第7話 喰われる猫
三階にある社長室。豪華な応接セットに、南向きの窓近くには高級マネージメントデスクが置かれている。壁には白木の大きな神棚が設置され、書棚には読みもしない英文背表紙の専門書が並んでいた。
小笠原はエアコンの効いた室内で昼間のスタイルのまま、ソファにどっかりと腰を降ろしている。前のソファには
「ところで、おまえたち。あの先生がおっしゃった話だが」
「
「うむ。まさかこのO市にそんなお宝が眠っているなんて、聞いたこともないがな。この小笠原をかつごうとしているなんてことは、ねえだろうなあ」
小笠原は剣呑な表情を浮かべる。
「いえ、社長。それがまんざら出鱈目な話でもないように思います。
O市の大塚古墳は有名ですし。ただ金生山は石灰が産出されるために、かなり古くから掘りつくされています。山の麓付近には石灰の生産工場がありましたが、とっくに廃業しております」
爬虫類のような男は博学を披露する。もっともこれは、O市内の土木関係の仕事を一手に引き受けている立場上仕入れた情報にすぎないが。
「そうかい。確かにこの土地には色々な代物が地面の下にはあるみたいだが。
アメリカの大学教授がわざわざおいでになるちゅうことは、あの山には石灰以外にもまだ知られていない財宝が隠されているやもしれんのう。
それでだ。先生がさっそく明日から調査に入りたいとのことだが、人員はそろうんだろうな」
「そいつはお任せください、社長。いつでも配下を動かせまさあ」
角刈りの男はうなずく。
「よし。いったいどれくらいの財宝か知らんが、おがませてもらうか。それと中尾、東京の先生にはいつものように紹介料を振り込んでおいてくれ」
「はい。で、今回はいくらほど」
小笠原は指を三本立てた。
「かなりの額ですね」
「仕方ない。まあそれ以上の身入りが期待できるって話だからのう」
小笠原はソファにみっしりと肉のついた背中をもたれさせた。
〜〜♡♡〜〜
百目は提供されたホテル最上階の部屋から、O市の夕景を瞳に映していた。
スーツの上着はシワがよらないように、すでにクローゼットにかけられている。
部屋はシングルルームでキングサイズのベッドと応接セットが設置されており、そのテーブルの横には彼が持ち込んだラージトリップパッキングケースが鎮座している。
空調の音のみが静かに漂う部屋のなか、ひとりたたずんでいた。
「水の都か。たしかに夕陽に輝く川の流れは美しい」
目を細め、誰にでもなくつぶやいた。目を閉じ、首を軽く振る。
「おや? 予定では明日ではなかったかな」
百目は独り言にしてはやや大きめの口調で問う。背後で影が揺らめいた。
施錠されている部屋に、いつの間にか人影が立っていた。
「予定、早くなった」
人影が窓辺に近寄る。女性であった。夕陽を反射させる髪はショートで金色に輝いている。透き通るような白い肌。黒目の大きな切れ長の目に、オレンジ色のルージュ。まだ幼さの残る十七、八歳の少女だ。
濃い緑色の袖を絞ったシルクの上着に、同色のミニスカート。ブーツは迷彩柄である。
「そうですか、リンメイ。まあこちらものんびりするつもりはありませんからね」
両手を腰に当て百目は振り返り、少女リンメイの顔をのぞき込む。
「そうそう、まもなくミスター小笠原がディナーのお誘いにいらっしゃるけど、キミはどうしますか?」
リンメイは無表情に言う。
「ひとりで、行く」
百目は両腕を肩の高さに上げて、ふっと息をつく。
「食事はとても大切ですからね。でもあまり派手に食べないでくださいね。誰かに怪しまれると困りますから」
「わかってる」
リンメイの双眸が妖しく光った。それは夕陽を反射した輝きではなく、体内から発光するオレンジ色の光であった。
〜〜♡♡〜〜
夜の帳がO市を包む。じっとりとした粘着質の空気が町を漂っていた。
O市駅通りから地元に本店を構える地銀の東側、通称ブラツキ街と呼ばれる歓楽街。
ビジネスバッグを肩にかけカッターシャツの袖をまくりあげた二人の中年サラリーマンが、千鳥足で三件目の店を目指していた。すでにかなり酔っている様子だ。
通りにある小さな公園が視界に入った。
「ちょっと、お手洗いへ」
ひとりがフラリと公園の柵をまたいだ。
「お、俺も」
公園は子供用というよりも、街の外観を保つために作られたものであり、遊具はないがベンチは設けられていた。三方は雑居ビルに囲まれており、酔った二人は公衆トイレのある奥へ歩く。歩道の外灯とトイレの淡い光が交差する位置。
ドサッ!
二人の目の前にいきなり黒い袋が落ちてきた。
「アッ、あぶねえっ」
「誰だよ、放り出したのは」
ひとりが見上げる。どこかのビルからゴミ袋が投げ捨てられたと思ったのだ。
しかし雑居ビルの灯りが洩れる窓には、どこにも誰もいない。
「お、お、おい」
片割れの男性が悲鳴に近い声で、上方を向いたままの連れの袖を引いた。
「なんだよ」
酔いの影響でぼやけた目をこすりながら、落とされた黒い物体を確認する。
「ゲッ!」
それはゴミ袋ではなかった。
「ね、猫っ?」
四肢を広げた黒い猫の仰向けになった死骸であった。ひとりが背をかがめて吐く。アルコールで麻痺した神経でも、その動物の残骸はひどい有様であったのだ。
「は、はらわたが、無くなってる」
切り裂かれた腹部。そこにあるべきはずの内臓がごっそり消えているのだ。まるで肉食の
男たちは悲鳴を上げながら公園から逃げ出した。
O市駅前の交番から二名の警察官が自転車で駆け付けたときには、公園を遠巻きに数人の野次馬がいた。猫の死骸のはずが、いつの間にかヒトの惨殺死体が転がっているとデマが流れていたのだ。
中年の警官が野次馬に近寄らないように注意している間に、若い警官が警棒と懐中電灯を手にしながら公園のなかへ進む。
警官は猫の死骸を注視しながら、慎重に周囲を見渡した。懐中電灯の光は特に異変を捉えていない。相方の名前を呼んだ。
「ハマさんっ」
中年の警官が公園内へ入ってくる。
「猫、一匹だけか?
若い警官はうなずく。ハマさんと呼ばれた中年警官は眉間にしわを寄せた。
「またかよ。駅北に続いて二件目だぜ、こんな無残な猫ちゃんの死骸。いったいどこのどいつだ、えげつない悪さをしているのは」
憤慨した様子で両手を合わせる。猫好きなのであろう。
田中は自転車から青い不透明のビニール袋を取ってきて、黒猫の死骸を丁寧に包んだ。その頃には猫だとわかった野次馬たちは、ほとんど散っていた。
つづく
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