23代:アッシュ帝紀前編 -3番目の皇子-

 地球という惑星がある。

 人類が発祥した惑星であることは言うまでもない。

 人類は、この銀河の片隅にある分厚い大気と膨大な水を保有する惑星の一角で生まれた。アフリカという大陸で、進化した生物である。

 やがて人類は、惑星全土へと広がっていった。熱帯から極地方に至るまで、人類は生活環境の困難な場所にすら、自ら進んで居住した。そして、巨大な技術文明を生み出した。

 哲学者アンリ・ベルナール・デュナンは、人類には3つの特徴があると評した。

 好奇心が旺盛であること。

 怠惰であること。

 自意識過剰であること。

 この3つの特徴ゆえに、人類は他の生物にはない「文明」を生み出した。

 好奇心の旺盛さは、人類の専売特許ではない。多くの動物が好奇心を持っている。好奇心というのは自分の周りで起こる変化に注目する機能だ。それがないとあっけなく死んでしまう。ただ人類は、その好奇心で得られる情報を分析し知識として蓄積する癖がある。それを共有することで人類社会を安定化させた。

 怠惰であることは重要だ。怠けたいからこそ、頭を使い道具を生み出す。楽したいからこそ、面倒なことは機械にさせる。結果的にそれが科学技術を発展させた。人類が真に勤勉であったなら、早々にアフリカの草原で滅亡していただろう。

 自意識過剰であること。実は、これこそ人類と動物の違いだと、デュナンは主張した。自分とは何か。生きるということが、一般の動物であれば、単なる外からの刺激に対する反応の蓄積でしか無いのに対し、人間は自分の内面を見て、自分という存在を知ろうとする。自覚であり、自意識である。自分というものを自覚して、それを第一に優先する。自意識過剰は、時に争いを招き、自らを滅ぼすことにもなるが、自意識過剰だからこそ、そのために他者を必要とし、他者との関係構築も可能になるのだ。

 人類はこの3つの要素によって、比類なき大文明を築いた。

 人類が開発し、人類以上の計算能力を持つ独立AIのクエラもまた、自律性を持つという意味で知的生命体と言えるが、人類と比べると、この3要素は乏しいようである。

 やがて人類は、地球を飛び出し、宇宙へと広がっていった。

 今やその領域は銀河系の3分の2に達し、膨大な数の国家のもとに暮らしている。

 当たり前の話だが、地球という惑星は、今でもある。

 そして地球には、今も人類が住んでいる。

 人口は100億少々だが、人類居住惑星の中では多い方だ。

 小規模の自治国が数万ほどあり、単一国家ではない。しかし、これらの自治国の太陽系外植民地には、惑星単位のものもある。これは地球だけが、入植惑星ではなく、原産地だからだ。国家の中枢だけを地球に置いて、植民地を諸惑星に分散するのは、地球が特別な地位にあるからだ。人類発祥の地という他の惑星には経験できない歴史を持っているのである。

 地球以外の国々の人にとって地球は、遠い先祖の発祥した故郷の星、と言う実に希薄な存在だが、同時に一種の聖地でもあった。

 そのため、地球への観光や、地球への留学、と言ったことは、昔から盛んに行われている。

 まだ一皇子に過ぎなかった頃のアッシュも、地球に留学した。14歳のときである。

 アッシュ=フール・デラノドルーテ・ロード・クラウディオン・フォルトルーサ・ヘルメセルト・ド・フンダは、フン帝国22代皇帝テリオットの3男にあたる。母親は、帝国首相だったコーダ侯爵の姪エレイン。エレインはテリオットと直接的な関係はなく、伯父の意向により皇帝の精子で妊娠、生まれたのがアッシュである。

 アッシュには二人の兄がいた。

 長兄はテリオット帝の皇后クライシュラが産んだ、ジラン・オーシューク・ブラウン・ロード・エスカイア・アルザード・ケイン・ド・フンダである。

 次兄はコーダ首相の娘ライラが産んだ、ムード・ブルーン・ドライアス・ロード・ファルシオン・クレイス・デュアン・ベアール・ド・フンダである。

 本来なら長兄ジランが、皇太子になっているはずだが、コーダ政権になってから、留保されていた。もちろん、コーダが自分の娘か姪が産んだ子に皇位を継がせたいと思うようになったからである。一方でクライシュラも負けじと貴族らと組んで運動を展開していた。両勢力は拮抗しており、また第三者の思惑も絡んで、未だ継承についての明確な方針が出ていなかった。

 アッシュは6年ほど地球にいた。フン帝国の歴代皇族の中で、地球へ赴いたのは、14代皇帝アルフレードの息子で、宇宙船の事故で死亡した皇太子ブルワルドについで彼が二人目だが、これは歴史学を学びたいというアッシュの動機から、人類史がもっとも長い地球と決まったのである。もっとも、皇位継承問題が水面下で動き始めているときである。権力背景に乏しかった彼は帝国中枢から体よく外された、という見方もある。

 本人はそういう裏事情に気づいていたかどうか。おそらくは気づいていただろうと思われる。超大国の中枢部が、実は、電子的に傀儡と化した皇帝と、それを操る権力者たち、そしてその後継をめぐる駆け引きの場になっていることなど、帝国臣民も、諸国民も知らない。そんな異様な中で育った彼は、そこから逃げ出せるチャンスとばかりに、むしろ喜んで僅かな側近らとともに地球へと赴いた。


 アッシュはこの留学中に、二人の人間と知り合うことになる。

 一人は、辺境の小王国スカトゥリアの王子だったフェルナード・キーバリー・ビロウナであり、もう一人が地球生まれで、商人の子であるウスタジュ・ムスタファーである。

 フェルナードとウスタジュの二人は、後にアッシュにとって重要な存在となり、同時に銀河の歴史にとっても重要な存在となる。

 が、出会った時はまだ、少年同士の友人関係に過ぎなかった。

 彼らはパシフィック・シーテックス・コンドミニアム・シヴィル・ハイユニバーシティ(太平洋海洋技術研究共同国市民高等大学)という大学の下部コースに入った。企業国家の経営する大学で、太平洋上のフロート式人工島にあった。

 アッシュは歴史学コースに入学したが、そこで経済史を教えていたブリスベン教授の影響で経済にも強く興味をもつようになり、教授のもとに出入りするようになった。

 ブリスベン教授は、歴史を軍事や政治だけで見るのは間違いであると常々主張していた。

「いいかね諸君」

 と教授は生徒らを見回してこう言った。

「歴史上で起こった出来事は、常に2つの要因を背景に持っていた。何かわかるかね」

 生徒らが次々と手を上げて答える。権力、宗教、法律、科学技術、軍事……。

 教授はいちいち頷いたあと、

「今諸君らが言ったことは、物事の一面でしかない。我々は本質を見極めなければならぬ。本質と瑣末を間違えてはならない。では、歴史における本質とはなにか。事象の要因というのはなにか。歴史とは、次の2つによって生み出されてきた。すなわち、」

 ここで教授は一旦口をつぐみ、じろっと生徒を見回し、生徒らが黙ってつばを飲み込むと、囁くように、しかしはっきりとした声で、

「金と、女だ」

「……」

「……」

 生徒らはポカン、とした。

「もっと概念的に言えば、経済と男女関係、これが歴史を作っている」

 ど、どういうことだろう、と思春期に差し掛かった生徒らは、ややうろたえながら思った。

 教授はニヤニヤして続けた。生徒の反応を楽しんでるのだ。

「いったい人間とはなにか。人間は所詮生物であり、生物の本能からは逃れられぬ。我々が一見頭を使って考えていると思えることも、実は本能で浮かんだことにあとから理由づけをしているに過ぎない」

 そう言い、

「生物の本質はなにかと言えば、子孫を残すことだ。太古のこの地球の海の中で、アミノ酸が複合体となって代謝するようになって以来、人類が銀河の広汎に広がった今日に至るまで、変わることなく生物も人間も、子孫を残すために生きている。そのために、食べ、考え、争うのだ。わかるかね、諸君。人間で言うなら、歴史の本質は、セックスにある!」

 生徒らは顔を赤らめた。教授はすました顔でうなずき、

「そしてもう一つ重要な事がある。動物の多くは、メスがオスを選ぶ。逆の場合もあるだろうが、基本はメスに主導権がある。なぜか。メスが子孫を産むからだ。オスはその意味でメスに頼るしかない。オスがいなければ子は出来ぬ、そう思った諸君もいるだろう。だが、動物の中にはメスしかいない種もあり、飢餓などのときだけメスの一部が性転換してオスになる。発生学的に見ても、あるいは胎児の発育状況を見ても、先にあるのはメスであり、その後オスに変化する。オスとはそういうものだ。遺伝的多様性を確保するためにメスから作られる精子製造装置にすぎない」

 教授は一息入れると、

「そしてメスは子を産み育てようとする本能のために、必要な環境を整えられるオスを探す。餌を手に入れ、安全な場所を確保し、快適な巣を用意できるオスをだ。それはたとえば猛獣であれば、ライバルを殺し、敵からメスと子供を守る牙や爪、角を持つ強いオスであろう。これが人間となるとどうなるか。人間は社会性動物であり、集団を形成する。その集団の中で個体としての立ち位置が重要になってくる。立ち位置が社会の上層部になるほど、餌を確保しやすくなり、巣を作りやすくなる。すなわち、メスを手に入れやすくなる。また人間は社会を動かすために、必要な物資を生産するが、生産できないもの、足りないものは社会内部の個体や外部の社会集団から入手する手段を考えた。それを介在するのが、カネである。給与のことをサラリーと言うが、これはソルト、すなわち塩と語源を同じくすると言われる。人間にとって必需品の塩を物々交換の基準として利用したからだろう。そこから貨幣が生まれ、貨幣は経済の基準となった。社会を支える基準である。つまり諸君、権力を持つということは、いかにカネを持つかということである」

 教授は講義室の中をコツコツと歩き、男子生徒がかたまって座っているところで立ち止まる。生徒らの顔を覗き込み、

「男子諸君は、そろそろ女子諸君からモテたいと内心思うようになっているだろう。どうかね? 隠すことはない。健全な証拠だ。だが、どうやったらモテるのか。まだまだ諸君らの人生経験ではわかるまい。そこでかく言うこの私が、その秘訣を教えてしんぜよう」

 そう言って、講義室を見回す。

「モテたければ、稼げる男だと女子に思わせることだ。稼ぐ手段は色々ある。頭を使って商売をするのもよし、学者や技術者になるもよし、考えるのが苦手なら、体を鍛えてスポーツ選手になるという手もある。歌やダンスがうまくなるのだって良い方法だ。それらの能力がないのであれば、権力者に擦り寄るというのも立派な手段である。見栄えが良いだけでも人の評価は随分違うだろう。そうすることで男は女の歓心を買い、女は自分と自分の子供を守れる男を探す。そのために人は行動し、その結果人は出会い、そして子孫を残せるようになる。わかるかね、諸君。人の行動原理は常にそこにある。経済と男女関係。歴史はそういう人の本能によって作られてきたのだ」

 生徒らは戸惑った。

 これがもう少し経験を経た大人なら、人はそれだけではない。極論である、と反論もするだろうし、あるいはジョークとして受け止めて笑いもするだろうが、15歳位の少年少女にとっては、どう受け止めてよいかわからなかった。

 アッシュもまた、ブリスベン教授の言うことに顔を赤くしたが、彼の場合は、頭のなかに一人の少女のことがあったからなおさらだっただろう。侍女のレティオラのことだ。下級貴族出身で、側仕えとして送られてきた者で、4つ年下であった。彼はレティオラのことが気になっていた。

 同時に彼は、ガチガチではなく、威張り散らすのでもない、俗っぽいが知的な雰囲気もある、この不思議な教授にも惹かれた。人生の先輩として、魅力ある人物だったのだ。

 ブリスベン教授のもとに出入りするようになって、彼は、同じように顔を出していたフェルナードとウスタジュのふたりと知り合った。ふたりとも商学コースに在籍していたのだ。

「教授って、変わってるだろ。俺も最初は驚いたぜ」

 ウスタジュはそう言った。フェルナードもうなずき、

「この大学の他の先生には、ああいうタイプは一人もいないよね」

「他の教授から目の敵にされてるらしいぜ」

「学問らしからぬことばかり言ってるのに、生徒に人気があるからだろうね」

「誰だね、私のことを噂しているのは。私に興味を持つのは構わんが、私には美人の妻がいることも忘れぬように」

 そう言いつつ教授が顔を出して、3人は大いに慌てた。

 アッシュは2人とすぐに仲良くなった。

 しかし当初、アッシュは自分の身分を隠していた。

 すでに銀河にその名を知られるようになっていた超大国フン帝国の第3皇子である。言えるわけがない。身分が知られて、誘拐などの対象にでもなったらどうするのか、というのもあるが、アッシュにとってはむしろ、それで相手が萎縮して友人づきあいできなくなるのでは、という方を恐れたのだ。

 また、自分の国の暗い部分を知っているだけに、言いたくない気持ちもあった。

 もっとも、フェルナードは薄々気づいていたらしい。

 フェルナードは自分の身分を隠してはいなかった。

 銀河の辺境にある小国、スカトゥリアの王様ビュルティゴールの嫡子である。彼はすでに後継者に定められていた。

「まじかよ、すげーじゃねーか」

 と貧乏市民出身であるウスタジュは驚いたらしい。フェルナードは苦笑して、

「王様と言っても、なにしろ辺境も辺境、ド辺境だもの。周辺数百光年に国などほとんどないしね。人口も300万人くらいかな」

 そんな孤立した宙域に300万人もよくいるな、とむしろそっちが驚きだよ、などと自嘲気味に言った。

「しかもさ、正式な国の名前が、スカトゥリア=リッヒ共和国なんだよ」

「……」

「……」

 アッシュとウスタジュは黙った。

 しばらくして、ウスタジュが口を開いた。

「君の国は、あれか、象徴君主制なのか」

「絶対王政だよ」

「絶対王政……」

「議会も何もない。選挙制度もないよ。大臣は国王の任命制。一応、憲法みたいなのがあってさ、といっても全部で9条しかないんだけど、その第1条は、国王は神聖にして不可侵である、だって」

「……」

「……一応聞くけど、それって、共和国とは言わないのでは」

「多分、言わない」

「……」

「じゃあなんで?」

「……共和国と言ったほうがカッコイイ、と思ってたんじゃないの。うちの歴代のご先祖様は」

「そ、そういうものかな」

「いや、俺は絶対違うと思うぜ。民主国家だと思わせて投資を呼び込んだり貿易しようと思ったんじゃねーのか?」

 そう言ってアッシュとウスタジュは首をひねった。

 そのフェルナードは、アッシュをどこかの大国の貴族か、あるいは王国の王子様ではないかと疑うようになった。

 どんなに目立たないようにしても、桁違いの身分の出というのは、自然と違いが出てしまう。喋り方、所作、礼儀作法、知識、それに着ている服や、持っている道具などにも金がかかってしまう。

 銀河のド辺境とは言っても、一応は王族出のフェルナードは、アッシュを見て、「違うご身分」であることは区別がつく。

 ウスタジュがフェルナードのことをあまりにすげーすげー言うものだから、ある時彼は、つい言った。

「僕なんかより、アッシュのほうがすごいよ。詳しくは知らないけど」

「そうなのか? そういえば、あいつの出自を聞いたことがないな」

 ということで、二人は、教授室に来ていたアッシュに尋ねてみた。

 アッシュは言葉を濁したが、

「心配しないでいいよ。君がどういう出だろうと、僕達の友情は変わらない」

「そうそう。俺たちは友人同士だぜ。隠し事はなしだ」

「そうだけど……」

 と躊躇したが、しつこく聞かれてつい告白した。

 フン帝国の第三皇子だと。

「……」

「……」

 二人が黙ったんで、アッシュは不安になった。あまりにも超巨大国家である。皇帝が指を一つ鳴らせば、惑星の一つくらい吹っ飛ばせそうな権力と武力がある。恐ろしすぎる力だ。

「あの……」

 とアッシュが口を開こうとした時、

 ウスタジュが言った。

「聞いたことねーな、そんな国」

「え?」

「なあ、フェルナード、お前知ってる?」

「いや……ごめん、聞いたことない」

 アッシュは呆然となった。フン帝国を知らない人がいるんだ。

 偉そうに銀河帝国計画だのと言っても、まだまだ知られていないのだ。銀河の広さを思い知らされた。

「つーか、帝国って。時代錯誤だなー。どんだけだよ」

「いやまあ、うちも絶対王政なんで、あまり言えた身分じゃないけど」

「でも帝国はないだろ、帝国だよ、インペリアルだよ、そんだけ国でかいのかよ」

「大きいのかい」

「まあ、そこそこ」

 そう答えるしかない。

「あははは、アッシュんとこも、結構盛るね。まあ、王族か何かだろうってのは信じるけどさ」

「それは間違いないと思うよ。ていうか、ウスタジュ、君笑いすぎだよ。失礼だって」

「そーかあ? だって帝国だぜ。じゃあ、聞くけどさ、父親は皇帝なのかい」

「う、うん。一応」

「まじで? 聞いたかよ、皇帝って。やっぱ盛りすぎじゃね?」

「やめろよ、笑うのは、アッシュに失礼だって」

「いやいや、自分は別にいいんだ」

 アッシュは遠慮して言った。

 わりーわりー、とウスタジュが笑って謝り、

「なあ、フン帝国、ってのがどこにあるのか、調べてみようぜ」

 とクエラの端末を触った。フェルナードも「アッシュに悪いよ」と言いつつ覗き込む。

 検索結果など、詳細に見ていく必要はなかった。

 超膨大な結果が表示された。

 一番トップに、フン帝国の公式サイトがあった。たしかに、時代錯誤なデザインの、しかも軍事大国らしいガチガチの内容である。アッシュのほうが恥ずかしくなる。

「……」

「……」

 二人が目を皿のようにしてサイトの内容を読んだ。

 アッシュの不安が高まった。

 しばらくして、二人が、そろーっと、アッシュの方を振り返った。

 フェルナードは困惑65%、動揺35%という表情をしていた。

 ウスタジュの表情は凍りついていた。笑顔のまま凍っていた。なるほど、文学的表現で、笑顔が凍りつく、というのはこういうことか、とひと目で分かる表情であった。表情筋がタンパク質をやめて鉄になってしまった感じだ。

 二人は、ガバッと床に平伏した。

「ご、ごめん、知らなくてごめん。そんな大国だとは思わなかったんだ。ド辺境の生まれだから、うちは銀河の端っこだから」

 フェルナードが謝ると、ウスタジュは、

「ま、ま、ままま、マジで悪かった。盛り過ぎとか言って、マジで。つーか、全然、盛ってなかった。むしろ逆だった。やべーし、俺マジでやべーし、バカだし」

「そんな、いいんだよ、ほんと気にしてないし」

 そう言うと、ウスタジュがひょこっと顔を上げ、

「ほんとか?」

「ほんとに。知らなくても別に気にしないよ。銀河は広いんだもの。僕だって、他の国のことなんてよく知らないし。フェルナードの国のことだって」

 フェルナードも顔を上げ、

「いや……、僕の国は、知らなくても当然みたいなものなので」

「まあ、たしかにそうだな」

「ちょ、なんだよウスタジュ、さっきまですげーとか言ってたじゃない」

「だって、アッシュの国知ったらなあ。やべーだろ。違いすぎだろ」

「そうだけど、そう言われるのは面白くない」

「わりーわりー」

 ウスタジュは笑い声を上げる。

「前々から思ってたんだけど、ウスタジュ、ちょっと軽すぎじゃない」

「そんなことねーだろ」

「そんなことあるよ」

「そーかなー。俺は真面目だぜ。なあ、アッシュもそう思うだろ」

「う、うん」

「ほら、アッシュだって認めてるぜ」

「アッシュは優しいの、気を使ってるんだよ」

「おー、さすが、銀河一の皇子様だけあるぜ」

「銀河一って……」

「ウスタジュ、君全然わかってないよ」

「わかってるぜ、アッシュはすげーやつだってことだぜ」

「その話じゃなくて、君が軽いって話」

「俺のことはいいじゃんよ。それよりアッシュだぜ。なー、どんな国なんだ、フン帝国って」

「それは僕も聞きたいな」

 二人はまたいつもの二人に戻った。

 アッシュの危惧はどこへやら。何も心配することはなかったのだ。


 3人は、大体、どこへ行くにも一緒だった。

 アッシュには他にも何人か友人も出来たが、フェルナードとウスタジュの二人は別格だった。

 3人は下部コースから大学の学部コースへと進学した。

 その翌年のある日のこと。

 講義が終わって、大学の図書館や食堂などが入っているコミュニケーション棟に来ると、ベランダからウスタジュが風景を眺めていた。人工島の周囲に広がる太平洋が見渡せる。

 声をかけると、ウスタジュは振り返った。

「おう、講義は終わったのか?」

「まあ。何見てたんだ?」

「うん、ちょっとな」

「……?」

「俺、用事があるんで、今日は先に帰るわ」

 そう言って、ウスタジュは出ていった。

 入れ替わるように、フェルナードがやって来たので、ウスタジュの様子が変だと話すと、フェルナードは表情を曇らせた。

「彼のお父さん、亡くなったらしい」

「え! そうなのか?」

「今朝、連絡があったそうだ」

 ふと、アッシュは気づいた。そういえば、フェルナードの家のことは色々話を聞いているが、ウスタジュのことはあまり聞いたことが無い。

 それをフェルナードに言うと、フェルナードはアッシュをビュッフェに誘った。

「ウスタジュのお父さんは、実業家だったらしいんだ」

「そうなんだ」

「だが、会社の経営に失敗して没落したらしい」

「没落……」

「彼の話では、この学校の入学金だけは知り合いから借金して用意してくれたらしいが、そこから先は、彼自身がいろいろアルバイトとかして賄っているからな。経済的には厳しいみたいだ。それにそのお父さん、病気だったそうだ」

「それじゃ、亡くなったというのも」

「うん、そういうことらしい」

 フェルナードは少し小声になり、

「病気と言っても、そんな難病でもなかったそうだ。ただ、お金が足りなくて、リジェネラティブ治療ができなかったそうだ。していれば完治できたそうなんだが」

「そうだったのか……」

 アッシュは彼の後ろ姿を思い出した。普段、明るくて、卑屈なところがない彼だが、苦労を見せないようにしていたのか。

 ウスタジュの父親は実業家として、そこそこの人物であった。ほどほどには成功した、という意味である。しかし、成功は長続きしなかった。事業の見通しを誤り、大きな損失を出してしまった。会社は他人の手に渡り、財産もほとんど失った。

 だが、意気消沈するかと思えば、前以上にやる気を出していたという。

 彼は一つの信念を持っていた。

「人の運命には定量がある。しかし、運命は常に同じだけもたらされるわけではない。時には大いなる運気が訪れることもあり、時にはほとんど運気がないこともある。人間の一生とはそういう波の繰り返しだ。大事なのは運気が訪れた時に、それを掴めるかどうかなのだ」

 だから彼は、自分が商人として必ずしも成功していないことを嘆かなかった。まだその時機ではない、そう思っていた、あるいは思うようにしていたのだろう。

 その教えは息子にも引き継がれていた。

 ウスタジュは、父の死後も、いつもと変わらぬ様子を見せていたが、以前よりも、強く信念を持つようになった。そして在学中から、ビジネスを始めるようになった。

 それに対し、大帝国皇帝家の三男坊であるアッシュと、辺境の王国後継者であるフェルナードは、随分とのんきであった。とはいえ、二人にもこの先の安寧が保証されていたわけではない。

 アッシュは皇位継承という厄介な問題を抱えていた。帝国の長い歴史の中で、常に争いのもとになった問題である。

 本人には、皇位継承に対してその気はないようだったが、ライバルとなる異母兄二人とその支援者らはそうは見なかった。もともと兄弟間でさほど親和的でもなかったからなおさらだ。少しでも可能性のあるライバルは、早々と手を打って芽をつんでおくに越したことはない。彼らのアッシュに対する厳しい視線は日を追うごとに強まっていた。

 ただ今のところ、地球にいる分にはまだ安全だったと言えよう。他国で事件を引き起こすほど、問題を表沙汰にするレベルではなかった。まだ父帝が存命であり、継承問題は水面下で動く状況にあった。外交問題を引き起こしてヤブヘビになっても困る。しかし、重臣らによって「機械的に」コントロールされている皇帝は、心身の衰弱も進んでおり、そう長くはないと誰も思っていた。そう思われる皇帝の存在の薄さも哀れであるが、継承問題は避けられなかった。

 フェルナードの方は、王位継承が確定しており、誰も反対しておらず、なんの問題もなかった。

 しかし、王様に成れば成ったで苦労が待ち受けている。スカトゥリアは、とにかく辺境中の辺境であり、人口も少なく、周辺に大した国家が一つもない。交通路からも外れた、社会的に見てどん詰まりのようなところだ。おそらくは貧困に耐えかねた移民が代々星から星へと移住を繰り返してたどり着いた星界の果てのような歴史があるのだろう。そういうところだから産業らしい産業もない。人口が少ないため、農業自給率だけは100%だが、それはカロリーベースの話で、贅沢な食事ができるというものでもなかった。

 資源で唯一あるのは、領内の2つの星系から産出するリッヒ石という鉱物資源だけだ。古い時代の超新星爆発にともなって生まれたと考えられるこの石は、内部にエキゾチック原子というものを含んでいた。これは原子核と電子の組み合わせである通常の原子とは異なる、プラスの電荷を持つ原子核とマイナスの電荷を持つ素粒子の組み合わせである。本来この種の異種原子は短時間で崩壊してしまうのだが、原子核そのものも通常とは異なる複合粒子構造で、奇妙な安定性を持っている。さらにこのエキゾチック原子と通常の原子がモザイクのようにつながって鉱物に似た分子を形成しており、長期間その状態が維持されていた。天然では非常に珍しい物質である。

 これを比較的簡単な装置で、分子のモザイク状態を解消させると、エキゾチック原子同士が急速に接近する。構成する素粒子が電子の数百倍の重さを持つ関係で、軌道半径が数百分の一小さいため、その分、原子核同士が近づけるのだ。近づくと自然に核融合を起こす。核融合で中性子と素粒子が飛び出し、素粒子は他の原子核と連携する。更に核融合が起こる。その結果、いとも簡単に原子核融合の連鎖反応を引き起こすことが可能となり、飛び出た中性子と熱を回収して莫大なエネルギーに転換できる。

 つまり、低コスト・低科学力で発電や兵器にも応用しやすく、貧乏国家の必需品でもあった。しかし、複数の恒星間を結んでの極超長距離を輸送して見合うほどのものでもないため(重力核融合や素粒子加速型核融合などの高度な技術でも同等のことができるので)、スカトゥリアに近い複数の恒星国家で消費される程度でしかない。それらの国はいずれも貧乏で、科学力も乏しいので、そのまま使えるリッヒ石の需要はあるが、それ故に、スカトゥリアを豊かにするほどの取引もできなかった。要するにそういうレベルの鉱物資源ということである。

 フェルナードは、王となれば、貧乏な国の運営も考えなければならない。絶対王政ゆえに、人任せにもできなかった。もっとも、スカトゥリアの貧乏というのは、予算超過で借金まみれ、というのではなく、収入は大したことないが、支出もさほどない、という意味の貧乏であり、王子が地球に留学するくらいの費用は工面できるので、生活には困らなかった。

 アッシュやフェルナードと比べると、ウスタジュは日々の生活にも苦労する立場にある。

 アッシュにとって、日々の暮らしにも事欠く貧困というのは、実感がまったくなかった。

 明日のご飯すらないというのはどういう気分だろうか。きっと、とてつもなく不安だろう。

 宿舎に帰ってきた彼を出迎えた侍女のレティオラは、アッシュの浮かない顔を見て、思わず声をかけた。アッシュはそれに対して、ウスタジュの話を聞かせた。

「僕には、僕だけの難しい立場や、苦悩もある。でもそれは、基本的に苦労せず生きていけるからこその悩みだ。明日の食事のあてもない暮らしから見れば、贅沢なことなのだろうと思う」

 まだ十代前半のレティオラは、返答に迷ったが、一生懸命考えてこう言った。

「きっと、宇宙の神様は、人それぞれに、宿題をお出しになっているのだと思います。人はみな、その宿題を自分で選ぶことは出来ないのだと思います。アッシュ様にはアッシュ様の宿題があって、それは他の人には出来ない宿題だと思います。そしてお友達のウスタジュ様には、ウスタジュ様にとっての宿題があるのだと思うのです。私たちには出来ない宿題なのだと思います。他の人もみんなそうだと思います。その宿題をみんながそれぞれ取り組まなければいけないように、神様は指示されているのだと思います」

 宿題か。確かにそうかもしれない。自分がウスタジュのことを思いやっても、それは自分の傲慢で身勝手な思いなのかもしれない。ウスタジュの問題はウスタジュ自身でなければ解決できず、それは自分についても同じだ。

 安易な肯定でもなく、賢しげな否定でもなく、問題を問題として理解することそのものが大事なのだと、アッシュは彼女の言葉をそう受け止めた。レティオラは頭がいい。

 そこでアッシュはふと思った。

「レティオラ、君には君の宿題があるのかい」

「え……?」

 レティオラは少し黙ったあと、何故か顔を赤くした。

 そして、「私はまだ、神様から宿題を貰ってませんので、」と言って、そのまま部屋を飛び出していってしまった。

 その様子にアッシュは、ぽかんとなったが、少しして顔が熱くなった。なんとなく、レティオラの想いが急に浸透してきたような気がしたのだ。彼はうろたえてしまい、しばらくレティオラの顔を直視できなかった。


 しばらくして、ウスタジュとフェルナードの2人が、アッシュの宿舎をはじめて訪れた。

 普段は、大抵何処かに遊びに行くか、フェルナードの宿舎で飲んだり食べたりするのが常だったが、それはフェルナードに付いてきた執事や使用人らも陽気で、一緒になって盛り上がったりするのが多かったからである。絶対王政の割には、身分差での差別とかがあまりないお国柄らしい。

 逆にアッシュの宿舎には遠慮してこなかった。普段気楽に接してくれても、やはり超大国の皇子様ということに一線を引いているところはあるのかもしれない。

 そんな様子に気づいたフェルナードが、ウスタジュに話したところ、ウスタジュはアッシュの宿舎に行こうと言い出したのだ。

 訪ねてきたウスタジュは、出迎えたレティオラを見て、驚いた顔をしたが、そのあとずっと、

「レティオラちゃんかわいいなー」と言い続けたので、アッシュは警戒をあらわにした。ウスタジュはそんなアッシュの表情を見て笑い出し、

「大丈夫だって、アッシュの心配するようなことは無いって」

 と言ったあと、

「でもレティオラちゃん、かわいいよなあ」

 フェルナードがたしなめなければ、ずっと言い続けていたかもしれない。

 その頃には、アッシュとレティオラの仲は、友人達の公認となっていた。

 無遠慮であまり品はないが、陽気でオモテウラのないウスタジュ、

 王族らしく他人への気遣いが細やかで、優しい性格のフェルナード、

 頭が良く、控えめだが、自分のことを想ってくれるレティオラ、

 その他にもちょっと変だが学生に慕われるブリスベン教授を始め、個性ある指導陣の面々。

 若さゆえに馬鹿騒ぎをして大学当局から怒られたり、拙いながらも人類の抱える諸問題に激論を交わしたり、夏季休暇には地球各地を旅行し、友人の恋愛相談に乗った挙句余計ややこしくなったり。

 アッシュは、この地球での暮らしが、なんとも心地よかった。ずっとここに住み続けてもいいな、と思ったことも何度もある。どこか地球の企業にでも就職して、あるいは大学に残って研究を続ける。いずれはレティオラと家庭を持って、国籍を地球諸国のどれかに移し替えてもいい。

 そんなことを想像したこともあった。

 だが、

 それは無理だということもわかっていた。

 皇位継承には関心ないが、故郷を捨てることは出来ない。それに居心地がいいのは、大学だからでもある。社会に出れば、どこにいても、それぞれの苦労が待ち受けているだろう。

 レティオラとの関係だって、どうなるかわからない。

 自分の故国は超大国であり、それゆえに、一皇子のわがままや融通の利くようなところではない。

 心のなかに、徐々に暗い影が滲んで広がっていくのを、アッシュは感じずにはいられなかった。

 そんなアッシュの様子を、フェルナードとウスタジュも気づいていたのだろう。成長するにつれて、それぞれが抱える悩みというのが、他人への思いやりにもなっていく。特に何も言わなかったが、彼らの目にはどことなく共感の光があった。

 やがて、3人は、6年間の学業を終えて、それぞれの道を進む日が来た。

 3人は、卒業式の後、キャンパスの最も見晴らしの良い広場で、お互い向き合うと、拳を突き出して誓った。

「我ら3人、今後それぞれの道を歩むことになろうとも、どのような境遇になろうとも、この友情は永遠に変わらない」

 そして拳を天に向けて掲げて叫んだ。

「我らの未来に栄光あれ!」

 こうして、ウスタジュは地球に残り、アッシュとフェルナードは、故郷へと帰っていった。



 フェルナードは帰国すると、暫くの間、国王となるべく教育を受けた。

 その後は、再び故郷を離れ、幾つかの国に短期留学をして、政治学や経済学、物理学などを学んだ。辺境では学べることも限られている。彼は帰国、留学を繰り返しながら、さらに5年間を勉学に勤しんだ。

 このさなかに彼は、貴族の娘、ミリーアム・クサイード・アン・ヘーデルと結婚した。ミリーアムとの間に長男のモーデソーナ・フェルディナンドも生まれている。

 その後、父王ビュルティゴールから正式に譲位の話があり、フェルナード・キーバリー・ビロウナ13世として即位した。同国第72代目の王様である。この国、辺境中の辺境にある割には、結構歴史が長いのである。

 即位の後は、唯一の資源であるリッヒ石の研究を推進し、さらなる販路拡大のための市場調査も命じるなど、やり手の王様として名を知られるようになる。流通コストを下げるため、思い切って小型のワープゲートを設置し188光年隣のタシャ国とのあいだにリンクさせたのも彼であった。これらの政策は徐々に成果を上げるようになり、経済は好転し、人口も若干増えた。

 だが、私生活は必ずしも順当とは行かなかった。王后のミリーアムが長女を産んで間もなく、産褥熱にかかり、それが元で体調を崩し病死してしまったのだ。しかも、その後に迎えた二番目の后メリッサ・クラスネル・アントワープ・ド・ディーヴァ・ビロウナとの関係がうまく行かず、以降、離婚・再婚を繰り返し、その都度子供も出来たため、子供が成長するに連れて、子供との関係もギクシャクするようになった。特に母親を失った長男モーデソーナは、フェルナードを恨むようになった。

 経済政策も、一定の成果を上げたものの、地理的辺境という制約は大きく、大規模に発展するほどにはなかなかならなかった。また周辺の貧困国は政情も安定しておらず、それらで内乱やクーデターが起こるたびに、貿易はストップすることになる。微妙な前進と、微妙な後退を繰り返しながら、フェルナードは落ち着く暇もなく悪戦苦闘を続けることになった。


 ウスタジュは、卒業後、本格的にビジネス世界へと足を踏み入れた。

 バックボーンがないということもあって、当初はかなり苦戦したようである。

 地球は惑星単一国家ではなく、多数の小国に分かれている。小国と言っても地球上の領土としてみた場合の話であり、系外惑星に領土を持つ国も多い。さらに実質的領土はわずかだが、商業によって莫大な利益を上げている国もあった。企業が内政や軍事の自治権を持つ「企業国家」も多い。

 そんな中で、ウスタジュは競争していかなければならなかった。しかも家族を養い、父の残した借金の返済もし、部下の給与も稼がなければならないのである。

 並大抵の苦労ではなかったろう。

 それでも彼は、どこかの大企業の傘下に付くことをしなかった。大会社に就職することもしなかった。彼の手腕を見て誘ってきた企業も1つや2つではなかったが、彼は独立を貫いた。独立を貫くからこそ、自分の頭で考える。サラリーマンになったら会社の方針に従うばかりとなり、頭を使わない。使ったとしても、自分のしたいことが出来るとは限らない。運は自分でつかむもの。運気はいつ来るかわからない。運気到来の時に、それをつかむためには、常に自分で自分を動かしやすい環境に置いておく必要がある。それは彼が父親から学んだ哲学でもあった。

 経験不足から、取引先にいいように利用されることもあった。騙されたこともある。部下に裏切られたこともあった。だが彼は失望しなかった。ここで失望したら、これまでの人生が無駄になる。運に恵まれないときだってある。父の哲学と、彼自身の陽気さが、彼を支え続けた。

 もちろん、現実的な経営理論も、実践も、きちんとやった。経営は、単に「俺には才能がある。才能があるからできる」という妄想だけではうまくいかない。妄想がなければ始まらないが、その妄想を現実の手段に置き換える作業が必要であった。ウスタジュは、人がお金を出してまで欲しがるものは何か、それを生み出すにはどうすいればいいか、生み出したものをどう人に伝えるか、その手段を確実なものにしてライバルに奪われないようにするにはどうすればいいか、それらを一つ一つ研究し、まとめ、組み立て、そのための元手を探した。

 やがて考えた事業の1つがうまくいくようになると、彼はその利益をつぎ込んだ。

 歴史に名を残す実業家は、その人生で一度は大勝負を行う。それに成功したから名を残す。

 よくそう言われ、事実そうであったが、ウスタジュは大勝負ですら、確実に勝つ手段を構築した。しかも卑怯な手は使わない、法に反することはしない、何より人を傷つけるようなことはしないことを自分に課した。人を傷つければ、恨みを買い、人の心に残り、必ずそれが自分に返ってくる。ビジネスとしてもそれはダメだと考えていた。

 人々が自分を絶対に必要とする、そういう存在になることが、真の実業家であると考えていた。甘っちょろいと批判する人もいたが、人の批判には耳を貸さなかった。彼が耳を貸したのは、前向きな意見のみであった。批判とは、彼に言わせれば、社会構成上の立ち位置を良くするための相対的な攻撃手段(簡単にいえば、他人を貶めて自分をよく見せるための手段)でしかなく、聞くだけ無駄だと考えていた。ブリスベン教授の薫陶もまた、彼の思想を形作る上で重要だったようである。

 やがて彼は、実業界でその名を知られるようになる。

 

 

 アッシュの運命もまた翻弄された。

 彼が大学を卒業し、地球からの帰国の途についた際、帝国から、全長が7.6kmもあるお迎えの戦艦が地球までやって来た。戦艦は軌道エレベーターの宇宙側ポートに接続したが、これは一応、地球諸国に気を使ったためであって、大気圏に降りようと思えば出来た。もっとも、そんな大質量の物体を維持する重力制御装置を使って海上人工島のそばに降りてきたら、大惨事であろう。

 宇宙ポートまで見送りに来たフェルナードとウスタジュも驚いた。見渡す限りの巨大な宇宙船がわざわざアッシュのために来たのである。

「はあ……、こうしてみると、やっぱアッシュは巨大国家の皇子様なんだなあ」

「すごいよね。うちなんて王族専用船すらないし」

 ちなみにフェルナードは、この見送りのあと、民間船を乗り継いで故郷へ帰っていったが、スカトゥリアにたどり着くまで1ヶ月位かかった。また、ウスタジュが軌道エレベーターの宇宙側ポートまで来れたのは、フン帝国皇室から、皇子の友人への感謝として、フェルナードとウスタジュに莫大な礼金が出たからである。フェルナードは元来人のいい王族だから、ウスタジュは貰えるものは貰っておく主義から、遠慮なく受け取ったが、ウスタジュはこの後、このお金を元手にあらたな商売を始めることになる。

 宇宙戦艦で出発したアッシュは、すぐに、宮内省の皇子出迎え大使に任命されたゼンニン子爵から、ある話を聞かされた。

 それは、すでに宮中も、政府も、皇位代替わりについて本格的に動き始めており、特に二人の兄が勢力確保のために暗躍している、というものだった。

 アッシュは、留学での思い出や、久しぶりに故郷へ帰る懐かしさに水を差されたような気分を味わったが、それが現実なのだ。

「できるだけ、お兄上様方には疑いを持たれぬように、言動にはくれぐれもご注意為されますよう」

 ゼンニン子爵は恭しく忠告したが、アッシュはこの子爵がどういう意図で忠告したのかさえ疑った。自分に対する忠誠心の発露なのか、それとも保身から二人の兄の顔色をうかがったのか。

 子爵の話を聞いて以降、彼は、帝星へ到着するまでの間、ずっと考え込んでいた。

 そして到着直後に、皇子帰国の会見に応じて、メディアに次のようなことを話した。

「地球留学では、様々なことを勉強させていただきました。貴重な機会を得られたことを陛下を始め、家族、首相閣下や貴族諸賢の方々に対し、深く感謝しております。その恩返しのためにも、研究者の道を進み、地球で学んだことを活かしていきたいと思います」

 暗に、皇位継承にはかかわらない、ということをほのめかしたわけである。

 そのことは大きなニュースとなって各地でも報道された。

 ところが、アッシュがこの会見で、学者の道へ進みたい旨を発言したことは、彼の思惑と異なる反応を招くことになった。

 二人の兄ジランとムード、そしてそれぞれの勢力は、その発言を額面通り受け取らず、ウラがあると見たわけである。

 同時に、ジランとムードも、兄弟3人揃ったということで、ますますお互いを強く牽制するようになった。

 3という数字は、安定と不安定の象徴でもある。3つの勢力が拮抗してれば安定し、1つが大きければ1対2の対立構図となり、2つが拮抗していれば第3勢力取り込みへの駆け引きが働く。結果的に三すくみの状態で危ういながらも安定するのだ。

 ジランとムードは、支持を集めるため、貴族や有力な平民へも働きかけていたが、その動きが活発化すればするほど、人々は曖昧な態度をとるようになった。

 もしこれが、どちらか一人が優位な立場にあれば、多くはその方へなびくだろうが、ふたりとも様々な面で拮抗していたため、貴族や平民らは躊躇したのだ。自分の支持したほうが次の皇帝になるのであればよいが、もし自分の支持してないほうが勝てば、破滅が待っているからである。

 情勢を見極めようというわけだ。

 その反応は、ジランとムードにもわかったため内心不愉快に思ったものの、ここで強い態度に出れば、反発を買って一気に相手方へ流れていってしまうかもしれない。

 鷹揚な態度を見せるしかなかった。

 そんな中で注目されたのは、アッシュである。

 権力争いには参加しないような発言をしたところ、むしろこの三男坊を支持するほうが安全ではないか、と人々は思うようになった。そう予測して、そんな発言をしたのではないか、という穿った見方も出来た。

 もちろん、本人がその気がないと言っているのだから、おおっぴらな支持ではないが、権力志向の強い二人の兄よりは、三男が皇帝になったほうが、諸事都合が良さそうだ。特に貴族らの多くがそう考えた。

 二人の兄は、弟がどこまで本気か判断がつかなかったが、当面は、彼を取り込んでおいたほうが良さそうである。

 ということで、アッシュは帰国から間もなく、まず長兄ジランに呼び出された。帰国祝いをしたい、というのだ。

 いささか不安を抱えて訪ねると、豪華な料理でもてなされた。

 そして、

「お前は、将来学者になりたいそうだな。いい心がけだ。よし、この兄が応援してやろう。なんでも言ってくれ。兄として俺は最大限、お前のために役に立ってやりたいのだ」

 と約束した。

 すぐに、次兄ムードからも呼び出された。ジランに呼ばれたことを知ったのだろう。

 訪ねてみると、やはり豪華な料理が出され、

「お前が地球留学で学んだことを我が帝国のために使ってほしい。そのためのポストも用意しようじゃないか。なに遠慮はいらない。俺達は血を分けた兄弟だからな」

 そして、次に始まったのが、アッシュにとって予想もしなかったことだった。

 婚姻攻勢である。

 長兄も次兄も、貴族らに呼びかけて、娘をアッシュの側室にしてはどうか、という話を持ち出してきたのだ。

 側室、と言うが、実は、アッシュには正室の話が進んでいた。

 それを言い出したのは兄たちではなく、首相となったオゲローである。

 彼は前首相コーダほどの力量はなかったが、自分の権力を維持するために、3人の皇子それぞれにいい顔をしようとした。そして3男アッシュに対しては、彼が独身なのに目をつけ、皇帝に婚姻話を持ちかけたのだ。

 バーチャル的に言いように操られていた皇帝は、その話に乗ってしまい、勅命を出してオゲローに進めるよう命じた。オゲローはそれを素早く公表したため、アッシュの二人の兄は、手出しができなくなってしまったのである。

 この頃になると、皇帝をバーチャル的に操るという政策は、非常に危うい要素をはらむようになっていた。

 権力の都合のいいように、皇帝を動かす。それも、皇帝がその気になるよう、その脳を電子的に取り込んでしまうのだ。本人はそれがいいと思っているのだから、単なる傀儡政権とは意味が違う。

 皇帝にはリアルとバーチャルの区別もつかなくなっている。それだけよく出来たシステムだった。

 皇帝の意思をデータとして受け取った独立AIのクエラが、仮想現実世界を詳細に再構築し、皇帝が見たいと思っている世界を再現していくのである。そこに現実で起こっている出来事や人物を上手く取り込んでいるため、たまに皇帝が装置から外されて現実世界を見ても違和感がない。

 クエラと帝国の研究者たちが、銀河各地で開発されたシステムに加え、古い失われた電子技術の数々を探し出し、また新しい発想も取り込んで開発した人工現実システムであった。この何処か旧態依然としたところがあるフン帝国で、このあたりだけは突出して技術が発達していた。

 この情報は密かに他国にも漏れ、提供の申し出や、共同研究の話もあったが、帝国政府は、頑なにこの技術の存在を否定し、協力に応じなかった。敵対する国家を利することにもなるし、またバーチャルで皇帝を動かしていることが、国民にも知れ渡ってしまうことを懸念したからである。

 アッシュの正室の話を、オゲローが一方的に進めてしまったことは、ジランとムードにとって、オゲローや貴族らを警戒する大きな要因ともなったが、負けじと、アッシュの側室の話を、貴族らに持ち込むようになるきっかけともなったといえる。

 いずれにしても、レティオラを愛するアッシュにとっては、意にそわぬ迷惑な話であった。と言って、無視することも出来ない。極端なことを言えば、輿入れしてきた側室らに一切手を出さないだけでも、兄たちや貴族らの反感を買う。その結果、アッシュ自身や、ひいてはレティオラにまで危険が及ぶ可能性があった。

 美人揃いだったとは言え、好きでもない女を抱くのは心理的に苦痛なはずだったが、それでも体が反応してしまうことをアッシュは情けない思いでいた。レティオラへの裏切りという気持ちも強くなるばかりである。ますます彼の心の奥底に暗いものが堆積していった。

 そんな中、父帝が思わぬ事態で死亡してしまった。

 バーチャルではないリアルな狩猟で、ノーウォークウイルスにより脱水死してしまったのである。

 常時接続ではないにせよ、なぜこの日に、皇帝がバーチャルシステムから外されて、リアル世界で狩猟に出たのかは、今となってはわからない。ただ、3人の皇子のうち、上2人のどちらかが、わざと皇帝から装置を外させ、皇帝をそそのかしたのではないか、という説もある。その目的は、皇帝暗殺。皮肉にも、システムにつながっている限り、皇帝を直接害することは困難であった。技術的には簡単だが、システムを介して皇帝の不審な急死があからさまにわかってしまうからである。それよりも、豊かな自然の中で事故死でもしてもらうほうがリアルだ。

 おそらくは病死であろう。

 だが、その目的は達成された。厄介で手に余り、倫理上の問題が多い皇帝は死んだ。おそらく、権力の中枢にいるすべての人間にとって、皇帝は不必要な存在だった。ようやく皇位は健全な状態に戻る。帝国政府も正常に戻る。そしてリアルな銀河帝国の建設を目指す。

 問題は、それを誰が進めるか、であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る