第3話 お礼はミスリル銀で

 森の中は一見いつものように、しぃ……んと静まり返っているように思われたが、背に大弓を背負った私は踏み入った途端、すぐにその異変を指摘した。

「おかしい……」

「何がだ?」

「静か過ぎる。普通は、鳥や小動物の声が聞こえるものだ」

「なるほど」

 言われてみれば、とディレミーンが頷いた。

 そこには、耳が痛くなるほどの静寂がおりているだけで、風がこずえを揺らす微かな音だけが、やけに大きく響いているのだった。

「何があった……」

「シッ。森の娘が、何か言ってる」

 私が唇の前に人差し指を立てると、ディレミーンがハッと息を飲み込むのが分かった。

 森の木々の一本一本に宿った森の娘たちが、口々に言葉を交わす。精霊使い(と言っても、子供だましの腕だったが)の私には、髪や身体に緑の葉を飾った半裸の森の娘が見えていた。 

『子供だわ』

『エルフの族長の一人息子よ』

『ダークエルフ!』

『大変、風の乙女よ、エルフに知らせて』

 今度は木立を吹き抜ける、長い髪を身に纏った半透明の風の乙女に、耳打ちをしている。風の乙女はぴゅうという風巻き音だけを残して、彼方の地へと霧散した。

 私は慌てて、独学した片言の精霊語で話しかける。

『違ウ、待ッテクレ! 私タチハ、コノ子ヲ送リ届ケニキタンダ!』

『なんてずる賢い、ダークエルフ』

『自分でさらっておいて』

『きっと族長の命と交換するんだわ』

『待テッタラ……』

 その時、私を狙って、音もなく頭上から矢が一本飛んできた。

「危ない、ゴースト!」

 ディレミーンは咄嗟に長剣を抜いて私を庇い、それを叩き落としてくれた。

『馬鹿者! キャスリース様に当たったらどうする! まだ矢は使うな!』

 姿は見えず、木立にエルフ語だけが飛び交った。

「ゴースト、どうなってる?」

「私がダークエルフで族長の一人息子をさらったんだと、噂好きな森の娘たちがエルフに伝えてしまったんだ。完全に敵視されている」

「説得してくれ」

「ああ」

 不安そうに愛らしい顔を歪めて見上げるキャスリースの手をきゅっと握って、私は必死に声を張り上げた。

『誤解だ! 私たちはキャスリースを保護し、今、貴方がたの元へ帰しに行く所だったんだ! 冒険者ギルドに依頼を出しただろう! それを請け負ったまでの事だ!』

 肌を刺すような敵意が膨れあがった後、それを制するように凜とした声が降ってきた。

『……昨日、森を襲ったダークエルフの一味ではないのですか? 生き残りが、劣勢とみて寝返ったのではない証拠を出せますか?』

『ああ。いつも、エピテの村でミスリル銀の取り引きをしている者はいるか。私はその文書の翻訳と、人間側の通訳として同行している。私はダークエルフではない。ハーフエルフだ!』

 しばらく沈黙がおりると、ひそひそとディレミーンには聞き取れない言語が幾つか交わされ、やがてザッと下草を踏む音がして、木上から二十人余りのエルフたちが地を踏んだ。

『確かに、ネフテルは貴方がエピテの村の通訳だと言っています。失礼しました。キャスリース様を守ってくださって、お礼を申し上げます』

『ダークエルフに襲撃を受けたのか?』

『そうです。エピテの村のミスリル銀を狙って、まずは私たちを殲滅させる気になったらしく。キャスリース様をこちらに』

『ああ。何処にも傷は負っていないから、安心してくれ』

 目の前で交わされる会話は、ディレミーンにとっては夢のような光景らしい。酒場の親父のように、ぼうっとなって顔を左右に巡らしている。

 確かに異国の響きのエルフ語は優雅で、キャスリースを取り囲むエルフたちは、みな一様に白金髪を靡かせて美しかった。

『お礼を支払います。我々の村へ』

 リーダーは、立ち尽くしたままだったディレミーンにも気付き、人間語で言った。

「誤解してすみませんでした。村に来てください。お礼をします」


 森の奥に進むにつれて、昨夜襲撃されたのだという戦の名残が、あちこちに見てとれた。オーク、トロールなどのモンスターの遺骸が、まだ血の色も生々しいまま、放置されている。

 リーダーのエルフは、名をユフラと自己紹介して、その惨劇がキャスリースの目に入らぬよう、抱きかかえて瞼を覆って村に入った。

 精霊魔法的に『鍵』のかかった森を抜けると、大樹の枝の中に、優美な曲線を基調としたツリーハウスが鈴なりに作られていた。

『族長。彼らが、キャスリース様を保護し、今日連れ帰ってくれた恩人です』 

『おお……感謝する。礼は、ミスリル銀で支払おう』

 私は、ディレミーンに族長の言葉を通訳した。

「では……ミスリル銀の胸当てを一つ」

『ふむ』

 これも、物言いは歳ふりていたが姿形は美しい族長が、怪訝な顔をする。

 ミスリル銀は加工してあっても高値が付くが、普通このような場合、直接銀貨で取り引きする事が多かったからだ。完成品は、一般的に自分が使うものを求めるのだが……男女共に華奢なエルフ用に加工された武具は、胸板の厚く逞しいディレミーンに合うサイズがあるとは思えなかった。

 ディレミーンが交渉の主導権を握っていると知った長は、人間語でディレミーンと直に話す。

「だが、貴方はすでに、立派な鎧を持っておられる」

「いえ。私ではなく、彼女用のを」

「……えっ。私の?」

 不意に何十もの視線を集めて、私は若干焦って長身のディレミーンを振り仰いだ。キャスリースを助けた事から、嫌悪はこもっていなかったが、物珍しげな好奇の色は感じていた。

 何を言い出すんだ、この八方美人は。

「精霊は金属を嫌うが、ミスリル銀だけは例外だと聞いた事がある。だから精霊魔法を得意とするエルフは、ミスリル銀の武具を欲しがるのだとも。彼女も、精霊魔法が使える。だから、身を守る胸当てが欲しい」

「なるほど。では、身体に合うものを持ってこさせよう。その間、酒を楽しんでいってくれ」


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