粘着質

 激しい風魔法が複数飛んできて、敵ワイバーンの群れがそれを避けようと散り散りになる。風魔法が空中で追尾して敵ワイバーンの群れを追いかけていく。追尾効果の魔法は予想していなかったのか、敵ワイバーン達はそのまま風魔法から逃げるばかりになる。

 

 竜騎士は風魔法が飛んできた方向を見る。そこに居たのは白いひげを長く生やした、豪奢なローブをまとった老魔法使いであった。彼が杖をかざしたまま呪文を唱え終わると、風魔法はさらに分裂して追尾し、ワイバーン達がそれぞれ空中で追い込まれて、お互いに衝突する。


 そこにまた追尾していた風魔法が当たり、ワイバーン達が悲鳴を上げながら落下したり、逃げていく。竜騎士はほっと胸をなでおろした様子でワイバーンの速度を緩める。だが老魔法使いはそんな竜騎士に静かに言った。


「速度を緩めるな。ワイバーンどもの追尾がいつあるとも分からん……このまま城下町まで突っ切るぞ」

 老魔法使いはそのまま疾風のような速度でホウキを乗りこなして飛んでいく。

(このジジイ…なんで俺の行き先を知ってやがる…?)


 竜騎士は訳も分からないまま、ワイバーンの手綱を振るとその後を付いて飛んで行った。



 イケニエの少女はなかなかあの強大な存在…彼が、自分を殺してくれない事に焦れていた。ついこの間意識を取り戻したかのようなものである少女には、いまだに死だけが救いであるかのような錯覚があった。


 少女は床をまたペタペタと這い回り、彼の大きな呼吸音が遠ざかったり近付く中、壁や床をペタペタと手のひらで触っては確かめ、そこがどこなのかを確かめていった。意識のはっきりしない少女には、そこがどこなのか、なぜそこにいるのかも理解できていない様子だった。


 ただただ広がっている石の床や壁は、無機質な質感だった。少女は神殿といった場所に祭礼のための人員として遣わされた時も、石で出来た建物に触れた事があるが、これほどいびつでデコボコではなかった。


 まるで磨かれていない。うっかり手を滑らせたら指が切れてしまいそうな質感だ。まるで建造さえ出来ればそれでいいかのような、あまりにもこだわりのない冷たい質感だった。ここを建造した者はひょっとすると、住めさえすれば洞窟でも良かったのではとさえ思える造形であった。


 …と、ふと少女の手のひらにネチャ…と、何かが付着する。それはドロドロとした何かだった。冷たくなってはいるが粘性は高い。どこか不快なその感触を人差し指と親指とをすり合わせて確かめていると、少女の中に蘇って来たのは記憶だった。


 それは村を戦への道の中継地点として利用するためにやってきた、兵士たちの操縦する馬車に轢かれて死んでしまった、村に住み着いていたネコの死骸の質感に似ていた。少女は悲しみながらも、冷たくなったネコを土に埋めて、母と共に小さな墓を作ってあげたのだった。


 だがその質感はネコより大きかった。いや、イヌよりも大きい。少女はその結論からどこか逃げているようだったが、はっきりしてしまった意識はその結論にほどなく辿り着いてしまう。少女は悲鳴を上げた。その悲鳴はしかし巨大な室内に反響すらせず、まるで塗りつぶされるかのように消えてしまう。


 少女は地を這ってそこから逃げ、手のひらを何度も何度も石の床に勢いよくすりつける。しかしそのぬるぬるした気持ちの悪い質感は、今度は生温かい感触に変わっただけで、どこまでも少女の少ない知覚を塗りつぶしていく。


 どれだけ悲鳴を上げてももう反響せず、他には特に何の激しい音もない。静寂がさらに少女の心を蝕んだ。少女はまた絶叫した。しかしその声はまた巨大な部屋に吸い込まれるように消えていく。自身の声しか聞こえない。生温かい気持ち悪いぬるぬるがいつまでも消えない。


 少女の心はまた絶望に塗りつぶされようとしていた。その時だった。

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