10.打ち明け話



 夜も深まり、子供達が就寝の準備を始めた頃、フィーネは難しい顔で院内の廊下を歩いていた。原因はセイである。

 最近セイの様子がおかしいのだ。行き先の知らされない外出の回数が増え、帰ってきても院長と重要図書閲覧室にこもってなかなか出てこない。それとなく院長に聞いてみても、「そのうちセイから話すだろうから」と言われ教えてもらえない。

 しかし、セイは日々隈を濃くして憔悴していっているように見える。事情がなんにせよ、それを見過ごすわけにはいかない。

 フィーネはセイの部屋の前に立ち、深呼吸をする。

 今日もセイは朝早くに出かけ、日が沈んでから帰ってきた。夕飯もそこそこに部屋に引き上げ、それから一度も出てきていない。

 疲れがとれるというお茶を載せた盆を片手に、フィーネは意を決して扉を叩いた。少しの間を空けて、誰何の声が返ってきた。


「フィーネだけど……お茶、持ってきたから開けて?」

「え、フィーネ? えっと、ちょっと待って」


 何やら紙の擦れる音と、引き出しを開け閉めしたらしい音がした後、勢いよく扉が開かれる。距離的に当たるはずはないのだが、その勢いにフィーネは思わず身を引いた。風圧が前髪を揺らす。


「どうしたの?」


 やはり、近くで見てもセイの顔は疲労が色濃い。


「何か最近疲れてるみたいだから。疲れが取れるってお茶淹れてきたの。入ってもいい?」

「え、あ、……う、うん」


 慌てたように無意味にきょろきょろと周囲を見た後、へらりとセイは笑った。そして、身体をひいて室内に招き入れてくれる。

 セイの部屋とフィーネの部屋の間取りは同じだ。家具の配置は少々違うところもあるが、概ね違いはない。奥にある机にお茶を置いて、セイが勧めてくれた椅子に座る。

 机の上は何か書き物でもしていたのか、乱雑だ。机上を覆いつくすかのように様々なものが置かれているが、不自然に間隙がある。恐らくはフィーネが扉向こうで声をかけた後に何か仕舞ったのだろう。

(やっぱり何か、隠してるよね……)

 しかし相手から切り出されないのに問いかけていいものかわからない。院長の言からすると待っていれば話してくれるのかもしれないが、気になるものは気になる。

 よし、とフィーネは気合を入れて口を開いた。


「ねえ、セイ」

「あの、フィーネ」


 被った。それはもう見事なまでに。


「うわ、えっと、ごめん」


 意気込んでいただけに、必要以上に動揺してしまう。それはセイも同様のようで、落ち着きなく視線を彷徨わせながら「いいいいやこっちこそごめん!」などと言っている。

 そのまま暫し、妙な沈黙が降りた。

 双方とも機会を伺うように互いをちらちらと見遣りつつ、目が合うと反射的に逸らしてしまう。埒が明かない。

 フィーネは意を決して再び口を開こうとしたが、それより一瞬早くセイの声が響いた。


「あの!」

「ぅえ!?」


 驚きにおかしな声を発してしまう。しかし何やら緊張しているらしいセイは、それにも気づかない様子で続けた。


「は、話したいことがあるんだ! あ、いや、話さなきゃいけないことっていうか、その、あの……」


 しどろもどろに話すセイは挙動不審以外の何物でもない。思わずフィーネは、「お、落ち着いて」と机の上に置かれたままだったお茶を差し出した。

 セイはそれを受け取ってぐいっと煽る。院長に叩き込まれた作法からは外れたその飲み方に、よっぽど余裕がないのだろうとフィーネは思った。


「ご、ごめん。……えーと、そう。その、話があって」


 それはさっきも聞いた、と心の中で思いつつも無言で先を促すフィーネ。


「すごく突拍子もない話だし、信じられないって思うかもしれないけど……嘘じゃないから、信じてほしい」


 真剣な目でフィーネを見つめ、セイはぎこちなく告げた。



「その、……僕、王になるんだよ、ね」

「……………………は?」


 今の自分は相当な間抜け面になっているだろう、とフィーネの冷静な部分が思考する。しかし考えるべきは、今まさに告げられた耳を疑うような発言の内容についてだ。


「……王?」

「うん」

「……誰が?」

「その、――僕、が」

「…………えぇええええええぇ!?」


 力いっぱいフィーネは叫んだ。そんな彼女に、セイは視線を明後日に向けてたそがれた。


「う、うん……その反応はもっともだと思うんだけど、ちょっと傷つく……」

「だって、ええ!? 王って王様でしょ?! なんでセイが――」


 そこまで言って、フィーネはふと何かに気づいたように表情を変えた。


「セイって市井に下りてる王位継承者のうちのひとりだったの!?」


 公にはされていないものの、現王の子供たち――王位継承者が市井に下りていることは暗黙のうちに知られている。第一子である第一王子の存在は広く知られているが、他は王の意向で秘されていた。故に正確な人数は一般に流布されていないのだが、複数であることは誰もが知っていた。

 そのうちの一人が、セイだというのか。

 フィーネの問いに、セイは頷きを返した。


「……冗談じゃ、ないんだよね」

「うん……残念ながら」


 眉尻を下げてそう言うセイに、フィーネは一気に脱力感を覚えた。


「セイが、王様……」


 信じられない。というか信じたくない。家族同然で育った人物が――しかもお世辞にも王者の風格があるとは言えないだろう人物が、次期王だなんて。

 幼い頃は怪我をして泣いたり犬を怖がって半泣きになったりしていて、ちょっと前には子供に飛び掛られて転んだり階段を踏み外して転げ落ちたり――そんな情けないところを近くで見てきたセイが、王。

 やっぱり夢なんじゃないか、と思ってフィーネは自分の頬を抓った。普通に痛かった。……どうやら現実らしい、と渋々フィーネは認めた。


「……じゃあ、最近疲れてるのって」

「即位式の準備のせい。礼儀作法とか、大体王族に必須なことは院長に教えてもらってたからいいんだけど、式典は色々特殊な部分もあるし。全体の総括とかの雑事もあるから忙しくて……。何か心配かけちゃったみたいでごめん」

「いや、それはいいんだけど」


 理由を知れば憔悴っぷりにも納得がいく。国を挙げての一大行事を控えてのことならば当然だろう。


「そっか……」


 ずっと気になっていた『隠しごと』についてもこれでわかった。月に一度の外出は王族として何かやらねばならないことがあったからで、週に一度院長と重要図書閲覧室にこもっていたのは、帝王学などの王族に必要な知識を学ぶためだったのだろう。


「セイが王様になるってことは、院からは出て行くんだよね……さみしくなるなぁ」


 しみじみと呟く。と、何やらセイの顔が赤らんでいることに気づいた。


「どうしたの、セイ?」

「い、いいいや何も!!」

「何もって、顔赤いわよ。熱でもあるんじゃ……」

「いやほんと大丈夫だから! 心配しないで!!」


 そう言われても、明らかに様子がおかしい。しかし本人が大丈夫と言っているのだし、問い詰めるのもどうかと思い、フィーネは追求しないことした。


「えっと……じゃあ、わたしもう戻るから。何かやってたんでしょう? 邪魔しちゃってごめんなさい」

「あ、いや、邪魔なんて……お茶、美味しかったし」

「それならよかった。あんまり根詰めすぎないようにね。即位式前に倒れたりしたら大変だし」

「うん、わかった。ありがとう、フィーネ」

「どういたしまして。……それじゃあ」


 笑みを交わして部屋を出る。そして黙々と歩いて自分の部屋に戻った。

 室内に入り扉を閉めたところで、フィーネは扉に寄りかかってずるずると座り込む。


「セイが王様、かぁ……」


 あんまりにも突拍子もないこと過ぎて、なんだか現実味がない。けれど、そんな嘘をセイがつかないことはわかっている。我ながら往生際が悪いな、とフィーネは思った。

 『隠しごと』のことはあっても、フィーネは心のどこかでセイはずっと院に居るような気がしていたのだ。他の子供たちは一定の年齢になれば働き口を見つけてここを出て行くと決まっているが、自分とセイは他の子供たちとは少々違う立ち位置だ。だからこそ、そんな風に思ってしまっていた。


「そうだよね……本当の『家族』じゃないもんね……」


 本当の家族であってもいつかは家から出て行く場合もあるが、それでも顔を合わせることはできるだろう。

 けれど、セイは王になるのだ。気軽に会うことなどできるはずがない。


「――……さみしい、なぁ」


 セイと居ることをこんなにも当たり前のように思っていたことに苦笑する。だからといって引き止めようとは思わないし、そんなことはできないだろう。セイにはやるべきことがあるのだから。


「……よし!」


 ぱん、と両頬を叩いて、フィーネは自分に活を入れる。


「明日の朝ご飯は精のつくものにしよう! 少しは疲れも和らぐかもしれないし」


 何も手伝うことはできないから、せめて自分にできる精一杯で協力したい。

 そう考えて、早速下ごしらえのために厨房へ向かったのだった。

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