第二章

第二章(1)

「「堤君」」


 木曜日、四時間目が終了して昼休みに入った途端に、前方と左方から同時に声を掛けられた。津島さんと高瀬さんだ。二人とも立ち上がり僕を見た、と思いきや、次の瞬間には高瀬さんは笑顔で、津島さんは真顔で、お互い露骨に険悪な視線を交わした。


「私は堤君に大事な話があるの。悪いけど、今日のところは譲ってもらえないかしら?」

「奇遇だね。あたしも同じことを言おうとしてたところだよ」

「じゃんけん」


 険悪な雰囲気が教室に充満する前に、僕が先制した。二人とも怪訝そうに僕を見る。


「とりあえず、じゃんけんして。昼休みを半分に割って、じゃんけんに勝った方と前半三十分、負けた方と後半三十分話すよ。どうせ、話すだけで一時間も使わないよね」


 二人は何か言いたそうに僕を見下ろしていたが、不平は言わず、「最初はグー、じゃんけん、ぽん」の掛け声を合図にじゃんけんをした。結果、津島さんが勝利した。


「悪いわね。じゃあ堤君、お弁当を持って、屋上で話をしましょう」


 少しも悪いと思っていなさそうだ、と思いつつ、僕は鞄から弁当を取り出して津島さんに続いた。津島さんは弁当とビニールのような何かを手に持っている。

 屋上に着くまで会話はなかった。屋上は白い網状のフェンスで囲まれていて、一応生徒の出入りは許されている。昼休みには十数人がここに集まり、昼食や談話を楽しんでいる。僕達は屋上にいるグループのそれぞれから会話が聞かれないような位置を割り出した。僕がそこに腰を下ろそうとすると、津島さんが僕を制して、そこにレジャーシートを敷いた。それから僕達はそのシートに腰を下ろし、向かい合う。


「食べながらでいいから、話をしましょう」


 僕は弁当箱の蓋を開けたが、津島さんは開けなかった。


「うん。それはいいけど、何の話をするの?」

「うちのクラスに春日照美(かすがてるみ)さんっているでしょ」


 僕は弁当箱にある唐揚げを箸で摘まみ、それを半分齧った。


「誰それ?」と答えると、津島さんは見せつけるように大きく吐息した。


「まったく……少しはクラスに関心を寄せたらどうなの? 先週の水曜日ちょっとした騒動が起こったでしょ」


 騒動が起こったことだけなら覚えている。何だかよく分からないが、昼休み中に一人の女子が急に騒ぎ出したのだ。詳しい内容は全く覚えていない。知りたいとも思わない。


「うん。で、その春日さんが何……」


 そこで言葉が紡げなくなった。津島さんがとんでもない名前を口にしていたことに気づいたからだ。


「ねぇ……その子の名前、てるみって言わなかった……?」

「ええ……言ったけど、知り合いかしら?」


 僕は首を横に振った。春日さんに会ったことはないし、彼女のことはほとんど知らない。よく考えてみると、『てるみ』という名前は珍しくない、むしろありふれている。春日さんが彼女だと判断するにはまだ早いが、話しておくことに越したことはないだろう。


「津島さん……見てほしいものがあるんだ……」


 僕はポケットからペンダントを取り出して、津島さんに見えるように差し出した。


「それは……ペンダント……」

「そう、僕のお守り」


 問題はこの中にある。僕はペンダントのロケット――開閉式になっていて写真などが入れられる箇所――を開いて、中が見えるように津島さんの眼前まで掲げてみせた。


「テルミ……」


 そう、ローマ字で『TERUMI』と彫られているのだ。これはうちのクラスの春日さんの名前と一致している。


「このペンダントは八年前に、つまり引っ越す前の姉さんにもらったものなんだ」

「おかしいわね……。春日さんが白川さんと出会ったのは中学の時だったらしいの」

「ああ……」確かに、とてもおかしい。姉さんが春日さんと知り合う前に、『TERUMI』と彫られたロケットペンダントを持っていたということになる。姉さんは引っ越す以前から春日さんや彼女と近しい人と知り合いだったのだろうか。ただそのペンダントを拾っただけなのだろうか――。とはいえ一番考えられる可能性は、春日さんは無関係だということだ。


「話の腰を折ってごめん。でも、こういうことがあったってことは覚えておいて」


 この情報が役に立つがどうかは分からない。しかし伝えないよりはいいだろう。


「分かったわ。本題に戻るわね。まず先週の騒動のことなんだけど、クラスの女子が《幻の呪い姫》の話をしていたところ、春日さんがそれを耳にして、『やめて』って叫んでいたでしょ。あの時の春日さんは酷く取り乱していたわ」


 確かそんなことがあったという程度しか覚えていない。当時は全然気にしていなかった。しかし姉さんだけではなく《幻の呪い姫》まで関係しているとなると、何となく聞いているだけではいけない案件になった。


「騒ぎの後、保健室の黒田先生と一緒に春日さんから話を聞いたの。彼女、《幻の呪い姫》のことで何か悩みがあると思ってね。そしたら彼女は答えたわ。自分は白川さんと中学時代の知り合いで、しかも去年の踊りを見に行って、踊りの後に白川さんと二人きりで会っていたと……」


 僕の箸を動かす手が止まってしまったことにようやく気付いた。とはいえ姉さんに関する貴重な手がかりを聞いているのだ。呑気に弁当など食べている場合ではない。


「そこで、白川さんは春日さんにこう言ったらしいわ。『首がほしい、って言われたんだけど、どういう意味だと思う?』とね」


 理解できない。暗喩していることなら分かる。しかしどうして姉さんが死を望まれなければならないのか。彼女はとてもじゃないが恨みを買われるような人間にはなれないはずだ。


「もしかしたら、あなたもその言葉を白川さんから聞いた?」

「残念ながら……そんなの初めて聞いた」

「堤君は、この言葉どういう意味だと思う?」

「まあ、『死ね』っていう意味かな。その『首がほしい』というのは誰が言ったの?」

「勿論それについては、私も春日さんに訊いたわ。けど、白川さんは言葉の主が誰かまでは言わなかったらしいの」


 春日さんの言うことを信じるとしよう。姉さんは何者かに『首がほしい』と言われた。その言葉の主を足蹴にしたいのは勿論だが、そのことを話してくれなかった姉さんに対して少し憤りを感じる。それも、こんな不気味な事案に限って――。それこそ、僕に相談するべきことであったはずだ。


「それでその後、春日さんはしばらく上手く話せないでいたの。そしたら、白川さんは『お願いだからもう私を自由にして』と叫びだして、どこかへ行ってしまったらしいわ」


 春日さんが姉さんを精神的に追い詰めていたということだろうか。いや、姉さんの台詞と人格から察するに、春日さんは原因の一部であっても根源ではないだろう。


「そこであなたに頼みたいことなんだけど……」

「その前に確認したいことがある」


 津島さんが「どうぞ」と言ってくれたので、お言葉に甘える。


「その子は、僕が《幻の呪い姫》だってことに気づいている様子だった?」

「いいえ。知っていたら、すでにあなたに話しかけていると思うけど、そうでもないのでしょ。だいたい半年前に一度見ただけの人間の顔をはっきりと覚えているものでもないでしょ」


 確かに津島さんの言う通りだ。実際、去年の踊りを見ているだろう現二、三年生は僕に気づいていない。とはいえ一人例外がいる。


「でも、会長は多分気づいていたよ。一回顔を合わせたからかもしれないけど」

「そうでしょうね」


 当時僕が女装していたにもかかわらず、《幻の呪い姫》が男であったにもかかわらず、会長は僕を一目見てその正体を見破ったのかもしれない。いや、あの反応から察するに、彼女は絶対に確信している。


「春日さんは例の言葉を誰にも話していないの?」

「ええ。でも、同じクラスに長田(ながた)君っていう男子がいるでしょ。彼とは同じ中学校だったらしくて、彼には話したらしいわ」


 もし春日さんがその言葉をなんらかの形でこの高校に広めたら、絶対に《幻の呪い姫》の噂の内容に組み入れられるだろう。『首がほしい』と言われた女子が死ぬ。都市伝説としては最高のシナリオだ。しかし実際にはそれがなかった。

 そこで単純な疑問が頭に浮かんだ。


「ところでそれ、いつ言われたんだろう? 文化祭の時? でも、姉さんは忙しかっただろうし、生徒会の人が周りにいたはず……」

「それ程重要なことかしら? たとえ文化祭の時で、当時会長だったとしても、誰かと二人になれる時間や空き時間くらいはあったと思うけど。実際、踊りの後で春日さんと二人で話していたでしょ」


 何か引っかかるが、津島さんの言うことが正論なので、このことは深く考えないことにした。


「訊きたいことは以上。君が僕に頼みたいことを聞かせて」

「分かったわ。白川さんが亡くなった今、その言葉の意味や白川さんのことを彼女から訊く術はないわ。けど、春日さんは白川さんについて知りたいみたいなの。そうしないと、気が晴れないって。だから私は彼女に協力することにしたわ。けど私だけではどうしようもない。あなたにも協力してほしいの」

「いいよ」協力するに吝かではない。僕と春日さんの利害は見事に一致している。僕だって姉さんに関する真実を突き止めたい。だから協力する。


「むしろ、こちらが協力してほしいくらいだから。なら、近いうちに春日さんと話ができるように掛けあってくれないかな」

「ええ。分かったわ」


 春日さんと話をする約束まで取り付けることができた。僕が直接春日さんに話を持ち掛けてもいいが、それだと警戒される恐れがある。津島さんという仲介役がいてくれるなら助かる。しかし分からないことがある。


「ねえ……津島さんって、春日さんと元から知り合いだったの?」

「いいえ。高校で知り合ったばかりよ」


 意外な質問が来たというように、津島さんは眼を見開いたが、僕からしてみれば彼女の答えの方が異様に思えて仕方がない。彼女がお人好しであることを知っているが、それでも納得できない。


「じゃあ君がそこまでする理由って何?」

「えっ?」津島さんが僅かに口を開閉した。

 津島さんは目の色を変えず、指一本入るくらい小さく口を開けて、すぐに口を閉じた。素直に驚けばいいものを、強がってポーカーフェイスを演じてみるが、それでも驚きが僅かに表れてしまうところがたまらなく可愛い。しかしさすがは津島さんだ。すぐに口を閉じたということは、この質問の意図を理解したということか――。


「言っておくけど、僕は無償で人助けをするような甘い人間じゃない。まあ、好きな人にはそうするかもしれないけど、少なくとも興味のない人を善意だけで助けようとは思わない。助けるとしたらそれなりの対価がほしいかな。今回は春日さんが姉さんについていろいろ知っているかもしれないから、彼女から情報を得るという対価があるから協力したまでだよ。言い換えれば、僕は春日さんを利用する」


 これがとても人間らしくて、とても表に出すべきではない考えだということは百も承知だ。おそらく津島さんは怒るだろう。すぐに春日さんの話はなかったことにするかもしれない。最悪、津島さんが二度と口をきいてくれなくなっても不思議ではない。もしそうなったら、津島さんとは仲良くしたかった分、哀しくなるが――その時は高瀬さんと仲良くする道を探るとしよう――。とにかく、自分の考えは曲げられない。


「病気みたいなものよ」


 しかし津島さんは怒らなかった。むしろ自分に憤っている風であった。


「あなたはもう気づいているでしょうけど、私昔からお人好しなの。困っている人を見かけるとつい助けようとしてしまうのよね。堤君のことだって心配で仕方なかったわ」


 いつの間にか、津島さんの性格に関する話題に移っていた。この展開を期待して、先程の質問をしたわけではないのだが、彼女のことをより知りたい僕としては願ったり叶ったりだ。依然、弁当に手を付ける気にはなれない。


「それって結構疲れない?」

「ええ、そうね……。別にそういう人が周りにたくさんいたっていうわけではなかったから、数の点ではたいしたことはなかったけど……。中学の時、ある男子の悩みを解決した後、その子に告白されたの。断ったら、『俺が好きだから、悩みを聞いてくれたんじゃないのか』って言われてね。あの時はさすがに参ったわ」


 その男子が不細工だったら滑稽だな、と思ってみる。とはいえ、津島さんのような美少女に構われたりしたら、恋心が生まれてしまうのは仕方のないことだろう。


「じゃあ、やっぱり僕のこと一目惚れしたから、僕を心配してくれたわけじゃないんだね」

「ええ、そういうことね……」


 もう少しで僕も道化を演じるところだったというわけだ。


「それにしても、あなた面白いわね」「それにしても、君面白いね」


 声に出したのはほぼ同時だったと思う。僕も津島さんも微笑を浮かべて互いの顔をしっかりと見ながら同じ台詞を並べた。同時であるがために次の言葉が出し辛かったが、津島さんが「どうぞ」と言って先を譲ってくれた。


「君って、献身的過ぎる性格を軽蔑していながら、それでもそうあり続けようとしているんだよね。その滑稽さが面白いよ」

「あなた、相手が私以外の人間だったら殴られているわよ」


 そう言いながら、津島さんは嬉しそうに笑っていた。今までの流れから、怒られないだろうとは思っていたが、まさかここまで愉快な反応をされるとは思っていなかった。


「そうね。確かに私は滑稽よ。けど、お返しに言わせてもらうわ。あなたも、私とはタイプは違うけど、同じくらい滑稽だわ」


 僕も怒りはしない。そう言ってもらえて嬉しいからだ。僕のことをよく理解してくれるかもしれない存在に出会えたからだ。


「その素直さは仇になるわ。私のお人好しと同様にね。でも、あなたはそれを分かっている。分かっていてそう振舞っているのね。今はあまり詮索しない方がいいと思うから、もう何も訊かないけど、あなたには興味が湧いたわ」


 理解してほしい反面、こういう人格になってしまった原因を自分から言い出したくはない。矛盾しているかもしれないが、そう思えるのは仕方がない。そもそも、この人格は自分だけの問題ではないのだ。そんなことを考えている内に、津島さんの表情から笑みが消えていた。


「念のため忠告しておくわ。春日さんを傷つけるような物言いは避けて。あなた、意図的にそうしそうだもの……。あと自分が《幻の呪い姫》であることは春日さんには内緒にしておいて。今のところ、それを明かされて彼女がどう反応するか分からないわ」

「ああ、分かった。善処するよ」


 善処はするが、一つ目の忠告を守れないかもしれない。


「そう。なら、今のところ話すことは以上よ」


 そう言って、津島さんは自分の膝にある弁当箱を見て、それから僕の弁当箱を見た。彼女の弁当箱は空けられてすらない。僕の弁当箱も唐揚げが一個なくなったくらいだ。つまり、屋上に来てから、僕達は全然昼食を取っていなかった。


「もう、真面目な話はないし、ゆっくりお弁当にしましょう。それとも、あなたは今すぐ高瀬さんの所にいくの?」


 そういえば、僕はこれから高瀬さんとも話をしなければならない。早く行くことには越したことはないが、津島さんの話が終わり次第高瀬さんと話すとは約束していない。


「三十分までここにいるから、一緒にお弁当食べよう」

「そうね。気を遣わせてしまってごめんなさい」


 それからしばらく、僕と津島さんは弁当を食べながら。他愛のない話を続けた。

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