第4話

糸島の朝は早い。

時刻は5時前5分。梅雨入り前とはいえ、この時間には辺りはまだ暗い。この時間から彼の活動が始まる。

机に座り、パソコンを起動する。据え置き型の大きいやつだ。ディスプレイと一体になっていないパソコンといえばわかるだろうか。

起動に軽く時間がかかるので、携帯を開いて連絡が来ていないか確認する。すると、例のメッセージアプリに通知があった。

誰だろうか。糸島には親しい友人はいない。

アプリのボタンを押す。すると、「門司」という名前のアカウントからのメッセージが来ていた。これは…1年書記ちゃんだったはずだ。内容は「こんばんは」とのこと。

律儀なのか、暇なのか。こんなもの好きと連絡を交わそうとするとは。

糸島は「すみません。今みました。おはようございます。」と返した。失礼はないはずである。

携帯の電源を落とし、パソコンに向き合う。仕事先からのメールチェックは欠かせない。


彼は、スマートフォンゲームの開発に関わっている。



ー6時を過ぎた。タイマーがけたたましく、終了時間が来たことを知らせてくれる。

昨日の夜を含め、計6時間近く作業をしていた糸島はさすがに疲れたのか、伸びを入れた。大きくあくびをして、脳に酸素を取り込む。

「まずいな、まだ半分ってところだ」

庶務として任命させる1日前。ある企業から連絡をもらった。新しいオンラインゲームを作るので、そのエンジンの設計をお願いできないだろうか、と。

フリーの彼にしてみれば願っても無い仕事の相談である。すぐに作り始める旨を伝え、相手方の返事を待たずして作成に取り掛かった。


しかし、それから1週間。提出まであと1週間を切っているのに関わらず、半分しか作り終えていない。

本来ならば、学校も休んで作業に没頭したいところである。しかし、生徒会の一員であるので、早朝の声出しには参加しなければならない。

この学校の生徒会に属すると、学校登校日の8時に生徒会メンバーは集合し、校門の前に立ち、「おはようございます」を連呼しないといけない。いい制度である。


食卓に向かうと、母が眠たい目をこすりながら起きてきた。髪はボサボサ、パジャマという格好である。

「おはよぅ」

「ん。お米は炊いてる?」

「まだぁ」

まだ寝ている。確信した。仕方あるまい。パンでも焼こう。

「昨日は遅番だったんでしょう?なのに今日早番?」

「いやぁ、今日は…ちょっと用事ぃ」

母は看護師さんである。看護師ってたいへんな職業だなとふと考えた。こんなに身を粉にして働いているのである。先日、親を起こしに行ったら、寝言で患者さんの名前を言っていた時、あぁ大変な職業だと再認識した。まぁ、仕事に簡単なものなんてないのだが。

「…パンでいい?」

「いぃ。助かる」

ついに机に突っ伏した。目は閉じられている。

男でも作ったか。前科があるので、そんなことも考えてしまう。

母用のパンを机の上に用意していた皿に置いた。母に対する仕事は終わり。

糸島はパンにマーガリンを塗りたくって食べる。なんとも甘い。しかし味わっている時間はそんなにない。口の中にせっせと運ぶ。アリが自分の巣穴に物を運ぶように。


食べ終わった。食器を運ぶ。洗う時間はなさそうだ。

そろそろ唯佳を起こしにいかないと、後ほどたくさんのブーイングを受けることになる。

仕方なく、扉に「唯香の部屋」と書かれた部屋に向かった。ノックをする。返事はない。

「おい、6時半超えたぞ。これ以上遅くなるようだったら放置するからな」

なぜ中に入らないのかというと、以前中に入って起こしたところ、かなり怒られた。烈火のごとく。乙女の部屋に入ってくるなんてデリカシーない、らしい。確か5年生になった春だっただろうか。

少し扉の前で待ったが、全く起きてくる気配がない。

出来上がったパンを机の上に起き、着替えを済ませる。唯香の分、と置き手紙をして食卓を後にした。時刻は7時を超えていた。



博多は遅れていた。目覚まし時計が鳴らなかったわけではない。

朝のランニングを終え、シャワーを浴びていると気持ちよくて居眠りしてしまっていたのだ。

しかし、幸運にも学校から家までは近い。彼の足で走れば10分で着く。どうにか時間には間に合いそうだ。

「いってきます」

すぐに着替えて、朝食の手で潰すタイプのゼリーを加え、玄関をでる。母が何か喋っていたようだが、聞き取れなかった。それよりは、遅刻しないことのほうが何倍も重要に感じたのである。


ー結局両者ともに朝の声出しには間に合ったのであった。



放課後。

皆が帰りのホームルーム終了後に一斉に散らばっていく。1年にはまだ放課後課外がなく、5限目終了後に解散することができる。放課後課外は基本的には2年後期になってから行われる。学校の中で2年からは特進クラス、進学クラス、スポーツクラスの3つに分けられる。特進クラスは2組計60人で成績順に上から50人にクラスに入る資格が与えられる。スポーツクラスは各競技個人成績優秀者、団体競技スターティングメンバーなど1組30人のみが入れる。それ以外が進学クラスだ。1年の間は全員同じカリキュラムである。それまでは青春を謳歌できる仕組みだ。その時間、存分に使わせてもらう。

博多はグループの何人かを連れて、体育館に来ている。今日の放課後から30分~1時間の間、体育館を使わせていただき、バレーの練習を行うことにした。

決して勝つためだけではない。勝つことも重要なことであり、そのための練習という側面もある。今回のメンバーには勝つために練習しようと伝えた。

しかし、これは博多を中心としたクラスの輪に加わるか否かという場でもある。一見すると「青春」に見えるかもしれない。いや、参加している者も「青春」を感じているかもしれない。しかし、それは博多が意図的に作り出した「偽物」である、と博多は認識していた。

輪になって、バレーのアンダーハンドパス…というのだっただろうか、パスを皆で渡しあっていた。こんな時にチャラ男、八幡が役に立つ。少し提案を八幡の耳に入れてあげれば、想定通りに皆を楽しませるピエロになってくれる。こいつはありがたい。

「みんな参加すればよかったのにねー」

参加している女子の声が聞こえた。誰かに反応でも求めたのだろうか。その声は、同意の声でやまびこのように返ってきた。

参加しているのはクラスの約半数。これが今の博多の影響力である。参加しない奴が何人かいることは想定していたが、予想より少なくて少し落胆したのは、周りには秘密だ。



「えー、糸島くんも来ない感じぃ?」

こいつはクラスのチャラ男だ。クラスに1人はいるチャラ男ポジションのやつである。

どうやら、放課後にバレーの練習をするらしい。しかし、糸島には仕事が残っている、さらに糸島は他者と深く関わることに無意識で抵抗を覚える体質である。そして絶望的にコミュニケーション能力がない。

「そ、そうなんだよ。用事があってな」

「でも、博多くんから、生徒会は今日はないって聞いてるけどなぁ」

俺に固執するのは、2つの理由がある。1つ目にデフォルトで友達がいないポジションのやつに声をかけていると、他の糸島よりクラスカーストの高い連中に対して牽制することができるためだ。カースト低い奴に声をかけているんだぞ。お前らは参加しなくていいのか。参加しなかったらお前らは誘われなかった糸島より下だぞ、という。2つ目には、糸島たちぼっちに対して、お前らのことを見ているぞ、誘いはしたからなという意図である。

「す、まんな」

と話し、教室を出る。そう、俺には仕事がある。期限ギリギリになるのは忍びない。今日明日で仕上げてしまうのが1番いいだろう。クラスマッチまでには終わらせたいものだ。


下駄箱に来ている。

そう、糸島の下駄箱の近くに来ている。というのに、自分とは異なる人物がいる。

1年書記ちゃんである。俺の下校を待っていたのか。声をかけないのは不自然である。

「今日、生徒会はない、ぞ。俺に何の用?」

うつむく書記ちゃん。

「一緒に…帰りませんか」

…ここは生徒会室ではない。よって、これは仕事ではなくプライベートだ。

いや、仕事の話かもしれない。新しいクライアントの可能性ということもある。…ないか。

「何か、生徒会関連で、相談事?」

と言葉を言った後に思考した。訳あって友達からハブられたのかもしれない。

「いや、一緒に帰れたらなって」

おーけー。これは、理由は聞くなというパターンだ。証拠に俯いたままである。

これが罰ゲームとかであれば、可哀想に。恐らく、自分からゲームに積極的に参加するような度胸はない。仮に罰ゲームなら渋々だろう。その時は、察して途中で帰してあげよう。

後ろ、隣の下駄箱の列と周りを簡単に確認したが、誰もいない。

「い、いいよ。帰ろう」


「なんで俺、と帰ろうと思った、の?」

背後に気配がないか確認しながら、書記ちゃんの返答を待った。

交差点の赤信号待ち。ここを通れば、そろそろ最寄りの駅に着く。最寄りの駅までは徒歩10分といった程度の距離である。

しかし、そこまで俺と書記ちゃんに会話どころか、言葉の掛け合いすらなかった。

「…同じマンションに住んでるって知って」

あら、そうだったのか。と、いうことは、中学は一緒だった、ということか。

ー中学から離れたくて家から少し遠い私立にしたというのに。

「…中学から、俺のこと知っていたのか」

無意識で少し語気を強めてしまったことに気がついたのは、全部言葉を吐きおわってからであった。

「いや?私はー中学。高校になるときにー県に引っ越してきたの」

…よかった。知られていたわけではなかったようだ。そして理解した。

他県からのよそ者のせいで、なかなかこの地に溶け込めていないのか。それで友達がいないのだろう。うん、きっとそうだ。

しかし、よくそれで生徒会立候補、しかも当選したな。


信号が青になった。

渡りきったところで、純粋に、心に思ったことを聞いてみようと決意した。

「…友達、いないのか?」

愛想笑いをしていた書記ちゃんの顔が曇る。わかりやすく。

「…やっぱり、そう見えるよね」

外面を気にしているような返答である。

「…クラスでも話す人は少しで、それも義務的な会話しかないの」

典型的なぼっちである。糸島の仲間であった。

しかも、ぼっちでいることを慣れていない様子。少なくとも中学では友達がいたのだろう。

「…悪いことを聞いた」

これぐらいしかかけれる言葉がない。糸島は自身のコミュニケーション能力の低さを恨んだ。


改札を通る。

電車から降りると自宅であるマンションまではすぐ近くである。徒歩5分といった感じだろうか。

「あの…」

振り返ると書記ちゃんがこちらを向いている。

「…」

話しかけたのに、内容は何も考えていなかったのだろうか。沈黙が続いた。

「どうした」

待てずに、返答を催促してしまう。

「…今度からも、明日からも、一緒に帰ってもらえませんか」

どこの青春漫画なのだろうか。きっと、糸島は夢の世界にでも行ってしまったのではないか。

…勘違いはするな。帰る相手が欲しいと言っているだけである。そう思うと気持ちが楽になった気がする。

「ああ、あなたに友達ができる間な」

糸島は自分自身が一体どんな顔をしているのか気になった。

「っ、ありがとぉ」

目の前の少女が微笑んだ。目尻には涙がたまっていたのかもしれない。声も涙声だったかもしれない。しかし、それを糸島が気付くことはなかった。

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