第3話「バニッシャー」②

 未だ慣れない車内で穏やかに揺れること、約30分ほど。

 街の地下駐車場に入ったかと思えば、どう考えても公道ではない地下道路を進み、気付いた時には先日と同じ駐車場にたどり着いていた。


「到着いたしました。お降りくださいませ」

「……はい」


 スーツ姿の男性に言われるまま車を降りると、そこには彼の到着を待っていたかのように白衣姿の女性――フィルナ・ナイトレイが立っていた。


「こんばんは。いきなりすいません」

「いつでもいいと言ったろう? さあ、入ってくれ」


 彼女の後について、施設の通路を歩き始める。


「あの……詳しくは知りませんが、あなたは忙しいのでは?」

「なに、君を迎えるくらいの暇はある。それはともかく、返事の用意ができたのかい?」

「……いえ、まだです」

「別に決闘を無視しても構わないんだよ、私としては」

「なぜ、そこまで俺にこだわるんですか。ただ若くてランクの高いプレイヤーなら他にもいると思います」

「君を選んだ理由の大方はあの時語ったよ」

「……ロマン、ですか」


 彼女の言い分を要約すると、その三文字になる。


「一体、ロマンってなんなんですか?」

「明確に言語化することは難しいが、リスクの小さくない行為や手段で状況を有利に変えることやその姿勢、その可能性に期待できる状況のこと、と言えば伝わるかな」

「一発しか打てないけど高火力の大砲とか、弱い立場の者が強い立場の者に対抗して勝つとか、そういうことですか」

「全くその通りだ。よく分かっているじゃないか」


 褒められているようだが、あまり喜べる状況ではない。


「……アニメや漫画の見すぎでは? 現実で、しかも地球の存亡がかかっている状況下で、そんなギャンブルじみたことをする必要性は感じられません」

「じゃあ、バルバニューバには乗りたくないかい?」

「……できれば……」


 曖昧。

 明確な答えをはっきりと述べることは、今の彼にはできなかった。

 現実逃避の行き先としてはこれ以上ない場所だろう。

 何よりここには受け入れてくれる者がいる。

 居場所があるのだ。


 だが、自分が本当にそれを望んでいるのかは、疑問だったのだから。


「まあ、まだ時間はある。急かすことはしないさ」

「博士! 少しよろしいでしょうか」


 不意に前方から近づいてくる足音。フィルナ同様に白衣に身を包む研究員が彼女に向けて駆けてきていた。

 厭わしそうな顔をしながら、彼女は研究員からの小声の報告に耳を傾ける。


「ふむ――急ですまないがバン君、私は自分の仕事に戻らなくてはならない。せっかくだし自由にうろついてもらって構わないよ。みんな君のことを知ってる。案内が必要なら一人くらい回すよ」

「……いえ、ひとりで回ってみます」

「そう。じゃあ、またね」


 軽い調子で手を振って、フィルナは研究員と何かを話しながら通路を歩いていく。やがて角を曲がり、二人の姿は見えなくなった。

 人の声や足音もほとんど聞こえない。知らない場所で孤立して寂しくないわけではないが、自分で希望したことだ。

 バンはひとまず散策をすることにし、気の赴くままに施設内をうろつき始めた。


 シミュレータ室、実験室、保管所――様々な名前の部屋があるようだが、研究員ではないためにその中までは窺い知れない。

 興味はあったが、邪魔をするのも気が引けて、偶然通路で出くわした研究員に声をかけられては、ぎこちなく断っていた。


 そんなことを繰り返して、いつの間にか一時間が過ぎようとしていた頃。

 彼は少し休憩をしようと思い、各所の案内地図を頼りに休憩所へと赴いた。

 そこには四台ほどの自販機と、観葉植物、大き目のベンチが二台設置されている。

 他所にあるらしく、一か所分としては十分な設備だろう。一室程度の丁度良い広さもある。


 誰もいないのをいいことに、バンは遠慮なくベンチに座りこむ。

 背もたれに身を預けて天井を見つめるが、何かが思い浮かぶわけでもなく。

 ここにいても自分の欲しい解答は得られないのではないか、と思った矢先――奇妙な足音が聞こえた。

 ガシャン、ガシャン。

 機械、それも二足歩行のロボットだろうか。否、誰かがそういう靴を履いているのかもしれない。

 それくらいに関心を向けないでいると、足音は休憩所の方に近づいてくる。

 さすがに無視はできず音のする方を向けば――奇妙な光景が、そこにあった。


 バニッシャーが、歩いていたのだ。


「…………は?」

「あら、やっぱり見たことない。あなたが例のお客様かしら」


 素っ頓狂な声を上げるバンの方を向くと、バニッシャーは大人びた少女の声を発した。

 声の雰囲気だけならば、バンよりも少し年上といったところか。


「……自律ロボット?」

「いいえ、違うわ。ちゃんと人間が操縦してるバニッシャーよ」


 口調はともかく、人工音声にしては流暢すぎる。

 だとすれば、彼女自身が言う通りのようだ。

 だが、なぜ?


「……あなたも、バンクラプトと戦ってるんですか?」

「それも違うわ。このバニッシャーは医療実験用の非戦闘仕様なの」

「医療実験用……?」

「自己紹介がまだだったわね。私の名前は十三永姫瑠トミエイヒメル。一応ここで世話になっているわ。皆からはヒメって呼ばれてる」

「……馬場盤次。バンでいいです」

「敬語なんていいわ、大して歳も離れていないだろうから」


 そう言われてすぐに切り替えられる脳ミソをバンは持ち合わせていない。

 そんなことも知る由はないようで、彼女――ヒメはバンの隣に座った。

 些細な動作にガシャガシャと音を立てられては、気になって仕方がない。


「気持ち悪い?」

「え?」

「バニッシャーが隣に座っていること」

「……驚きはしてるけど、そんなことは……ないです」


 正直に伝えると、ヒメはふふとどこか楽しげに笑った。


「そんな新鮮な反応、初めてかも。皆、なんだかもっと別の何かを見ているみたいだから」

「……?」


 いまいち彼女の素性が分からず、意味深なことを言われてもバンには疑問符を浮かべるしかできない。

 彼女は何か物思いにふけるように何も言わなかったため、バンは恐る恐る先ほどの疑問を再び持ち出した。


「あの、医療実験用って言ってましたけど、もしかして」

「まあ言ってしまえばモルモットよね」


 薬は打ってないけれど、と彼女は冗談めかして言う。

 バンはさすがに笑えなかった。


「昔、バンクラプトの襲撃に巻き込まれたせいで、ほとんど体が動かないの。せめて顔だけでも動かせたのが不幸中の幸いかしら」


 彼女は秘密を語るというよりかは、誰にどう思われてもいいという諦念を含ませているように思えた。

 ゆえにバンは、どのような顔をして彼女の話を聞けばよいか、わからずにいた。


「そこで、フィルナ博士が話を持ち掛けてくれたの。バニッシャーに戦闘以外での用途を見出す実験を手伝ってほしい、ってね」

「あの人が?」


 バンにとって彼女は、とにかくロマンと言ってきかず、それ以外は興味がないようなイメージが既についていたため、彼女の話がにわかに信じがたかった。


「私も、あの人のことはまだよく分からないわ。だけど、建前とは別にちゃんと理由を用意してくれている人だと思う。……あなたも、あの人に振り回されてここにいるんでしょ?」

「あの人っていうか、あの人たちって言うか……」


 何にせよ、彼女もフィルナの言葉がきっかけでここにいるらしい。

 そう思うと、バンは不思議と親近感がわいてくる気がした。


「ねえ、バン。あなたはどうしてここに?」

「……それは――」


 バルバニューバのことを話すべきか、バンは一瞬躊躇したが、彼女が抱える事の重さに比べれば大したことはない。

 彼はこれまでの経緯を、かいつまんで彼女に伝えた。


「……それは、大変ね。私よりずっと」


 いまのヒメの体はバニッシャーゆえ表情の変化はないのだが、声の調子から苦笑しているのは容易に分かる。

 だがバニッシャーを介さなければ体を自由に動かせない彼女よりは、やはり気楽に思えた。


「バンは、ゲームのバンクラプトバスターズが好きなのよね?」

「好きって言うか、まあ、やりこんでるだけというか……」

「好きってことよ、それ」


 そうだろうか? バンは首をかしげる。

 自分は現実から目を逸らすために、仮想現実に潜り込んだだけに過ぎない。

 しかし、それだけ夢中になるだけの魅力があり、それに目を奪われているのは確かだった。

 ただ、それが好きという感情に直結するかは、不明だった。


「だけど、現実で、バニッシャーに乗って戦うのは何かが違うのよね?」

「……ゲームは、あくまで娯楽だから。でも現実で戦うってことは、何かを背負ってるってことで」

「まあ、自分や他人の命が懸かった状況でゲームなんてしたくないものね」

「だけど、ゲームと現実が繋がってるってことを知らされて……なんか、よくわかんなくなってます。――それに、そんな現実での戦いに参加して、戦局を左右するかもしれない機体に乗れって言われて……」

「博士らしいといえば、らしいわね」

「あの時、バルバニューバに乗らなきゃ良かったのかな、って思うことがあります」

「……それは、違うんじゃないかしら?」


 バンの右手がひやりとしたものに包まれる。ヒメの手に優しく握られていたのだ。

 バニッシャーの体なのだから、少し力を入れれば容易に彼の手を粘土のように歪めることもできるだろう。

 戦闘時にしかバニッシャーを扱ったことのないバンには、おそらく難しい芸当だ。


「あなたがバルバニューバに乗ったから救えた命もあったのよ」

「……それは……」


 否定できない。

 だが。


「……誰かを助けるために、乗ったんじゃないんだ……たぶん……」


 少なくともあの場においては、バンクラプトバスターズのプレイヤーならば誰でも対処できたはずだ。それが過小な分析だとは、彼は思っていない。

 なのに、誰も一歩を踏み出そうとしなかった。

 彼らは誰かがやってくれる、と根拠もなく信じていたのだから。

 

「誰でもできることを他人に任せて、それが重なって誰もやらなきゃ、もっと悪いことになるから……そう思ってやっただけで、俺はほとんど無意識になってて、何も凄いことなんかしてない……やったとしたら、それは全部バルバニューバのおかげで……」

「それでも」


 ぐいっと強引に、ヒメはバンの顔を自分に見合わせた。

 思わずバンが目を逸らしたのは、バニッシャーの顔を間近で見るのが怖かっただけではないだろう。


「バルバニューバを動かしたあなたは立派よ」

「……違うんだ……立派な事なんてしてないんだ……!」


 自身を守るかのようにヒメの手から離れ、バンは服に皺が残るほどに強く肩を抱く。

 脳裏に映るのは、忌まわしい過去。

 なぜ他人と自分の価値観はこうもすれ違うのだろう?

 なぜ自分の《当然》は《立派》なのだろう?


「……ごめんなさい。思い出したくないことがあるのね。知らずに勝手なことを言ってごめんなさい」

「……いいんです。慣れていますから……」


 しばし、重い沈黙が休憩所を包む。

 先にそれを破ったのは、ヒメの方だった。


「あのね。立派って言ったけれど……私はあなたを特別扱いして、祭り上げたりしたいわけではないの」

「!」


 彼女の言葉が胸を刺すような感覚に、バンは思わず顔を上げた。


「……だってそれじゃ、次も、その次も、ずっと先まであなたに任せっきりみたいだもの。あなただけがそんなに苦労する理由はどこにもないでしょ?」

「ぁ……」


 そんなことを言われたのは、初めてだ。

 誰も、やって当たり前だと掌を返して言っていたが、結局やろうとはしない。

 彼女の言うように、なんでもバンがやってくれると思ったのかもしれない。

 勝手に抱いた英雄のイメージを裏切られた結果が、あの偽善者呼ばわりだと――そういう可能性は、否定できない。


「私はバンに、バルバニューバに乗れなんて言わない。無理に戦えとも言わないわ。……それに、ここに居る人は、大事なことを全部バンに押し付けようとか、そんなことは考えていないと思うの」


 ヒメの言葉は、じわじわと氷を解かすような暖かさがあった。

 バンの肩からも、徐々に力が抜けていく。


「だから、他人をもっと頼っていいのよ。きっとみんなあなたを助けてくれる。一人で前に立ったのだとしても、みんな背を押してくれる」

「……ありがとう」


 これまで謝礼を述べることは幾度となくあったものの、どれも表面的なものばかりだった。

 彼が心の底からそう言えたのは、いつぶりだろう。


「……なんだか、遠回しにバルバニューバに乗れって言っているみたいね。ごめんなさい」

「確かにまだ、迷ってます。でも、ちょっとだけ心が軽くなりました」

「役に立てたならいいのだけど……ごめんなさいね。あなたのせいというわけじゃないのだけど――普段、君ぐらいの人と話すことがないものだから、つい喋りすぎてしまって」

「いいんです、気にしないで」

「……優しいところもあるんだ。バンはいい子だね」


 やはり表情に変化はない。

 だが微細な声の調子の変化から、顔も知らない少女が柔和な笑みを浮かべているような――そんな気がしてならなかった。


 それが原因だろうか。

 不思議とバンの胸が高鳴っていたのは。

 彼女のことをもっと知りたい、などと青臭いことを思ってしまったのは。


「――っと、そろそろ検査が終わるんだった。ごめんね、私行かなくちゃ」

「あ……」


 検査という単語でどういう要件なのかは察せた。

 それでもバンは、無意識の衝動を抑えることができなかった。


「どうかしたの?」

「……また、会えますか」


 それ以外に、もっと気の利いた台詞はあっただろう。

 今更取り消すこともできず、彼は顔の紅潮を感じながら彼女の反応を窺った。


「運が良ければね」


 今度は、声から表情を想起することはできなかった。

 強いて言えば、愛想笑い。何かしらの感情を隠したポーカーフェイスともとれる。

 まだ友人と言える関係かどうかといったところ――当然だ。まだ会って本当に間もないのだから。

 些か不満げにしながら、バンはゆっくりと首肯した。


「じゃあ、またね」

「はい。また」


 バンはぎこちなく手を振り、無機質な足音を立てて休憩所を去るヒメを見送った。

 やがて曲がり角に彼女の影は消え、通路に響いていた足音もフェードアウトしていった。


 再び一人になったバンは、重い溜息を吐いて頭を抱えた。

 ――彼女のためなら戦えるかもしれない。

 ふと、そう思ってしまったことに気付いたのだ。

 そんな理由は不純だと、理性が告げる。だが本能はさして耳を貸さない。

 不純で何が悪いのか、と。


 だが理性は冷静だ。今すぐこの場を離れてフィルナを探し、ナギとの決闘を無視して戦うことを宣言しに行くような真似はしない。




 当の本人が現れなければ。

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