少女と剣と裁きの女神

南風禽種

第1話 プロローグ

 大陸の中央部にある王都へと通じる、古代から続く石畳の街道――。


 山間部を縫うように延々と続いている石畳は、谷あいの山道に差しかかろうとしていた。ここを越えれば、「聖跡」と呼ばれる遺跡に達する。


 この道は、古い河道の跡を利用したのだろう。両側には壁のように、急な斜面が厳然とそびえ立っている。

 乾燥地帯らしく灌木しか生育しないその谷は、旅人や行商人たちにとっての難所になっている。切り立った谷を利用して造られた街道は、山脈の鞍部に設けられた峠まで、延々と続いていた。


 だが、ここが難所である理由は、気候の厳しさによるものだけではない。


 貧しさのあまり盗賊に身をやつした近在の部族が山賊となり、この周辺で頻繁に出没しては、哀れな旅人たちを狙うからである。


 そしてこの日も、峠へと続くその石畳の道を扼するかのように、武器を携えて立ちはだかる十人以上の男たちが、わずかにふたり連れの旅人を半円形に取り囲み、道を阻んでいた。


 ふたり連れの旅人はどちらも、お揃いの白っぽいローブを着込んでおり、フードを目深にかぶっているせいか、顔が見えない。

 一人はすらりとしていて背が高いが、もう一人の方は、子ども程度の身長しかない。親子連れにも見える。


 背が高い方の旅人は、ローブを着ていても隠しきれないほど長く、かつ上等で、白い鞘に収まった片手剣を、鞘ごと左手に握りしめている。

 だが、その片手剣は細く優美な形をしているが、直剣ではない。わずかに湾曲していた。


「おい――そこのでっかい方。珍しい剣を持ってんじゃねえか。置いてけよ、なあ?」


 熊のように大きな体つきの、ふてぶてしい面構えを隠そうともしない男が、昼間だというのに酒臭い息を吹きかけながら、背が高い方の旅人に顔を近づけた。


 この大男がどうやら、山賊の首領らしい。彼の周囲には、申し訳程度の革鎧を身体に引っかけただけの痩せ細った手下どもが、腰巾着のように薄笑いを浮かべてたむろしている。


「…………」

「…………」


 しかし、ふたり連れの旅人たちは事前に示し合わせていたかのように、両者とも微動だにせず、まったく口を開こうともしない。

 そうしているうちに、ただ時間だけが虚しく流れていく。


 そして、長い沈黙に焦れたのは、山賊の首領の方が先だった。


「……いい度胸じゃねえか。ああん? この街道を仕切る俺たちの恐ろしさってやつを、その身体でじっくりと味わってみたいようだなあ?」


 痺れを切らした首領は、静かな怒りを口調に込めながらそう言うと、左手を振り、周囲の手下どもに散開を指示すると、自分の腰に帯びていた巨大な蛮刀を、見せつけるようにゆっくりと引き抜いた。


 その蛮刀は、罪のない旅人たちの血を何十人、これまでに吸ってきたことだろうか。

 赤黒く錆びついた蛮刀は、上段に振り上げられると、強い日射しを受けてギラリと鈍く輝いた。


 散開した手下どもも次々と蛮刀を抜き払うが、彼らは下卑た笑みを浮かべながらも、飢えているのかフラフラと足下がおぼつかないでいる。


「――れな!」


 背が高い方の旅人は、これまで首領など眼中にないような態度を続けてきたが、散開した手下どもの惨めな有様をフードの中から見た瞬間、ようやく小さな言葉を漏らした。


「――哀れな。神はなぜ、かくも厳しき艱難を、彼らに与えたもうたのか」


 反りが入った白い片手剣を鞘ごと持ったまま、背が高い方の旅人が、目深にかぶったフードの陰で、優美な唇をわずかに動かした。


 ――その呟きはまさに、鳥が歌うかのようにまろやかな高音。

 かつ、清冽な響きを持った、少女独特の舌足らずな声――。


「こいつ――女だッ! 女の旅人だぞおッ!」


 それを耳ざとく聞きつけた手下のひとりが、頓狂な声を上げた。


「なんだってえ! 女の旅人なんて見たことねぇッ!」

「勝ちですぜボス! 引っ捕らえて売っ払っちまいましょうぜえ!」


 そんな驚きの声を耳にした途端、即座に、周囲の手下どもが大騒ぎする。

 その声につれてにわかに、熊のように大きな身体をした首領の顔が、鼻の下を伸ばした愉悦の笑みへと、醜く変わっていった。


 相手は年端もいかない少女――。その事実は、彼女たちの行く手を取り囲んだ山賊たちの目的を、金品の強奪から、別のものへと転換させるのに十分だった。

 この時代、女性の旅人というのは非常に珍しかった。道中どのような危険な目に遭わされるか、常識として誰でも知っていることだったからだ。


「ああ! こんな山奥にまで、俺たちに女を恵んでくれて……。神様ありがとうッ!」


 特に狂喜した山賊の首領は、天を仰いで絶叫した。

 空々しくも神への感謝を唱えながら、蛮刀を放り捨てて彼女たちに手を伸ばしてくる。


「わが偉大なる主の名を、あなたのような者が――。汚らわしいッ! この無礼者ッ!」


 女性であることを明かした、背が高い方の旅人が、嫌悪感のあまり身をよじってその手を拒絶した。

 その仕草は、どこからどう見てもか弱き女性のものだった。


 しかし――。それは単なる拒絶ではなかった。

 少女は身をよじるのと同時に、わが身を回転させつつ、白いローブを翻した。


 ローブがめくれ、その下から彼女のくびれた腰が露わになる。

 だが、その華奢な身体には、それを締めつけるかのように、上等な飾りが彫り込まれた純白の胴鎧が着けられていた。


 そして、彼女が腰だめに構えた片手剣から、突如として白刃の斬撃が一閃――。

 日射しに照らされた純白の軌跡が、三日月のような残像を描いて首領の胴体を包み込んだ。


「――うがッ?」


 腕を振り上げたままの姿で、首領は目を見開いて断末魔を上げた。

 次の刹那、熊のように大きな彼の胴体が、徐々に横ずれしていく。


 まさに、一瞬の出来事。首領は何が起こったのか知ることもなく、立ったまま胴体を両断され、その場で絶命したのだった。


 やがて首領の胴体から、噴水のように盛大な血しぶきが噴き上がった。

 数秒後、石畳の街道では、輪切りにされた大男の死体が地面に横たわるという、凄惨な光景が現出されたのだった。


「こ、こいつ! よくも親分を!」

「女だからって、俺たちは手加減しねえぞ!」


 親分が輪切りにされたことで、驚愕しつつも逆上する山賊ども。

 彼らは手に手に錆びついた蛮刀を振り上げ、今にも彼女に襲いかかろうとした。


「――おい、落ち着け! こいつ、女だがかなりの使い手だ。気をつけろ!」


 だが、その中に慎重そうな者がいた。鋭い声で忠告すると、自分は遠巻きに回る。

 逆上した手下どもはそれで思い直したのか、手に持った蛮刀を握り直すと、二人の旅人を取り囲んで、慎重に間合いを取りはじめた。


 その数、十人以上――。圧倒的ともいえる戦力差が、取り囲んだ山賊どもの鼻息を荒くする。


 それでも背が高い方の少女は、あれほどの腕前で街道を血に染めた直後でありながら、妙に落ち着き払っている。

 まるで、首領さえ倒せば自分の役目は終わりだ、とでも言わんばかりである。


 そして彼女は、剣に付着した血糊を念入りに払い落とすと、あろうことか剣を鞘に戻したのだった。

 あまりにも舐めきったその態度に、それを目にした途端に呆気にとられ、武器を取り落とす山賊がいる始末だった。


「――さあ、ここからはあなたの出番ですよ? クーリアさん」


 片手剣を白い鞘に戻し、ローブの乱れも直した少女は、血の惨劇があっても無言のまま突っ立っていた、背が低い方の旅人に向き直って語りかけた。

 途端、小柄な方の旅人は、その言葉を恐れていたのか、がっくりと落胆した。


「あう……。また後始末はあたしがやるんですかあ? フェリシア様は、いつもカッコイイところばかりで、ずるいでしゅ……」


 目深にかぶったフードで顔を隠したまま、嫌そうな口調で答えたのも、若い女性の声。

 若いというよりも、子どもっぽいあどけなさすら残る、幼女の声である。


 オーバーな動きで落胆してみせるのが、幼女ができる最大の抗議なのだろう。しかし、背が高い方の少女はまったく意に介さないばかりか、殺し文句まで付け加えてくる。


「なにを言うのです、クーリアさん。あなたが修行中である呪術魔法の、またとない実践の場なのですよ? いつまでも森のクマさん相手では、つまらないですよ?」


「うにゅっ……そ、それはそうですけどお……。それに、さすがにクマさんが相手じゃないですし……」


「でも、いいのですか――? あなたの力で取り戻したいのでしょう? あのお方を」


「ふにゅうう……。ふぇ、フェリシア様は意地悪ですぅ……」


 その受け答えは、まるで貴族のお嬢様とそのメイドのよう。

 だが小柄な方の幼女は、子ども同然の身長である上に粗末な旅人の服を着ている。どこからどう見ても、良家のお嬢様にかしづくメイドではない。


 それに対し、涼しげな口調でどんどん追い込んでいく、背が高い方の少女は、顔を見せようとはしないものの、ローブの隙間からはぴったりと身体に合った、凜々しい純白の胴鎧を覗かせている。

 フードの隙間からは、やや銀色がかった長い髪が、わずかに見えていた。


 その立ち姿はまさに、荒れ野に咲いた芍薬か、あるいは牡丹の花か――。


「こ、こいつら……俺たちを何だと思ってやがる……」

「女とガキだと思って手加減してきたが――お前ら、親分の仇だ! やっちまえ!」


 このような状況で、すでに勝ったかのような問答を始めた二人の旅人。それを見て、山賊どもの大半がいきり立った。

 だが、そこはさすが狡猾な山賊。手に手に蛮刀を振りかざしつつも、彼らは必然的に弱そうな幼女の方を狙ってくる。


「うぇー、仕方ないなぁ。もうっ……」


 結果的に山賊どもに取り囲まれ、なし崩し的に彼らの相手をすることになってしまった幼女は、再び大きな動作で落胆を示した。


 しかし、初めのうちこそ面倒くさそうな態度を示していた幼女だったが、さすがに血に飢えた男どもがこちらに迫ってくるのを前にしては、腹をくくる時だと判断したらしい。

 彼女は着ていたローブのフード部分を掴むや否や、勢いよく、ローブもろとも空へと放り投げた。


 露わになったのは、赤いリボンで結ばれた、明るい褐色が映えるツインテールの長い髪。

 そんな彼女の身を包むのは、どこの農村でも見られる、粗末なエプロン付きの服。


 だが、小柄な少女に似合わぬほど大きい、手に持った黒い表紙の分厚い写本が、異彩を放つ。


「――さあ、クーリアさん! 今のうちに詠唱を!」


 大柄な方の少女は、涼しい声でそう言うと、ローブを身につけたまま再び片手剣を抜き、素早い動きで山賊どもの包囲網を牽制しにかかった。

 あたかも荒野を舞う、蝶そのもの。しなやか、かつあでやかな少女の動きを前にして、いきり立った山賊どもは攪乱され、足並みが揃わずに右往左往しはじめた。


「――は、はいいっ!」


 図らずも時間的余裕をプレゼントされた少女は、その気前の良さに驚きつつもウォーターサファイアのような青緑色に輝く大きな目を見開き、慣れない手つきで、分厚い写本を両手で押し開いた。


 そして分厚い写本は、開かれた途端ほのかに発光すると、開かれたページを上にして、どういうわけかそのまま空中に静止した。


「――今日もいい子だね。グリモワちゃん」


 少女は晴れやかな表情に戻ると、空中に静止した写本をのぞき込み、ページを手のひらで軽くさすった。こうすれば読まなくても、写本に記された文字から、不思議な力を得ることができるらしい。


 そしてその力を得た少女は、いつの間にか、開かれた左手の上に、人魂ほどの大きさの火の玉を浮かばせていた。

 その火の玉は、まるで意思がある動物のように、ゆっくりと左右に動いている。


 彼女はそのままの姿勢で目を閉じ、まるで歌うような節回しで、詠唱を開始した。


「酷烈なる地獄の業火よ、わが手に宿れ……。そしてわれの眼前に、罪深き者を裁く灼熱の原野を生み出したまえ――」


 舌足らずな声で綴る詠唱。ところどころが発音できず、「ちゅみ深き者をしゃばく」になってしまうのは、致し方あるまい。


 それでも、詠唱式の完成度には関係がないらしい。詠唱は滞りなく完了した。


 同時に、少女の足下に、強い日射しの下でもはっきりと視認できるほど鮮烈に光る、褐色の同心円が複数浮かび上がった。

 光る同心円のところどころに、古代文字のような紋様がちりばめられているようだ。


 これは「魔法陣」と呼ばれる、呪術魔法に特有の魔術結界。古代祭儀の流れを汲む、魔力に満ちた魔法的秘術のひとつとされている。


「――ええいっ!」


 刹那、元気な掛け声を挙げながら、少女は浮かばせていた火の玉をわしづかみにしたかと思うと、そのまま思いきり魔法陣に叩きつけた。

 魔法陣に叩きつけられた火の玉は即座に変形し、赤い絨毯のように地面をするすると覆っていく。


 その動きはまるで、乾燥した大地に粘性のある鉱物油をぶちまけたかのよう。わずかに発火した火の絨毯が扇形となって、山賊どもの足下へと伸びていく。


「こ、このガキ! なんだか不思議な術を――」


 その扇形の絨毯は、色めき立つ山賊どもがいる位置にまで届くことはなかったが、それ自体が帯びている炎の熱があるため、彼らも容易に近づくことができないらしい。


 これなら、誰も炎に巻き込まれないはず――。

 それだけを確認すると、少女は一気に、魔法の真の力を発動させるフレーズである「魔法名解放」を行った。


「う、うまく行ってえ! 『地獄へとダス・エトラント・デア・フランメ誘う、炎の・ウム・ツア・ヘレ・ツゥ曠野』・プロヴォツィーレンっ!」


 次の瞬間、扇形の絨毯から勢いよく、渦を巻いた炎がいくつも噴き上がったのだった――。

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