第3話 義賊参上

「おおっ! 無事に逃げられたみたいだねぇ、感心感心」

 緊張して電話に出た僕とは裏腹に、向こうから聞こえてくる女の子の声は、とんでもなく軽かった。

「うーん、ムッツリスケベ君は逃げ足もなかなかのもの、と。これは私もうかうかしてられないですなぁ」

 えへらえへらと笑う彼女の表情が、口調からでも想像できる。

「まぁ、でも、私は逃げなきゃならないようなヘマはしませんけどねー。って、どしたん? さっきから押し黙ってるけど? 言いたいこと、なにもない?」

「いっぱいあるよっ、ぼけー!!」

 あまりのマイペースぶりに、思わず叫んでいた。

「ちょ、ちょっと。電話口にいきなり大声ださないでよぉ。耳がキンキンしたー」

「耳がキンキンするぐらいなんだよ、僕は逃げ回って、心臓がバクバクしたんだぞ!」

「おっ? 上手いこと言うねぇ。それじゃ私は、うーんと」

「うーんと、じゃない! それよりもどうしてこんな事をするんだよ? 僕を痴漢呼ばわりしたり、スマホを入れ替えたり」

「んー、教えてあげてもいいけど、まずはキミがどう思っているか聞きたいにゃー」

 ふざけている。完全にふざけている。なにが「にゃー」だ。こんな人に振り回されたかと思うと情けなくなってきた。

「あんた、プロのスリ師でしょ?」

「お、いきなり核心からかにゃ? もう、近頃の若い者はせっかちでいけませんなぁ。前戯もなくいきなり突っ込むなんて……まぁ、おねーさん、そういうのもキライじゃないけどねー。で、なんで、そう思ったん?」

「スマホの入れ替えなんて普通の人には出来ないから。しかも電車が揺れた時の、あの短い時間で入れ替えるなんて僕でも……」

 言いかけて、慌てて口を閉じた。が、

「財布に悪戯できる僕でも、そんな芸当はできないナリ~。お姉さん凄いナリ。僕、尊敬するナリ~って、正直に言っていいんだよん?」

 続けられた言葉に絶句する。悪戯がバレたのは、これが初めてだった。

「……見られてたんだ?」

「まぁね。仕事柄、そう言う事には敏感なんだぉ」

「仕事柄って、やっぱりあんた」

「そうです、私がプロのスリ師です、なんちてー」

 軽かった。とんでもなく軽かった。でも、その余裕が、らしくもあった。

「さてさて、んでは次にいくね。さて、その美少女スリ師である私が、どうしてキミを痴漢に仕立てたのでしょうか? これは三択問題です。

一、私のおっぱいを押し付けられてニヤニヤしてたから。

ニ、おっぱいを押し付けられて、あんなところをおっ勃ててたから。

三、おっ勃てるどころか、目は血走り、鼻息も荒く、もうオラ我慢できねぇ、と」

「はい、答えは四番の『僕を囮にして安全にその場を離れるため』だよバカヤロウ」

「あん! もうノリが悪いなぁ。しかも、見事に間違ってるし」

ええっ? だったら答えは一体なんなんだ?

さっきの三択のどれかだったら本気で怒ってもいいよな、僕。

「痴漢騒ぎなんて起こしたら、私も注目を集めちゃうでしょ。そんなの、プロのスリ師としては失格なのです。やはりプロは人知れず完璧に仕事をこなさないとねー」

 ……なるほど。道理に適っている。

「だったら、答えは?」

「そだねー。まぁ、他人様の財布に手を出すのに、中身を取り出さずにシールなんか貼っちゃって自己満足に浸るキミをちょっとお仕置きしてやろうかなぁって思ったのと……」

 不意にじゃりと音がした。路地裏の入口に、誰かが立っている。ビルの影になって薄暗いこちらからは、入口は逆光になってよく見えないけれど、スマホを耳にあて、スーツ姿のシルエットのそいつは紛れもなく――

「キミがやってるのは痴漢とかわらない、ツマラナイ事だって教えてあげようかなぁ、って」

 軽やかなステップで近付いてくる。目が慣れてきて、詳細が把握出来るようになってきた。歩調に合わせて揺れる長い黒髪、それにそのあどけない笑顔は、間違いなくほんの数十分前に見たそれで。

「だから、これに懲りたらもう二度とあんな馬鹿な真似はしちゃダメだよ? あ、ちなみに痴漢の被害届は出してないから」

 そして彼女は手にしたスマホで、呆気に取られている僕の額をコツンと叩く。

「義賊なら義賊らしく、悪人からスらないとね。そこんとこ、この正真正銘、ナチュラルボーン義賊なおねーさんがしっかり叩き込んでやるから、覚悟しなよ、キミ」

 ……はい?

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