お客様は怪物です

Enbos

ラーメン

第01話 お客様は怪物です

 人に裏表があるように、世界にも表と裏の世界がある。

「……俺も、変わっちまったな」

 そうつぶやきながら、俺は右腕に刻まれている、深い傷跡をさする。これは5年前、とある大陸の屍霊使いと戦ったときについた傷だった。

 今でも俺は、あの時のことを鮮明に思い出せる。それこそ、昨日のことのように。


 5年前……そう、俺の退魔師としての最後の戦いは、10時間をゆうに超える凄まじいものだった。周囲は腐った血の匂いに満ち、たどり着いた屍霊使いのラボの奥には、数えきれない腕や足が、縫い合わされた胴体が、歪んだ表情をした生首が——沸き立つ魔力の坩堝の中で、生ける屍として生まれ変わるのを今か今かと待ち構えていたのだ。


 その中には、俺の知っている顔もあった。うつろな濁った目をして、分厚いガラスの向こうに満ちた赤い海から、あいつらは俺をじぃっと見つめていたんだ。


 今でも焼きついているその光景を目の当たりにした時、俺の心は完膚なきまでに折れちまった。

 もう、耐え切れなかったんだ。命を軽んじる奴らと命のやり取りをしなければならないことも、自分の大切な人が犠牲になることも、何もかもが耐え切れなかったんだ。


 戦いの道具を捨て、俺はその「屍霊事変しりょうじへん」をきっかけに退魔師を辞めた。まっとうな表の世界で、心穏やかに生きたい——そう思った。


 幸い、裏の稼業は報酬が良かった。それに、仕事とはいえ世界中を旅することも出来た。


 たくわえた金をつぎ込み、世界中で培った知識を存分に振るうことのできる、血なまぐさい世界から最も離れた穏やかな場所を——。


 俺はその思いを胸に、生まれ育ったこの街に一軒の店を構えることにした。


 店の名前は「ダイニング芳竜ほうりゅう」。

 そう、飲食店だ。


 そしてこの店の料理長であり、店長であり、オーナーであるのがこの俺、皆月みなづき芳竜だ。


 ダイニング芳竜は、古今東西さまざまな世界、さまざまな地域の料理を月替りでお客様に提供する、今までにない形の新しいフリースタイル・ダイニング……なのだが、今月はの強い希望によって『日本の麺料理』となっている。


 さて、麺料理とひとことで言ってもその幅は無数に存在し、日本食に於いてもその多様性は枚挙に暇がないほどだ。

 俺の記憶にあるかぎり、ある程度個性のある麺として分類される料理を北から順に挙げていこう。

 まず、北海道は香り豊かな「新得そば」や、明治から続く「にしんそば」、真っ黒な色と絶妙なコシが特徴の「音威子府おといねっぷそば」、大豆をつなぎに使う独特な風味の青森の「津軽そば」、岩手が発祥とされ幾らでも食える味付けの「わんこそば」、日本三大うどんのひとつであり完成されたコシを持つ秋田の「稲庭いなにわうどん」、体に優しい素材を使った短く太めの素麺そうめんといった印象の宮城県「白石うーめん」、切り方に特徴を持ち舌触りと香り秀でる福島県の「ちそば」がある。


 関東・甲信越へと下ると、布海苔ふのりをつなぎに使いいその香り感じる新潟の「へぎそば」、長野県はカブの茎の漬物であるすんきを使った独特の味わい「すんきそば」や、山ゴボウをつなぎに使い他にない食感と味わいを持つ幻のそば「富倉とみくらそば」、郷土きょうど料理でもあり様々な意味で幅のある麺が特徴の山梨県「ほうとう」、香ばしいごまだれが特徴である群馬県の「水沢うどん」など。


 さらに西へ向かった近畿・北陸では、北海道のにしんそばの元祖である上品な甘さに痺れる京都の「にしんそば」、とろみの強いあんかけをかけた食べ応えバツグンの滋賀県「のっぺいうどん」、愛知県はあまりにも有名であり皆さんご存知幅広麺はばひろめんの「きしめん」、黒く濃厚な醤油香るつゆが特徴の三重県「伊勢うどん」、大根おろしの辛味とつゆが極まる福井県の「越前そば」、手延によって作られるコシの強い富山の「氷見ひみうどん」、手延素麺の元祖であるとされ素晴らしい味わいを誇る奈良県「三輪そうめん」などがある。


 さらに西、中国・四国地方では、香りと色が濃く蕎麦好きにはたまらない「出雲いずもそば」、茶そばと具材を温かい瓦に乗せ立ち昇る旨味をすする「瓦そば」、木ダライで供される山芋を練り込んだ独特な麺が特徴の「たらいうどん」、そしてなんといっても最強のコシを持つ香川の「さぬきうどん」が有名だろう。


 そして、九州。切り蕎麦の元祖を能古島のこのしま風にアレンジした素朴な福岡の「能古のこそば」や鹿児島らしいガツンとした味わいを持つ「薩摩さつまそば」、食べ応えバツグンの豚あばら肉が嬉しい沖縄の「ソーキそば」などがあるが、とにかく俺はコレを推したい。


 豚骨ラーメンである。


 実はこのラーメンのことを紹介するために、先ほどの全国版麺料理紹介ではラーメンを省かせていただいていた。ちゃんと紹介しろという声も聞こえてきそうだがそんなもんは今どうでもいい。


 なぜなら、


 俺は、


 今、


 豚骨ラーメンの話をしているからだ。


 黙って聞け。


 さて、地域的な特徴を順番に挙げ九州地方へと到達した時点で豚骨ラーメンを取り上げたのには理由がある。それは、豚骨ラーメンは九州地方のラーメンの代名詞とでも言える存在だからだ。

 もちろん、他の地域に存在する有名店舗が豚骨スープを使っている場合も多く、豚骨は九州だけのものとは言えないだろうという意見を持つ諸兄もいるはずだ。それは認めよう。元より豚骨ラーメンを九州だけのものとするような狭量な主張をするつもりは毛頭ない。

 だが、ちょっと待って欲しい。それは店舗としての個性や特徴であって地域性を指してはいない。俺はさっきまで北から順に「麺」と「地域」をあげて説明をしてきた。

 そうした場合、九州の豚骨ラーメン以外に、「」が存在するだろうか? という話なのだ。

 なに、味噌ラーメンがある? 馬鹿を言うな、あれは北海道メインのラーメンだ。仮に今回ラーメン文化を面積比で論じる趣向であればおそらくは北海道が勝っていた可能性は少なくないかもしれない。

 しかしだ。繰り返すようだが俺は地域ごとのラーメンの話をしている。仮にだが味噌ラーメンを「東北ラーメン」あるいは「北日本ラーメン」として括ることができるか? いや、できまい。味噌ラーメンを「北海道ラーメン」と呼ぶことはできるかもしれないが、北海道は広大であるがゆえに地域としてのまとまりの中に収めるには大きすぎる。即ち今回主眼に置いている「大きな地域の代名詞として呼ばれるラーメン」としては弱いということだ。


 さて、前置きが長くなった。俺は豚骨ラーメンの話をしているんだ。

 俺の眼の前で沸き立っている寸胴で、煮込まれ続けている豚骨スープを使い作り出す至高の一杯の話を。


 2年前……様々な料理を身につける過程でたどり着いた豚骨ラーメンの最終形は、10時間以上に渡って行う煮込みがキモだ。煮込みが終わった後、周囲には芳しい香りが満ち、目の前の寸胴の中には、たっぷりの香味野菜や豚骨が、隠し味の鶏ガラが、そして香ばしさを足す干しアゴ(※1)が——沸き立つ茶色味がかった白濁したスープの中で、ラーメンとして生まれ変わるのを今か今かと待ち構えている。


 そう、特に九州のラーメンは豚骨でありながら、一般的に言われる「白いスープ」ではない。どちらかといえば、ほんのり茶色に近い白濁色を呈しているのだ。なぜなら、九州の、特に福岡の豚骨ラーメンではげんこつと呼ばれる豚の大腿骨が使用され、それらは煮込むことで黄色あるいは黄金色の油を出す。さらに豚骨からはコラーゲンが抽出されることでスープが乳化、油と白濁したスープが混ざり合い長時間煮込まれることでその色と味を濃くしていき、結果として茶色に近い白濁色を呈するのだ。つまり、これが本物の色。本来的な意味での豚骨スープの色というわけだ。

 さらに、当店のスープに関して言えば、具材として豚テールと焼いた豚骨を加えているためコラーゲンの量が多く、他店の一般的豚骨ラーメンには無いコクと味の深みを実現している。

 とはいえ、コラーゲンが増えれば増えるほどスープの濃度は増し、ラーメンはなる。そうなれば女性客はおろか一般的な男性客も逃しかねない味となり、いかに当店が月替わりで提供する料理のジャンルが変化するとはいえ客離れは必至。

 そのためスープに関してはこれ以上の煮込みを行わない。くどさと物足りなさの中間……即ちそれが「ちょうどいい」というものだ。


「さて……」


 俺はコンロをとろ火にし、オープンに向けて店内の照明をオンにする。月によってはイタリアンや中華、和食も提供するこの店は、ラーメンを提供するにはいささかおしゃれすぎるかもしれない。

 客同士の間隔を広めに取ってあるカウンターが8席。テーブル席は長く座っていても疲れないよう、選びに選んだ椅子が囲んでいて、2人掛けと4人掛けがそれぞれ3つずつ。

 広めの店内に対して少しこじんまりとした客席だが、たった一人で接客するにはギリギリの数。


 そう、ここが俺の城。ダイニング芳竜。

 少し重めの入り口扉を開けば、いつか使いたいと思っているテラス席に――


「あー……」


 よだれを垂らした少女がいた。


 ぱっと見は美少女なのだろうが、髪なんかはボサボサで、服はいろんなところが破れていたりほつれていたり、土の汚れがついていたりしている。顔色も悪いし、目もうつろだ。

「あー……」

「……あの、お客様?」

「あー……い、いえ、その……お客様では……ないんですが……」

 緩慢に言いながら、少女はガラス張りの店内を疲れ果てた濁った瞳で見つめている。


 ……どうも、様子がおかしい。

 俺は悟られないように、体に隠した左の袖から、暗器……點穴針てんけつしんという、短剣ほどの大きさの刺突武器を手のひらに落とす。

 悪い予感がしていた。なぜなら、店の前——テラス席に落ちる陽の光を、彼女はどうもジリジリと避けているように感じられたからだ。


「では、何か御用ですか? たとえば……私に、とか」

「あー……うーん……まぁ……あなたに用があるといえば……そうなんでしょうけど……」

 言い淀むように、彼女は苦笑いを浮かべる。その口元、覗いた歯列を俺は見逃さない。左右の端にある犬歯は、鋭く尖っていた。

 俺は確信する。

(やはり、この娘……僵尸チィアンシーか……!)

 一般的にはキョンシーと呼ばれる生ける屍。

 豚骨スープの匂いで鼻がやられていたが、この少女から香る独特のこうは、左道に傾倒した道士が僵尸チィアンシーを作るときに使うそれだ。

「あ、いえー……そのぉ……い、いやぁ……美味しそうだなぁって……お店の扉が開いて……あなたが出てきた時……もう我慢できなくてぇ……」

 口の端にひとすじ唾液を垂らしながら、少女は言う。退魔師として戦ってきた本能が頭の奥で叫んだ。


 こいつは、俺を食う気だと。


 どこの道士の下から逃げてきたかは知らないが、それならば俺にも考えがある。一線から退いて久しい俺であっても、こんなはぐれ僵尸チィアンシーの一体程度、文字通り朝飯前だ。

 左手に構えた暗器を握り、俺はゆっくりと半身に構えた。少女は一歩一歩、こちらへと近づいてくる。

「あなたが出てくるまで……私、待ってたんですぅ……だから……私にぃ……」

 土で汚れた指を突き出し、怪物が来る。倒れこむように上半身をしならせ、獲物に飢えた鋭い犬歯をむき出しにして、そして——


「ラーメンをぉ、食べさせてくださいぃぃぃぃ…………!!」


 と言いながら、少女の形をした怪物は深々と土下座をした。

 そんなわけで、今月初めてのお客様は怪物と相成ったのだ。


(※1:焼きアゴ……九州地方でダシの材料として使われる事の多いトビウオの干物のこと)

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