死を招き入れてしまう剣団


「あ、あそこの洞窟がそうです」

 

 森を抜けた先で、男が指さした方向には低い岩山がこの草地を囲むように連なっていた。まだ岩山までは距離があるが、確かにそれっぽい影のような場所があるのが判る。


「あそこね」

 クレマンティーヌはスティレットの先でその場所を示す。


「は、はい。それで俺は」

「行っていい」

「え?」

 怯えた男の問いを断ち切るように即座に答え、無言で歩き出す。


「ひっ」

 背後で森の方へ走り去っていく足音がする。だが、それを気に留める様子もなく女はただ黙々と歩いて行った。

 




―――――




「糸は見つかったかい?団長」

 洞窟の暗い一室で、青髪の精悍な体つきの男がもう一人の男に尋ねる。

 

「糸? ……ああ、ザックの事か。いいや、まだだ。ったくあの野郎のせいで」

 団長と呼ばれた男は眉を寄せて苦々しい表情を作りながら答えた。


 『死を撒く剣団』はごく最近、根城を西の洞窟へ、つまりここへ移したばかりだった。その原因こそが糸――ザックの失踪である。

 御者として、とある商人の令嬢に張り付かせていたのだが、事を起こす直前に行方が分からなくなってしまった。逃走なのか、それとも逮捕されたのかも不明だ。だがもし逮捕されて都市行政側に全てが露見した場合、アジトが冒険者たちに襲撃される恐れがあった。

 つい先日も行政側に自分たちの情報を売り渡そうとした裏切り者を始末したばかりだった事もあり、潮時とみて慎重を期する事にしたのだ。

 

 このようにねぐらを移す盗賊団は少なくない。それだけ彼らにとって冒険者は脅威なのだ。『死を撒く剣団』も定期的に拠点を転々としてリスクを抑えていた。

 

 

「それで、狙ってた獲物がまた食いついたらしいな?」

 刀の手入れをしながら青髪の男が問いを重ねる。


「そうだ。あれだけの大物を逃がすのは惜しいからな。新しい糸をつけてやったらまんまと引っかかった。間もなく俺たちは――」

「た、大変だ! 団長!」


 息急き切った男がいきなり部屋に入ってきて団長の声を遮った。

 青ざめた顔には、それを洗い落とさんばかりの汗がだらだらと流れている。


「どうしたんだ一体」

 団長が返す。

「敵襲です! お、女が一人で……!」

「はぁ!? 一人!? 警鐘も鳴らなかったぞ!」

「そ、それが……あいつめちゃくちゃ速くてあっという間に……気づいたらもうそこまで来ててそれで……」


 そこで青髪の男は刀を持って、やおら立ち上がった。

「どうやら俺の出番みたいだな。お前らは奥を固めておけ」

「ああ頼むぞブレイン!」


 男は振り向くこともせず右手で返事をし、そのまま入り口に向かって悠々とした足取りで歩き出した。

 未知の強敵に対する期待を膨らませながら。


 

 強化ポーションを飲み、装備したマジックアイテムを起動させる。

 少し行くと前方の暗がりから滲み出るように、黒い外套を着た人間が現れた。

 返り血を浴びていないように見えるのはその漆黒がすべてを吸い込んだからか。

 それとも血を浴びない様にしてあれだけの見張りを片付けたのか。


(後者なら凄まじい腕だな……もしかして暗殺者アサシンなのか)

 

 両者は距離を置いて立ち止まる。先に口を開いたのはブレインだった。


「よぉ、見ての通り俺たちはしがないほら穴暮らしの男所帯だぜ?お前の望んでるようなお宝はこの先に無いと思うがな?」

 ブレインも相手が本当にそんな目的で来てるとは思わないが、軽口には軽口で返される事を期待して放った先制ジャブであった。

 

 目の前の人物はフードを取り顔を晒した。この暗さでもはっきりと判るほどの美人。だがそこには仮面でも貼り付けてるのかと思うほど表情が無かった。

 

「お兄さんがブレイン・アングラウス? こんな辺鄙な所で何やってんの? ガゼフ・ストロノーフに負けて、剣の素振りでもしてた?」

「……ははっ、確かに素振りは毎日欠かさなかったな。おかげで手にはタコだのマメだのが沢山出来ちまった」

 笑いながら返すブレインだが、内心ではこの女に対する警戒を引き上げていた。

 

(俺の実力を知っておきながら全く尻込みしない……間違いない。こいつの強さは俺並みだ)


「ふーん、それで? ガゼフにまた挑むつもりなんだ?」

 軽い口調とは裏腹にやはり女に表情は無い。少し不気味に思いながらブレインは返す口を開く。

「ああ、勿論次に勝つのは俺だ。勝って俺が最強だって事を証明する」

 

「――あははははははははははははははっ」 

 ブレインの言葉を聞いた途端に女は、カッと瞠目したかと思うと口を大きく開け、天を仰ぎ笑い出した。

 

 侮辱されたと思い、ブレインは一瞬眉を顰めるが、一呼吸で平常心を取り戻す。感情が刀に乗る事を避ける為の心構えは怠りない。


「……届かない距離じゃないさ。あれから俺も強くなった。次こそ必ず――」

「あーごめんごめん。別にそういう事で笑ったんじゃないんだよー」

 笑うのを止めた女はブレインに向き直る。

「うん。確かにあなたならそのうちガゼフに勝てるかもねー。――でもさぁ」

 そこで女の雰囲気が少し変わる。周りの空気が引き締まるような感覚。

 

「なんでガゼフに勝てたら最強になれるの?」

 

「……は?」

 意味がわからない。

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。人類最強の戦士。もしガゼフを倒したならその者が最強だ。

 何も間違っていないはずだが……。


「……それは、どういう意味だ?」

 人生の目標が揺らぎかねない予感に、ブレインは素直に聞き返す。


「ガゼフ・ストロノーフはあくまで表舞台での最強だって事。裏にはガゼフ以上の強さの戦士なんていっぱい居るんだよー」

 

 頭を殴られたような衝撃。今まで信じ、追ってきたものを否定された。

 

「う、嘘だ! ガゼフより強い戦士なんぞ居るはずが……」

 違う。この女は嘘を言っていない。

 

 優れた戦士同士は互いの呼吸、気の流れを交わし言語の様に読みあう。

 ブレインは今まさにそれらを鋭敏に感じ取り、そして分かってしまったのだ。

 この女は本当の事を話している、と。


「……例えガゼフ以上の奴が居たとしても、俺は必ずそいつを超えてみせるさ」


 最強。その為に死ぬ気になって努力に努力を重ねた。自分以上の身体能力を持つ凶悪なモンスターだって屠ってきた。事実、ガゼフ以外に負けた事なんてない。

 その矜持が刀を持つ手に力を込める。

 

 女はついに苦笑いにも似たものを浮かべた。穏やかな表情は何か懐かしいものを見るかのようで、慈母の温もりさえ感じさせる。

「この世界には私やガゼフやあなた程度の人間じゃどんなに足掻いても敵わない化け物みたいな強さの奴が沢山居るんだよ? 努力して最強になった蠅はドラゴンに勝てると思う? ありえないでしょ。つまり――」


 女の顔から何もかも、全てが削ぎ落された。


 

「――蠅は蠅。私たちはただの弱者なんだよ」


 

 ブレインは女の眼をじっと見つめる。

 その紫の瞳に冷蔑の色は一切無い。

 そこにあったものは憐憫、諦観、厭世……およそ戦士のものではなかった。

 

 あるいは世を儚んだ聖者とはこんな眼差しをしているのかもしれない。


「……お前は何者なんだ? 何故そんな事を……何故……」

 今まで戦ってきたどんな相手とも違う、異質な存在にブレインは動揺する。

 

「私? 私はクレマンティーヌ。特務部隊の隊員でも、秘密結社の幹部でも、ましてや冒険者でもない。ただの女だよ」

 

 ただの女な訳がない。だが不思議と嘘を感じられない。その事に動揺が増す。

 

「それで……何をしに来たんだ?」

「あなたと仕合いに来たんだよ」

 女はそう返すなり、着ていた外套を落とすように脱ぎ捨てた。

 

(な……防具を装備していない?)

 女は必要最低限の、下着のような服しか身に着けていなかった。

 ブレインも防御よりも攻撃に偏った戦闘スタイルではあるが、流石に何も着けないなどありえない。


(速度に特化している……ということなのか?)

 女が両の手にそれぞれ握る刺剣を見る。

 確かに装備をごちゃごちゃつけるより速く動けるだろう。

 しかし反撃を受けないためには素早く近づき、一撃で仕留めるか、腱を突くなどして動きを封じる必要があり、まかり間違えば命を失ってしまう。

 これがこの女の通常の装備であるなら、想像以上の手練れである。


「……なぜ俺と戦う? 理由が無いだろう」

 今までであれば強者との対決はむしろ望むところだった。だがこの女と戦いたいとはとても思えない。目の前の不可解なものを忌避すべきだと本能が訴えていた。


「理由か……そうね……化け物の腕でへし折られて死ぬのも、雷に打たれて死ぬのも、あなたの刀で斬られて死ぬのも大した違いは無いでしょ? 同じ”死”なんだから」


「……」

 

 意味不明だ。答えになっていない。

 だが一つだけ解るのはこの女は退く気が無い、という事だ。


 ブレインは腰を深く落とし、柄を握りなおした。

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