第13話2050年【人体実験】

 ジープから銃を乱射させる君嶋は一旦手を休め、小さくなりゆく遊直と遊介の後姿を一瞥してから、彼らと同じ通常の心あるレッドソウルに目線を移したが、見て見ぬ振りをした。


 「…………」


 ワクチン開発も試してみなくてはわからない。だからこそ怖気づいた玲人の背中を押したのだ。しかし、ワクチン開発が一週間足らずで成功する見込みは薄いだろうと考えていた。


 地球を捨て、<ノア>に旅立つ……

 通常のレッドソウルと化した彼らに罪はない。無論、凶変した人間たちにも……


 考えを巡らす君嶋の前方で<新型狂犬病ウイルス>に感染したレットソウルが、遊直ら同様に通常のレッドソウルになってしまった若者に噛みついていた。

悲鳴を上げて逃れようとするも、痙攣が始まり<新型狂犬病ウイルス>に身体を乗っ取られていく。


 君嶋の隣で銃を構える特殊部隊の兵士が、その若者に銃口を向け、銃弾を放った。勢いよく頭蓋骨が砕け散る。血に塗れた細い黒髪が宙を舞った時、若者は仰向けで大地に倒れた。


 短い命が散りゆくその瞬間、君嶋は唇を結んだ。

 「…………」


 もし……<ノア>に旅立つことになれば、全世界から国の指導者も政治も消える。彼ら通常のレッドソウルが<新型狂犬病ウイルス>に感染せずに逃げ延びることができたなら、永遠にこの地球で暮らすことができるだろう。


 だったら撃ち殺す必要もあるまい。彼らは生前と変わらぬ心を持つ俺達人間と何ら変わりないのだから……


 これからいったいどうなるのだろうか……


 地球の未来は?


 俺達、人間の未来は?


 「……くそ」


 君嶋は唇をギュッと結び、いつもと同じ夜空に一瞬だけ目をやり、心の沈静を図った。


 「通常のレッド……」彼ら自衛隊にレッドソウルの存在が知らされていない為、台詞を切り替え、「自我を保ったゾンビは撃つな」と 命令を下した。


 





・・・・・・・・







 翌日、午前九時丁度。


 ガランとした食堂のテーブルを囲む玲人とシャノンそして佐伯は、食事が喉を通らず、コーヒーだけを啜っていた。


 大食漢の佐伯ですら空腹を訴えることもなく、ユーモアを言う元気すらなく、重苦しい溜息をつく。

 「どんな時でもお腹が空くのに……全然食べたくないや……。プレッシャーに押し潰されそうだよ」


 手に持っていたコーヒーをテーブルに置き、口を開いたシャノン。

 「ワクチン開発の成功率は限りなくゼロに近いと思う。でもやらなければ完全なゼロよ。私達に人類の未来がかかっている」


 玲人は頭を抱える。

 「ラットより人体実験の方がワクチンを開発する上で近道なのは確か。良心の呵責はこの際捨てるべきだと昨夜ベッドの中で考えた……そうするしか道はないと。

 僕達はたった一週間で<死者蘇生ウイルス>と<新型狂犬病ウイルス>の二つのワクチンを同時に開発せねばならないのだから……」


 佐伯が言う。

 「わかってはいますが……。一つの命も百の命も重さは変わらず等しい。そんな台詞は綺麗事なのだろうかと何度も繰り返し考えました。だけど、結局その答えは出ませんでした。

 それに、ワクチン開発に成功したにせよ、十年後には<ノア>に旅立つわけだし……

 なぜ地球を捨て、人工惑星<ノア>へと移住を決定したのか理解不能ですよ」


 「環境破壊による温暖化が影響する自然災害が猛威を振うニュースが増えている。人工惑星ならそういった災害とは無縁だから、そう決定したのだろう」


 「無情よね。国が考えるユートピアの為に不要な人間は置き去りにされるなんて……

 環境破壊を進めた張本人たちは<ノア>に行けるというのに。矛盾してるわよ」


 コーヒーの匂いだけが漂う食堂に君嶋が現れた。その表情から疲労の色が窺えた。

 「全くもって同感だ」


 玲人は君嶋に目をやり、たずねた。

 「囚人が到着したのですか?」


 「いや、まだだ」テレビのリモコンを取り、電源を入れる。「今しがたクソ上戸から電話があってな。遂に……世界中に<死者蘇生ウイルス>が蔓延したとのことだ」


 「まさか!? そんな!」


 テレビ画面に視線を集中させた三人は、驚愕の報道に息を呑んだ。高層ビルが建ち並ぶ大都市ニューヨークのセントラルパーク周辺は、生体から<死者蘇生ウイルス>に感染したレッドソウルで埋め尽くされていた。そして、その合間を縫うように<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルが我が物顔で跳梁跋扈していたのである。


 ニューヨークの人々をパニックに陥れた要因はウイルスばかりではない。日本同様にレッドソウルが暴れたことにより、二次災害が起きていたのだ。


 路上に放置された自動車が炎上し、その炎が風に煽られ、飛火が周囲の建物を燃やしていく。赤々と燃え上がる炎が人々の恐怖心に拍車をかけていた。


 今後、大規模な火災へと発展するだろうと予測され、多大なる人的被害を被られる事は言うまでもない。そんな戦慄の光景を防護服を着用した日本の報道陣が身を徹して伝えていた。


 『日本で東京24区と呼ばれる東京湾の中心に建設された<人工島>に建つ謎のウイルス研究施設から漏洩した死者を甦らせるゾンビウイルスがニューヨークで猛威を振っています!』


 イヤホンに手を当て、テレビ局からの新たな情報を耳に入れる。


 『なんだって!?』


 大袈裟なほどのリアクションの後、驚愕の事実を伝えた。


 『今、新たな情報が入りました。日本から漏洩したゾンビウイルスの正式名がインターネットにより、発覚しました。投稿者は匿名ですが、きっとハッカーによる情報でしょう』


 再びイヤホンに集中し、『なるほど……』情報を聞きながら報道を続ける。


 『東京24区から漏洩したゾンビウイルス、その名を<死者蘇生ウイルス>! ゾンビとなった感染者をレッドソウルと呼ぶそうです! 

 そして剽悍な部類のレッドソウルは、<新型狂犬病ウイルス>なるものに罹患した人々だそうです!

 ウイルスの生みの親の名前は……なに? よく聞こえない、もう一度頼む』

 

 周囲の騒音がイヤホンの音声を邪魔する。報道陣はイヤホンを人差し指で押さえ、情報を聞き取る。

 『ウイルスの生みの親は、新藤玲人……新藤!? それは確かな情報なのか!?』


 驚きの余りに目を見開き、口を大きく開けた。


 『あの、天才化学者新藤玲人が!? 信じられない! いったい何が彼を悪の手先に変えてしまったのでしょうか!?』


 名前を出された玲人は口元を手で押さえ、椅子から腰を上げた。まさか、こんなにも早い段階で名前が出されるとは思ってもいなかった。全身を震わせながらテレビ画面を凝視する。


 今しがた玲人の名前を出した報道陣に、炎に包まれたレッドソウルが襲い掛かった。防護服に引火した炎が生きているかの如き全身を這う。悲鳴を上げながらアスファルトをのたうち回るが、炎は消えそうにない。それどころか勢いが増していく。


 仲間たちが助けようとするも、消火栓までは距離がある。布を体に叩き付けて鎮火させる手段もあるが、防護服を脱ぐわけにもいかず。


 為す術なく報道陣の命が炎に奪われていく悲惨な光景から、報道は一旦 日本のスタジオに切り替えられた。


 『大丈夫でしょうか!? 彼らの安否が懸念されます!』

 恐怖の面持ちで語るニュースキャスター。

 『数々のワクチンを開発した化学界の光明とも呼ばれた天才化学者新藤玲人博士が<死者蘇生ウイルス>の生みの親とは正確な情報なのでしょうか? 信じがたい事実に私達も困惑し、驚いております』


 隣に座るゲストが言う。

 『息子さんも優秀なメカニックであり、科学者ですよ。これが事実だとすれば……』台詞の途中で突然頭を押さえ、悲鳴を上げた。『頭がぁ! 頭が割れそうだぁ!』


 『どうしました!? 大丈夫ですか!?』


 キャスターがゲストを気遣った瞬間、キャスター自身も頭蓋を貫く頭痛に見舞われた。その後、スタジオ内にいるカメラマンやスタッフ達の苦悶する悲鳴が画面越しに聞こえ、テレビは砂嵐となった。君嶋はテレビのチャンネルを変えるが、どの局も同じ砂嵐だった。


 「全てが明るみに出たな……。隠蔽と真実は遅かれ早かれ露見すると思っていたが、まさかこんなに早く」


 会話の途中、背後から足音が聞こえた。後方を振り返ると、賢人とフレンド君が立っていた。玲人は動揺の色を浮かべた目で賢人を見つめる。


 「……。賢人」


 「言っとくけど、タレコミは俺じゃないから」


 「誰一人として賢人とは思っていないよ。だって世界中にいろんなハッカーがいるのだから」


 賢人は玲人を無視し、君嶋に目線を向けた。

 「きっと、これから食糧難に陥ると思う。非感染者でシェルターを持っている人達や自宅に隠れている人達の為にエナジーバンドのデータを各国の科学者に送信したい」


 「……。エナジーバンド? 矢崎から聞いた一日に必要な栄養素の半分を補えるというバンドのことだな?」


 「そうだよ。一日の全栄養を補うようにするにはもう少し研究を重ねる必要があるけど、それでも同時に水分も補えるから水道が止まってもとりあえずは安心だしさ」


 タイムリミットは一週間だ。先月から雨量も少ない。猛暑日が続いている。<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルに対抗する手立ては“水”だ。


 深刻な水不足に陥る可能性もある。エナジーバンドは大いに活躍し、市民の助けになるはずだと君嶋は確信した。


 「執務室から二部屋隔てた位置にコンピュータ室がある。そこのを使うといい」フレンド君に目をやった。「そのロボットも矢崎が褒めていた。DNAを読み取れるんだってな」


 「別に……褒められたくて作ったわけじゃないから」


 「そうだな」


 賢人はフレンド君に顔を向け、「行こう」と声を掛けてから、一同に背を向けた。遠ざかるにつれ、小さくなりゆく賢人の背中を見つめる。深い心の溝と距離を感じた。


 「賢人……裏切ってすまない……」


 賢人が去った静かな食堂にどこか寂しさが漂う。


 君嶋は、賢人の後姿から無線機に視線を下した。その時、現場に出た凛から無線が入った。


 『あたしだ、矢崎だ』


 「どうした?」


 『生体から感染したレッドソウルが次々に倒れ始めた。<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルは相変わらず猛威を振っている』


 玲人ら化学者も顔を見合わせた。読みは的中し、生体から感染したレッドソウルは脳内が破壊されている為、二十四時間以内に絶命する。


 腐敗が進行していない死者に感染したなら生前と変わない生活を送れる。しかし、生体に感染した場合、殺人ウイルスでしかない<死者蘇生ウイルス>は<新型狂犬病ウイルス>が生み出されることを予測していたかのように思えた。


 まるでウイルス自体が悍ましい感情を持っているかのように―――


 玲人が言う。

 「問題は<新型狂犬病ウイルス>に感染した罹患者だ。腕力もスピードも格段に上がっている。あれが街を徘徊するようになったら、いったいどうなってしまうのか……」


 君嶋は凛にたずねる。

 「生体から感染した罹患者はどのくらい残っている?」


 『大半が<新型狂犬病ウイルス>に感染してしまって、僅かなもんだと思う』


 「やはり……。状況は最悪だな」


 『以上、状況報告を終わる』


 「引き続き現場を頼む」


 『イエッサ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

 返事の後、凛の悲鳴と銃声が響いた。

 『ババババ! バン!』

 周囲の兵士達も慌てふためく声を上げる。

 『なんだ!? なんなんだ!?』

 砂嵐と銃声の音が入り乱れた。

 『ザザザザ……ババババババ!』


 血相変えた佐伯は君嶋に駆け寄り、上腕を掴み、無線機に口を寄せた。

 「凛! 凛! 返事しろ!」


 君嶋も声を発する。

 「矢崎! 応答せよ!」

 

 漸く息を切らした凛が応答した。

 『焦ったぜ! 早朝<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルの額に銃弾を一発お見舞いしたんだ。

 完全にくたばったはずなのに、突然背を起こし始めやがって! 頭を撃ち抜いたら死ぬんじゃないのか!?』


 佐伯と君嶋は凛の応答に安堵したが、それもつかの間。二つのウイルスが猖獗を極める最悪な状況で、更なる問題が浮上する。


 「背を起こした!?」二人は同時に眉間を寄せた。


 「もしかして……」玲人がはっとする。「<新型狂犬病ウイルス>は<死者蘇生ウイルス>とは違い、脳内の損傷が激しくても蘇生する。一発で仕留めるのは難しいかもしれない」


 君嶋は蒼くなる。

 「ちょっと待て! だとしたら、ウイルス研究施設で銃弾を頭部に浴びせて絶命させたレッドソウルは、銃の衝撃による単なる気絶って事になるぞ」


 次々と背を起こし始めテンパる凛が、早口で玲人にたずねた。

 『つまりガッツリと風穴を開けるか、首ちょんぱするか、どっちかって事だな!?』


 “首ちょんぱ” 余りにも残酷すぎるが、それが一番手っ取り早いだろう。

 「そうです……その二つのどちらかが有効的でしょう」


 『ラジャ! 君嶋指揮官、現場はかなり込み入ってる! 一旦、無線機を切らせてもらう』


 「わかった。何かあったらすぐに連絡しろ」


 『イエッサ!』

 

 君嶋は怒りの表情を露わにし、ウイルス研究施設の死体処理の現場を任せた守山の無線機に繋げた。

 守山は直ぐに応答する。

 『はい! こちら守山』


 怒号を浴びせる。

 「貴様! 些細なことでも連絡しろと言ったはずだ! ウイルス研究施設で<新型狂犬病ウイルス>に感染したレッドソウルの頭部に一発銃弾を放ち、絶命させたはずだった! そいつらが息を吹き返したことをなぜ報告しなかった!」


 『す、すいません! 確かに息を吹き返したレッドソウルもいましたが、撃ち殺したので報告するほどではないかと思いまして』


 「貴様の意見など、どうでもいい! 今後は些細な情報でも報告しろ! いいな!?」


 『イエッサ! 申し訳ありませんでした!』


 「詫びるくらいなら、しっかりと任務を努めろ。以上だ」


 怒り心頭の君嶋は、無線機から口を離した。

 「新型狂犬病……そして生体に感染した<死者蘇生ウイルス>は、人間を葬り去る為に生み出されたようなウイルスだな……」


 玲人はギュッと唇を結んだ。

 「…………」


 誰が予想できただろうか? 妻を蘇生させる目的で創った<死者蘇生ウイルス>が狂犬病ウイルスを持った犬の体内で、史上最悪の殺人ウイルスに組み換えられてしまうことを……


 それにあの時、生体への実験を行えていたなら、こんな惨事にはならかったはずなのだ。考えても無駄だが、何度も考えてしまう。後悔してもしきれない過ちだ……


 純粋で深い愛が人類を滅亡の危機に追いやってしまうことになろうとは……


 「……。僕は」玲人の目に涙が込み上げた。「僕は……とんでもないウイルスを創ってしまった」


 シャノンと佐伯も俯き、涙を浮かべ、佐伯が言った。

 「俺達の研究は何だったのか……」


 「もはや、大量殺戮化学兵器でしかない……。だが何度も言うように、今更嘆いても無駄だ」壁時計に目をやる。「もうすぐ上戸が到着するはずだ。ラボにいってろ」


 いつものように辛辣な台詞を吐き捨てる君嶋。しかし、君嶋に罵倒されずとも自分自身が一番悔やんでいることだ。込み上げる涙を堪え、玲人は返事した。

 「わかりました」


 「俺は一旦、執務室に戻り、到着した上戸と共にラボに向かう」


 玲人らはラボに向かい、君嶋は執務室へと向かった。一階の更衣室に到着した三人は防護服を着用し、ラボに足を踏み入れた。


 その直後、壁に設置された電話が鳴る。玲人は通話ボタンを押すと、宙にクリアウインドウが浮かび上がり、執務室にいる君嶋が映し出された。


 『上戸が到着する。東棟の隔離室は囚人を収容する為の牢屋として利用することにする。通路にいる兵士が囚人を監視する看守役を担う。お前達は実験に集中しろ』


 震えた声で返事する。

 「はい……」


 上戸の到着を知らせるだけの電話を切った玲人の肩に、シャノンが手を乗せた。

 「わずかでも望みがあるならそれにかけましょう……」


 「俺達はやるしかないんですよ……やるしか」


 佐伯はラボの奥のドアに歩み寄り、押し開けた。玲人とシャノンも佐伯共に人体実験室に足を踏み入れた。ストレッチャーと手術台が用意された実験室の壁に埋め込まれるように、防弾マジックミラー張りの安全キャビネットが設置されている。


 その安全キャビネットには、オートロック式のドアがあり、スピッツ挿入口も取りつけられていた。昨日の上戸の説明通り、研究所の実験室に設置されている安全キャビネットを巨大化させた造りだった。


 安全キャビネットの手前には、三つのボタンが施された長いデスクが用意されていた。三人はボタンに目をやった。



 緑――クリーン

 黒――機関銃

 白――落下



 玲人が首を傾げた。

 「落下? どういう意味だろう」


 「実験後の囚人を地下の焼却炉に直接落とすボタンだ」


 背後から到着した上戸と君嶋が歩み寄り、その疑問に上戸が答えた。答えを知った三人は唇を結び、人体実験への恐怖を募らせた。


 上戸が<死者蘇生ウイルス>と狂犬病ウイルスのスピッツを収めたバイオハザード物質を持ち運ぶケースをデスクに置いた直後、武装した兵士ら六人が手錠に繋がれた囚人を三人引き連れ、実験室に入ってきた。


 囚人の頭には黒い袋が被せられている為、状況を理解できず、喚き立てた。

 「ここは何処だ!? 処刑所か? 死刑執行まで時間があるだろ! もう死刑なのかよ!?」


 上戸が一言だけ返事を返す。

 「そうだ」


 「ええ!?」驚きを隠しきれない囚人。「ウソだろ!?」


 もう一人の囚人の鼓動が速まり、息を切らし始めた。

 「い、いやだ……。はぁ……はぁ……死にたくない」

 

 もう一人が言う。

 「いつ死んでもいいさ。どうせ死ぬんだから。その前に……ウヒ、ウヒヒヒヒヒ」薄気味悪い笑い声を上げる。「小さい女の子に悪戯したかったなぁ」


 「ちっ!」舌打ちする兵士。「クズが」


 喚き立てた囚人を指した上戸が兵士に命令する。

 「そいつをここに置いて、後の二人はこの実験室の外で待機させろ。妙な真似をしたらすぐに撃ち殺せ」


 「イエッサ」

 

 兵士四人は死刑囚を連れ、実験室から出てドアを閉めた。喚き立てた死刑囚は不安に駆られ、手錠に繋がれた手を震わせる。

 「くそぉ……お、俺をどうする気だよ!」


 上戸が玲人らと君嶋に顔を向け、「デスクに掛けろ」と指示し、兵士に「安全キャビネットにそいつを入れろ」と命令した。


 兵士は安全キャビネットのオートロック式のドアを開け、死刑囚を押し込み、顔を覆う袋を外した。視界が広がった死刑囚の双眸に安全キャビネット内のマジックミラーが映り込んだ瞬間、何らかの人体実験に利用される為にここに集められたのだろうと、自分の置かれた立場と状況を把握した。

 

 「嫌だ! 絞死刑の方がマシだ!」


 暴れる前に兵士が素早く安全キャビネットのドアを閉めた。

 「悪く思うな」

 

 手錠に繋がれた手で必死にドアを叩く。

 「出してくれぇ!」


 視界を遮る袋は外されたが、内側から覗けば不透明なマジックミラーにより、再び視界を遮られてしまった。四方八方、逃げ場のない空間に得も言われぬ恐怖を感じて震慄した。


 死刑囚からは、玲人達一同を窺うことはできない。しかし、玲人達からは、死刑囚の恐怖の表情や動揺の色を鮮明に観察することができる。


 玲人は安全キャビネットから一瞬だけ視線を逸らせた。

 「本当はこんな事したくない……すまない」


 上戸が言う。

 「罪の意識を感じる必要はない。あいつは人を五人殺めている。さあ、始めようではないか」


 玲人はシャノンと佐伯と顔を見合わせ、静かに頷いた。無言の開始の合図を受けた佐伯は、ハンディカメラの録画ボタンを押す。

 「撮影記録者 佐伯純一。八月五日、午前十時。<死者蘇生ウイルス>と<新型狂犬病ウイルス>のワクチン同時開発による人体実験を開始します」


 お調子者の佐伯もユーモアを語る余裕すらなく、蒼白した顔でハンディカメラのレンズを覗き、玲人を撮り始めた。

 

 「これから生体の死刑囚に<死者蘇生ウイルス>を感染させます」


 腰を上げた玲人はバイオハザード物質を収めたケースから、<死者蘇生ウイルス>のスピッツを一本取り出し、スピッツ挿入口に挿し込んだ。


 肉眼で捉えることのできないウイルスの霧が、あっという間に安全キャビネット内に充満する。死刑囚は断末魔を上げ、苦悶しながらのたうち回る。

 

 幾重にも重なる赤い血管が張り巡らされた眼球がググッと前に飛び出し、全身の血管も膨張していく。額に太い青筋が浮き上がり、瞬時に破裂した。


 安全キャビネット内のマジックミラーの内側に鮮烈な赤い血が飛散する。全身の血管から血を噴き上げた死刑囚は、ガタガタと痙攣し、やがて絶命した。


 数秒後、鼻孔から脳みそが入り乱れた鼻血を流した死刑囚は背を起こし、安全キャビネット内をのらりくらりと歩き始めた。


 「この状態からレッドソウルになった囚人が絶命するまでの間を観察します」

 

 上戸がたずねる。

 「何時間くらい観察するんだ?」


 「個人差があるかとは思いますが、早い場合で五時間程度。遅くても二十四時間以内でしょう」


 「ええ!? そんなに? 退屈だな。先に<新型狂犬病ウイルス>にしてくれないか? 興味があってね」


 君嶋が怒鳴り声を上げる。

 「テメーの興味なんざ知ったこっちゃねぇ! 退屈なら帰れ!」


 「そうカリカリ怒りなさんな」君嶋に目をやってから玲人の肩を揉み、「狂犬病ウイルスのスピッツを挿すぞ」と勝手にバイオハザード物質を収めるケースから狂犬病ウイルスで満たされたスピッツを取り出した。


 シャノンは両手の掌を天井に向け、呆れた表情を見せた。

 「なんなの?」


 「どうぞ、ご勝手に」玲人は投げやりに返事し、嫌味を言った。「僕たちがやりたくない人体実験をすべて上戸さんに任せたいくらいだ」

 

 「出来れば私もそうしたが、忙しくてね。身体が二つ欲しい。君になら私のレプリカが創れそうな気がするよ」


 上戸は調子外れな鼻歌を歌いながら、スピッツ挿入口に狂犬病ウイルスのスピッツを挿し、安全キャビネット内にウイルスを充満させた。


 のろのろと歩いていたレッドソウル化した死刑囚の動きが突如変貌する。気性も荒くなり、口元から涎を大量に垂らして、正面のマジックミラーに体当たりし始めた。マジックミラーが割れるのではないかと思うほど、強い衝撃音が実験室に響き渡る。


 「さてさて」デスクの黒いボタンを押し、機関銃を乱射させ、レッドソウル化した死刑囚の息の根を止めた。


 無数の風穴が開いた死刑囚は、直立不動で床に倒れた。見開いた双眸がこちらを睨んでいるように思え、玲人は思わずギュッと目を瞑った。


 上戸は緑のボタンを押し、安全キャビネット内に充満したウイルスを除去してから、オートロック式のドアを解除する。


 「君達の出番だ。頭部の解剖だぞ」


 佐伯はハンディカメラをデスクに置き、玲人に目をやった。

 「新藤博士、行きましょう」


 「……。ああ」


 玲人と佐伯はストレッチャーを担ぎ、安全キャビネット内に足を踏み入れた。悲惨な状態で絶命した死刑囚をストレッチャーに乗せ、手術台へと移す。佐伯は再びハンディカメラを手にし、映像を収め始めると、シャノンが腰を上げ、手術台に歩み寄った。


 通常胸骨を切開する電動のこぎり(胸骨鋸又はスターナムソー・以後胸骨鋸)を手にした玲人の背中を優しく擦り、気持ちを落ち着かせようとする。


 「大丈夫。私達がついてるわ」


 「ありがとう、シャノン。佐伯君、君にも感謝している」


 「俺達は家族も同然です」


 ハンディカメラのレンズに顔を向けた玲人は、真剣な面持ちで解剖の開始を告げる。

 「解剖を始めます」


 シャノンと佐伯が言う。

 「お願いします」


 胸骨鋸の電源を入れると、回転音が実験室に響いた。レッドソウル化した死刑囚の頭部に胸骨鋸を当てた瞬間、硬い頭蓋骨の感触が指先を伝う。頭部から飛び散った血が白い防護服のヘッド部分に跳ね返り、点々と赤く血痕が付着した。


 額から後頭部にかけ真っ二つに分かれた頭部から、半分溶けかかったような脳みそが露わになった。玲人はメスで脳を切り取り、トレイに載せた。これを利用し、ワクチン開発をする予定だ。


 「まずは脳を用いて、動物脳由来ワクチンの実験をしてみようかと思います」


 君嶋が首を傾げた。

 「しかし……動物脳由来ワクチンは副反応が強い。組織培養ワクチンの方が賢明かと思うが」


 ワクチンの接種を受けた後に生じる、接種部位の腫れや発赤・発熱・発疹などの症状を副反応という。

 (出典 副反応 コトバンクより(尚、言葉の一部を変えております)


 真摯な眼差しを向けた。

 「狂犬病ウイルスを培養し、組織培養ワクチンも製造しますが、動物脳由来ワクチンも副反応を承知の上で試してみたいのです。僅かな望みがあるワクチンは全て……」


 「なるほどな」


 「生体から<死者蘇生ウイルス>に感染したレッドソウルでも同じ方法と、いくつか別の方法を試してみようかと考えています。

 とは言え、初の試みなので、どうなるかわかりませんが、成功することを祈り、全力を尽くします」


 上戸が割り込む。

 「君はいつも人類初の研究に力を注ぐ男だ。期待している」一同に背を向けた。「私は色々と忙しいのでお暇(いとま)する」


 人体実験室から上戸が去った瞬間、君嶋はあからさまに清々した表情を浮かべた。

 「やっと帰りやがった、あのクソ野郎。見てるだけでイライラするぜ」


 「全く、同感ですよ」


 佐伯はシャノンにハンディカメラを預け、君嶋と解剖を終えたレッドソウルをストレッチャーに乗せ、安全キャビネット内に運んだ。


 レッドソウルを安全キャビネットの床に放置し、君嶋がデスクの上の白いボタンを押した。するとレッドソウルが横たわる床が扉のように開き、焼却炉へと続くホールへと落下していった。


 続いて小心者の死刑囚が兵士に連れられ、実験室に入ってきた。

 「怖いよぉぉぉぉ!」失禁し、泣き喚く。「助けてぇぇぇぇ! 俺は無実なんだぁ!」


 “無実” その言葉に動揺した玲人とシャノンそして佐伯は顔を見わせた。しかし、君嶋は冷静な顔つきで教える。

 「こいつは十人殺害している無差別連続殺人鬼だ。無実は大嘘もいいとろだ」


 死刑囚が最後に真実を吐き捨てるように言った。

 「ばーか、十人じゃないよ。十二人だ」


 「……。こいつを安全キャビネットに入れろ」兵士に命じた。


 「いや、待ってくれ」玲人が止めた。「死体から<死者蘇生ウイルス>に感染した通常のレッドソウルの脳も欲しい」


 死刑囚が無差別殺人鬼だから玲人が無情を選択したわけではない。人類を救う為にやむを得ず割り切る選択をしたのだ。


 君嶋が再び兵士に命じる。

 「撃ち殺せ。但し、頭部は傷つけるな。心臓を狙え」


 「嫌だぁぁぁぁぁぁ!」


 脚をじたばたさせ、逃げようとする死刑囚に兵士が銃口を向け、心臓に発砲した。弾丸が心臓に命中する。


 <死者蘇生ウイルス>が満たされた注射器を手にした玲人が即死の死刑囚に歩み寄り、上腕に注射針を射した。


 注射器の中の<死者蘇生ウイルス>が血管を伝い、脳へと送り込まれていく。その後、脳内細胞が活性化された死刑囚の指先がピクリと動いた。


 通常のレッドソウルは、蘇生の条件も、そして蘇生後の条件も、脳が無傷の状態か又は損傷していたとしても軽度であることが必須である。


 だからこそ、レッドソウル化した死刑囚の頭部を撃てば、高速回転しながら大きなダメージを与えられる銃弾により、脳が破壊され、再び動かぬ死体となる。


 通常のレッドソウルの死体から取り出した脳が欲しい玲人は、一瞬唇を結んで死刑囚を死体に戻す為に「頭を撃ってくれ」と兵士に頼んだ。


 兵士は死刑囚が背を起こす前に、袋に覆われた頭部に銃弾を放ち、命を葬った。絶命した死刑囚の頭部から溢れ出す血液が床を赤く染めていく。


 その後、気を利かせた兵士が死刑囚を担いで手術台に運んだ。玲人は先程と同じように手早く胸骨鋸で頭部を切開し、脳をトレイに載せた。


 必要な脳を取り出した後、不要な死刑囚の死体を、兵士と君嶋が安全キャビネットへと運び、デスクの白いボタンを押して、消去した。


 君嶋が玲人にたずねた。

 「次の実験は生体に<死者蘇生ウイルス>を感染させ、本格的な死に至るまでの経過を観察するんだな?」


 レッドソウル自体は死んでいるが、生ける死者なので、 “本格的” と言葉を付け加えた。


 「はい。長い観察になりますから、ワクチン開発と同時に観察したいと思います」


 「わかった。もう俺にできることない。一旦俺は現場に向かう。後は任せた」ポンと力強く玲人の肩に手を置いた。「新藤博士、あんたの腕にかかっている」


 かなりのプレッシャーを感じた。しかし、その通りである。

 「……。はい」


 「たとえ、十年後<ノア>に移住し、大部分の人間が置いていかれることになるだろう。だが、人間は寄り添い合って生きて行くことができる。

 永久的なスローライフになるが、それでも俺は上戸連中と<ノア>に行くより、地球を選ぶ。

 凶変してしまった人々を本来のあるべき姿に戻してやれるのは、新藤博士、お前だけだ。予想だにしていなかったウイルスの改変が起きてしまい、気の毒だとは思う。

 だが、今……

 十年後に多くの人々が地球に残っていらるように、全力を尽くして頑張ってくれ。俺達はわずかな希望に賭けるしかない」


 「君嶋司令官……」


 「この軍事施設内に兵士がいる。何か困った事や助けが欲しい時は頼むといい」


 君嶋は実験室を後にし、玲人達は実験を続けた。


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