第18話 ロボットの秘密
2020年4月12日 16時40分 神奈川・大宝寺邸
その後、純樹が語り出した話は、空人はもちろん、田神や国安女史を驚かせるのに十分な内容であった。
彼の話はこうである。
あのロボットは、大宝寺氏と彼の先輩達が、三年の歳月をかけて作り上げたものだという。その先輩達というのは総勢二十五人。川崎周辺にいる町工場や土建屋、さらには下請けのプログラマーだという話だった。
「そんな大人数で……」
絶句する国安女史。
空人とて、そこまで大がかりはことだとは思ってもいなかった。
「でも半分ぐらいの人は全然知らないですよ。地下を作った人達はきっと、ただの工場だと思っていると思います」
そんな大勢が、大宝寺直太朗の頼みに応えたのは、ひとえに過去に受けた恩があるからだという。
三十年ほど前、下請けの下請けという立場である彼らは、バブル崩壊の煽りを受けて、夜逃げや倒産寸前の憂き目にあっていた。それを助けたのが大宝寺氏であるという。大宝寺は海外の科学者、NASAやコンピューター関係の強いコネクションを使い、彼らの高い技術力を紹介したり、日本進出を計る企業との仲人を買って出たりと、陰日向に彼らを支え続けた。その甲斐あって、一家心中をせずに済んだ人間が沢山いるのだと、純樹はしんみりと話し終えた。
「そんなことが……」
国安女史がそう話を繋ごうとしたその時だ。背後の扉が開き、伝十郎とひよりが入ってきた。
「遅いので、心配になりまして。皆様、ご無事で何よりです」
伝十郎がにこやかにそう言った。心配してたわりには、二時間近くも隠れていた事実は無視する気らしい。ひよりに到っては、心配すらしていなかったに違いない。
「お前、今頃になって……」
「お坊ちゃま、話は聞きましたよ!」
文句を言い始めた空人を伝十郎が遮る。それから皆の方へ近付きながらベラベラとしゃべり出した。
「実はわたくしも旦那様に助けられたひとりなんです、お坊ちゃま。あれは死出の旅路を覚悟していた時です。借金で、首が回らなくなっていたのですよ。ビルから飛び降りようとしていたわたくしを、たまたま近くのホテルに泊まっていた旦那様が目撃されて、助けに来て下さったのです」
扉の向こうで盗み聞きをしていたことは明白だ。
きっと安全を確認する為に、しばらく様子を伺っていたのだろう。いかにも伝十郎らしいと、空人は呆れて睨みつけた。
すると、空人のそんな気持ちを察したのか、執事は立板に水のごとく更にまくし立てる。
「あれは忘れもしない三十四年前の秋、札幌の高層マンションの屋上でした。なぜ北海道にいたかと申しますと、恥ずかしながらウニを食べにです。人間、いざ死ぬとなると、あれもしたかった、これもしたかったと思うものなんですね。わたくし、実を申せばウニには目がない口でして。どうせ死ぬなら、ウニ丼を腹一杯食べてからと思い立ち、今は無き寝台特急カシオペアに上野駅から乗り込んだのですよ。あれには感動いたしました。子供の頃から大好きな列車だったものですから。やはり寝台特急は良いですな。また復活して欲しいものです。ですが、おかげでウニ丼と列車代で五万も借金が上乗せされてしまいました。もっとも既に二億近くあったので、五万なんて端金が増えたところでどうってことはないですな、ははは」
「おい、伝十郎、いい加減黙れ」
しかし、執事の思い出話は止みそうもない。
「その後、わたくしを秘書兼執事として雇って下さった旦那様は、借金の肩代わりまでして下さったのです。ああ、もちろん全て完済しました。この三十四年間、わたくしは殆どお給料を頂きませんでしたから。わたくしの給料が年間六百万と換算して、六百×三十四で二億四百万。お優しい旦那様は、利子などはいらないと仰って……」
仕方がなく空人は黙って壁際のキャビネットに近づくと、その上にあったものに手を伸ばした。陶器の西洋風時計で、天使のような子供達が周囲に配置されている。如何にもアンティークな感じを醸し出しているそれに触れた途端、激しい悲鳴が聞こえてきた。
「うわぁぁ、お坊ちゃまぁぁぁ、それはダメぇぇぇ! マイセンですぅぅぅぅ!」
伝十郎が目玉をむき出すように驚愕している。
そんなことなど全く気にせず、空人はその置時計を田神が立っている方へと放り投げた。
すると執事は、七十を超えたとは思えぬほどの素早さで、その時計を胸にしっかりキャッチした。まるでトライを試みるラガーマンのようである。
窓の下をゴロゴロと床を転がる伝十郎。そのまま五転六転とした彼は、数メートル先で制止した。
「お、お、お、お坊ちゃまぁぁ」
荒い呼吸の中に恨めしそうな声が紛れている。左手で窓枠につかまりながら、よろよろと立ち上がると、伝十郎の髪は見るも無惨な落武者状態になっていた。
「黙れと言ってるだろ」
「すみませんすみません」
ペコペコと頭を下げる伝十郎。
もう追求する気力も失せ、空人は純樹の方へと向き直った。
「なんだっけ? ああ、そうか、オヤジに恩があるって話だ。で、その恩を報いる為に、寄ってたかってジジイの夢を叶えてやったってことか、なるほど」
「簡単に言えば、そう言うことですね」
「簡単に言い過ぎよ!」
国安女史が声を荒げた。
「そもそも、あれはなんの為に作ったのか、それを説明してもらわないと納得できないから」
「だからそれは、さっきも言ったように、大先生の夢なんですよ」
「そんな話、誰も信じないでしょ。だいたいノーベル賞まで取った人が、幼稚園児のような夢を叶える為に五億の金を費やしたなんて、どう説明したらいいのよ」
「そう説明したらいいじゃん」
途端にレーザーのような国安女史の視線が空人に向かった放たれる。さすがは国税庁。公安すらも撃退するその威力は、空人ごときでは太刀打ちできるはずもない。口中ぶつくさ防衛で凌ぐのがやっとだった。
「とにかく、あのロボットの目的はなんで、どの程度の性能があって、特許権などはどうなっているのか、それを調べなければ資産価値さえ計算できないのよ」
「結局、税金かよ」
「なんですって?」
「いや、別に……」
亀のように首をすくめた空人は、隣に立つ田神をチラリと見る。
空人が亀なら彼はガマガエルだろう。額の辺りに妙な脂汗が滲んでいる。これをすきとり柳の小枝にて三七、二十一日間、トローリトローリと煮つめ……。
こういう時に限って妙なことを思い出す。茨城出身の伝十郎から、子守歌代わりに夜な夜な聞かされていた“ガマの油売り”の口上が、空人の脳裏に浮かんでは消えた。
あれは恐ろしい経験だった。的屋だったという伝十郎の祖父がその孫に伝授した口上だから、その迫力たるや。暗い寝室で分けもわからず聞かされては、真夜中にカエルに襲われる夢を見たものだ。そもそも物心ついてすぐに渡米した空人にとって、日本の文化は理解しがたいことが多い。そんな子供に子守歌だと称して“ガマの油売り”の口上など聞かせるヤツは、極悪人か伝十郎ぐらいだ。
「空人さん、真面目に考えて下さい」
国安女史の鋭い言葉が飛んできた。
現実逃避が癖になりつつある。そろそろヤバそうだ。だが、田神もまた携帯電話を見つめながら、電波的な思考に耽っている様子である。男達の“心の逃避行”は、もはや仕様らしい。
「田神さんも携帯なんていつまでも見つめていないで、今後のことを真剣に話しましょう。そういえばさっき電話をされていたようですが、上官の方から何か指令があったのですか?」
「いや、指令と言うほどのことでもなく……、つまり、自分の判断で行動しろとのことでした」
「へぇ、それは大英断って感じだなぁ」
時が経つにつれ、自衛官としての威厳が剥がれていく田神を空人がそう揶揄した。しかし、田神自身はそれを誉め言葉だと受け取ったらしい。照れたような、困惑したような微妙な表情を浮かべながら、「それほどでもないです」とボソボソと呟いた。
確かにそれほどでもない。何しろ尻ぬぐいなどしないと断言されたのだから。だが男のプライドとして言わなかったことは、空人も国安女史も知る由もない。
「早くこの人の話を聞きましょう」
指さされた純樹はというと、目を白黒させ困惑している。頭上で妙な会話が繰り広げられているのだから無理からぬこと。ただしその視線は時折、空人の背後へ動いていく。先ほどからずっとそちらが気になっているようだ。何か奇妙な物があるのか、チラチラ見ては怪訝な表情を浮かべていた。
「南雲さん、あのロボットの目的はなんですか?」
純樹の意識を引き戻すように、国安女史がハッキリとした口調でそう言った。
「も、目的はオレも知りません……」
「ジジイの夢だろ」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で空人が突っ込む。
「では性能はご存じですか?」
「搭乗タイプのロボットで、飛行能力もあると聞いています」
「アニメじゃあるまいし、無線操作はないだろうな。『電波の届かない所にいるか電源が入ってません』とか言われて行方不明になったら洒落にならない、面白いけど」
そう言ってくっくっと笑う空人を、国安女史は見ようともしない。無視することにしたらしい。
「設計図のことはご存じですか? 空人さんの話ですと山口さんという方が持っているとか。それがあればもう少し何か判ると思うのですが」
「ぐっさんが設計図を持っているのは本当です。でも今は居場所を言えません」
「山口さんを“ぐっさん”と呼ぶなら、谷口さんも“ぐっさん”なのかな」
「お坊ちゃま、谷口さんは“たにやん”ですよ。ちなみに浜口さんは“ハマちゃん”」
「つまりウィリアムを“ビル”と呼び、アンドリューズを“アンディ”と呼ぶ感じか?」
「若干違いますが、ほぼ一緒です」
「じゃあ、大宝寺はさしずめ“だいほうちゃん”というぐぐぐぐぐぐっ」
最後が完全に“ぐの骨頂”になったのは、近付いてきた国安女史が空人の両頬を摘み、力一杯引っぱったからだ。
「黙っててもらえますよね?」
「ふぁい……」
「もう余計なことは絶対に言わないでもらえますよね?」
「ふぁい……」
「竹の子も、バブル崩壊も、マイセンも、無線式ロボットも、ぐっさんも、止めてくれますよね?」
国安女史は知らないが、その間に“キャンドルライト”と“ガマの油売り”が混ざっている。
「ふぁきゃったから、へをふぁなへ」
ようやく解放された頬の痛みを取るように、空人は両手で顔をさすった。
「これは貴方の問題なんですからね。これ以上くだらない話を続けたら、脱税容疑で摘発します」
「……ったく、俺だって好き好んであんな物を……」
「なんですってぇぇ?」
国安女史の声は、地獄の使者の如く。
どうやら完全に切れているようだ。
切れるかなぁと思っていたが、やっぱり切れてしまった。結構耐えて方かもしれない。話を横道に逸らすのもこれくらいにしておいて、そろそろ真面目にロボット問題と向き合わないと、本当に罪人にされかねないと空人は軽く反省した。
「あの山口って男、設計図を持ってるとわざわざ俺に言っておきながら、病院から逃げやがった。アレはいったいどういう了見だ?」
半分以上は文句だが、たぶん横道には逸れていない。
国安女史を押し退けながら、空人は純樹に詰め寄った。
「ぐっさんは、坊ちゃんに合わせる顔がないと言ってました」
「それはどういうこと?」
結局は主導権を譲らない国安女史が、再び空人と純樹の間に割り込んできた。
「あの人は元々、公安調査庁の人なんです。大先生のことを調べるために、スパイしてたって言ってました。コンピューターの知識はいっぱいある人なので。でもすぐ、大先生が好きになって、オレ達の仲間になったんです」
「公調を裏切ったってわけね?」
「本人は、“二重スパイ”と言ってました」
「つまり、公調の動きを大宝寺氏にリークしていたということですな」
それまでずっと黙っていた田神が、物知り顔に説明した。
「だから完成間近まで摘発されなかったのか。オヤジのヤツ、なかなかやるな」
「けれど大先生がお亡くなりになる前、そのことが公調にバレてしまったようなんです。ぐっさんは、『大先生が死んだのは、事故ではなく暗殺だ』と言ってます」
純樹の話はこうである。
事故当日、公調から呼び出された二人は、ショッピングセンター内にあるレストランを指定した。そこなら人目があるし、下手なことは出来ないだろうと考えたのだという。
会談そのものは殆ど意味がない尋問のようなものだったらしい。『何か良からぬことを企んでませんか?』『いいえ』といった、判で押したような質問が繰り返されただけ。
一時間ほどそうして過ごした後、公調の連中は帰っていった。
ところが屋上の駐車場で車に乗り込んだ途端いきなり走り出し、死のダイブとなってしまったと言うことだった。
「ぐっさんは、車の匂いが違っていたと言ってました」
「匂い?」
「具体的には言えないそうです。ただ何となくというか……」
「分かるような気がするな。普段乗り付けている車と、他人の車の僅かな匂いの違いだろう」
田神にそう言われて、空人もなるほどと納得した。
「だとしても、警察は何も言わなかったのか?」
「警察? もしもそれが事実だったとしても、そんなことは闇から闇でしょうな。いがみ合っているからと言っても、法務省を敵に回すような真似は警察庁だってしたくないでしょうからね」
「防衛省の方が仰ると、真に迫っていてドキドキしますねぇ」
田神の背後で、伝十郎がまたもや余計な茶々を入れる。そんな彼に、国安女史の鋭い視線が飛んでいった。
「ああ、すみません、もう何も申しません」
伝十郎はすっかり乱れたバーコードヘヤーを撫でつけて、ペコペコと頭を下げた。
「オヤジは殺されたってことか」
「証拠はありませんけど」
「自業自得だな」
どんな夢だか知らないが、あんな物を作るのが悪いんだ。狙われたんなら止めればいいのに、意地になって作り続けるからこのざまだ。きっと大先生だ、大科学者だと言われいい気になって舞い上がっていたんだろう。つまりは年寄の冷水が行き過ぎた結果なんだ。
空人は内心でそう結論づけた。
ところが、まるでその結論に刃向かうかのように、右斜め後方より声が聞こえてきた。
「本当にそうかしら?」
かなり棘があるトーンである。その上、若干イラついているらしい。
空人は目を細め、あえて左へと顔を動かした。するとその声に反応し、国安女史が振り返る。しかし彼女の視線は空人の顔をスルーして、彼の背後へと移っていった。女史の隣に座っている純樹もまた、先ほどより更に怪訝な表情になり、やはり空人の後方を眺めている。
空人はそんな二人を無視し、純樹の向こうで立っている田神を睨みつけた。
「どういう意味だよ」
そう文句を言うと、中年男は困惑したような表情で眉を顰めた。
それに構わず、空人は更に続ける。
「何か文句でもあるのか?」
「大宝寺さんともあろう方が、目的もなくあんな物を作るとは思えませんわ」
声が聞こえる方向は後だが気にしない。
「どういう意味だって聞いてるんだ」
度重なる文句に田神は耐えきれなくなったのか、とうとう下を向いてしまった。
仕方がなく国安女史を見る。彼女も戸惑っているらしいが、もちろん無視。
「目的ってなんだ?」
「きっと明確な目的があったはずですわ。それに、その“山口”って人も本当に信用できると思えませんね」
そう言ったのが女史でも純樹でも、まして田神でもないことは空人にだって分かっている。だから今度は田神の背後で、頭に手を当ててしょぼくれている伝十郎を睨みつけた。
「どの辺が信用できないか、説明してもらおうか」
しかし、執事は睨まれているとも気付かずに、手櫛でバーコードを作成していた。
「山口氏だけが助かったというのが、嫌疑理由。二重スパイというのも、その人が話していることでしょう。そう思わせておいて、実は裏切りなどなかったとしたら?」
「だったら、山口の逃げた理由が説明付かない」
コツコツと大理石を踏み鳴らし、背後から誰かが近付いてくる。
その危険な雰囲気を察し振り返ろうとした空人だったが、相手の方が瞬間早く、肩を思い切り掴まれ、強引に向きを変えられた。
顔へと伸びてきた手のひらが異様に冷たい。両方から肉をギュッと圧迫され、顔が変形した。二度目のホッペタ攻撃だ。そのまま上下へとひねられる。
「ふざけんな」
低い声でそう言った相手は、グリグリと何度も肉を捻り続けた。
空人はそのか細い手首を掴むと、頬から引き離す。こう何度も醜貌を作られては敵わない。
「どっから湧いて出た?」
「わざとらしく無視すんな」
「お言葉がお汚いですわ、お嬢さん」
「一度、殺してやろうか」
先ほどまでは猫をかぶっていたのだろうか。ツインテールのツンデレ少女には、今の方がとても似つかわしい。他の誰かに言われたらきっと腹が立つだろうそんなセリフに、空人は何故かゾクッとした。
ひよりは掴まれている手首を振り払い、猫の目に似た瞳を空人に向けた。
「三文芝居が終わるまで待ってました。お話しはお済みでしょうか?」
変わり身の早さも、猫のそれとよく似ている。
空人はハンと鼻で笑うと大げさに肩をすくめた。
「別に大した話はしてないぜ」
「では下で例のマニュアルの件についてご報告します」
「まさか解読できたのか?」
ひよりは天使のような微笑みを浮かべると、
「八割方終わりました」
「マジかよ」
周囲がにわかに騒ぎ出す。田神の「おぉ」という感嘆の声。国安女史の「良くやったわ、ひより」という称賛。そして伝十郎の「お嬢様、大天才!」というヨイショ。事情が分からない純樹だけは取り残されたように、ぽつねんと座っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます