第五章(2)

 翌日火曜日の放課後。春日さんのことで決着をつけることになった。まず津島さんが、話があると伝えて春日さんを視聴覚室へと連れて来た。その際長田君に同行を求めて、長田君はそれを受諾した。僕と高瀬さんが先に視聴覚室に行って準備をしていた。ちなみに視聴覚室の利用は会長から許可されている。

 視聴覚室の中央最前席に長田君と春日さんが、その後ろの席に僕と高瀬さんが座っている。そして、津島さんが壇上に立っている。春日さんを交霊会に誘う役目を引き受けたいと、津島さんは志願したのだ。ただし高瀬さんが口火を切った。


「話を始める前に、春日さんに謝っておくよ」


 春日さんが後ろを向いて、高瀬さんと視線を合わせる。


「この間は驚かせてごめんなさい。ただ分かってほしいの。あの話は嘘でも冗談でもなくて、真実の一つだったってこと」


 春日さんは弱々しくだが、首を縦に振った。


「そういうことよ。春日さん」


 津島さんの声によって、全員の注意が彼女に向いた。


「私がこれから話すことを否定しないでほしいの。冗談に思うかもしれないけど、それでも受けて止めてほしい」


 おそらく津島さん自身未だに冗談だと思いたいところだろう。しかし彼女はそれをおくびに出さない。そんな様子を少しでも春日さんに見せたら、信じてもらえなくなることが分かっているからだ。今は春日さんを助けるためだと割り切っている。


「うん。分かったよ」


 春日さんが声を出して頷くと、津島さんは始めた。


「白川さんには春日麻美さんの幽霊が見えていたそうなの」


 いきなり勝負に出た。春日さんの表情はここからでは見えないが、彼女の身体の震えは見えている。明らかに動揺している。勿論、津島さんはそれが分かっていてあんな初撃を通したのだ。これは打ち合わせ通りだ。


「そんな……幽霊なんているわけ……」

「春日さん。もう約束を忘れたの? それと……」


 そう。春日さんは一つ誤解している。それは津島さんが意図的に誘ったものだ。


「私は、幽霊がいるだなんて一言も口にしていないわ」


 打ち合わせの時、津島さんは宣言していた。幽霊が存在すると一切主張しないことを。彼女は未だに幽霊の存在を否定し続けている。とはいえ、高瀬さんがその宣言を非難することはなかった。今は全ての真実を乱暴にぶちまける時ではない。必要な真実だけを取り出す時だ。


「もう一度言うわ。白川さんには春日麻美さんの幽霊と思しきものが見えていたの。それだけであって、幽霊が存在しているわけではないわ」


 高瀬さんまで震えだしだが、春日さんのそれとは意味が全く異なるし、放っておいても問題はないだろう。というか、打ち合わせで了承していたのに、それでも幽霊の存在が否定されることに抵抗があるようだ。


「そして去年の踊りは、その春日麻美さんの幽霊を成仏させるための儀式だったそうなの」


 今度は長田君が慌てた様子で声を上げた。


「ちょっと、お前ら。冗談が過ぎるだろ」


 対する津島さんは小さく頷いた。


「言ったはずよ。決して冗談ではないと。実際に心霊現象が起こったかどうかはともかく、去年の踊りが心霊現象を意図して行われたものだというのは間違いない。と、そこにいる高瀬さんがおっしゃっているわ」


 その時の津島さんが高瀬さんを睨んだような気がしたが見なかったことにしよう。高瀬さんに言わせてみれば実際に心霊現象が起こっていたのだが、さすがに高瀬さんは空気を読んでそこには触れなかった。


「長田君にはこの前説明したよね。心霊現象が関わっているって。まあ、納得いかないようなら、踊りにおける不審な点をしっかり説明して、この結論しかあり得ないっていう根拠をみっちり解説するけど、今からしようかな?」


 高瀬さんが口を挟むと、長田君は「いや、いい」と言って腰を下ろした。


「それじゃあ、白川先輩は……そんな……オカルトなんてものに手を染めて……あれはなにかの間違いよ……」


 春日さんが俯いて、たどたどしく言葉を口に出した。さて、ここからが本番だ。春日さんはオカルトに対して極度の抵抗を持ち、姉さんがオカルトな儀式を行ったことにショックを受けた、という僕達の予測は当たっていた。春日さんの心には姉さんが悪いことをしたことのよう映り、彼女はそれを認められなくなった。


「違う……先輩はそんな悪いことは……」

「悪いことっていうのは誰が決めたの?」


 春日さんがパニックに陥りそうだったところ、津島さんが口を挟んだ。


「私は、それが悪いことだなって一言も口にしていないわ」


 とてつもなく白々しい言葉が飛び出した。今まで高瀬さんを罵倒してきたのは一体何だったのだろうか。いや、今は津島さんも反省しているし、そんなことを蒸し返す場ではないのは分かっている。それに、この柔軟さが津島さんの良いところだろう。


「ただ、高瀬さんに言わせてみれば、踊りによる儀式は失敗した。そして悪い結果が出てしまった。だから去年の踊りの後、その無念が春日さんにぶつけられた。そうでしょ?」


 姉さんは去年交霊会のことも自分の性格のことも霊能力のことも、自分が悪いと思っている面は大概春日さんに話してしまったのではないか。それが、僕達が出した憶測だ。そしてそれは正解であったようで、春日さんはゆっくりと首肯した。


「でも、あの儀式は元々善いことをしようとしていた。春日麻美さんの幽霊を救済するということをね。だから白川さんは何も悪いことをしていない。強いて言えば、あなたに八つ当たりしてしまったことくらいかしら」


 姉さんが善いことをした。それを示すことで春日さんの悩みを解消する。これは日曜日に僕達が出した結論だ。実際、春日さんは落ち着いてきたようで、姿勢を真っ直ぐに保っている。もう心配することもないだろう。


「そんなことより大事なことがあるけどね」


 これからが切り札だ。この切り札は、昨日津島さんが提案したものだ。善いことをしていたことを告げる作戦は、結局幽霊の話をすることになるので、津島さんは手放しに信頼していなかった。それに、津島さんは踊りのもう一つの面を重要視していた。今まで話してきた裏の面ではなく、本来見られるべき表の面だ。僕はそれを忘れていたようだ。


「だから、あなたにとって一番大切なことを思い出してほしいの。このDVDで」


 津島さんはそう言って、視聴覚室の端にある機材へと歩み寄った。そして、その機材を少し操作した後に、僕の隣の席まで移動してそこに腰を下ろした。

 津島さんはこの踊りを見て、こう感想を述べた。「激しいけど、綺麗な踊りね。誰が見てもそう思うのではないかしら」だから春日さんも、姉さんに八つ当たりされる前は、この踊りを綺麗だと思っていたに違いない。津島さん曰く、一番大切なことはそれだ。春日さんが抱いた、この踊り自体の感想だ。

 春日さんは黙って踊りを見た。やがて映像が終了して、津島さんが機器を停止しに行った。そして津島さんは再び壇上に上がり、春日さんを見据える。


「私、予めこれが儀式だと教えられてからこの踊りを見たのだけど、それでも綺麗な踊りだと思ったわ。確かに動きが激しいところもあって儀式めいてはいたけど、それでも、綺麗だという感想の方が遥かに勝っていたわね」


 それが津島さんに見えていたものなのだろう。そして――。


「春日さんには、この踊りはどう見えたの?」


 津島さんが今大事にしているのは真実ではない。どう見えたのか、何を信じるのかだ。高瀬さんみたいな能力がない限り、幽霊などという不可思議なものを見ることはできないし、本当の意味で信じることもできない。だから、真実よりも遥かに低い人間として、見える限りのことで、何を信じるのか、津島さんはそれを春日さんに問いている。


「私も……先輩みたいに踊りたいです」


 春日さんが泣き声でそう言った。


「先輩は……とても綺麗で……私も先輩みたいに踊りたい……先輩みたいに強く生きていたい。そう……伝えたかったの……」


 それは少し前の僕にとっては愚かな答えだっただろう。姉さんのことを全然理解していない、ただ自分の憧れだけを押し付けた醜い答えだ。しかし――。


「良かった。その憧れは、まだ消えていないわね」


 僕も間違っていたのだ。姉さんは強く生きようとしていた。その意志があの踊りに表れていた。確かに春日さんは僕が知っている姉さんの側面を知らなかった。しかし、彼女は僕が知らない姉さんの他の側面を知っていた。


「白川さんは、心霊現象に手を染めたり、臆病者だったり、あなたに八つ当たりしたけど、その憧れは、まだあなたの胸の中にあるわね」

「うん」春日さんが頷いた。津島さんも嬉しそうに相槌を打った。


「先輩はオカルトなことをしてたけど、それはお姉ちゃんのためだったって。今の踊りを見て分かったよ。去年見たときだって、綺麗な踊りだったって思い出したよ」


 津島さんは再びこくりと頷いた。


「じゃあ、幽霊のこと少しは信じてあげてもいいんじゃないかしら? 本当に春日麻美さんの幽霊がいて、白川さんは彼女を救おうとしたって」


 津島さんがそんなこと言い出すなんて、一週間前なら思いもしなかっただろう。


「あれ? でも幽霊なんていないって……」

「ええ、私は信じないわよ。私が信じたところでどうもならないでしょ。でも、信じるかどうかは、あなたが考えて。それがあなたにとっての真実になるから」


 何だが煙に巻いているような気がしないでもないが、やはり僕は津島さんの考えが好きだ。良い意味でも悪い意味でも、信じていることがその人にとっての全てになる。今は、良い意味で捉えるべき時ではないだろうか。


「そういうことよ。じゃあ高瀬さんに代わるわね」


 津島さんが檀上を降りて、高瀬さんがそこに立った。先程まで高瀬さんが座っていた席に、津島さんが座る。


「本題に入る前に、春日さんに忠告しておくよ。あたしは津島さんのような考えはできないから、真実だけを示すつもりだよ」


 高瀬さんは真剣な面持ちで春日さんを見つめる。


「だから、春日さんが納得いかないような真実にまた立ち向かわないといけなくなる可能性もないことはないよ。それでも、春日さんにはその覚悟があるかな?」


 甘いことばかり言ってはいられない。高瀬さんは気休めを言うのが嫌いだろうし、春日麻美さんの幽霊がこの世に残っている以上、油断のならない状況なのだろう。容赦のないあの視線が春日さんの瞳を貫いている。しかし春日さんから怯えた様子は見られない。


「うん。白川先輩は本当に素敵な人だって分かってるから」


 春日さんがそう答えると、高瀬さんは頬を緩めた。


「分かったよ。大丈夫みたいだね。じゃあ本題に入るよ」


 僕達には大きな問題が残っている。絶対に決着をつけなければならない問題だ。


「あの踊りは失敗だった。それはつまり、春日麻美さんの霊が物質世界、つまりこの世に残っているってことだよ」

「そうなの? まさか体育館に?」

「いいえ。去年の踊り子だった堤君にだよ」


 春日さんと長田君の視線が僕の方に向いた。長田君は大体のことを知っているのでたいして驚いていない様子だったが、春日さんは呆然と僕を見つめていた。そう言えば、春日さんは未だに知らされていなかったようだ。


「僕が《幻の呪い姫》だよ」

「う、うそ……。あの赤いドレスの子が堤君……」


 そう呟いていた春日さんだったが、やがて平静に戻り、納得したように頷いた。


「だからお姉ちゃんのことを調べていたんだ……」


 そして再び二人は高瀬さんの方へ向き直る。


「そういうこと。詳しい説明は省くよ。こう言っては悪いけど、春日麻美さんの霊は堤君に悪い影響を与えている。そういう点でも、春日麻美さんの霊を招霊……じゃなくて、物質世界から解放させて、霊的世界へ送らなければならないんだよ。そのために、日曜日に体育館で交霊会を開きます。白川さんのことがもっと知りたいというのなら、見ているだけでいいから是非参加してほしいの」


 春日さんの参加は、交霊会の進行において必要事項ではない。しかしそれでも参加してほしいというのは、高瀬さんと津島さんの厚意から出た願いだろう。僕もできれば春日さんには参加してほしいと思う。それは春日さんのためにではなく、姉さんのことをより多くの人に知ってもらうことを望んでいるからだ。


「分かったよ。交霊会に是非参加させてください」


 春日さんはあっさりと了承して、それから長田君の方を向いた。


「長田君。私、もう大丈夫だから」

「ああ」長田君も春日さんを見ている。二人とも清々しい笑顔を浮かべている。そして次に春日さんは高瀬さんを見た。


「高瀬さん。ありがとう」

「どういたしまして。お礼を言うなら、そこにいる堤君や津島さんにもね」


 春日さんは後ろを向いた。まず津島さんと視線を交わして「ありがとう」と告げる。津島さんは黙って頷いた。それから春日さんは僕を見た。その瞬間、少し怯えたように口を小さく開いて、身を少し引いた。


「えっと、堤君……」


 以前に、精神的に追い詰められたことで、未だに警戒心が解けないのだろう。


「別に、無理に言わなくていいよ。僕のことまだ苦手だろうし……って、痛っ……」


 津島さんに頬を抓られた。僕に対して遠慮がなくなってきたのはいいことだが、僕なりに気遣いをしたことをもう少し評価してほしいところだ。そう言ったところで状況は変わらないので、とりあえず「どうぞ」と言って春日さんの二の句を待った。


「あの……ありがとう。それと……堤君……。私、堤君のこと誤解してた」

「いや、今までの認識で合ってると思うよ」


 どんなことを思われていたかは知らないが、きっと春日さんは僕に対して悪いイメージを持っていただろう。それは正解だ。何も間違ってはいない。


「それに、誤解していたのは僕の方だから」


 春日さんに謝るべきことがある。良い機会なので告げておこう。


「好きと関心の話をしたよね。あの時僕は、春日さんは姉さんに関心がないのだと言った。それは間違いだと思っていない。あの時点での君は確かにそうだった。けど、それは僕にも言えることだった。姉さんは強くて真面目な人だという幻を君は抱いていた。でも同じように僕は、姉さんは弱い人だという幻を抱いていた。姉さんを助けようとはしていたけど、その反面姉さんを見下していて、姉さんが頑張っている姿に目を向けようとしていなかった。そういう面に関心を持っていなかった。幻だけを見続けてそれで満足していた。それは僕も同じだ」


 あくまで春日さんが悪かったことは否定しない。しかし僕は自分のことを棚に上げて、彼女を非難してしまっていたのだ。


「そんな資格なかったのに、君のことを馬鹿にしていたことを謝る。ごめんなさい」


 そこまで言い切ると、春日さんは優しく微笑んだ。少しは緊張が解れたのだろうか。


「堤君って、変わったね」


 変わった。そんなことを春日さんに指摘されるとは思わなかった。誉めてくれているところ申し訳ないが、僕にはまだその称賛を受け入れる資格はない。


「いや、まだそうでもないよ」


 少しは変わることができただろう。しかし高みにはまだ程遠い。僕はもっと大切な人のためになれる人間になることを誓ったのだ。その誓いを果たすために、ようやくスタートラインに立ったところだ。


「一件落着みたいね。後片付けはしておくから、長田君と春日さんはもう帰りなさい」


 津島さんがそう言うと、長田君は春日さんの手を引いて立ちあがり、もう一度津島さんに礼をしてから、視聴覚室を後にした。その後、高瀬さんが口を開いた。


「ねえ、津島さん。これで春日さんはもう大丈夫かな?」

「こんな話し合いだけで全て解決したわけがないでしょう。でも、この前みたいにひどく取り乱すことはないでしょうね。あの子はそのきっかけを掴んだもの」


 津島さんは本当に嬉しそうに笑った。


「あの子が一歩前に踏み出したのだから、私もそうしないとね。日曜日はよろしく」


 その笑みに対して、高瀬さんも同じような満面の笑みを返した。

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