第23話
踏み込んだ一間(ひとま)は、一方の壁が背の高い食器棚になっていた。
上部のガラス戸の向こうから、白い陶器の洋風小皿や湯飲みが整然と並んで私を見下ろしている。
上がこの通り食器棚だとすると、下の棚には米や調味料や、もしかすると漬物入りの甕(かめ)なんかを置いているかもしれない!
期待を込めて、真ん中の木で出来た戸を右から左へ引く。
カラカラカラカラ……。
唐草模様を焼き付けたどんぶり鉢、亀の描かれた大皿……。
どれも立派な品だが、肝心の中身がない。
同じ戸を今度は左から右へ引く。
カラカラカラカラ……。
こちらに鎮座ましますは、上物の急須(きゅうす)に火鍋(ひなべ)と窯(かま)。
いずれも材料なしでは墓石にも劣る。
藁(わら)をもすがる思いで一番下の棚に手を伸ばす。
ガラッ!
「うわ……」
思わず鼻を抑える。
私の苦手な、周家の古い酒蔵に似た匂いがした。
“WHISKY”
“BOURBON”
“CHATEAU-MARGAUX”
どうやら、西洋の酒らしい。
洋人の文字で書かれた名札が大小の瓶に貼り付けられている。
そうしてみると、紹興酒(しょうこうしゅ)や白酒(バイチウ)が並んでいた周家の酒蔵とは、もう少し違う香りも混ざっている気もする。
多分、中国の酒とは材料が違うのだろう。
何せ、洋人は人の生き血から作った真っ赤な酒を好んで飲むそうだから。
薄暗い中に西洋の字を記した瓶が並んだ様子を眺めていると、美酒というより何だか毒薬みたく見えてくる。
バタン!
瓶に入った毒を様々に調合して、にいっと緑色の目を細めている蓉姐(ロンジエ)の姿が浮かんできて、思わず棚を閉める。
私みたいな田舎者に毒を飲ますくらい、あの人にはきっと造作もないだろうな。
暗い一間のひんやりした床に屈み込んだままそんなことを考えていると、今更の様に寒気がしてきた。
応接間から鳴り響いていた電話の音が、急にピタリと静まった。
それまで、地鳴りの様に耳の脇を流れていた音の震えが止んで、初めて、それが今までずっと鳴り続いていたことに気付く。
小明(シャオミン)とあのガラガラ声は、一体、どんな用件で姐さんに掛けて来たんだろう?
そもそも、勝手に電話を取って良かったのかな?
考えれば考えるほど、何も知らない自分が怖くなってくる。
ピンポーン。
玄関の方から玉を転がす様な音が飛び込んできた。
思わずビクリと身を起こす。
一間の入口から玄関を窺ってみるが、それきり、辺りはシンとしている。
気のせいだったのか。
胸を撫で下ろすと同時に、鍵がちゃんと挿してあるかどうか、急に不安になった。
足音を立てないよう廊下に出て、恐る恐る玄関の扉に近づいてみる。
ダン! ダン! ダン!
突然、行く手にある玄関の扉が続けざまに揺れ、思わず飛び退く。
誰かが扉の外にいる!
ダン! ダン! ダン!
扉の取っ手に手を掛けたまま思い巡らす。
蓉姐なら、あの銀の鍵を持って自分で鍵を開けるはずだから違う。
偉哥なら、蓉姐と一緒に来るか、鍵を貸してもらうだろう。
……とすると?
ピンポーン! ピンポピンポ……。
呼び鈴の音が早打ち連打で転がってきた。
ダン! ダン! ダン!
「哥哥(あにき)! 哥哥!」
扉の向こうから二、三人の声が重なって聴こえてくる。
私は意を決して錠を外した。
「あいた!」
思わず額(ひたい)を押さえる。
扉がいきなり向こうから開いたので、思い切りぶつかった。
おでこを擦りつつ正面を見やると、十六、七歳位の、見知らぬ男の子が二人、立っていた。
二人とも、ポカンと口を半開きにしてこちらを眺めている。
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