1 見送り坂、別れの橋、見返り坂

「この桜吹雪が目に入らぬか!! 江戸ところ払いを申し渡す。」


 裁きを受けた忠二は、金さんや親しい仲間と本郷『かねやす』までやってくると、金さんは「田舎でまじめに働くんだぞ! おふくろさんを大切にしろよ。」と忠二に声をかけた。


 「金さん・・・あ、いやお奉行さま、お世話になりました。これからはしっかり働きます。」 忠二は答えると頭を下げ、目の前の橋を渡り何度も振り返り手を振りながら中山道を下って行った。


 テレビドラマの『遠山の金さん』や『大岡越前』をみると、温情裁きで「江戸ところ払い」をうけた罪人が、ラストシーンで皆に見送られながら橋を渡って何度も振り返りながら去っていく光景を誰もが見たことがあるだろう。


 ここ本郷三丁目交差点の北にある『見送り坂』⇒『別れの橋』⇒『見返り坂』はまさにそういう場所である。


 日本橋から中仙道を下って来ると、かねやす(現在の本郷三丁目交差点)に至る。

ここまでが江戸市中である。現在の『かねやす』は本郷三丁目交差点南西角に位置する洋品店で、通りに面した柱に『本郷も かねやすまでは 江戸のうち』という看板が掲出されている。


 かねやすを過ぎると道はやや下りとなり、下りきったところには、その昔は小さな潺があって、橋が架かっていた。

橋を渡ると、また緩やかな上りとなる。


 江戸を追放された罪人は、親類縁者や友人が見送る中、何度も振り返りながら去っていくので、橋から南側のかねやすまでの坂を『見送り坂』、反対の北側の坂を『見返り坂』といった。


 今中山道を車で走り抜けると、ここが“坂”であることを意識する方は少ないだろう。

自転車や徒歩で散策して初めてここが坂であることがわかるくらいの緩やかな傾斜である。


 中山道の東側は東京大学であるが、江戸時代は加賀藩上屋敷だった。その加賀藩上屋敷から流れ出た小さな潺は、見送り坂と見返り坂の間を横切り、『菊坂』入り口付近の二の谷を流れ下っていた。その小川にかかる橋が『別れの橋』という。


 江戸時代は清廉な水の流れに、泥鰌や鮒が遊んでいる様子が手に取るように見えた事だろう。

 土手には四季折々の花が咲いて、春には蝶が舞い、夏には蛙が煩く鳴き、秋には蜻蛉が舞っていたに違いない。残念ながら今は小川も橋もなく、道端に文京区が設置した標識には、『別れの橋跡』と表記されているのみである。


 この標識は、中心に『別れの橋』を配して、左右に『見返り坂』、『見送り坂』と見事な書体で描かれた、なかなかしゃれた標識だ。


 菊坂入り口から、本郷三丁目交差点方向(南)を見ると、微妙に上り坂になっている。菊坂入り口から東京大学の赤門方向(北)を見ると、こちらも微妙に上り坂になっている。

 見送るもの、見送られるもの、ここ別れの橋を間に挟んで様々な人生が行きかったことだろう。

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