第4話 夢に溺れた魚たち(Pool Side Staffs)

 ――ジャアアアアアア……


 トイレで用を済ませた三人は、ライブハウス『イヌゴヤーン』のステージに上がるべく、その舞台袖を目指していた。

 ステージ裏の薄暗い廊下には、野犬の群れが鳴き叫ぶような轟音が響き渡っている。

 そう。今まさに、駆け出しアマチュアのパンクロックバンド『KAMASEカマセ-DOGMANSドッグマンズ』が、ステージ上で暴れまわっている最中なのだ。

 奈緒たちは、そこへアポなしで乱入して自分たちのライブを勝手に始めようとしているのだから、当然、周りにいたスタッフたちが黙っているわけがない。


「おいおいなんなんだ君たちは!? どこから入ってきた!?」

 廊下にいた六人のスタッフが、奈緒たちの前にたちふさがった。


「うるさい」

 無表情で言葉を返す奈緒。

 アマチュアのステージにしては常駐するスタッフの数が多い。

 それは『KAMASE-DOGMANS』の観客動員数が、意外にも高いということを示していた。

 スタッフたちは全員、髪がぼさぼさで、青春とはとっくにおさらばしたような風貌をしている。その身には、おそらく売れ残るであろう物販グッズのブサイク犬Tシャツを着ている。似合っているとか似合っていないとかそういう次元のものではないくらいにださい。


「あわれだわ」

 奈緒が、我慢できずに言いもらした。


「あわれだね」

 レイもそれに同調する。


「泡洗剤でも食らってな」

 グレンGも同調した。


 やはりそれを気にしていたのか、激昂したスタッフたちは目の色を変えた。

 大のオトナ六人が、三人の女子高生を囲い込む。

 小汚いライブハウスで死んだ魚のように働く彼らにとって、大人のプライドなんてものは、とうの昔に捨て去ってしまった過去の飾りものであった。


「でもさ、あんたらからは、あたしらと同じニオイがするよ」

 奈緒がギターを揺らめかす。


「なんだと?」


「ロッカー特有の、汗くさいニオイがね」

 くるりと回って、弦を弾いた。



夢に溺れて洗濯槽クリーンフォール・ドリーマー




 廊下を一掃する、目まぐるしいギターサウンド。

 瞬く間に蹂躙された男たちは、耳汁を噴き出しながら次々に倒れた。

「ぐわああああっ~!?」

 しかしその表情は、まるで柔軟剤に解きほぐされたかのように滑らかであった――。


 この者たち、その昔はそれぞれに一流のミュージシャンを目指していたという。

 いわずもがな、売れないミュージシャンというのは、非常にコストパフォーマンスがわるい。楽器を買うのも、スタジオを借りて練習するのにも、たくさんお金がかかる。

 いざライブでその成果を披露しようものなら、会場ハコを借りるのにもまた資金を要する。元手を取るためにチケットをさばくのも大変だ。それこそ保険の営業ばりに、身内に頼み込むスタイルを取らざるをえない。

 その努力が功を奏すことなく時だけが過ぎ、自分の音楽は世の中に受け入れられないんじゃないだろうか――そんな葛藤にさいなまれ、やがてはあきらめるのだ。

「音楽一筋でやっていく」と言って家を飛び出してきたものだから、自分の音楽以外から、手を差し伸べられることはない。

 膨大な時間を費やして楽器をはじいていただけなので、当然職にも困る。

 結局たどりつくのは音楽関係のしたっぱで、知らない誰かのサポート係。

 ステージの裏で、自分より若いバンドマンたちを見ながら、「ああ、本当は俺があそこに立ちたい」と、指をくわえながら、最終的には謎の女子高生のギターを聴いて気絶する人生。

 そんな最期でありながらも、「まぁ、これはこれでロックかな」と強引に自分の人生をまとめ、笑いながらあの世へと旅立ててしまうのだから、ロックという音楽は本当に恐ろしいものである。


 

 そんなロックに取り憑かれ、身を滅ぼしてしまった者たちを横切り、エンターテイナーの称号をもつ者だけが入ることを許された聖域に、奈緒たちはいま、上がろうとしている。


「ついに、あたしらのショウがはじまる……!」

 奈緒がその目を輝かせた。


「気合入れていきまっショウ!」

 レイがつまらないジョークで士気を高める。


「塩コショウ、少々!」

 グレンGが豪快にふざけた。



 円陣を組んだ三人は、ステージへと足を速める。

 しかし、その舞台袖からは、本来あるはずのスポットライトの光を確認することはできない。

 

 そのライブ会場は、闇。

 

 奈緒たちの最初の相手ファーストステージは、常識はずれな彼女たちの想像を上回ってしまうほどに、カオスであった。

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