第二章(2)

 放課後は生徒会長に呼び出されて、高瀬さんと一緒に生徒会室を訪れた。どうやら昼休みに高瀬さんがあの修羅場に居合わせたのは、僕を探していたからだったようだ。僕が中島さんと一緒に出て行った後、会長自らが教室にやって来て、高瀬さんに頼んだらしい。そして高瀬さんを呼ぶということはそういうことだとも言っていたようだ。つまり心霊現象関係だ。僕も呼ぶということは、昨日の演劇部で発生した謎の音について話すのだろう。

 生徒会室には会長だけしかいなかった。幽霊の話をするので当然のことだろう。謎の音についてあれこれ考えるだけならともかく、高瀬さんを呼んだということは本気で心霊現象の知識を交えて事件を考察するつもりのようだ。

 ただ、津島さんも参加するのは会長にとって意外だったようだ。僕は実際に謎の音に遭遇した当事者で、高瀬さんは事件とは無関係だが心霊科学のスペシャリストだ。津島さんはそのどちらでもないので、会長は津島さんを帰してあげようとしたが、

「事件の当事者の八坂真美さんとは知らない仲ではありません。それに私と八坂さんは三月に同じようなことを体験しました」

 と津島さんが申し出たので、一緒にいてもらうことになった。

 会長がお馴染みの会長席に座り、会長の机に対して垂直に置かれた机には、会長の近くから順番に高瀬さん、僕、津島さんが席に着いた。

「今日は来てくれてありがとう。早速だけど本題に入るわ。高瀬さんと津島さんは昨日演劇部で奇妙な音が鳴ったっていうのを堤君から聞いている?」

 最初の会長の質問には高瀬さんが答えた。

「はい。あたしも津島さんもそういうことが起きたとだけは聞いてます。会長がそのことで話をしたいのだろうから、詳細はその時に話すと言われました」

 中島さんとの一件が終わった後に話しておいた。それより一つ確認したいことがある。

「ところで会長は、その話をどこから耳にしたのですか?」

 謎の音は昨日の放課後の出来事だ。会長は遅くとも今日の昼休みまでにそれを知ったことになる。噂として広まるには少し早い。演劇部の先輩の誰かから聞いたのだろうか。

「咲ちゃん。三好さんからよ。クラスが一緒なの」

「ああ……。三好先輩か……」

 あの人が一番怯えていた。その恐怖心から友達に話してしまうのも得心がいく。

「多分、その内学校中に噂が広まると思うの。それとあの話を聞いていた人の中には《幻の呪い姫》の仕業かもって言う人もいたわ。そんなわけないのに……」

 なるほど、八坂さんが《幻の呪い姫》の関係を示唆したのはそれほど不自然ではなかったようだ。やはり去年の文化祭に纏わる事件はこの学校に、特にこの学校の上級生に大きな影響を及ぼしているのだろう。真相を知らない人にとっては怖いのかもしれない。

「そうですね。とにかく話を始めましょう」

 他の三人が首肯する。何をするにもまずは状況を整理して共有するべきだ。

「では始めます。昨日の演劇部の活動中のことです。その時は台本を読む練習を皆でしていました。その最中にふとノックのような音が数回聞こえました。扉を開けて外を確認したのですが誰もいませんでした。それで練習を再開したのですが、その直後に同じ音がまた数回鳴りました。すぐに外を見ましたが、やはり誰もいませんでした。その後は何も起きませんでした」

 事件の概要はこんなものだ。それと一つ伝えるべきことがある。高瀬さんと会長に教えても問題はないだろう。二人が八坂さんに害を与えることはきっとない、と一応考えてみた。

「それと、部活の後のことですが、八坂さんが僕にだけこう伝えてきました。謎の音が鳴った時、自分は女の子の幽霊を見たと」

 これで八坂さんとの約束は果たした。すぐに津島さんの反応を窺い、そして後悔した。鋭い眼差しで僕を睨みつけていた。半眼なのがさらに怖い。そう感じたのも束の間、津島さんは視線を落として深く嘆息した。笑みは浮かべていないものの、威圧感は消えていた。

「あなたがそう言うのだから、嘘や冗談ではないようね」

 信用してくれるのはありがたいが、毒のある言い方だ。それに最近の津島さんの異変を知る人間ならば、嘘や冗談という愚行を冒せるわけがない。

「そう。本当のこと」

 津島さんにそう強調してから、話す対象を全体に変える。

「僕からは以上です。質問はあると思いますが、先に津島さんから三月のことを聞いた方がいいでしょう。両方とも八坂さんが関係しているみたいですし」

 会長が津島さんへ視線を移す。

「津島さん。話してくれる?」

「勿論です。そのためにここへ来たのですから」

 質疑応答を後回しにしたのは、昨日と三月の事件における共通点と相違点を先に理解しておいた方が、要点をつかみやすいと考えたからだ。

「今年の三月の中旬に起きた出来事です。私と八坂さんと、あと中島奈津子さんという女の子の三人で、中島さんの家でお泊り会をしました。その夜中のことです。妙な音で目を覚ましました。部屋の中でノックのような音が鳴っていたんです。規則性はなくて、鳴り止んだと思ったら、何十秒も連続で鳴り響いたこともありました。その時は三人共起きました。十五分程経ってやっと謎の音は全く鳴らなくなりました」

 中島さんの証言と食い違っているところはない。

「その数日後、三人で会った時……その時……」

 津島さんがどもりだした。明らかに困惑した面持ちだ。

「ごめんなさい……。やっぱり話せません……」

 その気持ちは分からないでもないが、その後のことが重要であり、それは津島さんも承知のはずだ。その後の話をするためにここに来たのではないのか。そう指摘しようとしたが、高瀬さんが先に口を開いた。

「津島さん。あたしはその後に何が起こったのかは知らないけど、何か大変なことが起こったことは分かってるよ。謎の音が鳴りました、で終わってたら、君が中島さんをあんなに泣かせることにはならないでしょ。君が話したくないのならいいよ。堤君に話してもらうから」

 教室で津島さんが中島さんに怒っていたことも、僕と中島さんが一緒に出て行くところも高瀬さんは見ていたようだし、さらには泣いてしまった中島さんの介抱もしていた。よく考えてみれば、心霊現象に関係なく、高瀬さんがこの件に対して積極的になるのは当然のことだ。何せ友達とその周囲の様子がおかしいのだ。

「分かったわ……。話す、話します……」

 退路はないと観念したようだ。津島さんは俯きながらも語ってくれた。

「あの事件の後、三人で会った時に、あの音は幽霊の仕業ではないかと中島さんが言いだしたんです。すると八坂さんが、自分が無意識に幽霊を呼んだのかもしれないって言いだして、それで口論になりました」

 津島さんが一度話すのを躊躇ったのは無理もない。彼女が認めたくないことなのだろう。八坂さんの言うことを信じてしまえば、津島さんの中でもそれがすべてになってしまう。

「話してくれてありがとう。それでは高瀬さん」

 会長に呼ばれて、高瀬さんはしっかりと背筋を伸ばした。

「二つの謎の音事件について、専門家から何か意見はある?」

「はい」と高瀬さんは頷いてから話し始めた。

「つまり二つの事件では、ラップ音と思われる現象が起こったようですね」

「ラップ音?」と会長が訊き返す。

 僕もそんな言葉をいつか聞いたことがあった気がするという程度の認識しか持っていない。

「そんなに難しく考えないでいいです。心霊によって引き起こされる音のことを主に意味しますが、原因不明の音声が発生する現象の総称で用いられることもあります。ノックのような音は長くて言いにくいし、謎の音だと何だかしっくりこないので、心霊現象が実際に起こったかどうかはさておき、ここではラップ音やラップ現象って言うことにしましょう」

 確かに言いやすい言葉ではある。そこに異論がある人はいなかった。

「それで、そのラップ音なんですが、ものすごく多くの事例があります。まあ、嘘とかいたずらとか、自然現象で説明できる事例が多数を占めるんですけど、中には本物も存在します」

 最後の言葉は今だから信じられる。というか信じないわけにはいかない。ウィジャボードに関しても同じことを高瀬さんが説明していた。去年の僕と姉さんの踊りはその少数例だった。

「そのラップ現象の中でも特に有名なのでハイズビル事件というものが……。ってそこまで説明する必要はありませんよね……?」

「いいよ。時間はたっぷりあるし、参考までに聞いておきたいわ」

 会長が許可を下したので、高瀬さんはそのまま続けた。

「分かりました。ハイズビル事件は心霊現象が注目され、心霊科学の研究が盛んになるきっかけを与えた出来事でした。十九世紀のアメリカのハイズビルという寒村にフォックスという家族が住んでいました。その家でラップ音が鳴るようになったんです。途中のことは長いので省きますが、とにかくラップ音を鳴らす霊と交信するようになりました。それで交信を重ねていくうちに、霊の生前は行商人で、死体が地下に埋められていることが分かりました。数十年後、廃屋となったフォックス家で遊んでいた少年達が地下室に入ったことで、白骨死体や行商人用のブリキ製のカバンが発見されたそうです」

 高瀬さんは一拍置いてから続けた。

「それはともかく、ハイズビル事件の後、事件当時結婚していて他の所に住んでいた長女が妹達と事件を利用して、金儲けのために交霊会を催すようになります。ラップ音のパフォーマンスで一時は大儲けだったそうですが、それは足首や膝の関節を鳴らしたトリックだと暴露されました。だからハイズビル事件自体が嘘だったんじゃないかっていう説も出たんですが、さすがにその説は失笑ものですね」

「それはどうして?」

 会長が訊いた。対する高瀬さんは鼻高々に答える。

「それは、一つのことが嘘だったとして、別のことが嘘だとは限らないじゃないですか。特に心霊科学にはいろんな事情があるんです。たとえ本物の霊能者であっても、霊能力のために必要な霊の協力を仰げなかったり、霊能力自体が安定して使えなかったり、経年によって霊能力が失われることだってあります。だから霊能力の有無はその時々で判断するしかないんです」

 だからこそ、高瀬さんは根拠に対してすごく厳しいのだろうか。改めて、論理的に物事を語る高瀬さんの姿に感心した。会長も僕と同じ感想を抱いたのか、口を開いたまま高瀬さんを見つめている。

「私より年下なのに、高瀬さんってすごいね。さすがプロフェッショナルって感じ」

「いえ、それほどでもないです。あたしはまだ駆け出しなんで……」

 高瀬さんは少し照れくさそうにしたが、すぐに真面目な表情に戻った。

「さて、問題になっているラップ音が、もし霊によるものだったら、物理霊媒が存在します」

 その言葉なら以前に高瀬さんから聞いたことがある。確か霊媒についての説明の際に、必要がないからといって省略されたのだ。

「その物理霊媒って僕や高瀬さんのような心理霊媒とは違うんだよね?」

「その通りだよ。あたしや堤君のような心理霊媒は、霊を自分に憑依させるだけなので、おおまかに言えば霊能力は霊媒の内にしか影響を与えません。物理霊媒はその逆です。霊を利用することで外に何らかの影響を及ぼします。つまり、こういう言い方はどこかへんですが、物理現象を引き起こすタイプの霊能者です」

 霊能力は現在の科学では合理的な説明ができないから超常現象だと呼ばれているわけであり、そういう点では、高瀬さんの説明は適切ではないかもしれない。しかしどういう類のものかという漠然なイメージは持つことができた。

「具体的に言えば、霊が大きな音を立てたり、物を勝手に動かしたりするポルターガイスト現象や、物を瞬間移動させるアポーツ現象があります。他にもいろいろありますが代表的なのはこの二つですね。今回のラップ音はポルターガイスト現象の一つです」

 ポルターガイスト現象なら僕でも知っている。日本語で騒霊とも呼ばれているらしい。

「これら物理霊媒による心霊現象は、霊媒には直接何かをしているわけではありませんので、一見すると霊が独自で引き起こしているように思えますが、霊媒の存在は必要不可欠です。その人間がいて初めて心霊現象が発生し得るのは、心理霊媒も物理霊媒も変わりません」

 三月の事件後で、幽霊を呼んだと八坂さんが言っていたのはそういうことだ。

「つまり今回の事件、三月と昨日に起きた同様のラップ現象は、共に心霊現象だと仮定すれば、両方の現場に居合わせた八坂さんが物理霊媒だという可能性があり……」

「ふざけないでよ!」

 高瀬さんが言い終える前に、津島さんが怒鳴り声を上げた。そして津島さんは立ち上がり、高瀬さんの方を向いて引き続き叫ぶ。

「真美ちゃんが悪いみたいに言わないで! またそうやって他人を傷つけるつもりなの?」

 津島さんは本気で悲嘆しているようだ。生徒会室に入ってから八坂さんのことを八坂さんと言っていたが、ここにきて真美ちゃんという呼び方に変わったのが良い証拠だ。

 対する高瀬さんも立ち上がり、津島さんと向かい合う。嫌な予感しかしない。

「ふざけないで? それはこっちの台詞だよ。あたしはまだ仮定と可能性の話しかしてないでしょ。君だってまたそうやって霊のことだからって難癖つけるつもりなんだったら、邪魔だからとっととここから出てってよ!」

 いつかの大喧嘩が再び勃発してしまった。慌てふためいている会長は役に立たないとして、やはりここは僕が仲裁に尽力するべきだろう。今度は上手くできるだろうかと思っていたら、いつの間にか津島さんが憂鬱そうに視線を落としていた。

「ごめんなさい……。ついかっとなってしまったわ。あなたはあなたの方法で現状をきちんと分析してくれているのに、それを蔑ろにしてしまったわ」

 高瀬さんもすでに怒りを静めていた。

「あたしの方こそ……。津島さんが今回のことでイライラしてるの分かってたはずなのに、無神経だったよ。いくら仮定や可能性の話だって言っても、根拠もないのに友達のことを悪魔の子みたいに言われたらそりゃ怒るよね。ごめんなさい」

 そして二人は同時に腰を下ろした。それから高瀬さんが口を開く。

「けど忘れないで。さっきの仮定は十分あり得ることだから。覚悟はしておいて」

「ええ……。分かっているわ……」

 すぐに仲直りしてくれてよかった。なんだかんだ言ってやはり二人はお互いを認めているようだ。気が沈んでしまうのではないかと心配もしたが、それもなさそうだ。二人の、特に津島さんの瞳にはやる気が見て取れる。さっきのやり取りでむしろ気合いが入ったのだろう。

「会長すみませんでした。お騒がせしてしまって。堤君もごめんなさい」

「あたしもすいませんでした。堤君もごめんね」

「もう気にしていないわ。だから二人も気にしないで。ねっ堤君」

「はい。会長の言う通りだから。気を取り直していこう」

 そして二人は微笑みを浮かべてくれた。もう安心してもよさそうだ。

「では、話を戻しますね」

 高瀬さんがそう言うとともに、全員の表情が引き締まった。

「さて、二つのラップ現象の現場にいた八坂さんが物理霊媒として疑わしいのは否定できません。けどだからといって心霊現象以外の要因もまだ否定できません。これからはいろんな可能性を探っていきます。堤君、津島さん、事件について質問していくよ」

 勿論、僕が演劇部での事件のことを、津島さんが中島さんの家での事件のことを答えるということだ。

「うん」「ええ」僕と津島さんは首肯した。

「まず津島さんだけに訊くけど、中島さんの家は一軒家なの?」

「そうよ。洋風で、結構大きいわね」

 肝心なことだ。どうして僕はそれを中島さんに確認しなかったのだろう。例えばマンションだったりしたら、隣の入居者から出た音がラップ現象の正体ではないかという話で済む。

「じゃあ、中島さんの家か、その近くで心霊現象を連想させるような事件が起こったかどうかは知ってる?」

「ええ、中島さんの家が建つ前はアパートがあって、そこで小学生が親に虐待されて亡くなったという事件があったと中島さんが話していたわ」

「なるほど……」と高瀬さんは呟いて、すかさず次の質問に移った。

「じゃあ次からは二人にそれぞれ訊いて行くね。ラップ音はその時初めて起きて、それ以後は起きなかったかな? 津島さんから」

「ええ、家に住んでいる中島さんがそう言っていたわ。事件以後も一週間くらいなら起きていないとは聞いたけど、それ以降は中島さんと話さなくなったから分からないわ」

「堤君はどう?」

「先輩の反応からすると初めてみたい。音が鳴った時間は二回を足して合わせても一分もない。それ以降ラップ音は全く鳴らなかった」

 ふたりの証言が出たところで、高瀬さんは深く考えるのかと思いきや。すぐに語り始めた。

「とりあえず、小動物が裏で動いたとか、家鳴りだったっていうことは絶対にありません」

 見事なまでの断言だ。話を聞いた段階で、高瀬さんがこうも言い切ることだけは意外だ。しかし断言した内容は妥当だと思う。津島さんもそう考えているのか黙ったままだ。ただ、会長は意表を突かれたようで、少々うろたえていた。

「ちょっと待って高瀬さん。素人の考えかもしれないけど、そういう科学的なことを真っ先に否定するのはどうかと思うわ。他のことも考えてからでも遅くないと思うけど……」

 そう言えば、会長は高瀬さんと接した回数が少ない。少なくとも僕や津島さんよりは少ないはずだ。だから高瀬さんの考え方をあまり理解していないだろう。

「その認識は甘いです会長。あたしはいつだって科学的に考えてます」

 会長はさらに面食らったようだ。それにかまわず高瀬さんは続ける。

「一見、小動物や家鳴りのようなことが一番納得しやすそうに思えます。けどそうだとしたら、一定の期間中に同じことが何回か起きていないとおかしいんです。そういう類の現象がそれぞれの事件の時だけ偶然発生した。そう考えるのが一番非科学的です」

 高瀬節が全開だった。会長は呆然としている。そこで津島さんが口を開く。

「高瀬さん、熱くなり過ぎよ。会長はあなたが今まで相手にしてきたような研究者じゃないでしょ。少しは手加減をしなさい」

 確かに厳しい言い方だったかもしれない。高瀬さんなりに興奮してしまったのだろう。その高瀬さんはというと、津島さんの指摘を理解したようで、恥ずかしさが込み上げてきたのか、肩を震え上がらせた。そして会長に向かって頭を下げた。

「すいません会長。調子に乗りました」

 その言葉で会長は我に返ったようで、笑顔で応えた。

「いいえ高瀬さん。謝らなくていいよ。すごく納得できる熱弁だったわ」

 高瀬さんが顔を上げたと同時に、会長は両腕でガッツポーズをしてみせた。

「私も高瀬さんのようなプロの認識に近づけるように頑張るわ」

 そこまでする必要はないと思うが、やる気があるのはいいことだ。

「分かりました。じゃあ続けますね」

 再び場が真剣味を帯びる。

「さっき言った通り、偶発的な自然現象というのはほとんどありえません。もしかしたら一億分の一の確率で起こり得るかもしれませんが、そんなことを考えても無駄でしょう。だから二つのラップ現象の原因として考えられるのは大まかに言えば二つです。物理霊媒による心霊現象か、誰かの故意によるトリックです。堤君と津島さんは最初に後者を疑ったでしょう。だとすると……」

「二つの事件に関係している真美ちゃ……八坂さんがその犯人である可能性が高い。そう言いたいんでしょ?」

 高瀬さんが言い淀んだところを、津島さんが付け足した。津島さんは覚悟ができたのだろうが、それとは別に一つ気になることができて、僕は口を挟むことにした。

「津島さん。ここだったら遠慮せずに八坂さんのことを真美ちゃんって言ってもいいと思う。別に変だと思わないから。ねぇ会長、高瀬さん」

 津島さんは辺りを見回す。高瀬さんも会長も優しく頷いていた。

「分かりました。ありがとう堤君」

 今は津島さんにとって気の重い話をしているのだ。ささいなことかもしれないが、これで津島さんが少しでも楽にしてくれればいい。

「もういいかな。じゃあ質問するね。ラップ音がした時、外に誰かいた? 堤君は外には誰もいなかったって答えてくれたから、津島さんだけ答えて」

「私が一度だけ部屋の外を確認したわ。誰もいなかったけど、扉を開けている時も、そのラップ音は聞こえたわよ。それ以降は扉を閉じて、三人とも音が止むまで部屋に閉じ籠ったわ」

 ラップ音が鳴っていた間はずっと外に誰もいなかったと考えてもいいだろう。

「じゃあ音は部屋のどこから聞こえたかな? 何となくでいいから答えて。津島さんから」

「部屋の中からよ。しかも部屋の中でも複数の位置から聞こえたと思う。いえそれどころじゃないわね。上から下までありとあらゆるところからよ。他の二人もそう言っていたわ」

「じゃあ堤君は?」

「僕はよく分からなかったけど、先輩は部室の中から聞こえたと言っていた」

 ラップ音が部屋の中から聞こえたことは二つの事件で共通しているようだ。

「じゃあ堤君の方は音源が一ヶ所だったの?」

「いやそこまでは何とも。だいたい津島さんの方と違ってラップ音は少なかったし」

 そこは三月の事件とは異なる点だ。高瀬さんは特に感想もなさそうに首肯した。

「じゃあ次行くね。怒らないで答えて。ラップ音が鳴っていた時、不審な動きをした人はいたかな? どんなささいなことでもいいから心当たりがあるなら言って。津島さん……から……お願いします……」

 津島さんは不機嫌そうな顔をしたが、どうやら先程と意味は違うようだ。

「どうしてそんなに遠慮しているのよ。さっきは勢いよく怒鳴ってきた癖に」

「だって……喧嘩したくないもん……」

 口を尖らせる高瀬さんに対して、津島さんは溜息をついてから答えた。

「十五分間の出来事よ。他の人の動きを一々見たりしていないわ。私が見た限りでは妙な動きはなかったわね。そもそもそんなことがあったら訊かれなくても言っているわ」

「だろうね。一応確認してみただけだよ。堤君は?」

「あの時は全員が両手で台本を持っていた。三年生と一、二年生が向き合ってお互いを見ていたけど、怪しい動きをした人を見たとは誰も言っていないし、僕も見ていない」

 ラップ音が発生した時に台本から手を放していた人がいたとしたら、それが誰かに発覚してもおかしくはない。しかしそういう出来事は起こらなかった。

「質問は以上だよ。二人ともありがとう」

 そして高瀬さんは会長を見遣る。

「状況はだいたい分かりましたので、あたしなりの分析を話します」

 さらに場の空気が重くなるのを感じる。それもそのはずだ。心霊科学のプロが、まだ仮説の段階だろうが、二つのラップ音事件の真相に迫ろうと言うのだ。

「まず、ラップ音っていうのは、現在の音響技術はかなり発達していますので、その現象自体は機械で作り出すことは簡単です。交霊会において心霊現象としてのラップ音の存在を証明するには、参加者に対して厳密な身体検査をした後、余計な物が一切なく、防音が完璧なところで実験を行う必要があるでしょう。機械のことを考慮すると電波暗室――外部からの電磁波の影響を受けない場所が好ましいですね」

 しかし、僕達が問題としているラップ音が発生した現場はモノが雑多で、防音も電波遮断もしていないただのよくある部屋だ。細工ならし放題だろう。

「みんなもそうだと思いますが、あたしはまず何らかの音を出す装置によるトリックを疑いました。それを踏まえた上で、今のところのあたしの見解を述べます」

 高瀬さんは津島さんと僕に一回ずつ目配せをしてから続けた。

「可能性の話です。昨日の演劇部でのラップ音はトリックの可能性が高いです。しかし、三月の中島さん宅でのラップ音は心霊現象である可能性が高いです」

 その宣告を、津島さんは黙って聞いていた。

「まず昨日の方からいきましょうか。このラップ音は時間も短く回数も少ないです。長時間の空白と少しの音を記録したものを練習前に再生してどこかに隠せばそれで終わりです。何も難しいことはありません」

 確かにものすごく簡単だ。そこで津島さんが問いかける。

「さっきの堤君の話だと、練習再開のラップ音は意図的なタイミングで鳴らされたような印象を受けたけど、それについてはどう説明するつもりなの?」

 そう訊くということは、津島さんの中ではある程度予想が立てられているのだろう。高瀬さんもあまり時間を空けずに答えた。

「一度目のラップ音と練習再開の間を考慮して空白を入れたんでしょ。二度目のラップ音が再生されるタイミングで練習が再開された。ちょっと難しいことかもしれないけど、できないことはないよ。それに、ちょっとくらいタイミングがズレても問題ないでしょ。例えば、一度目のラップ音で堤君が外から戻ってきた時に鳴っても、同じ印象を受けるでしょう」

「そうね。私もそう思うわ」

 だったら訊くなとは誰も言わない。確認と認識の共有は大事なことだ。

「あと、心霊の観点からも可能性は低いと思います。休み時間に演劇部の部屋の前まで来たんですが、部屋の中にも外にも心霊現象を誘発させるような低級霊はいませんでした」

 ここで一つの真実、いや嘘が判明する。

「つまり、八坂さんが幽霊を見たと言うのは嘘でしょう」

 だから高瀬さんは八坂さんに疑いの目を向けていたのだろう。というか、それを先に説明してれば先程の津島さんの大激怒はなかったかもしれない。

「高級霊を呼びつけてラップ音を鳴らさせる手もないわけではないですが、正式な交霊会ではありませんし、高級霊は応じないでしょう。だから昨日の件に関しては心霊現象の線は薄いと思います」

 しかしそれは昨日の話だ。三月はその正反対なのだ。

「次に三月に起きた中島さん宅のラップ音です。津島さんの話を聞く限り、これはトリックによる実行は無理だと思います。音源が複数あったということは、トリックで行う場合、それ相応の数の装置が必要になります。そしてその数だけ隠し場所が必要になります。しかも津島さんが感じた通りありとあらゆるところからラップ音が鳴っていたとなると、それだけの装置を隠し通せるでしょうか。ねぇ津島さん、ラップ音が鳴った最中やその後にある程度は部屋の中を調べたよね?」

「ええ、でも怪しい機械は一つも見つからなかったわ」

「それについては僕も中島さんから聞いた。中島さんもそれを疑って、後で部屋中探し回ったけど、怪しいものは何もなかったって」

 部屋の主である中島さんがそう証言しているのだから、彼女が犯人ではない限り、部屋にラップ音を発生させる装置はなかったのだろう。つまり実現自体は可能だが、実現できる状況ではなかったということだ。

「だから三月のラップ音は心霊現象だと今のところ考えています。近い内に中島さんの家を訪問して、それらしき霊がいるかを確認しようと思います」

 それで本当に幽霊がいたら、三月のラップ音は心霊現象だったと認定されるだろう。

「さて、三月の件は、現象に関してだけ言えば、中島さん宅だけの問題なのでここまでにしましょう。あくまで今日のあたしは昨日のラップ音についてのご意見番として来たんですから」

 確かに、高瀬さんと僕を呼びだした会長にとっては、昨日のラップ音の方が本命だ。この高校に直接関わりのあることだからだ。

「状況は整理できましたので、最後に今後の対策を考えましょう」

 この場における高瀬さんの役目は、昨日のラップ音を何とかすることだろう。

「まず心霊現象の観点で話しますが、問題となる霊がいない以上、あたしの方から何か対策を立てることはできません。演劇部に霊はいませんでしたし、さっき言い忘れてたんですが、昨日たまたま演劇部のみなさんを昇降口前で見かけました。演劇部もランニングをするんですね。それはさておき堤君、部員は七人で合ってるよね?」

「うん。そうだよ」

 そういえば、その場で高瀬さんに「堤君、演劇部じゃなかったの?」と驚かれた。

「演劇部の七人全員が霊に憑かれていないことをこの目で確認しました。だから霊媒が勝手に霊に利用されて心霊現象が起こったということはないでしょう」

 高瀬さんの推理通りならば、ラップ現象の原因として考えられるのは残り一つだ。

「だからラップ音は何らかのトリックによるいたずらだと考えます。最も疑わしいのは、津島さんには悪いけど、八坂さんです。意図は分かりませんが、幽霊が見えたという嘘を堤君についていたわけですからね。だから堤君は八坂さんを警戒して。二度目はないとは限らないから」

「うん」高瀬さんに言われるまでもなくそうさせてもらう。

「じゃあ、もし再びラップ音が発生したら、堤君はラップ音に向かって何か質問をして。内容は簡単なものでいいから【はい】か【いいえ】で答えられるもの。【はい】は音一回、【いいえ】は音二回ってことで。勿論八坂さんには注意しながらね。反応のタイミングで、少なくとも何かの装置を使っているかどうかくらいは分かるでしょ。でも、できればでいいから。八坂さん以外の演劇部の人と一緒の時とかはしなくていいよ」

「分かった。そうする」

 そこで高瀬さんは会長へと視線を移した。

「今あたしにできるのはこれくらいですが、こんなものでいいですか?」

「十分過ぎるくらいよ。ありがとう。たいへん参考になったわ。生徒会長としては申し訳ないけど、この問題は君達に頼りきりになるけど、いいかな?」

 会長のお願いに、三人とも肯定の返事をして、この話し合いはお開きになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る