第14話

 

 腹は括ってる。しかし、気分的には今すぐ逆戻りしたいくらいだ。しかし電車は間違っても逆走なんてしない。品川、大井町って一駅ずつ近づくにつれ、重りを一つずつ乗せるかのように徐々に気分が重くなる。

 電車を降りて、蒲田駅の改札をくぐると、どうしても足を反対側に向けたくなったが、それでも心の片隅に残った僅かな気力で足を踏み出した。ユキの家までの道は既に体が分かってる。たどり着いたら真っ先にユキに訊こう。なにもかも、教えてほしいんだって。

 徐々に目的地に近づくにつれ、知りたいことと知りたくないことの狭間で心が揺れ始めた。

 -知らなくても、いや知らない方がいいのかもしんないな。

 そんな思いがよぎる。出来れば知らない方がいいこともあるんだろう。それでも、深くまで手を突っ込んでみたいって気が勝った。

 門の前で深呼吸する。インターホンを鳴らすまでに、少し時間がかかった。

『あーい』

 ダルそうなユキの声が響く。

「あー、俺、俺っす」

『オレオレ詐欺なら入れねぇぞ』

「はいはい分かった分かった」

『分かったは一回な。開けるから入れよ』

「わーったよ」

 ガチャって音がして、門が開いた。さすがオートロックだ。いつもはユキが鍵を開けて入るから、オートロックでの開錠は初だ。

 門をくぐるとすぐにドアが開いた。中からユキが顔を出す。

「よう」

「ああ、お前どっか行ってた?」

「渋谷にな、ちょっと野暮用があってさ」

「はあー」

 靴を脱ぎながら、ユキの顔を伺う。特段疑ってる様子もない。

「お兄さんは?」

「ああ、出掛けてる」

 残念だが、お兄さんとは話は出来ないようだ。仕方ない。それでも張本人がいるなら十分だ。

「ユキ」

「ん?ああ、茶かなんか取ってくるわ」

「あ、ああ・・・」

「俺の部屋にいて」

 いきなり出鼻を挫かれた俺は、気が抜けたようにユキの部屋へ向かう。ドアを開けると、相も変わらず散らかったままになってた。いつものように床の服をベッドの上に放ると、空いたスペースに腰を下ろす。ジャズのCDの山をボーッと見ながら、頭の中でユキに訊くべきことを整理する。

 -クレイジールーモア脱退の真の理由は。

 -どうしてマキナとユキで事実が食い違うんだ。

 -お兄さんは、親父さんは・・・

「やっべ肩痛いわ」

 トレイに麦茶の入ったグラスを二つと、適当な菓子を盛ったカゴを乗せ、ユキが現れた。そういうとこはわりと律儀なヤツだ。

「おつ」

「んあ」

 ぐるぐると肩を回しながら、

「んで、今日はどうした?なんか話あんだろ?」

「よく分かったな」

「前触れもなく押し掛けて来んならそれしかねぇだろ」

 頭を掻きながら、億劫そうに言う。しかしその態度とは裏腹に、表情はなにかを捉えてるようにも見える。思いきって切り出した。

「あのさ、訊きたいことがあるんだ」

「勉強関連以外なら受け付ける」

「クレイジールーモアのことだ」

 ジョークをスルーして、一気に切り込んだ。途端にユキの眼光が強くなった。コイツからすれば思い出したくもないことだっただろう。

「教えてほしいんだ」

「・・・おう」

 眼光は鋭いまま、ユキが正面から睨むようにして見つめる。目を逸らしたら負けだ。負けじと俺もキツく目を見る。

「お前の、本当の脱退の理由を」

「・・・そうか」

 しばらく沈黙が続く。ユキはいったいなにを思ってるんだろう。

 緊張感が漂う。ユキとの間では初めてだ。いつになく、ユキの表情が険しくなる。もはや時計の秒針がゆっくり動いてるんじゃないかとまで邪推してしまう。それくらい、時間の流れが遅い気がした。

 耐えきれないまでに不気味な雰囲気の中、遂にユキが口を開いた。

「解ってたんだ」

「え」

「今日お前がここに来るってこと」

 一拍置いて、

「一人でじゃねぇだろ、渋谷に行ったのは」

 今度は俺が黙る番だった。もうコイツは知ってたんだ。

「マキナと一緒だったんだろ。つーかマキナに誘われたんだろ」

 なおも黙り続ける。それが俺にできる最後の抵抗だって思った。

「シュンよお、お前が話さねぇなら俺だって話はできねぇって。だろ?話したくないとかじゃなくてな、片方は心開いてんのにもう片方は閉じてんなら理解しあおうったって無理な話だろ」

 一理ある。仕方ない。俺は真実が知りたいけど、そのためにプライドを捨てなきゃいけないって言うなら捨てよう。

「そうだよ」

「だろうな。さっきマキナからLINEあったから知ってんだよ」

 マキナからLINE?マキナとは連絡絶ったんじゃなかったのか?どういうことだ?

「俺さ、マキナに言ったんだ。友達からやり直そうって」

 意味がわかんない。

「で?」

「それだったらいいよってなった」

「・・・ああ」

 マキナの意図が全く理解出来ない。マキナ、お前はなにがしたいんだ?

「俺だってさ、なにがなんだか解んないまま終わりたくないしさ」

「それもさ、ほんとは解ってんじゃないの?」

 ユキの反応を伺う。天を仰ぐ姿が、その答えを如実に物語ってた。

「食い違うんだ・・・お兄さんとマキナで。だからどうしても知りたい」

「・・・どうしても知りたいか」

「ああ」

「ヤダっつったら?」

「壁が一つ出来るな」

「逆だったら?」

「壁が一つ壊れる」

「なら・・・壊すか」

「そうしてくれ」

 ゆっくり、ユキが目を閉じる。過去へと遡るようにして。

「中一ん時だったな、ちょうどドラム始めて2年くらい。ある程度俺の腕前を知ってる親父のダチから、クレイジールーモアのドラマーが脱退したって話がきた。親父が掘り下げて聞いたら、どうやら俺をバンドに入れたがってたみたいでさ、メンバーに紹介したいから一回来てくれって言われたんだとさ。まあ俺だって話聞いたら乗り気になったさ。そりゃ大人のバンドに入れるってなれば、嬉しくねぇわけねぇだろ。だから喜んで行ったんだ」

「そしたらメンバーがお見事お前を気に入ったんだな」

「ああ、リーダーからは最高の逸材とまで言われたさ。それからあちこちのライブハウスでライブして、どんどんファンも増えてった」

「・・・ああ」

 そこで一旦ユキが言葉を切り、カゴから煎餅を一枚取り出した。「食うか?」とか言いながら、俺の方へカゴを差し出してきたから、素直に一枚受け取りながら、次の言葉を待った。

「あるとき、あるレーベルのプロデューサーの目に留まったんだ。確か、吉祥寺のライブハウスでやった時だ」

「吉祥寺?」

「そこにプロデューサーが来てたんだ。そいつは新井って名前のヤツでさ、ライブのあとに、『僕なら皆さんを有名にできる』なんて言いやがったんだ」

「それが新井とお前の出会いか」

「それ以来、あいつは俺らのライブに顔を出すようになった。渋谷にも、中野にも、下北沢にも、とにかくどこにでも顔を出すようになってさ。そのときにはまだ、レーベルとの契約の話もなにもなかった。ただ終わったあとに、『素晴らしかった』とか『感動的だ』とかちょくちょく声かけてたぐらいでさ。だけど最初にアイツが現れてから半年くらいして、とうとう契約の話が出た。当然メンバー全員にその話は伝わった。それでメンバー全員のプロフィールが必要だってなったんだ」

「それで送ったら、お前の年齢が若すぎて引っ掛かったってわけだな」

「ああ、お前も兄貴から聞いただろ」

 やっぱコイツはあのとき、窓際に隠れたフリをして全部聞いてたんだ。だから俺が知っててもなにも怪しまないんだろう。

「そしたら数日して新井から連絡が来たんだ。俺が若すぎるから、技量は十分すぎるけどどうしてもバンドの活動の幅を狭めるってな。夜のライブとか、条例のせいで中学生じゃできねぇだろ?だから契約の話をなかったことにするか、新井が紹介するプロのドラマーに代えるかどっちかにしてくれって言い出しやがったんだ」

「その連絡はリーダーに?」

「ああそうだよ。リーダーがその連絡を受けて、契約のために俺を切るって方向で話がつけられたんだ。その話は裏で俺以外のメンバーに共有された。誰も反対しなかったらしいぜ」

「なるほど」

「だけどちょうどそのときさ、数日後にライブが連続しててさ、すぐに俺を切るってことにはできねぇ状態だったんだ。でも楽屋行けばなんだかメンバーがよそよそしい態度だし、なんとなく嫌気が差してきたわけ」

「それでマキナに言ったわけだ」

「『俺このバンド辞めてぇ』ってな。マキナは新井が来る前からずっと見てくれてた。なんでだか知んないけど、いつもいつも顔出すんだ。あるときは学校帰りに、あるときは休日に、あるときは友達連れてきたり。だんだんマキナと接してくうちに、俺はだんだんマキナのことが好きになってさ」

 ついにマキナの話も出てきた。マキナとユキが付き合い始めたのも、どうやらバンドを辞めたことに関係してるみたいだ。

「あいつさ、気づいてたんだ、俺の様子がおかしいって。でさ、ライブの連続してる間に一日だけ空き日があったんだ。その日の午後からフリーになってさ。マキナに誘われたんだ、ちょっと付き合えってな。あれは川崎でやってたときだ」

「それで、マキナに話したのか」

「全部話した。レーベルから契約の打診があったって話も、最近なんとなくバンド内の雰囲気がおかしいってことも、そのせいで俺が嫌気差してきてることも全部な。それで伝えたんだ、『俺はマキナが好きだ』って。だから、この連続ライブが終わったら俺と付き合ってくれって言った」

「マキナは?」

「『雪晴さ、このライブ終わったらバンド辞めるつもりでしょ?』って言われてさ。思いっきり見透かされてたんだわ、そこまで。素直に認めるしかなかったぜ」

「で、マキナはどうしたんだ?」

「いいよって話になってさ、二日後の目黒のライブが終わったらクレイジールーモアを辞めるって決めた。そしたら目黒でライブ終わったあとにリーダーに呼ばれてさ、全部いきさつ説明されたあとに申し訳ないけど辞めてもらうことになったって伝えられたわけだ。結局俺は労いも花道もなにもなしに追い出されてジ・エンドってことだ」

 話し終わると、麦茶を口にして一息ついた。彼の頬は紅潮してた。疲れよりも怒りと悔しさがそうしてるんだろう。

「でもさ、」

 俺はユキに言う。

「お前の悔しさも解るし、怒るのも解る。けどさ、マキナとお前で言ってることが違うのがなんか引っ掛かるんだって。ってなるとさ、どっちかの言い分が間違ってんじゃないかなって思う。お前が望む復縁のためにも、そこはお互い擦り合わせたほうがいいんじゃないかなって」

 俯いたユキの様子をさりげなく窺いながら、なおも続ける。知りたい、真実に辿り着きたい。その一心が俺を駆り立てる。

「マキナは当然直接的に聞いてるわけでも関与してるわけでもない。ならお前のほうがよっぽど信憑性があるってのは確かだな。でもさ、それじゃマキナとお前はいつまでも平行線でさ、復縁なんて夢のまた夢みたいな話なんだよね。もちろんユキを疑ってなんかないけど、俺はお前の復縁のためにもどうにか真実が知りたいわけで-おい、おいユキ?」

 突如肩を振るわせ始めたユキの顔を覗き込んで、俺は今さっきの自分の発言を片っ端から後悔する羽目になった。

 ユキは、声を圧し殺したまま涙を流してた。

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