イタリア 三日目

3月19日(月)

ローマ→フィレンツェ


 朝の七時前に目が覚めてしまった。

 旅行先で慣れない枕を使うと睡眠時間が短くなりがちである。あとはたぶん時差ボケの影響も残っていると思う。

 体内時計が完全にイタリアに合わさっても、またすぐに帰国するので結局日本でも時差ボケに悩まされることになりそうだ。難儀なことである。


 昨日スーパーで買ったパンやポテトチップスを朝ごはんにする。朝からワインを飲むかどうか迷ったが、あまり美味しくないのでやっぱり飲まないことにした。朝から酒ってなんだか背徳的な感じがするし。


 窓から外を見れば、ぽつぽつと雨が降っている。

 まあテルミニ駅までは徒歩五分なので大して濡れないだろうし、フィレンツェへの移動は新幹線だ。そしてフィレンツェの天気予報は曇りなのでほとんど影響はなさそうである。雨に烟るローマも素敵なので、これはこれでよい。

 これからフィレンツェに飛び、フィレンツェを観光したあとヴェネツィアへ飛び、ヴェネツィアを観光したあとまたローマに戻ってくる。喧騒と落書きとポイ捨ての街に暫しの別れである(あんまりだ)。


 ホテルをチェックアウトして外に出てみれば、雨はもう止んでいた。地面は濡れているものの、雨上がりの空気はぴんと澄みきっていて、歩いていて気持ちがよい。そもそも街並みがきれいなのだ。様々かつ落ち着いた色で統一された煉瓦造りの建物が立ち並んでいる様子は、さすがヨーロッパという感じ。

 とか言ってたらあまり綺麗でないものも見つけてしまった。

 ダビデ像のマグネットである。全身ではなく股間部分だけのマグネット。単体で見るともはやダビデ像かどうかもわからないが、おそらくダビデ像のダビデ像だと思われる。ダビデのダビデ、ご立派。

 割と精巧に彫ってあり、一ユーロで買える。安い。三つぐらい買って悪友たちへのお土産にするか。

 ピサの斜塔や大聖堂やその他の歴史的建築物を象ったマグネットは定場のお土産らしく、どの店にも大量に並べてあった。ダビデのダビデ以外にも素敵なマグネットを見かけたので、いくつかは買って帰ろうと思う。


 高速鉄道の発車まで時間があるので、テルミニ駅周辺を散策する。

 雨が空気中の塵を洗い流してくれたおかげで空気が澄んでおり、遠くまで見渡せる。大量の落書きとポイ捨てされたゴミと車を除けば景色はこの上なく綺麗である。

 しかしこの汚さこそが海外の醍醐味である。この生活感がなければハウステンボスと何も変わらない。これでいいのだ。海外に来た! という実感はこういうときに高まるものなのだ。


 海外に来たなあ〜〜汚あ〜〜なんて実感しながら歩いているとバナナの皮が落ちていた。誰だ街中でマリオカートしたのは。

 中国でも韓国でも思ったことだが、日本の街は本当に綺麗だ。日本に生まれてよかったと思う。たまに旅行するならどの国も素敵だが、やはり住むとなるとちょっといただけない。


 さて、鉄道に乗り込もう。一人二十ユーロでローマからフィレンツェ、二時間ほどの旅である。新幹線でこの値段は安い。

 予約した席に到着すると、謎のおばさんに席を占拠されていた。

 ソーリーソーリーと話しかけてeチケットを見せ、「そこおれの席やで」とジェスチャーとかで頑張って伝えた結果「ごめんね、ここは私が座るからあなたたちはこっちにどうぞ」みたいなことを言われた。

 座れればどこでもいい。おとなしく従うことにした。


 しばらく走っているうちに検札の人がやってきた。席について何か言われたらどうしよう……と思ったが、さっきの謎のおばさんが検札の人に説明してくれたのだろう、私たちはeチケットを見せるだけでよかった。席の移動は割とよくあるのだろうか。検札するのもいちいち大変そうだ。


 少しうとうとしつつ車窓から緑の景色を眺めているあいだに、フィレンツェに到着した。


 外は小雨が降っているが、そこまでひどくもない。天気予報によれば夕方には止むとのことだ。小雨のフィレンツェも風情があってよいものである。

 かつてのフィレンツェ共和国の首都、日本でいうと古都京都のような感じだろうか。ローマよりも落ち着いたオリエンタルな雰囲気で、なんというか時代が違うのを感じる。

 落書きもローマより色とりどりで、文字にも凝ったレタリングが施されている。アートである。

 さすがはルネサンスの中心地、時代が変わってもその芸術性は脈々と受け継がれているようだ。落書きでさえ芸術的とは。


 フィレンツェで二泊するのはホテル エリートというなんだかかっこいい名前のホテル。

 辿り着いたその場所には巨大で重い扉があり、インターホンを鳴らすと扉の向こうから陽気なおばさんが現れた。

「こっちよ!」

 おばさんの後についていく。重い扉を押し開けるとその先には鉄格子のような扉があり、そこを潜り抜けて暗い階段を昇った先にまた扉があり、そこを抜けるとガラス扉があり、その先がようやくカウンターであった。バイオハザードみたいだ。


 チェックインして渡された鍵は、グランドピアノの鍵のような形状。棒に板が刺さっているだけ。ここまで鍵っぽい鍵は初めて見た。シンプルにも程があるぞ。

 部屋の鍵穴は広く、内部の機構がちょっと見えていた。鍵を差し込んでカチャカチャ回す感覚は楽しかったが、どう考えてもセキュリティに問題がありすぎる。貴重品は常に身につけておく必要があるな。


 そして、なんということでしょう!

 二人で旅行するときの部屋はだいたいツインベッドだが、この部屋に関してはまさかのダブルベッドであった。ワーオ。


注:ツインベッドとはシングルサイズのベッドが二つある部屋であり、ダブルベッドとはダブルサイズのベッドが一つある部屋である。


 つまり友人と同じベッドで添い寝だ。なんてこった。


 私がツインとダブルの違いについて思いを馳せていると、いきなり誰もいないはずのトイレで水が流れ、便器が洗浄された。

 なんで?

 誰もボタン押してないのに。

 今夜の添い寝のことなど頭から吹っ飛んだ。なにしろ古いホテルである。もしかして何か霊的なものが出るのか……? 


 その後も数分おきに水は流れ続けた。自動洗浄にしても回数が多すぎる。

 水を流すボタンを強く押しすぎたのか何なのかわからないが、ボタンを押しても捻っても水が止まらない。水が流れ、上のタンクに水が溜まっていく音がして、そして満タンになるとまた勝手に全部流れるのだ。

 ボタンを押すと電気的でなく物理的に栓が開いて流れる形式のトイレである。トイレの水がいつまでも流れ続けるということは、どこか壊れたのかもしれない。幸先が悪いぞ。


 受付の陽気なおばさんを呼びに行ったが、どうやら英語が通じないようで、頑張って「勝手に水が流れる」と説明したのに身振り手振りを使って「このボタンを押せば水は流れるんだよ」と説明されてしまった。違う。そうじゃない。

 どうにも説明のしようがなく、仕方なくOKOKと頷くと、これまた満面の笑みで階下へ戻っていった。もう諦めよう。トイレを常にきれいに保ってくれているのだと考えればよい。あ、また流れた。


 ホテルを出て、二軒隣のレストランに入る。昼ごはんの時間だ。

 フランスより安いとはいえ、物価は日本よりも高い。特に贅沢をしているわけではないのに食費だけでユーロ札がひらひら消えていく。大学生が来ていい国ではなかった。

 メニューとにらめっこしているうちに見つけたカルツォーネという文字列。漫画で見覚えがあったのでそれを注文した。ピザを二つ折りにして肉まんみたいにしたやつである。食戟のソーマ読んどいてよかった。


注:「食戟のソーマ」という漫画ではイタリア人の兄弟が登場してイタリア語やイタリア料理を披露してくれる。しかし「火よ起これ(フォルノ アッチェンデレ)」というイタリア語に関しては永遠に使う機会がなさそうだ。


 運ばれてきたカルツォーネは明らかに量が多かった。サイゼリヤの小さなピザではなく、宅配で来る感じのピザを二つ折りにしましたという感じである。顔より大きいんだけど。

 かぶりついてみると、中に入っているチーズはトロトロで、ハムと生ハムとベーコンは何重にも重なっていて、トマトからはじゅわっと汁が染み出してきた。なんてこった。旨すぎる。

 味は最高だったのだが、胃袋のほうが先に限界を訴え始めた。なんとか完食したが、これはひょっとして数人でシェアするべき量なのでは……?

 友人が注文したペンネは程よい量だった。次からはパスタにしよう。


 雨がそれなりに強いので一旦ホテルに戻って折りたたみ傘を持ち出し、いよいよドゥオーモのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へ。

 まず目に飛び込んできたのは、一面に装飾が施された壁だった。それもただの装飾ではなく、壁の窪みに聖人たちの石像(一体一体デザインが違う)が立ち並んでいるような凝ったものである。

 そして、大きいなんてものではない。小学校の体育館よりも大きい。縦にも横にも巨大で、一周しようとすればそれなりに時間がかかり、上を見上げつづけていると首が痛くなる。これを何世紀も前に人力で造ったというのか。信じられない。


 さすが世界有数の観光地、雨なのに人が多い。

 小雨がぱらつく中、色とりどりの傘を差した世界各国の人々が歩き回っている。大聖堂の入り口からは入場待ちの行列がはるか向こうまで伸びており、ディズニーランドもびっくりである。ディズニーランド行ったことないけど。シーもないけど。


 先にジョットの鐘楼でチケットを買って、そのまま昇った。大聖堂の横に立っている鐘楼は、高さこそ大聖堂と同じくらいだが太さが違いすぎる。地震でも起こったら倒れてしまいそうだ。というか壁面の彫刻も何もかも、いかにも地震を想定していない感じである。石造であることに加え、日本のように揺れまくることがないからここまで残存しているのだろう。いいなあ。


 石造りの螺旋階段を延々と昇り続けること四百段、ついに鐘楼の天辺に到着した。フィレンツェの街を一望できる絶景ポイントだ。

 灰色の空とぱらつく雨の下に、落ち着いた煉瓦の色がどこまでも広がっている。建築様式の統一というのはそれだけで魅力を生み出すものなのだ。街並みの統一感は、日本ではあまり見られない光景である。京都の街並みならある程度そうなっているかもしれないが、上から見下ろせるスポットがないし。大文字山に登って見下ろしたときは小さすぎて何がなんだかわからなかった。


 通りを歩いていると、どの建物も見上げるように高い。しかし上から見るとどれもほとんど同じ高さである。すべて五階か六階建てぐらいになっている。何か理由があるのだろうか?

 ああ、いいなあ石の建物。日本だとじめじめしそうだけど。


 階段の昇り降りでなかなかに疲労した状態で、次は行列で入場待ちである。

 大聖堂の行列は二つあり、カテドラルとキュポラに分かれている。キュポラのほうはあまり行列ができていない。なんでも「最後の審判」の絵画を間近で見られるらしいので、まずはこちらから行ってみることに。

 並ぶこと数十分、やっと辿り着いた入り口で警備員さんに「book? no book? oh no」とあっけなく入場を拒否されてしまった。

 看板をよく見ると「Reservation required」と書いてある。あーそういうことね! 予約が必要なのか!! 先に言えよ!!(書いてあります)


 仕方なくカテドラルのほうに並ぶ。こっちは凄まじい行列である。最後尾に「何時間待ち」みたいな札があるんじゃなかろうか。


 結局、一時間ほど並んだだろうか。ゆっくりゆっくりと行列は進み、やっとのことで入り口に辿り着いた。

 巨大な大聖堂の内部が、まさかそのまま空洞だとは。

 広く高い天井がいくつかの柱に支えられ、壁には彫刻、床は石材をはめ込んだモザイク。そして、漂う張り詰めたような空気。

 内部は荘厳な空間になっていた。祈りのための場所。何かの「気」というか「圧」というか、そういうもので満ちている。気圧ではない。気圧は関係ない。

十字架にかけられたキリストの像の周辺などは特にそれが顕著で、なんというか敬虔な気持ちになるのである。

 はるか昔からこれだけ多くの人が訪れ、祈り、帰っていった場所である。パワースポットとでも言えばいいのだろうか? 多くの人の思いが集まれば、その場所自体が力を持ち得るのだ。


 はるか遠くの天井を見上げれば「最後の審判」があった。キュポラのほうから入ればもっと間近で見られたのだろうが、これで充分である。「聖なる」という形容詞がしっくりくるのを肌で感じた。

 キリスト教徒ではない私でさえ、なんとなく膝をついて「私は日本にいるとき深夜に豚骨ラーメンを食べてしまったことがあります」と懺悔したくなったのである。


 天井を眺めて神聖な気分に浸っていると、警備員さんに追い出された。十七時で閉まるらしい。ギリギリで滑り込めたわけだ。

 外に出ると、雨は上がっていた。


 別の建物に入ると、そこにも天井画があった。今度は少し絵の感触が違う。説明文を読めば、大聖堂のものとは時代が違った。こちらのほうがイスラム感がある。

 ベンチがあったので、上を向いて天井画を眺めながら一息。こっちはこっちで荘厳だが、やはり大聖堂には及ばない。階段を昇ったり立ちっぱなしだったりで足が疲れているので、座ったまましばらく休んでから建物を出た。


 もう日が沈みかけているので、一度ホテルに戻った。

 ホテルの場所が実に絶妙で、フィレンツェの名所ほとんどに徒歩で行けるのだ。大聖堂など徒歩十分圏内である。おまけにホテルの位置する通りには大量のレストラン、いや、リストランテが。食べ物には困らない。お金には困る。


 明日行きたい革製品の店を調べておいた。

「フランチェスコ・リオネッティ」という店だが、日本人店員さんがいて買い物しやすい上に品質もいいらしい。Google mapにピンを落としておいた。

 普段使っている財布がもうすっかりボロボロになっており、イタリアで革財布を買おうと決めているのだ。いいのが見つかることを祈ろう。


 そして晩ごはんを食べにいく。

 リストランテ、トラットリア、ピッツェリアと飲食店にも種類があるらしい。当然、一番価格帯の安いピッツェリア中心でいこうと思う。リストランテでコース料理を食べるほどのお金はない。五千円とか平気で飛ぶし。


 適当に選んで入った店のメニューにリモンチェッロがあったので、ミートソースパスタと一緒に注文した。

 陽気な店員のおばちゃんに「このぐらいしかない(少ない)けど、いい?」みたいなことを言われ、OKOKと頷くとショットグラスで運ばれてきた。一口ずつ舐めるように飲んだが、なるほど度数が強めである。この量で充分だ。

 レモン果汁を絞ったような強烈な味かと思ったが、想像よりも甘かった。炭酸水か何かで割って飲むと、もっとおいしそうだ。


 ミートソースパスタ。うまい。文句なし。以上。


 ぱんぱんになった腹を抱えて夜の街を歩く。ホテルとは反対方向だ。

 グラスワインを一杯だけしか飲んでいないにも関わらず、友人がしこたま酔ってしまい、「夜の街歩こうぜ〜〜」とか言い出したのだ。

「さっき『危険だから飯食って買い物したらすぐ帰る』って言ってなかったっけ?」

「いやいや大丈夫だろ〜観光地だし〜」


 夜のフィレンツェ中心部では観光客らしき人々が賑やかに行き交っている。控えめにライトアップされた夜の大聖堂には、昼とは違った魅力がある。友人が嬉しそうに三脚で写真を撮っていた。

 ローマの夜に比べてあまり危険を感じない。落書きも少ないし、まだ深夜というほど深夜ではないし。女性が出歩いているうちは安全だと考えてよさそうだ。


 うろちょろしているうちにまだ開いている食料品店を見つけ、水とパンを買った。

 水が無料でいくらでも飲めるのは日本の特権である。ここではいちいち買わないといけないし、そもそも硬水だからか少し変な味がする。パスタを茹でるなら硬水だが、飲むなら軟水が一番だ。


 ホテルに戻り、友人が持ってきた洗剤を使って洗濯をした。もちろん手洗いである。

 そう、九日の旅行に着替えを四日分しか持ってきていない理由がこれである。最初から洗う前提で荷造りしているのだ。手洗いして部屋干しして風呂の換気扇をつけた。明日の夜には乾いているだろう。


 さて、実は思ったよりもお金が減っている。

 物価のせいか、特に贅沢をしているわけではないのにもう八十ユーロ(だいたい一万円)ほど消えているのだ。鉄道は事前に予約して支払済みだし、移動はなるべく徒歩にしているが、それでもお金が消えるということは単純に食費の問題か? どれもこれも日本よりやや高いので感覚が狂う。まだまだ旅行は始まったばかり、大切に使わねば。


注:一ユーロは百二十〜百五十円。変動が激しい。


 今日は立ちっぱなしが多くて疲れた。

 明日は一日中フィレンツェである。天気予報通りに気持ちのよい晴天であることを祈ろう。


「持ってきたワインどうする?」と聞いても返事がないので、見ると友人はもう寝ていた。仕方なく電気を消して友人の横に潜り込む。いや、これ寝にくいな。狭いし。

 何が悲しくて男と添い寝せにゃならんのだ。

 明日もこのホテルなので、哀しいかな、明日も添い寝である。あーあ。寝ます。おやすみ。

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