ある日突然シモベになったら

 

「シャルティア様! 終わりました!」

 

 男の声で目を覚ます。

 

 クレマンティーヌはゆっくり瞼を開くと、見えた景色の異様さに驚く。

 先ほどと何も変わっていないはずの洞窟内。だが薄暗さが無くなって、昼間の屋外の様な明るさなのだ。

(一体何が……)

 

 視線を上げていくと、声の主――ブレイン・アングラウスが居る。

 体中に血糊をべっとりと付着させていて、髪も肌もドス黒くなっていた。

 

「そう。では後片付けが終わりん次第、ナザリックに帰るとしんしょう。それと……あなた、いつまで寝てるでありんすかぇ?」


 声の出所に、未だ冴えきらぬ頭を振り向かせるとそこに居たのは――


 ありとあらゆる美が凝固し、少女の形となった――世界の中心。

 

 その少女が纏うオーラのようなものが流れ出て自分を包む感触。そして例えようもない程強く湧きいずる喜悦。


(あのお方が私のご主人様なんだ!なんて可憐で美しいんだろう!)

 

 クレマンティーヌは本能で悟ると素早く立ち上がり一礼する。

「は、はいっ! もう大丈夫です!シモベにしていただきありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

 隣でブレインも慌てて頭を下げた。


 そんな二人を見てシャルティアは満足げな笑みを浮かべる。

「あなたたちはこれから至高の御方のお役に立てる、世界で最も幸せな虫けらでありんすぇ。栄えあるナザリックの名に恥じんせんように頑張りなんし」

 はっ! と言う男女の声が重なった。無論、二人ともナザリックという単語が何を指すのかまだ知らないのだが。


 溢れる幸福感に暫く我を忘れていたクレマンティーヌだが、そのうち自分の状態を顧みてある事に気づいた。


(恐怖が……あの重く被さっていた精神こころの蓋が無くなってる……!)


 アンデッドは特性の一つとして精神操作に耐性を有しているため、恐怖や魅了などは無効化される。

 クレマンティーヌは吸血鬼ヴァンパイアとなり、あの死者の大魔法使いエルダーリッチによって嵌められた枷が外れたのだ。

 

(シャルティア様が私を救って下さった!)

 

 そして自らの主人に対する感謝と畏敬の念は胸の中で狂わんばかりに強まる。

 もし涙を流せる体であれば滂沱ぼうだの涙を流していただろう。


 そこへ一人の白い服を着た美女がシャルティアに寄る。

「シャルティア様、ここへ武装した人間の集団が近づいております」

「うん?野盗の生き残りでありんすかぇ?」

「詳細はわかりませんが、装備からして違うようです」

 

 シャルティアは暫しくうを眺めてから口を開いた。

「うーん、とりあえず見てから決めんしょう」

 




 シャルティアに続いて洞窟を出ると外は明るかった。

 

(えっ、まだ昼……? あっそうか)

 単に吸血鬼ヴァンパイア化して夜目が効くようになっただけである。実際の時刻は黄昏時を少し過ぎた辺りであった。


「あそこです」

 白いドレスの女――吸血鬼の花嫁ヴァンパイア・ブライドが指し示したのは森を抜けた先の草原。クレマンティーヌが道案内役と別れた辺りだ。

 そこには十数人程の集団がおり、ゆっくりとこちらに向かって来ているのが見える。

 まだかなりの距離があるものの、吸血鬼ヴァンパイアの驚異的な視力は顔の判別すら容易に可能とした。


「あいつらは漆黒聖典!」

 クレマンティーヌの声にその場にいた全員の視線が集まる。


「しっこく……何? ……でありんすか?」

「は、はい、奴らはスレイン法国の特殊工作員達です。六大神の遺した武器防具を装備していて、かなりの強さです……あくまで人間としては、ですが」


「ふーん」

 シャルティアは遠くの人間たちをしげしげと観察する。

 

「……うーん、殆どはただの雑魚のようでありんすが、あの白っぽい鎧を着て槍を持ってる、あれだけは結構強そうだわぇ」

「はい、あいつが漆黒聖典の隊長です。神の力を現していて、飛び抜けた実力を持っています」


「うーん。うーん」


 シャルティアは一頻ひとしきり悩んだのち、振り切るように言う。

「今ここであれらを捕らえてもアインズ様のご命令には反しないでありんしょう。秘密部隊なら公にはならない、つまりは悪人を捕らえるというのと大差なしによりて問題ありんせんしょう」

 

 シャルティアを包んでいたドレスが一瞬で消え、換わりに血の赤がよろわれた。

 その手には奇妙な形の槍があり、ケーブルのようなもので真紅の鎧と繋がっている。

 

「これでアインズ様にもっともっとお褒めいただけるでありんすねぇ」 

 やがて訪れるであろう魅惑の未来を想像し、吸血姫は破顔した。


「それでは蹂躙を――」

「お待ちください!シャルティア様、危険です!」

  

「……あ゛?」

 出撃を止めたクレマンティーヌをシャルティアは睨み付ける。

 

「何? ……もしかしてわたしが負けるとでも?」

 真紅の眼、縦に割れた瞳孔がきゅっと縮み、吊り上げられた口角からは牙が覗いた。


 世界の終わりもかくや、というぐらいの絶望感がクレマンティーヌを襲う。

 蛇に……いや、ドラゴンに睨まれた仔猫の心地だ。

 だがそれでも、たとえ殺されても主人の為には言わなければならない。

 その思いが、決死の覚悟が、クレマンティーヌの口を開かせた。


「……シャルティア様でしたら漆黒聖典でも殆どは相手にもならないかと思います。まだシモベにしていただいて間もないですが、お力の程は強く伝わってきます。ですが、あの連中の中央付近で守られるように居るカイ……老婆、あれだけは危険です!」


 シャルティアは目を凝らすと、異様な存在感を放つ人物を見つけた。

 確かに言う通りのしわくちゃの老婆で、腰の横から下にスリットの入った詰襟の服を着ている。


「あれは……」

 シャルティアの目線がその老婆の服に吸い込まれているのを感じ、クレマンティーヌがそれを話す。

 

「あの老婆が着ているのは、”傾城傾国ケイ・セケ・コウク”。アンデッドや竜王ドラゴンロードさえ支配下に置く事が出来る、スレイン法国の最至宝です」


 真紅の眼が大きく瞠られた。

「馬鹿な!アンデッドは精神支配に耐性が――」


 シャルティアはまるで時間が止まったように固まり――

 ――やがて静かに呟いた。



「――世界級ワールドアイテムか」

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