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