第22話「傍にいるから!!」

 ~~~新堂助しんどうたすく~~~




 古流の当て身は基本的には仮り当てといって、打撃で相手の動きを止めてる間に投げ技やら逆技やらに繋ぐためのものだ。それ自体で止めを刺すためのものじゃない。

 だけど中には例外もある。

 それが本当て。

 一打必倒。本気で相手を仕留めるためのものだ。

 陰星かげぼしの狙いは水月。つまりみぞおち。

 東洋医学における経穴けいけつであり、西洋医学的に見ても神経系が密集している場所であり、横隔膜の真下でもある。打撃の威力次第では呼吸困難になり、当たり方が悪ければ嘔吐失神、最悪死に至る。

 筋肉の鎧で覆っていればある程度はカバー出来るが、強化練習によって動きが鈍くなることを嫌っている御子神みこがみは、当然腹筋が強いほうではなく……。


 最悪の想像が頭をよぎった。

 はっと我に返った。 


「……やべえっ!」


 慌てて拳を引いた。

 だけど体そのものの勢いは止まらなかった。

 結果、体当たりするような形になった。

 衝撃とともに、御子神の体は吹っ飛んだ。

 ごろごろと激しく地面を転がり、硬化スモークの壁に背を打ち付けてようやく止まった。


「うぐ……あう……っ」

 べしゃり、崩れるように前のめりに、御子神は倒れた。


「大丈夫か!? 御子神!」

 慌てて駆け寄った。

 抱き起こそうとしたが、御子神は激しくせき込みながらも俺の手を振り払った。


「さわ……るなっ!」

 痛みと衝撃に震えながらも介助を拒否した。


「まだ……まだだ……っ!」

 戦いを継続しようとしている。

「まだ……戦える……っ」

 這いつくばりながら、地面に爪を立て起き上がろうとしている。


「もう無理だって! もう終わりなんだよ! 御子神! 勝負はついたんだ!」

 頼みの竹刀はもう無い。

 体内に今なお残るダメージのせいで、満足に起き上がることすら出来ない。

 戦闘意欲だけでは戦えない。


 俺の説得に、しかし御子神は耳を貸さなかった。

 けっきょく、じたばた暴れるのをうつ伏せに組み敷いた。


「なんだよ。どうしてそんなに必死になってんだよ……」

 もとから勝負ごとにはこだわるほうだったけど、これはさすがに異常だ。


「貴様に説明する義理は無い!」

 だけど御子神はあくまで頑なで。

「そうは言うけどさ……」

 対処に困っていると、御子神の懐からクシャクシャに丸められた何かが落ちた。

「う……それは……!」

 やめろ見るなと騒ぐ御子神を押さえつけながら開いてみると、それは一枚の写真だった。


「え……なにこれ……」

 一瞬言葉を失った。

「おまえってこういう趣味あったん――」 

「違う! 断じて違う! そんなの・ ・ ・ ・好きじゃない!」

 食い気味に叫んだ。

 その言葉にぴんときた。


 ――どちらに転んでも、これで最後だ! これを最後に、私は戦いをやめる!――


 戦いが始まる前、御子神はそう宣言していた。

 どちらに転んでも、つまり俺に勝っても負けても、こいつは戦いをやめなければならない。

 それはたぶん嫁に入るってことだ。嫁になるからやめるってことだ。

 俺に勝ったなら俺の。負けたならば……。


「御子神……おまえまさか……?」


「ううう……っ」 

 御子神は悔しげに地面を叩いた。

「結婚、させられるんだ……! そいつと……!」

 血を吐かんばかりの声だった。

「貴様がダメなら他の男と……。別の……異世界の住人と交わらなければならない……。子を成さなければならない……。その話はもうほぼ決まってて……。だから、これが最後のチャンスだったんだ……!」


「マジかよ……」

 一瞬言葉を失った。

「だからってこれかよ……。趣味が悪いとかいうレベルじゃねえぞ……?」

「うるさい! そんなことは百も承知だ! でも無理なんだ! もう決まったことだから! 一族のためだから!」

「だからってわざわざ……」


「だったら結婚できるのか!?」

 御子神は叫んだ。

「そこまで言うなら、貴様が私と結婚してくれるのか!? 責任とって貰ってくれるのか!? こんな私と、夫婦の関係を結べるのか!? ……ほら、出来ないだろう! しょせん貴様も口だけだ!」

 じわり、御子神の目に涙が浮かんだ。

「昔からそうだった! おためごかしの言葉を投げてくるだけで、本当に私のことを考えてくれるやつなんてひとりもいなかった! みんな、私のことなんてどうでもよかったんだ! 政略結婚の道具! 血筋を保つための袋! 役割さえ果たせれば、別に私でなくてもよかったんだ! ほたるでなくてもよかったんだ!」

 

「御子神……」


 こんなに強いコンプレックスを抱えているやつだとは知らなかった。

 バリバリの武闘派で、ナチュラルボーンファイターで、戦いの中に身を置いてさえいられればそれでいいのかと思っていた。幸せなのかと思ってた。

 でも違った。

 俺の予想よりももっとずっと、こいつは女の子だったんだ。

 こいつなりに嫌いなことがあって、認められないことがあって、そういった諸々と戦うために、こいつは強くなったんだ。心を性別を、柔らかな部分を鎧で覆ってきたんだ。

 

 でもその鎧は壊れてしまった。

 もう、覆うものは何もない。


 俺が背の上からどくと、御子神は鼻をぐずらせた。

「……無茶苦茶だな。押し付けられた関係がイヤで、ことさら貴様に辛く当たってきた。だけど逃げ続けるわけにはいかなくて、けっきょく戦うことにした。真の力まで使ったのに打ち負けた。ついでにこんなやつのところへ嫁がされることになった。あげく逆上して当たり散らしたりして……」


「最悪な女だな、私は……」

 ぺたりと座り込み、放心したように言葉を紡いだ。

「考えてみれば……貴様だったらよかった。貴様なら許せた。他の凡百の男どもではダメでも、貴様になら許すことができた。身を任すことが出来た。もっと昔から……女として接していればよかった。そうすればこんなわけのわからないやつと……。今さら言っても詮無いことだが……」


 肩を落とし、ぼそりとつぶやいた。

「――これでおしまい、か……」

 きゅっと一瞬、唇を噛んだ。


「新……堂……っ」

 唇をわななかせながら俺を見た。涙が頬を伝っていた。

「……いままで悪かった。すまない。私はずっと、貴様にひどいことをしてきた。無闇にぶつかり、意味なく叩いた。口汚く罵った。ほとんどいじめに近い……いや……真実あれは、いじめだった。でも勘違いしないでくれ。嫌いなわけじゃなかったんだ。信じてくれないかもしれないが、嫌ってたわけじゃないんだ。いつも悪いと思ってたんだ。だけど私はバカだからああすることしか思いつかなくて……。一度そうしたら引っ込みがつかなくて……。だから、ごめん……ごめんなさい……っ」 


「御子神……」

 そこにいるのは、ただの女の子だ。

 剣術もプライドも打ち砕かれ、将来の相手まで決められ、しょんぼりたたずむ女の子だ。


「──っ」

 ずきりと胸が痛んだ。


「……なあ御子神。賭けの内容、覚えてるか?」

「……うん?」

 御子神は可愛らしく首を傾げた。

「勝者は敗者の言うことを、なんでもひとつ聞かねばならない。そうだったな?」

「……うん」

 素直にうなずく。



「なら御子神。俺の嫁になれ」


「………………………………へ?」

 何を言われたかわからないといったような表情を、御子神は浮かべた。


「俺と結婚すれば、おまえはこんなやつのとこに嫁がなくていいんだろう? だったら、俺と結婚し――」

「だ……っ」

 俺の言葉の意味を理解した御子神は、慌てたように口を挟んだ。

「ダメだそんなの! それでは、まるっきり私の思うつぼじゃないか! 貴様になんの得がある!」

「いいんだよ」

「よくない! 私は負けたのに!」

「いいんだって。……なあ御子神。お袋は言ってたよ。わたしがあなたに教えた技は、無闇に人を傷つけるためのものじゃないって。大切な誰かを守るためのものだって。なあ御子神。俺はおまえが、大切だよ」


「な……っ、な……な……っ!? た……たいせつ!?」

 御子神は顔を真っ赤にして自らを守るように抱きしめた。

「なにせ俺たちはまだ若いし。法的にいろいろ問題あるだろうから、今すぐってわけにはいかねえけどさ。とりあえずは婚約って形でさ。なあに、難しく考える必要はねえよ。形だけだ。何年かすりゃおまえん家の方針も変わるかもしんねえし。俺に愛想が尽きたら解消すればいいし。戦いたかったら立ち合いでもガチの夫婦喧嘩でもなんでもすればいい。いつか大人になった時、おまえの傍には他にもっとずっとふさわしい男がいるかもしれねえし。そん時ゃいつでも言ってくれていいからさ……どした? 御子神」


「だ……だって……!」

 御子神は必死になって首を横に振った。

「貴様は私のことが嫌いなんじゃないのか!?」

「俺がおまえのことを嫌い? なんでそう思うんだよ」

「だ、だって……いままでさんざんな目にあわせてきたから……」

 俺はハアとため息ひとつ。

「……あのさ。俺はおまえのおかげで強くなれたんだぜ? おまえの真面目さや厳しさが俺を強くしたんだ。いじめだなんて思っちゃいねえよ。むしろ感謝してるくらいだ。おまえのおかげで、今の俺はあるんだって」


「真面目さ……厳しさ……?」

 御子神はぽかんとした顔になった。

 あまりにも驚きすぎて、涙が止まってた。

「ば……バカじゃないのか? 貴様は!」

 なぜか必死になって、体から絞り出すように叫んだ。

「あんなの違う! 全然違う! あれはそんな優しいもんじゃなかった! 私は暴力を振るって貴様を遠ざけようとしただけで……! 貴様のためなんてちっとも思ってなくて……!」

「いいんだよ。結果的に俺のためになったんだから。なあ信じろよ。他の誰でもない、当の俺が言ってるんだぜ?」


「で……でも……それだと……っ。貴様がそれでいいとしても……っ」

 しばし目をさ迷わせた後、ちょうどいい言い訳を見つけたかのようにぽんと手を打った。

「そ、そうだ。私は可愛くないじゃないかっ。ブサイクだし。意地悪だし。野蛮だしっ。ほら、な? いいとこなんてひとつもない。だからいやだろう? こんなのと結婚するのは。他に美人の嫁を見つけたほうがいいだろうがっ」

 はい論破、みたいな顔してるけど。


「可愛いよ」

「ふぇえええっ!?」

 御子神は変な声を出した。


「おまえは可愛い。そんなこともわからなかったのか? 周りの男どもの視線とか、女どもの嫉妬とか」

「そんな……っ。だ、だだだって……! みんな私に近寄ってこないじゃないか……っ」

 納得いかなげに首を横に振った。

「目が合うと顔をそらされた! 話しかけると慌てて逃げられた! だから私は友達すら出来なくて……! いままでずっと……! ずっとひとりで……! いたのに……!」


「そりゃあおまえ……なんちゅうか、畏れ多かったんだろうよ」 

「………………へ?」

「だからさ、畏れ多かったんだって。天使や女神に接するような気持ちだったんだよ。おまえがあんまりにも可愛すぎるから、綺麗すぎるから、かえって距離を置いたんだ。そりゃあ竹刀持ってておっかねえってのもあるんだろうけど……」

 俺はハア、とため息をついた。

「頼むから、これ以上言わせんなよ。可愛い綺麗、それはホントのことなんだって。おまえみたいな美人と結婚できる。俺にとってはそれが最大の得だ。……なあ頼むよ。こんなこと言って、俺にだって恥ずかしい気持ちはあるんだからさ」


「……っ!?」

 御子神の全身が赤熱した。

 後ろ手をしゃかしゃか動かし、すさまじい勢いで俺から距離をとった。

 戦闘のせいで乱れた着衣を慌てて整えた。髪をせかせか撫でつけた。

「も、もし……っ」

 掠れる声でつぶやいた。

「適齢期が来ても……っ。他に……いい男が見つからなかったら? その婚約……私が……解消したくないと駄々をこねたら……っ?」

「そりゃあまあ……」

 答えは決まってる。

 俺はさらに恥ずかしくなって、ぽりぽりと頭をかいた。



 パリィィィィィィイン!


 何かが硬化スモークの天頂を割った。

 バスケットボール状の光の塊、それが目線の高さまで落ちて来た。


「――タスク!」

 続いてシロが落ちて来た。

 空いた穴からもろともに。 


「――シロ!?」

 両手を広げて受け止めた。

 シロはチラリと御子神を見やってから、責めるような眼差しを俺に向けた。

「まーた其方そなたは他の女子おなごと……。や、まあ……それは別にいいのじゃが……。しょせんわらわたちは仮初めの夫婦なわけじゃし……」

 こほんと咳払いをした。

「それより、また・ ・じゃ」

 光の塊を指さした。

「また、来るぞ――」   


「そりゃあまあ――なんだ!? 途中でやめるな!」

 御子神が飛びついてきた。シロと共に3人、もみくちゃになった。

「御子神! それどころじゃ……っ、早く逃げないとおまえまで巻き込まれるぞ!」

「うるさい! さっき何を言おうとしたんだ!? 新堂! さあ続きを言え!」

 俺の腕を強く掴んだ。

 ひとりの女の子としての切実な目で、俺に答えを求めてきた。

「貴様は最終的に私とそういう関係になってもいいと思っているのか!? いないのか!? 大事なところだ! はっきりしろ!」


「ええい、いいかげんにせんか、この色ボケ娘! 今はそれどころでは……」

 俺との間に割り込んでくるシロのほっぺを、御子神は全力で押しやった。

「うるさい! 誰が色ボケか! いまは私と新堂が話しているのだ! 貴様の出る幕ではない!」

「ぬぬぬぬぬぬぬ……っ! か、関係あるわ! タスクはわらわの夫じゃぞ!? それをこともあろうに、白昼堂々目の前でたぶらかしおって……!」


「――新堂!」

 御子神は、シロを無視してなおも俺に迫ってきた。

 きちんと答えるまで離さない。そんなひたむきな表情だった。


 不安なのだ。こいつは。

 辛い時期が長かったからこそ、確証が欲しいのだ。


「いいと思ってるよ、もちろん」 

 ストレートに返した。

 俺たちはまだ14歳。結婚なんて遠い未来の話ではあるし、その時には色々状況が変わってるかもしれない。

 でももし状況が変わってないとして、その時やっぱり御子神が泣いているのだとしたら、俺はその涙を止めてやりたいと思う。

 だったらやっぱり、答えは変わらない。


「い……っ」

 御子神がの動きが一瞬静止した。

 時間が止まったみたいに固まった。

 感電でもしたみたいに、爪先から頭のてっぺんまで震えが走るのが見えた。

「言ったな!? いいと言ったな!? そうなってもいいと言ったな!? もうダメだからな!? 撤回しようったって無駄だからな!? 私はその気になってしまったからな!?」

 ぐぐいと近寄って来た。

 まつ毛の数まで数えられそうな距離に、御子神の顔が迫った。

 やんちゃな男の子みたいな笑顔を浮かべてた。

「ずっとついて行くから! 逃げるなら追いかけるから! 隠れても探し出すから! そこがたとえ多元世界マルチユニヴァースの果てだろうと! だから諦めろ新堂! たとえこの先何があろうと! そこがどこだろうと!」


 イィィィィィィィィィン!


 光の塊が、音叉を叩いたような音をたてて破裂した。

 それはただちに拡散した。

 細胞膜の間をすり抜けて、大きくドーム状に広がっていく。

 暗雲あんうんみやを粉々に打ち砕き、なおも展張を続ける。

 半径4キロのドーム。

『嫁』たちの戦場。


「──私はずっと、傍にいるから!」

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