FACTOR-5 赤光(A)

       1




(まだだ……ッ)

 気を抜けば塵となって消えてしまいそうな意識。

 塵となって消えた意識は、おそらく二度と戻ってこない。同時に、翔の体も塵となって消える。


(今は、死ぬな……ッ!!)

 その言葉を何度も、何度も、自分に向けて放つ。


 翔自身、いつでも死んでもいいと思っていた。自分が死ぬことで、この世から一つの火種が消える。それだけで、何人が救われるのか。一人の為に大勢が救われるなら、本望だ。人を殺し、種を増やそうとするグレイドルとは違う。俺は奴らとは違う、と、翔は自分に言い聞かせられた。


 だが、今は違う。今初めて、死ねないと思えた。


――助けるよ、私は君を。

 

 そう、きっとあのとき彼女はこんな気持ちだったのだ。


――助けたいって気持ちに理由なんていらないよ


(知ってるさ。んなもん、言われなくても……なッ!)

 塵となった意識の中手探りで探していた。

 渡上遥の体を。遥の体に抱きついてもたれるように、翔は立ち上がった。


「ッ!? お前、何してる!!」

 その時突然、ケツァルコアトルグレイドルの声が上げられる。

 今まさに、ユニコーングレイドルであった青年をその手にかけようとしていた所だったのだろう。大分距離が開いている。


「待て……ッ、止せ。止めろ!!」

 翔が今から何をしようとしているのか、すぐに理解できたのかユニコーングレイドルの青年へ止めを刺さず、翔の方へと駆け寄ろうと――


「――ッ! ウァァアッ!!」

 その動きをダメージも抜けきっていない体から力を振り絞って後ろから羽交い締めで、ユニコーングレイドルの青年は動きを止めた。


「くそ、どけ!」

 その声も聞こえない。

 翔はただ、遥の首筋を一点に見る。


「止めろ」

 翔は口を開け――


「止めろォオオッ!!」

 その、空虚な叫びが響く。

 ガリッと言う音とともに、翔の歯が、眠る遥の首筋を貫いた。




       2




 その時は突然訪れた。

 遥の意識はブツンッとテレビの電源を落とすような感じで暗くなった。


 何もない。

 耳も聞こえない。

 目も見えない。

 自分の言葉すら、自分の心音すら。

 何もかもが「無」だ。

 これが、死。

 その暗闇の中で、遥は赤子のように身を縮込め、目覚めを待つ。


(…………)

 もはや、人間らしい感情すらも無い。これから先、何が起こるのかだけは知っている。遥には、それを待つ事しかできない。

(…………ッ)


 そんな無の中、なぜか一筋の赤い光が蛍のように舞い始めた。遥はその赤い光に手を伸ばす。だが、その手には何もつかめなかった。


 だが、赤い光はなくなってもまた生まれ、それはどんどん増えていっているようだった。


 その赤い光が現れている場所の方を向く。

 と、赤い光の集まりがまるで天窓からさす光のように無を照らし始めていた所であった。


(赤い……光……)

 遥はその赤い光の方に目一杯に手を伸ばす。

 手を伸ばす。

 手を伸ばすーー

 手を、伸ばす。

 そして、伸ばした手が、掴まれた。


(……ッ……!)

 「無」が取り払われる。

 全てを取り戻す。

 

――生きたいって思うのは、誰だって同じだな


 彼の言葉が蘇る。

 生きたい。「死にたくない」じゃなくて「生きたい」。渡上遥という、たった一人の、夢を持つ人間として生きたい。


(翔……)

 遥は今、人間として目覚める。




       3




「んんっ、んぐっ!」

 遥の体がほんの少しビクンと動いた。それでも尚、翔の吸血は終わらない。まだ足りていない。まだここで切ってはいけない。


「んっ、ぐぅっ……」

 遥の目がうっすらと開かれる。

 その目元には涙が浮かび上がり、惚けたように顔が赤くなっている。

 犬歯であけた遥の首筋の穴から血を吸い出し、出てきた血を舐めとって飲み込む。


 翔の舌が遥の首筋を撫でる度に、遥は艶めかしいうめき声が聞こえビクッと身を震わせる。


「ふぅー、んぐっ、ふぅんっ――! ぐっ、んふぅ!――」

 遥のうめき声はいつしか断続的に続くようになり、官能的なものになってきている。


「んっ、くっ……!」

 これ以上はまずいと、翔は遥の首筋から口を外す。これ以上の吸血は、遥自身の命に関わる。もうすでに目的は達したのだ。


 遥の体内のウイルスを自分の体に取り込むという事。遥は間違いなく死んでいた。だが、それはウイルスによる仮死状態だ。完全には死にきってはいない。ウイルスが完全に感染者を殺し、グレイドルへと変える間での猶予。翔はその猶予の間に、ウイルスを自分の体内に移すことで遥の仮死状態を解こうという算段であった。


 結果は成功。

 翔の目論見通り、遥は帰ってきた。


「んっ……ふ……」

 目元にうっすらと涙をうかべ、惚けた表情を翔に向けてくる遥。口枷をされていたもので、先ほど舌を噛む事も無かったようだ。


 翔は遥の口を塞ぐ粘液に手を触れ、ほんの少し力を放出する。

 ふわりと赤い光が仄かに光る。

 瞬間、遥の口を戒める物は火花のように散り、空に消えていった。


「はぁ……はぁ……」

「よく帰ってきたな」

「はぁ……翔……」

 なま暖かい息をしながら、遥は微笑みを浮かべて翔の名前を呼ぶ。


「後で自由にしてやる。待ってろ」

「うん……」

 翔は遥の額に触れた後、背後に振り返る。


「ウァアアッ!!」

「ぐあッ!」


 ユニコーングレイドルの青年をようやくの思いで振り払い、ケツァルコアトルグレイドルは翔の方へと殺気を向ける。


「キサマァァァアアアアアアッ!!!」

 全てを台無しにされた怒りの叫び。殺気は明らかに今までよりも強力になっている。


 傷口も塞がり、力も取り戻し、そして遥も救い出した。翔がやるべきことは、後一つ。


「今まで悪かったな。こっからは本気で行くぜ」

「グルゥゥァアアアアアッ!!!」


 もはや知性など捨て去ったのだろう。殺気が出すのはもはや本能のみ。敵を殺す。なんとして殺すという、全てを壊したDーファクターを殺す。それが、ケツァルコアトルグレイドルの行動指針。

 翔は両手首を振り、


「ハッ!」

 迎え撃つために駆けだす。

 翔の体を貫いた爪が間合いに入った瞬間、再び刺し貫こうとしてくる。

 だが、その攻撃はもう受けない。


「――ッ」

 その爪をつかみ取って自分の攻撃の間合いまで一気に入り込み、

「ハッ!」

 腹部に拳を突き立てる。


 打ち込まれる光の量もここ数日のものとは比べものにならない。

 全く攻撃が通じていなかったケツァルコアトルグレイドルにも、この量の光は体が防御仕切れないのだろう。


「グッ!?」

 確実に怯ませることができる。

「ダアッ!」


 その怯みを見逃さない。翔はもう一方の拳を、今度は顎へとうち放つ。


 大きく仰け反らされ、うめき声を上げながら数歩後ずさるケツァルコアトルグレイドルは大きく体勢を崩す。

 崩そうとも関係ない。

 翔は首筋を掴んで無理にでも立たせ、


「ハッ――」

 鳩尾に当たる部分に拳を突き刺し、

「オラアッ!」


 身を屈めたところに側頭部に膝打ちをを放つ。

 一撃一撃、与えるダメージが大きい。

 それは、数日間の間に打ち放っていた必殺技の威力と何らかわらないものであった。


 反撃も、抵抗も許さない。

 怯んでも、後ずさっても容赦はしない。無理に立たせてもマウントプレイになろうとも攻撃を続ける。


 それが本来の、天城翔の戦い方。

 強烈な膝打ちを受け、うめき声を上げるケツァルコアトルグレイドルは立ち上がり、


「グルウアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

 獣のような叫び声を上げながら爪を振り回し、瞬間の速度で翔の方につっこんできた。

「ハッ!」


 だが、その攻撃も今度は片足で体を押し戻すことで防ぐ。その瞬間にも確実に光は打ち込まれていた。

 翔の瞳が血のように赤く染まる。


 足の中を幾重もの回路が駆け、その回路の中を赤い光が通り膝から足下までを覆う。

 瞬間、その光は打ち出された。


「グッ、ハゥッ、グッ!?」

 撃ち出された赤い光は槍の様にケツァルコアトルグレイドルの体を刺し貫いた。

 刺し貫かれ、翔から離れていく。


「フンッ……」

 翔は力を抜くように手首を振った後、離れて行ったケツァルコアトルグレイドルの方へと走っていく。


「ハッ――!」

「――ッ!?」

 そして翔は高く飛び上がり、

「ハアアァッ!!」


 自らが打ち出した赤い槍に向けて片足を突き出す。

 それはまさに飛び蹴りの態勢。

 翔の体は打ちつけられている赤い槍の中に吸い込まれるように跳び込んでいく

 ――蹴撃が、撃ち込まれる。


「グガッ、ァァアアアアアアアッ!!」

 金属をカッターで切り裂くような斬裂音が響く。

 ケツァルコアトルグレイドルの体を貫く赤い槍は高速で回転しながらさらに深く入り込んでいく。


 そして、消える。


 翔の体も、その槍とともに消え、

 瞬間、赤い光を散らしながらケツァルコアトルグレイドルの背後へと着地した。


「あ、ぐぅ、あっ……アッ!」

 ケツァルコアトルグレイドルは遥の方に手を伸ばす。

 異形となっていたその身は元の人の姿へと戻り、


「はる……か……ッ! はるか……ッ、そんな――ッ」

 すぐにグレイドルの姿へと変わる。

「ア、ガッ、あ、ああぁ……」


 赤い光がその見に染み渡る。

 それはグレイドルとしての命の尽きの兆候。

 ケツァルコアトルグレイドルはその身から火花を散らせながら空に溶ける。


 最後の塵が散ったとき、翔は背後を振り返った。

 翔の目に映るのは、ユニコーングレイドルの青年と、渡上遥の両名のみ。


 闇に残光を残していた翔の赤い瞳は元の色へと戻り、それは、もうこの場には敵はいないと言うことを示すものであった。

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