目が覚めたら秘密結社のアジトだった

 鉛でできているかのような四肢の重みと、何日にもわたって全力疾走したかのような極度の疲労感。

 体を覆う脱力感は息をするのも渾身で行わなければならないほど。まるで肺が呼吸するのを拒んでいるようだ。


 そんな肉のさいなみに抗い、クレマンティーヌはゆっくりと瞼を開いた。

 明るさに眩む目で現状を把握しようと視線を泳がせる。

 自分がいま、白んだ世界の中で鈍色の影たちに取り囲まれているのがわかった。


「気がついたようです」

 向かって右側の影のひとつがそう声を発した。それに対して左側の影が何やら小声で応じると、いくつかの影が視界の外へと消えた。


「蘇った気分はどうだ?クインティアの片割れよ」

 左から投げかけられたその声は聞き覚えのあるものだった。


「わたし……は……しろいて……ほね……?」

 霞がかった記憶を辿り、口から漏れるように呟かれたそれらの言葉は意味を成してはいない。 

 明るさに目が慣れて辺りの明度が下がっていく。自分を囲む影たちがその輪郭を露わにし、色が付く。

 左を見ると先ほどの声の主である男と目が合った。訝し気な表情を作ってこちらを見下ろすその魔法詠唱者は間違いなく十二高弟の一人。 

 そこでやっとクレマンティーヌは理解した。

 ここが秘密結社ズーラーノーンのどこかの支部であることを。


「……寝ぼけているのか? ……いや、この場合は死にぼけているとでも言うべきか。まぁ大体の話は先に復活させたカジットから聞いているからお前はそのまま休んでおけ。明後日、盟主がここに来られる。その時にまでそんな調子だったら目も当てられんからな」

 そう言い終わると男は残りの弟子たちと共に部屋を去っていった。


 扉が閉まる音がしてからしばらくは質素な天井にある照明をぼおっと見つめていたクレマンティーヌだが、やがてぎこちない動作で上体を起こし周りを見回した。

 部屋はそれほど広いわけではない。どう見ても個室か、二人部屋といったところだろう。自分の居るベッドはその中央に置かれていた。他に家具らしきものは見当たらない。つまりこんな狭い部屋で復活の儀式を行ったというわけだ。

 

「ふっかつ……」

 違和感。自分はなぜ死んだのだろう?一体どこで?何をしていた?

 口元に手を当て、目を瞑り、記憶を掘り起こしていく。


「え・らんてる……」そうだ。王国の城塞都市に私は居た。なぜ?……法国の追手から逃れるため。そこで同じ十二高弟であるカジットの儀式『死の螺旋』に協力し……叡者の額冠を使用可能な生まれながらの異能タレント持ちであるンフィーレア・バレアレを攫って……第七位階魔法〈不死の軍勢〉アンデス・アーミーを……その混乱に乗じて都市を脱出し……?


 そこまで回憶の糸を手繰った所で自分がエ・ランテルから脱出したおぼえが無い事に、はたと気づく。


「ぎしきはしっぱいした……? ……いや」

 無数のアンデッドが召喚サモンされ、門の方に誘導されるのを確かに見た。それに二体の骨の竜スケリトル・ドラゴンが……

 そう、骨の竜スケリトル・ドラゴン召喚サモンされた時、自分はカジットではなく別の誰かと一緒に――


「っ!」

 その人物の姿を思い描こうとした途端、頭の中の映像に靄がかかると同時に、こめかみの奥に鋭い痛みが走った。それは脳が打ち鳴らす警鐘。思い出すな。決して。


「はあっ、はあっ」

 荒くなった息のまま、背中をベッドに叩きつけるように倒れこむ。もはや考えるのも億劫だ。

 

 そして女の意識は眠りの中に溶けていった。





 喉の渇きをおぼえてクレマンティーヌは覚醒した。

 どれ程の間眠っていたのか。窓がなく、〈永続光〉コンティニュアル・ライトの光だけで照らされるこの部屋では時間の感覚さえ曖昧になっていく。


 ベッドから出ようと体に掛けられた布をはぐり――その時ようやく自分が裸であることを知る。まだ少しふらつく足で立ち上がり、何か着るものはないかと見回し――ヘッドボードに何かが掛けてあるのを見つける。

「これは……」

 自分が防具の下に着けていた服だ。生地は厚いがその面積は小さく、一見すると下着のようでもある。

 掛けてあったのは新品の外套とそれだけで、その他の装備――軽鎧、モーニングスター、スティレットなど――は無かった。


 服を手に取って広げた瞬間に何かが足元に落ちて金属音を立てた。

 見るとカッパーシルバー、二つの冒険者プレートが床に転がっている。

 自らが殺した冒険者から剥ぎ取った狩猟戦利品。ハンティング・トロフィー

 外套の裏地や軽鎧に打ち付けていたものが剥がれて服に挟まっていたのだろう。


 それらを手で拾い上げ、しげしげと眺める。

 自分がこの世界に於ける絶対強者である事を確認し、優越感に浸る。

 何度となく繰り返してきたはずの作業だが、今回はいつもと違っていた。

 

 カッパーのプレートの方に何故か目が釘づけられてしまう。

 次に女を襲ったのは恐怖。背中から後頭部までを突き抜けた強烈な怖気に驚き、反射的に二つのプレートをベッドに放り投げる。


「な、なん……」なんで私はを怖がっている?

 

 クレマンティーヌは動悸がおさまるまで、ベッドに僅かな窪みを作るその金属板を見つめていた。




 服を着る際に、酸っぱいような鉄臭いような、嫌な匂いが鼻を突いた。どうやら服に何かが染み込んだようだ。

 顔をしかめつつも着終わると、外套を羽織り扉を開けて出た。

 

 先ほどの部屋と繋がる廊下は、豪華とまでは言えないものの、かなりしっかりとした造りだ。

 ただ、所々に〈永続光〉コンティニュアル・ライトがきちんと設置してあるにもかかわらず、どこか暗然とした雰囲気が拭えないのは、この組織の性格ゆえなのかもしれない。


 廊下を歩いていた弟子と二言三言交わし、ラウンジに入る。

 テーブルの上の水差しをひったくり、コップに溢れんばかりに果実水を注いで一気に飲み干した。

 ふうっ、と息を吐き、ソファーに腰を沈ませる。

 

「それにしても……」さっき突然湧き上がった恐怖は何だったのか。

 未だにとばりがかかったような記憶といい、復活の後遺症だろうか。

 今際の際に何があったのか。そもそも、なぜ私は死んだのか。そういえば私の他の装備品はどこなのだろう。わからない事が多すぎ、漠然としすぎている。これではもどかしさを感じることさえままならない。

 

 クレマンティーヌは軽くかぶりを振ると腰を上げ、再び廊下に向かった。


 長い廊下の突き当りを右に曲がり、倉庫の前に出る。

 頑丈そうな鉄扉の前には、二体の骸骨戦士スケルトン・ウォリアーが両脇を固めていた。

 勿論、アンデッドが居ること自体に驚きはない。ここはネクロマンサー達が構える秘密結社ズーラーノーンの支部なのだから。

 

 クレマンティーヌは扉の方に歩を進め――

 ゆっくりとしたまばたきから開かれた眼は、やはりゆっくりと限界まで大きくなる。

 またあの強い恐怖が襲ってきたからだ。

 視線の先、闇をも飲み込むような髑髏どくろの眼孔。

 その奥にある、生者への憎しみを湛えた赤い灯から目が離せなくなる。

 

「う……あぁ……」


 喉がひりつき渇いていく。さっきあれだけ果実水を飲んだのに。

 足が震えて力が抜ける。もう疲労感はだいぶ取れたはずなのに。

 

 こめかみの奥が刺されたように痛む。明らかに前回よりも強い痛みだ。

 だがうずくまることも、目を閉じることさえも許されない。

 それほどの強い恐怖が心を支配している。

 

 不意に記憶の靄が晴れ渡り、一体の死者の大魔法使いエルダーリッチが滲み出る。

 幻視されたその邪悪な骨の相貌が、目前の骸骨戦士スケルトン・ウォリアーに重なり、そして――


 

「――ひゃあああああああああああああああっ!!」


 

 クレマンティーヌはついに全てを思い出した。思い出してしまった。

 

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