366日。

@geist

第1話 鈴木さんとの出会い。

午後9時。


もう、目の前の角を曲がれば

うちに着くというのに、幽霊が現れた。


確かに、街中でも寂しい通りではあるけど

幽霊が出るなんて聞いたこともなかった。

服は着ているものの、頭から血を流し、足がうっすらと消えていて

身体全体が透けている。

紛れも無い「幽霊」だ。

暗い道の中、街灯がスポットライトのように

その幽霊を浮かび上がらせている。

幽霊と縁がなかった30年間。

この初遭遇に驚く共に興奮と恐怖心が綯い交ぜになる。

不思議なもので逃げようという気はなく、ただただ凝視するしかなかった。


幽霊は目線を合わせると

ゆっくりとこちらに向かってきた

「逃げなければいけない」。本能がそう言っている。

僕はあわてて踵を返し、元来た道へと引き返し、走りだした。


「ちょっとまて!」低くこごもった声が僕を追いかけてくる。

よく怖い話に出てくる「振り返ってはいけない」やつだ。

全力で走る。

「いや、本当にちょっと待って!」

突然、普通のおじさんの声がした。

「お願いがあるんだよ!」

走っている最中だが思考を巡らす。

これは、いわゆるドッキリなのか!

走りをゆるめて振り返ると

目の前に、幽霊が幽霊のままいた。

ドッキリじゃなかった…。振り返ってしまった…。

もう、死ぬのかもしれない。後悔と自責の念が生まれる。


「あのさ、君がいま落としたビニール袋に入っているビデオ!

 ちょっと良く見せて!」

幽霊は普通に懇願する顔をしている。

嗚呼、手に持っていたビニール袋を走りだすときに

慌てて落としてしまったのだ。

息を呑み、幽霊の言うとおりにする。

うまくすれば呪われず、命も取られずに済むかもしれない。


暗い道に、ぽつんと落ちているビニール袋の元へと

歩いていき、拾い上げ、ビデオテープを取り出す。

「やっぱ、そうだ! それ『恐怖の駆逐艦』だよね!」

と幽霊が語りかけてくる。

今日、僕が中古ビデオ屋で探し当てたものだ。

声が出ず、頷くことしか出来ない。

「うおおおお! やっと持っている人が! ちょっと、君の家にいこう!」

頭から血を流した幽霊が喜んでいる。

しかも、僕の家に来ようとしている。

その表情を読み取ったのか

「あ、大丈夫! 命取ったり呪ったりできないから!」と

つとめて笑顔で話しかけてきた。

「いや、その…。このビデオあげるんで…。許してもらえませんか」

絞るように言葉を吐き出す。

「それが出来たらいいんだけど、幽霊って、生きている人の世界のものを

 触ったり、持ち上げたりできないんだよ。できるなら、やっているから…」

と少しせつない顔をしだす。

それから、幽霊…彼は事情を説明しだした。

映画が好きで、よく映画館や名画座に

勝手にすり抜けて入っていくのが趣味であること。

かつて、名画座で「予告」が流れ、楽しみにしていたものの

上映中止となった作品があり、それが『 恐怖の駆逐艦』であること。

それ以降、いろんな名画座で上映していないか、映画マニアが家で見ていないかなど

彼なりに手を尽くしたものの、見ることが叶わなかったこと。

「いやね。いま、少し気を抜いてたんだよ。誰もいないだろうって歩いてたの。

 そしたら、あなたに見られて、驚かす気なかったんだけど…。

 いや、でも、出会いってあるもんだね!

 まさか、このビデオを持っている人と、こんな出会いがあるだなんて!」

幽霊と会話しているとは思えない言葉がポンポン出てくる。

そして、家にくる気は満々だ。

「君は家でほかのことやってていい! それをテレビで流してくれるだけで!

 俺の姿が気分良くないなら、ちょっと姿を見えなくするから!

 迷惑かけないから!」

もはや逃げ道はないのかもしれない…。

幽霊に家を知られても困るけど、後をつけられて、結局、家にくるかもしれない…。

「じゃ、じゃあ。今日だけ…」

「よし、いこう! すぐいこう! あ、ちょっと気合入れて見えなくするから!」

そういうとスッと目の前から消えて、僕は暗闇の道にひとり、取り残された。


家は2階建てのアパートだ。

外階段を上がり、自分の部屋へと入る。

「いい部屋じゃない」。斜め後ろから声がする。

幽霊に部屋を褒められる日が来るとは思っていなかった。

「じゃあ、もうビデオ流すんで。いいっすか」

「うん! なんか急かしちゃってゴメンね! あと、申し訳ついでに

 姿見せてもいい? 透明になるの、ちょっと苦手なんだよね。俺。

 疲れちゃうっていうか」

言うが早いか、血まみれの頭が目の前に現れる。

「あ、血まみれだけど、家具とかには血はつかないから。安心してね」

そういう問題ではなかったが、2時間ガマンして帰ってもらおう…。

「じゃあ、僕はちょっと風呂とか入っているんで…」

そういって、ビデオを流し始め、風呂へと入る。


ユニットバスでシャワーを浴びる。

落ち着こう。いま、自分の部屋に幽霊がいる。

幽霊がビデオを見て、喜んでいる。

これを誰に言えば信じてもらえる?

これは怖い話として話せるヤツか?

これって自慢話にはならないよな?

これは不動産屋に言うことなのか?

でも、言ったら敷金は戻ってこないんじゃないか…?

脳内にいろんな疑問や思いが去来してくる。


そうは言っても

ユニットバスでシャワーを浴びる時間なんて

限られてはいる。

可能な限り時間を潰すが、意を決して居間へと戻る。

ユニットバスのドアを開けると

映画のBGMやセリフが耳に入ってくる。

居間へと目をやると、テレビの真ん前で

彼が真剣に画面を見ているのがわかる。

冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぐが

彼は飲むだろうか。

チラリと目線を送ると、それを察したのか

「あ、お構いなく」と一言だけ言って寡黙に画面を見つめている。

キッチンから居間へと戻りづらい。

「ソファには座ってないよ! 座って座って!」

彼なりに、気を使っているんだろう。

僕はいつも座っているソファへと座るが

ソファとテレビの間に薄透明な幽霊がいるのだ。

落ち着くわけがない。

映画は駆逐艦の中で幽霊騒動が起こっている最中に

敵の潜水艦が現れ、戦闘準備をしなければいけないというシーンらしい。

我が家も、幽霊騒動といえば幽霊騒動が起きているんだが

当の幽霊が、別の幽霊騒動を見ているという謎な状況だ。


やがて

映画はクライマックスを迎え、幽霊が乗った駆逐艦を爆破し

敵の潜水艦と幽霊を同時にやっつけてしまうという内容へ差し掛かっている。

幽霊退治をされるシーンを見て、幽霊はどう思うんだろうか。

いっそ、ゴーストバスターズとかの感想を聞いてみたい。

「は~。そうくるか」

幽霊も独り言を言うらしい。

「あの、幽霊倒されちゃいます…ね」

「そうね。頑張ってほしいね」

どっちにだろう。

こっそりとスマホを持ち、写真を撮ろうと試みる。

自分の部屋で映画を見る幽霊の背後。

前代未聞の心霊写真だ。カメラを立ち上げるものの

意外にもカメラに幽霊は映らない…。

「あ、写真はね。ムリだよ。心霊写真の9割は嘘だね。

 自分で幽霊になってみてわかったんだけど写んねえのよ。

 前にさ、女子高生のプリクラに写ってやろうかと頑張ったけど

 ムリなんだよね。あれ、写るには相当テクニックと気合いがいるみたいで」

画面を凝視しながら、そう明解に答える。

「あ、すみません。見えてると思わなくて…」

「見えてるっていうのとは少し違うんだよね。風景を感じるっていうかさ。

 ごめん、ちょっといいところだから後でね」


エンドロールが流れ、彼は満足したように伸びをする。

「いやー! 想像してたよりちゃんと映画だったなあ。

 もっとC級映画だと思っていたんだけど。世話になっちゃったね」

「その…幽霊になる前から、映画は好きだったんですか」

「それが、全然! まったく趣味なんか持ってなかったなあ。

 仕事一筋で、結婚どころか45で死ぬまで彼女なんて出来なくてね…。

 幽霊になってから、本当に暇つぶしで、ふと入った名画座で

 映画にハマっちゃって。不思議なもんだよね。

 死んでから、楽しみに気付くなんて」

45歳だったのか…。

「君は映画が趣味なの? 良ければ、これからもちょいちょい見にきていい?

 悪いようにはしないからさ。なんなら、知り合いで色んなとこに潜り込んで

 株とかの情報を仕入れてるやつがいて。

 ……それで株を当てちゃうこともできるけど?」

話が軽すぎる。

幽霊に未公開株情報。どんな一流の詐欺師でも一発で見破られてしまうほどの材料が揃いに揃っている。

「いや、株とかやんないんで…」

「心霊写真は俺はムリだしなあ。怖い話になるようなことも起こせないし…」

「結局…。この部屋に来たいってことですかね…」

「うん。映画館でやらないようなやつが観たくて。お願いしたい」

「その、来てもいいですけど、透明な状態なのはやめてください。いまの、姿が見え

 ている状態で…。あの、その血まみれなのは…」

「これねー。死ぬじゃない? 死んだ時に“幽霊になるぞ”ってタイミングが

 あるんだけど、そのタイミングで、どういう姿格好しているかで

 決まっちゃうんだよ。俺は血まみれだったから、これは変わらなくて…。

 あまりにグロいと情状酌量の余地もあるらしいんだけど…。

 俺のはダメだったんだなあ。申し訳ない」

「そうですか…。じゃあ。あの、寝ているときは本当にびびっちゃうと思うんで。

 寝てないときに…来てください」

「本当に! うれしいね! 友達連れてきていい? 

 俺、鈴木っていうんだけど、“鈴木くんは人当たりがいい”って言われてて

 案外友達多いのよ。幽霊の」

笑顔の幽霊に、僕は笑顔で答える。

「ダメです!」


こうして、幽霊の鈴木さんとの日々が始まった。



2016年3月9日。





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