第9話


ーーー絶対命令権を使う。

フィーリア…息をするな。彼女は目を一度大きく開くと、喉を抑えた。どうやら息を吸うことができなくなったらしい。言葉は聞こえないが…何を言っているのかは解った。

「ます、たぁ…」

息をなんとか吸おうともがいていたが、それは余計に彼女から空気を奪うことになっていた。

フィーリアは一歩、一歩と彼に歩を進め…そして、ナイフを突き立てるのでも、憎らしそうに見つめるのでもなく、ただ…彼に抱きついた。

「ごめん、なさい…」

涙を流し、そして最期は笑みも…。

それでさえ…憎しみや力では無意味だと悟ったから、最後の善意に掛けたんだと、汚い目で見てしまう。

彼女はやがて力尽きーーー。


…。

目を疑った。あまりの光景に、途中で遮ってしまった。

そして目元に手をやり…はぁ、と溜息と同時に首を振った。


「…優しいよな、フィーリアは。……怖いよ。何を思ってここにいる。…助けたい?…俺には考えられない。少なくとも、俺は俺を見て助けようと思わない。誰に対したってそうできてしまうお前は尊敬する。だが、同時に……怖い」

心のままに想いを漏らす。彼女は…危険だ。

「お前のその優しいところは、他には見られない特別なことだ。それは良い、大切にして欲しい。だが…その結果汚れた奴に利用されるな。自分の価値を思い出せ。お前は自分を特別じゃないと考えてるかもしれない。だが…その特別じゃないと思えているお前は特別なんだ」

君は特別なんだ。…そんな言葉を使うことはしたくなかった。自分を特別だと思っている奴にロクな奴はいないから。だがそれでも…言わなければならない。

「…そして、今それを“なぜ認識させたのか”…解って欲しい。…自分を大切にしてくれ。お前は他の人間よりも価値がある。それは他の人間に手を差し出せるからだが…燃え過ぎたらいずれ灰になる。…お前もまた…いつか目覚めそうで怖いんだ。水の溢れる都市ではそのありがたみなんかわかりゃしないんだ。優しくしすぎるな。無償の愛は…相手を殺すし自分も殺し得る」

命令権は取っておく…?いや、いい。これが精一杯の…彼女に対しての礼と謝罪だ。

だから俺は…こう命令しよう。

「絶対命令権を使う。ーー辛くなったら、どうしても耐えられなくなったら……ちゃんとそう言ってくれ」


…言葉がストンと自分の中に入っていくのを、彼女は感じた。彼が垣間視た死の予見を、彼女は寸分たりとも想像してはいなかった。信頼の、忠誠の証として差し出したものを…最大級のもので返してくれた。それが、灰身滅智の中にいる彼からの言葉で…先程までの気疲れするような会話の後に掛けられた言葉で…。

……ああ…。

もしマスターが完全に灰身滅智してしまったなら、私が救いたい。

もし灰身滅智が完全に治っても…その後も共に在りたい。

声には出さない。もしここで口を開いたら…もっと溢れ出してしまいそうだったから。

その時、冷静であろうとする自分の僅かな部分に、全権を託した。


「…マスターは言っていましたが、誰に対してもそうするわけではありません。わたしにだって苦手な人はいます。…マスターは今、私のこと…優しいって言ってくれましたよね?…だから私は付いて行きたいと思ったんです」

思わぬカウンターを浴び、彼はああ…そうか、とだけ。そして黙ってしまう。

「だから…マスター。」

「うん?」

改めて言うことの照れ臭さなど微塵も感じさせない、純粋すぎて、白すぎて…眩しい彼女は

「ありがとうございますっ」

メイドらしく頭を深々と下げて…ではなく、満面の笑みでそう言葉を彼に。主従ではなく一人の少女として、そう言われた気がして…

「…こっちこそ。……ありがとう」

何に対してなのか、敢えて言わなくとも…きっと、伝わってくれたはずだ。


…つくづく、年下だとは思えないその意志の強さは…もしかしたら逆に、幼さ故の強さなのかもしれなかった。あの世界でも月日は5月で、彼女も高校生だった。…見た目は中学生ぐらいに見えたが。…自分もたかが16歳のくせに何を言ってるんだと思うが。

彼は子供は嫌いじゃなかった。無論、無知で意志の弱い、世界を舐めている子供は嫌いだが…何もまだ知らないからこそ、汚れていない、素晴らしいものがあるのだと思う。

再度絶対命令権をお互いに得て、今日はそれ以上難しい話は止すことにした。

明日にでも大掛かりな買い物に出なければなるまい。服とか日用品…必要な物は沢山で、せめて家の周り、一通りの店等は、教えておく必要がある。


飯その他家の案内、適当な確認を済ませ…取り敢えずフィーリアは簡単なパジャマらしき物を投影し、それに着替えた。しかし作りも非常に簡単で…やはり明日買いに行く必要があるだろう。

「そういえば…給料は幾らなんだ?」

やはり住み込みだと結構…実質24時間労働に近いだろう。家に住まわせて食事その他も面倒を見るとはいえ…一般的なサラリーマンよりも高給料のように思えた。

「お給料だなんて…私はメイドとしてもまだまだです。ですから仁様の時にも紅様の時にも頂いていません」

…絶句した。唖然とした。一瞬だが、恐怖は増した。しかし同時に…納得もした。彼女からしたら…メイドとして仕えることも趣味…楽しいことの一環なのか。金をもらうということはそれは…違うものへと変貌を遂げる。…しかし見合う対価は払うべきではないのだろうか?

そしてそれは、居候の様な…家に置く代わりに少しは家事をやってもらうよ、というようなものでもあって…納得できないわけじゃない、良心がそこまで痛まない条件だった。だが…違う。彼女は居候じゃない。そして価値ある、素晴らしい…だが逆にならば、給料は出すべきではないのか…?

「…お前は超一流メイドだよ」

「ちょう、いちりゅう…?」

その言葉にキラキラと、彼女の瞳に星が映った。

「ああ、ドジだなんて言ってもそんなの本当に数回だし、戦える、魔法も使える、そして…癒せる」

「あ、はい!治療の魔法ならお任せください!」

ぁ、ありがとうございます…。そう照れて頬をかく彼女は少し勘違いをしていて…しかしそれが丁度良い。彼もそれを解っていてそう言った。

慢心、調子に乗る、他を下に見る。…士官学校育ちの彼女はそういった一切を心に抱きはしない。



私は別に、特別なんかじゃないのに…。…この世界の人達は、そんなに…?

それでも…褒められたら嬉しい。自分がしっかりやれてるんだと知ると安心する。


自分を褒められて、素直に喜べないのは…フィーリアが知る中では彼ぐらいだ。

「…超一流のお前に、しかるべきものを渡さないなんておかしいだろ?」

「で、ですが…それでも、私は…」

「ああ。だから…お小遣いをやる」

予想外の単語の出現に顔を上げた。

「お小遣い…ですか?」

「ああ。頑張ってる子にそれを渡すのは…当たり前のことだろう?」

ドヤッ、としたり顔でそう告げ、棚に入れてある貯金用に取っておいた封筒の中から五千円札を一枚取り出し、彼女に差し出した。

「いい…のですか?」

「ああ。必要なものは言ってくれれば用意するが、言いにくいことだってあるだろ?自由に使える金だって必要だ。というかあの世界だと小遣いってどれぐらいなんだ?俺は月々五千円だったんだが…」

この世界では彼女の親だっていないんだ。

…名ばかりの小遣い、多すぎてはならない。なら、これぐらいが妥当…だろうか?

普段買い物に出るときの会計は無論全て持つ。生活必需品を渡すのは主人の役目のはずだ。

「いえ!私の家でも五千円でしたっ」

なら…ほら。と彼は促し、彼女は恐る恐る、それを受け取った。

「といっても…食材は勿論、必要なものは言ってくれれば俺が買ってくる。…あまり外は出歩いてほしくないんだが、買い物に行きたいとかなら、また改めてその分を渡すから。その金は、本当に自分が使いたいことに使ってくれ」

「や、ヤー!」

ぴんっと敬礼した彼女は嬉しそうにそれをしまった。…彼女は別に、“何処か”に隠す力を持っているわけではないのだが…恐らくそれも、何かしらの、メイドの成せる技、なのだろう。


「そういえば…気配関係の修行はどうしたら良い?」

フィーリアが出してくれた温かいお茶を飲みながらそう尋ねる。テレビは付けない。…碌な物がないから。

「私達の場合は…これですね」

何処からともなく彼女は黒いハチマキを取り出した。

「これで目元を覆います。その状況でも普通に生活できたら…探知の面ではもう1人前、だそうです」

…正直かなり危険だと思う。目元を覆って街を歩くということだ。正気を持ってやることではない。

だが…結論の仮定を常に使えば、目を開いていることとさほど変わらない。…それはもしかしたらこの力を強化することにも繋がるかもしれないが、気配探知の面においては果たして意味があるのだろうか。

「目は、その人の個が出る、らしいです。だからそれを塞いで…閉じた暗い世界で、周りと自分の区別が、自分でもわからないぐらいに成れれば…最後には、自分に関することを忘れ去らせるまでに至るかもしれないと」

教官の冗談だと思いますけどね、と苦笑いを浮かべながら付け加えた彼女もお茶を啜った。

成る程…信じ難いが、それなら…逆に目を塞いでしまっている修行中ならば、“俺”ではなく、“一般人

だれか

”、つまりハチマキを着けてようとそれすら違和感のない、普通の人間と判断されるかもしれない。

…いざとなれば結論の仮定を使えば良い。

「つけてみますか?」

「…ああ、頼む」

彼の座るソファの後ろに回り、その長いハチマキを結び、目元を覆ってくれた。

「どう…ですか?確か少しは力を貰っているんでしたよね?」

能力を発動していなくとも、フィーリアが覗き込んできているのを認識できた。

「ああ、問題ない。なんとなく…そこにいる、っていうのは解る。流石に例えば、今ピースをしているかとかは解らないが…距離感がつかめれば十分だろう」

「はい。…一番苦労する段階が既にできてる訳ですから、すぐ出来てしまいそうですね。…私は大体見えてますけど、その段階まで進んでいるなら、複数人の場所、動く向きが分かる。1人に対しての細かい動き、殺意が見える。複数人の…といった感じで少しずつ意識して伸ばしていけばいいと思います」

「…イヤホンで耳まで塞ぐのはどうだろうか?」

「いいと思いますよ。音楽まで流した状態でそれができるなら、どんな状況でも集中できるということですから。それに、その方が集中できるならそれに越したことはないと思います」

とのこと。…どうやらそこそこ出来ているようだし、学校の中であろうとそうしていても問題は無いかもしれない。

気配を消す方の段階の進み方は人によりけりだが…モブ化の方があの世界の仁は得意だったらしい。無論、姿を隠す方も一流だったらしいが…。


気配を操る術をもし完全に身につけたなら、彼はその後、一般生徒と同じになる。授業中であろうと構わずイヤホンと目隠しをつけ、教科書を開かずに魔道書を読む。黒板に答えを書く順番等ですら、ナチュラルに、誰も違和感を感じることなく飛ばされる。…といっても、意識的に、目を凝らして暫く探されるか、何かしら目立つ出来事があれば、今の段階では気付かれるかもしれないが。


「…ふわぁ…」

欠伸を右手で隠しながらもした彼女は目を擦り…ハッとしたのか、す、すいませんと頭を下げた。

「気にしなくていい。常に気を貼られてるよりもずっといいさ。というより…ここはお前の住む家にもなったんだ。家でそんなに緊張感を持つ必要は無い」

「は、はい…ありがとう、ございます」

時刻は9時、とはいえ…あの世界で戦ったのは確か日付が回る少し前の時で…そう思うと、かなりの時間彼女は起きていることになる。

「もう寝ろ。…ベッドは悪いが俺の部屋のを使ってくれ、明日にはフィーリア用のを用意するから」

「は、い…。ますたぁ、は…?」

どうやら緊張はもう完全に切れてしまったらしい。かなり意識が落ちかけていた。

「やることがあるからもう少し起きてる。…ほら、連れてってやるから、ここで寝るな」

履き違えた答えと共に、ソファでこくんこくんと頭をふらふらさせている彼女の腕を取り歩かせ、部屋に運んだ。

…やれやれ、無理をしてたにしても…眠気に襲われるとここまで変わるのか。…というかもしかしたら、これが本性なのか…?

ベッドを見るや否やそこへ静かに倒れこみ、フィーリアは5秒足らずで眠りに落ちた。

都合よく横にずれていた布団を掛け、近くにあった椅子に腰掛け、気持ちよさそうに眠る彼女の寝顔を眺める。

重力に負けた耳と尻尾、桃色の髪の毛は…この世界にあるはずのないもの達で…彼女だけは、彼の思う“人間”と違うということを示しているようだった。

ついに誘惑に負け、彼女の髪から耳にかけてを撫でてみる。サラサラしていて…夢心地だった。

「ぇへへ…わたし、の…ますたぁ…」

無防備な少女に抱くのは恋心でも悪質な欲でもなく…このまま、変わらずにいてくれという願いだった。

「…行くか」

彼女がくれたハチマキに加えて、イヤホンを着け、ジャージを身に纏い、必要なものを持つと、彼は家を後にした。


スマホがひとりでに動き出す。それは…電話がかかってきたからだ。

「Hey!まだ起きてたのか!」

まさか出るとは思っていなかったらしい、相手はそう驚いていた。独特のその話し方を聞くのは彼にとっては実に1ヶ月ぶりで…心が安心しているのを感じた。

「ああ…っと、丁度こっちからも電話しようと思ってたんだ。お前の行ってる病院って、まだやってるか?」

唯一の友人と話しながら、彼はその病院へと向かった。


そこに辿り着くと、手術したほうが良いと言われたが拒否した。あの包丁は新品だった、それにあの世界では紅が検査してくれていたが問題はなかった。

病気を治す力は…治療の魔法の最上級、一生かかっても極められない境地に至らなければ発現しない。

件の友人の病室に寄って、その病院を後にした。


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…言ってしまえば、フィーリアが来たことは、二次元のキャラクターが三次元に来た…に近い。この世界、常識と違うところから来た、(彼女に限るだろうが)裏表のない存在。もし…あなたの好きなキャラクターが来たなら、あなたは喜ぶだろうか?喜び…大切にしたいと思うだろう。そして同時に…恐れも抱くはずだ。

自分の姿を見て…幻滅してしまうんじゃないか。…あの性格だったあのキャラが、この世界に触れたことで変貌を遂げてしまうのではないか、と。

二次元とは…夢である。物語を読むということは、夢を分かち合うことと同じではないのか。

…彼は怖かった。彼女がいっそ、闇を垣間見せたなら、彼女の汚れを見つけられたなら、どれほど良かったか。…綺麗すぎた。それ故に…汚れてしまうことが余計に怖くなった。彼の考えをぶつけたのは…そう、闇を見たかったから。そして、どの程度彼女が“自分”を保ってられるのかを試したかったからだ。そして彼女は…あの話を聞いた上で……命を差し出してきた。


…別のifでは……死んだのだ。

空を仰ぐ。彼女は光で、宝だ。…守らなければならない。そこに汚い欲などありはせず…本当に大切な物は、何を犠牲にしてでも…。


…そうだろう?“世界”。俺は…間違ってなどいない筈だ。

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