ようこそ、春へ。

蛙林檎

プロローグ

第1話 ハルの国。

 ここは、ハルの国。年がら年中日だまりに包まれる、なんともゆったりとした平和な国である。ここには争いごとも、ましてや差別も何も無い。心が清らかな人しか入る事の許されない国なのだ。そんな国で、私アセビは一人平和に暮らしている。というわけでもなく。この国で探し屋なんてお店を営んでいる牡丹ボタン様に誠心誠意真心込めてお付きしております。

 

「牡丹様、朝ですよー起きてますかー?」


お店のドアを元気よく開け、閉め切ったカーテンを勢い良く開ければ、うぅんとくぐもった声をあげながら、店の主である牡丹様が机の前で伸びをしていた。


「まーたお店で寝たんですね?上にベッドあるんだから、そこで寝ないとだめじゃないですか!!」

「でもねー...上までいくの面倒なんだもの」

「もう!!そうやっていつもいつもお店で寝てばかり。きちんとした生活しないと、ダメじゃないですか!!お風呂には入りましたか?ご飯は食べたんですか?え、食べてない!?どうしていつもそんな生活を!!ほら早く立ち上がって、洗面所に行きますよ!!もう、早く!!」

「...アセビ...貴方いつからそんなお母さんみたいに...」

「泣いてる暇あったら立ちあがる!!」


 このお方こそ、牡丹様。探し屋の店主であり、ここら一帯のマドンナのような顔のようなそんなお人だ。胸元まである長い黒髪に、切れ長な瞳。化粧を施しているわけでもないのに血色の良い唇。そしてなによりも透き通った白い肌。この方こそ、このハルの国を代表してもいいお人である。よっ、ミス・ハル!!


「アセビ〜タオルどこ〜」


前言撤回。この人は正真正銘ダメ人間だ。






「さて、シャワーも浴びたしご飯も食べたし。今日も元気に働きましょう」

「はい!!」


 なんとかお風呂に入った牡丹様は、先ほどまでとは違うてきぱきとした姿でお店の扉を開ける。今日も太陽の気温が心地いい。んーと伸びをした後、後ろを振り返り横一文字になるような細い目で笑いかけたあと、私にこう言った。


「今日もよろしくね、アセビ」

「こちらこそ、牡丹様」


膝に手をつきゆっくりと頭を下げる。わたくしの心や体は全て、牡丹様の為にあるようなもの。仕事が始まる前の恒例の挨拶は、毎日私にやる気をくれる。この人のために、良い仕事を。


「それじゃあ今日はこの華を、っと」


長いカーディガンを肩にかけながら、お店の看板に手を伸ばす牡丹様。その手には一輪の菖蒲の華。それを看板に飾り付け、手をぱんっと叩く。


「今日も良い頼りが来ます様に...」


このお店を立ち上げてから、牡丹様は毎日一輪の華を看板に掲げている。これをする事で、良い仕事や良い事が起こるのだと、ジンクスみたいなものだけどそれを信じているのだそう。料理もできない裁縫もできない自分の身の回りの事はできないダメダメな人間だけど、この行事だけは毎日欠かさずやってのける。

 私も隣に立ち、同じ様に手を叩く。今日も一日、牡丹様にとって良い日でありますように。


それだけが私の願いです。


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