第19話「八相!!」

 ~~~新堂助しんどうたすく~~~




 八相はっそう

 竹刀を立て、顔の右側に寄せた構えだ。

 時代劇で花形役者なんかがよくする、非常に見栄えのする形でもある。

 現代剣道でも基本形に数えられているが、実際の試合で見られることはほぼない。

 理由は簡単。主流派たる中段の構えに対して不利だからだ。小さく速い攻撃の連続に対し、体の多くの部分をさらけ出す形の八相では対処できないからだ。

 また、攻めにくいからでもある。八相からの最も強力な攻撃といえば袈裟けさ逆袈裟ぎゃくげさだが、現代剣道においてはそれらは有効打突部位として認められていない。そもそもが実戦用の形なのだ。 


 御子神みこがみがあえて八相に構えたというのはつまり、これから繰り出すのは剣道の技ではないぞという宣言だった。


 だからか、御子神の目にはまぎれもない殺気がある。

 竹刀なのに、真剣を手にしているような迫力がある。


「……調子出て来たじゃねえか。それでこそ御子神だ」

「この構えを見てまだそんな余裕があるか。それでこそ新堂だ」

 肉食獣を思わせる獰猛さで、御子神は笑った。


 笑ったと同時に跳びこんで来た。

 10メートルはあったかという間合いを一瞬で詰めてきた。

「キェアアアアアア!」

 魂を打ち砕くような雄叫びを伴って。


「うおおっ……!?」

 後ろに下が……いや、右後方へ跳んだ。

 ついさっきまで俺のいた空間を、竹刀が斜めに斬った。


「……右後方へ思い切り跳ぶ。それで正解だ。新堂」 

 御子神はゆっくりと、もったいつけるような動作で竹刀を八相に戻した。

「……真後ろへ跳べば間に合わぬ。左後方なら追い足からの逆袈裟が届く」


 はらり、学ランの前が切れていた。

 躱したはずなのに、そもそも竹刀なのに、鋭利な刃物で寸断されたように。

「……漫画かよ」

 思わず変な笑いが漏れる。

「ああそうだ。漫画の登場人物を相手にしてると思え。逆刃刀さかばとうを持ってるあの御仁のような」


「ノリノリでござるな御子神殿」

 茶化しながら、俺は改めて身構えた。

 左足を前に右足を後ろに、軽く腰を落とした。

 両手には極力力を入れず、自然体を意識した。


 竹刀の長さ約120センチ。素手の俺とのリーチの差は明白だ。

 受けに回る。後の先をとる。

 前後左右に動き回り、攻撃の際に出来る一瞬の隙をつく。

 方針はいたってシンプルだ。


 だけど大きく飛び退くように避けたのでは反撃が届かない。

 一寸の見切り、なんて言葉がある。 

 敵の攻撃を3センチ以内の極短距離で躱し、即座に反撃に移ること。

 伝説の剣豪や達人たちの領域、そこへ踏み込む。

 そうでなければ――届かない。  


 心の準備を整える前に、御子神は踏み込んで来た。

 思考の隙間を割るように、声が響いた。


「キェアアアアアア!」


 上から押さえ圧するように、それは体の芯に響く。

 袈裟斬り――バックステップで躱した。

 躱しざま踏み込もうとしたところ――振り切ったはずの竹刀がくるり反転して跳ね上がってきた。


「ぐお……っ」

 頭を低くして横面よこめんを躱した。

 横面は俺の頭上を通過したあとさらに変転した。

 頭上から垂直に落ちて来た。真っ向唐竹割り――。


「むぐお……!」

 これが普通のやつの竹刀だったら十字受けで受け止める。そのまま手首を掴んで投げ飛ばす。

 だけどこいつの竹刀は普通じゃない。受けるのは危険すぎる。


 横っ飛びでなんとか回避した。

 ごろごろと地面を転がり、跳ね起きる。


 ――眼前には御子神。あっさり距離を詰められた。

 すでに竹刀を振りかぶっている。

 そしてあの発声。

 容赦ない連続攻撃──。


「速すぎるだろ!?」

 思わず悲鳴を上げたが、御子神の攻撃は止まらない。

「泣きごとを抜かすな! 男のくせに!」

「言いたくもなるわい!」


 現代の剣道ルールに縛られていない御子神の技は、恐ろしく鋭い。

 臑斬り、胸突き、足がらみ、拳頭攻め――いちいち狙いどころがえげつなくて、身を守るだけで必死だ。

 それでもいくつかは躱しきれず、学ランのあちこちが切り裂かれた。ところどころ血が出た。


 ――タスク! 逃げんな! ぶっ殺せー!

 凶悪な声援は妙子たえこのものだろうか。

 ――タスクさーん! 頑張ってー! 姉貴がついてますよー! 

 続いた声援は妹の千草ちぐさちゃんのものだろう。

 ――新堂選手! 御子神選手の猛攻の前に成すすべなく逃げ回るのみ! これは情けなーい!

 無駄に煽って来るのは間違いない、放送部の宮ケ瀬みやがせだ。


「……どいつもこいつも勝手なこと言いやがって! 自分で相手してみろってんだ!」


 逃げ回りながら、地面に落ちていた電動ガンを拾った。たしかサバゲ部の使ってたやつだ。

 秒速90メートル。連射速度は秒間15発とかなんとか抜かしてたっけ。

 素手に勝つには剣。剣に勝つには槍。槍に勝つには矢。矢に勝つには銃……って、ちょっと大人げないか?

 でもまああれだ。女ターミネーターを相手にしてると思えばさ……。


「文明の利器をくらえい!」

 御子神に銃口を向け、トリガーを引いた。


「飛び道具とはしゃらくさい!」

 御子神は目を吊り上げた。

 パパパパパッ。

 軽い反発とともにBB弾が発射される。

 当たる直前、御子神の唇が何事かをつぶやいた。 


「秘伝、鳴神なるかみ――」


「え……っ」

 残像を残し、御子神の姿が消えた。BB弾は空しく宙を打った。 


 ぞわり……!

 

 悪寒がした。

 後ろにいる――。

 なぜだかわからないがそう感じた。

 本能に従って斜め前に跳んだ。


「――っ!」

 ふくらはぎに痛みが走った。

 皮一枚、ぎりぎりのところを竹刀がかすった。


「……これも躱すか」

 感心とも呆れともつかぬ声で、御子神がつぶやいている。

 やはり御子神は後ろにいた。

 まるで瞬間転移するようなスピードで回り込まれた。


「よもや見えたわけではあるまい。……勘か?」

「おいおい……なんだよ今の」 

「……うん?」

 俺の抗議に、御子神は首を傾げた。

「速いとかいうレベルじゃなかったぞ? 歩法とか運足とかそういうレベルでもねえ。つうかむしろ……」

「人間技ですらない、と?」

 御子神はくつくつと笑った。

「だから言っただろう。すべてを見せると。もう隠すつもりはないのだ。尋常ならざる力の強さ、動きの早さ、技の巧みさ。我々・ ・の持てるすべて……」 


 ――気を付けろタスク! そやつまともではない! 何かが混じって・ ・ ・ ・おる!

 シロが警戒の声を発する。


「……混じっておる、か」

 御子神は心地よさげに肩をこきこき鳴らした。

「ご明察。さすがは異世界から来た女。その通り。私は混血だ」

 半眼になり、懐から何かを取り出した。

「……は、暗雲あんうんみやという」 


 拳大の水晶玉。不思議な色合いだ。黒い霧状の何かが中で蠢いているように見える。

 地面に叩きつけると、それは音を立てて割れた。

 ついで、バリバリと稲妻が轟くような凄まじい音が辺りに響いた。


「つ――!?」

 耳をおさえ首を竦めた。

 割れた水晶玉の中から、黒い分厚いスモークがあふれ出た。地面を這うようにして、たちどころに辺りにたちこめた。


「な……ななななな……!?」

 スモークは円形の壁を作り丸屋根を作った。ぱきぱきと音をたてて固化した。 

「こ、これって……っ」 


 半径30メートルのドーム。

 それは何かに似ていた。スケールこそ比べるべくもないが、見慣れた何かに似ていた。


「……見た目は異なるがな、使用途は同じだ。戦場を力場で覆い、視界と他への被害・ ・を防ぐ」

 負傷者や戦闘不能者たちはすでに担架で運び出されているから、ドームの内側にはもう俺たちだけしかいない。

 視界もまるで通らないし、外の音も聞こえてこない。

「どうだ。気がねがなくてよかろうが?」

 御子神は肩を揺すって笑った。年頃の女の子そのもの、力の抜けたいい表情をしてた。


「……混血って言ったな」

「うむ。聞いていたか」

「……一応確認しておくぜ? 何との・ ・ ・混血だ?」 

「ふん。答えはわかってる、みたいな言い方をするのだな」

「……信じられない、という気持ちの方が強い。だけどそういうのもあるかもな、という気持ちもある」


 俺はずっと、そういう世界を夢見ていたから。

 古典地球観の底の底で。


「……遥か神代かみよの昔。我が祖は多元世界より降り立った」

 自嘲するように、御子神は笑った。 

「長い時であった。長い夜であった。いつか祖国へ戻れる日を願いながら、けれどそれはかなわなかった。ゲートは閉じ、二度と開かなかったから。種に混じり、人に混じり、この地のものとして過ごしてきた。血はいつか薄まり、力は弱くなった。いまや実に実に、かそけきものだ――」

 御子神は無力な自分を嘲るように我が手を見下ろす。

「……だがな。新堂」

 御子神は顔を上げた。

 まっすぐに俺を見た。 

「それでいいと思う反面、それではいけないと思う自分もいるのだ。先祖代々の血が囁くのだ」

「……それが、賭けの理由か?」

「ああそうだ。どうあれ、私はこの血を維持しなければならない。他に強める力があるのなら、混じり取り込まなければならない。だから新堂……」


 一瞬、御子神は間を置いた。

 そして信じられない言葉を紡いだ。


「私に負けたら、貴様は私と、結婚しろ――」


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