第15話「メリル・エルクみたいに!!」

 ~~~新堂助しんどうたすく~~~




「だからぁ、あれはなんでもないんだって! あたしが戦闘に巻き込まれたら危ないから、シロっていうのが一時的な回避措置としてさ──」

「だぁかぁらぁ、女の子だよ! 映ってただろ? キスしたのは真っ白な女の子! ほら、な? 女の子同士だったらまったく害はないだろ!?」

「あ!? たとえ女の子同士だって、人前で軽々しくキスするような娘に育てた覚えはない!? 知るか! あんたはいつも呑んだくれてるだけだろうが! 別れたママのほうがよっぽど気にかけてくれてるよ!」

「ああもう! わかったよ! 泣くなよ! 大の大人がみっともない!」

「……うん。……うん。今日は夜も遅いしマスコミもうるさいから、こっちに泊まってくから。……朝日、朝早くそっちに帰るから。あ? ふたりきりじゃないよ。タスクとシロと、あとカヤさんて女の人がひとり。うん、向こうの人だよ。……綺麗かだと? ──いっぺん殺してやろうか?」



 はあーと大きなため息をつきながら、自宅への電話を終えた妙子たえこが部屋に入って来た。


「よう、お疲れさん」


 妙子は俺の顔を見ると、小さく微笑み肩を竦めた。


「べっつにー。あの親父ががちゃがちゃ口やかましいのは今に始まったことじゃないし。……まあ、さすがに今日の騒ぎは特別でかかったからしょうがないんだろうけどさ」


 10畳の和室に、3人分の布団を並べて敷いていた。

 バトルの後、意識を失うように眠り込んだシロは、すでに真ん中の布団で丸くなって寝ている。


「……シロもさすがに疲れたみたいだ」

 額にかかった髪を払ってやると、シロはぐるぐる喉を鳴らした。

 頬に手を当てると、嬉しそうに擦り付けてきた。

「なんか犬みたいだな……」


 多元世界の女の子だし、調べてみたら意外と尻尾でも生えてるんじゃなかろうか。

 などと半ば本気で考えていると、妙子が冷たい声を出した。


「……場合によっては即座に通報する用意があるけど」

「はいごめんなさい」

 スマホにかかったその指を今すぐ離してください。


 シロの体をゴロゴロ転がすように端っこの布団に追いやった妙子は、俺と向き合う形で布団の上に座り込んだ。


「まあとりあえずはさ……」

 目顔で俺に促す。

 ふたり同時に、部屋の隅にいる人物を見た。


「──条件を聞こうか」

 藍色のショートカットの美人──カヤさんが、正座してこちらを見ていた。



「まずは初戦、そして第2戦の勝利。おめでとうございます」

「……」

「……」

 ぱちぱち手を叩くカヤさんを、俺たちはしばし無言で見つめた。


「言いたいことはいろいろあるんだ。なあカヤさんとやら」

 切り込んだのは妙子だった。

「タスクの扱いは、そっちの世界的にはどうなってるんだ」


「扱い、と申されますと……?」 

 拍手をやめたカヤさんが、芝居じみた動きで頬に手をあて首を傾げる。


「夫婦の契約の話だ。契約に基づき、タスクはシロの体に憑依して戦う。地球においては、それはふたつの意味を持つ」

 妙子は指を一本立てた。

「まずは法的な意味。契約ってのは相対する2者以上の間で交わされる法行為だ。売買、交換、雇用、委託に寄託。個人や団体の様々な行為に権利と義務を発生させる」

 2本目の指を立てた。

「もうひとつは宗教的概念として。神などの超自然的存在と契約を結び、苦役や修行などの義務を果たすことで、赦しや救いなどの恩寵を得る」

「ははあ……」

「タスクはシロと共に戦う。戦ってやる・ ・ ・ ・ ・。そちらは何をしてくれるんだ? 金、物、権利。身体や身分の保障。有形無形の恩恵。いくらでもあるはずだ。あんたたちがタスクに与えなければならないものは。あれだけのことをさせる以上は」

「ははあ……」


「平たく言うなら──金が・ ・欲しいと?」

 カヤさんは、笑顔ですごいことを言ってきた。


「はっはっは。おい、はぐらかすなよ」

 しかし妙子、微動だにせず。

金も・ ・欲しい、だ」


 ……ふふふふふ。

 ……ほほほほほ。


 火花散るふたりの戦いは、それから2時間に及んだ。

 なんというか、出来る女の戦いって感じで、口を挟む余地がなかった。

 カヤさんが空間転移して消え去るまで、俺は背中にじっとりと汗をかいて待っていた。



「……ふん、まあこんなもんかな」


 とりまとめられた手書きの労働契約書には、何十条もの項目が記されている。

 戦いの中で俺が得られる報酬、連戦などの過当戦闘に関する取り決め……。


「これはあとで清書するとして……ん、どした? タスク」 

 ぽかんとしている俺の目の前で、妙子はひらひらと手を振った。


「いや……なんかすげえなと思ってさ……」


 契約書の内容は微に入り細を穿っていた。

 俺じゃ思いつきもしないような項目もたくさんあった。

 行方不明になった親父やお袋探しに役立ちそうなことまでさりげなく盛り込まれていて、涙腺にじわりときた。


「昔から言ってたろ? あんたはバカで騙されやすいんだから、なんかあったら真っ先にあたしに相談しなって。耳に都合のいい台詞を吐くやつは全員敵だと思えって」

 妙子は大儀そうにこきこきと肩を鳴らした。

「ま、安心しな。あたしがついて行くからには、あんたを絶対、危険な目には合わせはしないから」


「ついて来て……くれるのか?」


 さっきまであんなに否定してたのに。


「仕方ないだろ。もう……あんなことになっちまったんだし」

「あ……うん」

 隷従契約のことを思い出して、どちらからともなく目を反らした。


 照れくさくなったのか、妙子はぼりぼりと首筋をかこうとして──指先がチョーカーに触れた。


「あ……っと」


 継ぎ目のない黒いチョーカー。

 それは隷従契約オ・ベイの証だ。

 ビニールに似た柔らかいものだが、切ろうとしても切れない。ハサミも包丁も歯が立たない。

 意味するところはそのものズバリ、奴隷の首輪だ。


「妙子……っ」


 たまらない気持ちになって声をかけると、妙子は笑いながら俺の肩を叩いた。  


「まーあれだ。気にすんなって。ファッションだと思えばなんてことないよ。ほら、メリル・エルクだって似たようなのしてただろ? 火裂東吾ひざきとうごが戦いに敗れて敵将に囚われ虜囚となった時に、身代わりに自分を差し出してさあ」

 作り出したわずかな時間で修行を積んだ火裂東吾が、パワーアップしてリベンジしたエピソードだ。

「さすがにメリル・エルクみたいに、とまでは言わないけどさ。あたしはなんの辱めも受けてないし、命の危機は……ま、ちっとは感じはしたけどさ」

 ひっひっひ、と妙子は気安く笑う。


 メリル・エルクみたいに。


「……っ!」


 直後、背筋を電流が走り抜けた。

 シナプスが吼え猛り、いくつかの記憶が繋がった。

 俺の家へ日参りする妙子──学校以外の勉強に忙しい妙子──厳しすぎて皆から煙たがられてばかりの妙子──スポーツにも遊びにも、年頃の女の子らしいすべてに関わらずに生きてきた妙子──俺をどやしつけて、元気づけて、時々こっそり優しい目を向けてくれた妙子──思い出が一線に繋がった。 


「………………なあ、妙子」

「ん?」

 首を傾げる妙子の体をぎゅっと抱きしめた。

「ふぇ? ああ!? な、なんで!? なにすんだあんた!?」

 暴れるのを、力で無理やり押さえ込んだ。

 

「……おまえ、さっき言ってたよな? メリーさんとの戦闘の時。俺の傍にいるために頑張ってきたって。ヒーローにだってついて行けるって」

「……言ったっけ? 覚えてないなあ。なんのこと?」


 ふすーふすー。

 妙子は吹けない口笛を吹いて誤魔化した。


「おまえが今までやって来たことってさあ。炊事洗濯掃除……だけじゃなくってさ。勉強まで含めてすべて、俺のためだったのか……?」 


 火裂東吾ひざきとうごのためにメリル・エルクがしたように。

 だとしたらそれは、あまりにも膨大な時間だ。

 14年間の人生の大半を、俺のために捧げてきたことになる。

 俺なんかのために。


「………………違うよ」

 長い沈黙の後、妙子は否定した。

「そんなことあるわけないだろ。たかがあんたのために、あたしがそこまでする義理ないだろ。そんなめんどくさいことするわけないだろ。家のことだってお姉さんに言われたからやっただけさ。すべて全部あんたのためだなんて、ちょっと調子に乗り過ぎなんじゃないの?」


 ……声、震えてるよ、妙子。


「だってあの時、言ったじゃんか」

「……言ってない」

「言ったよ」

「……言ったとしたら、言い間違えじゃないかな。もしくはあんたの聞き間違え。ほら、あたしも意識朦朧としてたしさ。あん時あんたも言ってただろ? 『おまえは錯乱してんだよ、酸素中毒で』って……あ──」

 俺の視線に気づいた妙子は、思わず口をつぐんだ。


「……覚えてんじゃん。一言一句」


「ち、違う……っ」

 妙子はぶんぶんとかぶりを振った。

「そんなことするわけないだろ? そんな、かいがいしいラノベヒロインみたいなことを、この妙子様がっ。傲岸不遜、唯我独尊、自分勝手の代名詞みたいに言われてたこのあたしが……っ」


「……妙子」

「違うんだって!」

 妙子は声を荒げた。

「命令されてたんだ! あんたが健康で生きられるように見ててあげてって! どこか遠くへ行かないように見張っててって! あんたのお姉さんに! だから仕方なくなんだ! あんたが冒険者になっても傍にいられるように! 足りない運動神経や体力を埋めるために! 知恵働きで貢献しようと思ったんだ! そうすれば約束を破らずに済むから! だからあたしは──!」

「……妙子」


「ち、が──」

 追い詰められた妙子は、ヤケになったように大声を張り上げた。

「だってしょうがないじゃんか! あたしには他に取り柄がないんだもん! ついて行くには努力するしかないじゃんか! あんたはなんやかやで、もっと大舞台に立つ人じゃんか! ここじゃない遠くに行く人じゃんか! 現にそうじゃんか! 多元世界の姫巫女に見い出されてさあ! 地球の代表として輝かしい功績を残してさあ! それで遠くへ行っちゃうんだろ!? これからたっくさんの美女たちと巡り会って、いつかあたしのことなんて忘れちゃうんだろ!?」 

 その目に浮かぶのは、やっぱり悔し涙だ。

「そんなのやなんだよ! なぜかなんて知らないよ! 全然全体やなんだよ!」

 言葉は怒涛のように溢れ出した。

「あんたがいなくなるのがやなんだよ! 他の女と笑ってる姿を見るのがやなんだよ! どこかでのたれ死んじまわないかと心配なんだよ! だからいつも視界の中に入れてなきゃって……! だけどあたしには才能がないから! 運動神経も! 美貌も抜群のプロポーションも何もないから! 素のままじゃついて行く資格がないから! じゃあ頑張るしかないじゃんか! やれることをやるしかないじゃんか! あんたが冒険者になるための努力をしてる間に! あたしは……あたしはぁ……!」



「…………っ」


 そこまで言われて気づかないほどバカじゃなかった。

 妙子のしてくれたこと。

 献身。

 その意味はあまりにもわかりやすすぎた。


 自然に体が動いた。

 妙子の手をとり引き寄せた。


「……なあ妙子」

「っんだよ……」

「……ありがとう」

「……ぉぅだよ」


 強く抱きしめると、妙子は俺の胸に顔を埋めた。ぎゅっと押し付けた。

 泣き顔を見られまいとしているのだ。

 

「なあ、これからも俺について来てくれよ。今までみたいにさ。今までと同じにさ。だらしない俺を叱って、蹴飛ばして、見離さないでいてくれよ。これから先、きっともっと、今日よりずっと怖いことがあると思う。大変な目にも遭わせちまうと思う。俺は火裂東吾にゃなれないから……なれないけど……」


 妙子の顔が見たいと思った。

 柔らかい頬。前髪の奥に隠れた白いおでこ、ぱっちり綺麗な二重まぶた。薄い唇。

 大好きなメガネっ子の顔を見たいと思った。


「頑張って勝つから。最大限の全力全開で努力するから……」


 妙子の顔が見たい。

 そして気づいた。

 ああ、こう言えばいいんだって。


「……なあ妙子。俺とキスしようぜ?」


「……っ」

 弾かれたように顔を上げた妙子は、やっぱりすごく、綺麗な顔をしてた──












 ~~~布団の中~~~



 

「……ほう」


 妙子との間にあったひと通りを説明すると、御子神みこがみの顔から表情が抜け落ちた。

 いつも凛々しい剣道乙女は、のそのそと俺の上から降りた。

 そのまま部屋の隅に向かい、しゃがみこんだ。


「お、おい……御子神?」

 いじけてるのかと心配して声をかけると、御子神は答えの代わりに竹刀を手にとった。


「おーい!? 御子神ぃ!?」

 俺は慌てて跳ね起きた。


 御子神は頭の脇に竹刀を引き上げ、八相に構えた。

 完全に本気だった。

 

「……だな?」

 御子神はぼそりとつぶやいた。


「……え?」

 聞き返すと、苛立ったような目を俺に向けた。

「ずいぶんとお楽しみだったようだな? 自分からキスを求めて、抱きしめて? 私には求めなかったくせに、メガネ女には求めたのだな? 布団の上で、組んずほぐれつしたのだな?」

「い、いや、ちょっと待てって……。おまえの時とは状況が違うだろうが……。それにそこまではしてねえし……っ」

「だが、一晩一緒にいたのだろう?」

「いたけどさあ……ってうおぉっ!?」


 ズバンッ。


 御子神の振り下ろした竹刀が、ついさっきまで俺のいたところを叩いた。

 布団が破け、羽毛が飛び散った。


「ま、待て御子神! 落ち着け! 話せばわかる!」

 しかし御子神は俺の制止を聞いてくれない。

「……問答無用」 

 何かのサイボーグみたいに「ギンッ」と目を光らせ、俺に迫る。



「まあまあ落ち着けよ、剣道女」


 妙子はいつの間にか部屋の隅に避難していた。

 ちゃぶ台を盾にして、ニヤニヤ笑いを浮かべていた。


「しかたないだろうが。つき合いの長さも絆の深さも、全部あたしのほうが上なんだから。タスクがどっちを選ぶかなんて、わかりきった結果だろうよ」

「小山、貴様ぁ……っ」

 御子神はぎりっと歯を食い縛る。


「やめろ妙子! それ以上御子神を刺激すんな!」

 妙子はしかし、ここぞとばかりに口撃を続行する。

「そもそもがさあ。今さらタスクの嫁に納まろうなんざ虫が良すぎるんだよなあ。今までタスクをさんざんな目に遭わせてきたくせに、お得意の武器でめちゃくちゃに叩きのめしてきたくせに、何を『旦那様』呼ばわりなんだ。どういう了見なんだてめえは? ああ?」


「そ……それはっ」

 核心を突かれ、御子神は言葉に窮した。

「わかるだろ? 手の平返しにもほどがあるって言ってんだよ。恥を知れよ」

「……うううっ」

 震える手で竹刀を納め、苦しげに呻いた。


 弱りきった御子神は、ちらりと俺に目を向けた。

「で、でも旦那様は……」

 微かに目を潤ませた。

「あの時、私に言ってくれたのだ。……なあ?」

 泣きそうな顔で同意を求めてくる。


「……ああ?」

 妙子が眉をひそめて俺を見た。


「……っ」 

 やべえ、と俺は思った。

 御子神とのいきさつを妙子に納得させるには、あの時起こったあれやこれやを説明する必要がある。

 それはさらなる修羅場を生み、俺の立場は、たぶんもっと、ずっと悪くなる──

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