『3点!』『白紙の絵本』 著者/トベナイトリ

書評レベル『辛口』


タイトル

『白紙の絵本』 著者/トベナイトリ


キャッチコピー

『人を愛することとはなにか』


あらすじ

『裕福な西園寺家に生まれた跡取り息子の友希は6歳の少年。優雅で洗練された屋敷で何不自由なく育つが、普段の生活の中で、両親のぬくもりを感じることはなかった。


若き教育係の市ノ瀬涼、一風変わったメイドらしからぬメイドの早瀬かな、使用人達と過ごす日々は、子供らしからぬ振る舞いを友稀に強いる。市ノ瀬の秘密に興味を持ち、調べる友希。その鋭い観察眼は、大人達を唸らせる。


寂しく孤独ながらも、その繊細な感性で、子供ながら大人のように冷静に振る舞う友稀に父である一沙は、友希の11歳を機に神菜家の次女、咲花と政略婚を進め、婚約パーティを催す。


その席で立派に大人らしく振る舞う友希は体調の不良と緊張で突然倒れ、同い年でまだ子供の咲花は取り乱す。健気に振る舞う友希と咲花は、お互いがままならぬ人生を生きていることを早くから悟っているかのようだった。


14歳になった時、友希は招待された湊家のパーティーで高咲優紀という少年に出会う。

そこから友希の閉ざされた世界は広がっていく――』


ジャンル

現代ドラマ

タグ

シリアス、人生、出会い、純文学、恋愛、ショタ、執事、切ない

総文字数

72,341文字

公開日

2016年2月5日 12:13

最終更新日

2016年3月29日 23:51


────2016年04月02日14:55現在時点。


文章力★☆☆(★×1)読みやすさ

独創性★☆☆(★×1)オリジナリティ

娯楽性★☆☆(★×1)おもしろさ


────合計☆数『3点!』


 数年ぶりじゃないかな? 『純文学』という作品を読むのはね。それにしてもカクヨムに投稿されている作品の中で『300作品』ほど純文学があるんだね。気になるひとはタグで検索してみよう!


 さてはて。三人称多元視点で描かれる今作品の命題テーマは『』だ。西園寺さいおんじ家に生まれた跡取り息子の友希ともきは、父である一沙かずさから何度もかけられた言葉がある。


「友希、お前は私の言うことさえ聞いていればいい。わかったな?」


 物理的に不自由のない生活はひどくいびつだ。誰かに暮らしを強要している。成長していくにつれて、友希の口は重くなっていった。そんな様をみていた教育係は滑らせてしまう。


「たくさんのものを背負い込まれると、心が死んでしまいますよ。いや、もう水が足りなくて死んでしまっているのかも知れませんね……」


 誰が、とは言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。誰もが友希を愛そうと思いながらも縮めない一定の距離感。友希を愛そうと近づいてくるのは知らぬ間に決められていた婚約者だけであった────。



 いかが? 読みたくなった? なら読みなさい。今作品はですね。まだ第一章が終っていません。なので、点数が低くなっていますし、書評がしづらくなっています。文章は読みやすいのですが、推敲がされてませんので★ひとつ。一字下げぐらいは統一しましょう。逆にWeb媒体ということで一字下げしない作品もありますが、それはそれで統一されていますからね。あと、多元視点特有の場面転換の多さ。そこで読みにくい箇所がありました。


 独創性と娯楽性に関しては同時にいきますね。今作品の命題はあくまでも『愛』です。普遍的な命題となれば、舞台はどこだっていい。それこそ『SF』でも『異世界』でもアリですからね。現代にしている理由が分かりませんでした。私が現代ドラマ、純文学として料理するのなら『』を取り込みます。義理人情を表したいのなら『昭和』を、権威と愛を描きたいのなら『大正』を、現代である『平成』は不釣り合いな気もしますから、それこそ『近未来』という『SF』に飛んでしまうかもしれませんね。


 まだまだ、キリのいいところ(第一章)まで公開されていませんので、これからの展開次第でいくらでも評価は変わるのでしょう。そういった意味でも『純文学』という作品は読み手次第ともいえます。娯楽性ではなく、芸術性を求めた作品たちが純文学なのですから。受け手の時代でもまた評価が変わるジャンルです。子供の頃に読む『人間失格』と大人になってから読むのでは、感想が変化していて当然です。


 ちょいと昔の話をしますね。かつての小説は『純文学』と『大衆小説』に分けられていました。その名残なごりが『芥川あくたがわ賞』と『直木なおき賞』になっていますね。どちらも新人賞なので一度受賞したら、再度受賞することができないのも特徴のひとつです。芥川賞の最近は『火花』ですか。芸人の又吉直樹またよしなおきさんが話題を呼びましたね。直木賞のほうはドラマ化で話題になった『下町ロケット』の池井戸潤いけいどじゆんさんでしょうか。


 私が純文学作家と訊かれたら『谷崎潤一郎』や『芥川龍之介』が大御所で、『中上健次』や『村上春樹』といった作家を思い浮かべますかね。純文学に対して『芸術性』よりも『娯楽性』に重きを置いている小説の総称だったのが『大衆小説』ですから雑多とか、その他とかいわれていたようです。


 今作品を書評するさい、改めて純文学の難しさを再認識しました。普遍的な命題を文章に起こし、読者という受け手を揺さぶる読後感を与えるような小説であり、そこに娯楽性というものを排除されている作品。それが私が定義している純文学ですかね。そういった意味でもキリよく──第一章の全てか、完結してから──読めれば、また違った書評ができるのかなあ、そんなふうに思いました。この書評をご覧になり、どちらを目指していたのか、一度立ち止まるのもよいでしょう。ひとりの物書きとして再考するのも楽しいかもしれません。私は娯楽です。娯楽のために書いています。書籍化されたさい、どちらの新人賞を取りたいか、そんな想像も面白いですよ。


 ────純文はむつかしいのぅ。


八艘跳。(´ω`)


 次回の書評は後ほど呟きますね。どれだけ待たれてもマイペースを貫くんだぜ!


次回の書評。

『辛口』『一般人の俺。今日からREVERSALします』 著者/ハイスペック一般人(になりたい)

Twitter 2016年04月02日16:12 呟いちゃった。


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