4代:カスペル帝・5代:リンゼル帝紀-帝国内乱-

 4代皇帝カスペル・グルバラ・エンゲルス・シュルーナ・ロード・ショーネード・アーヴィング・ファラン・ド・フンダは、ユルベンス帝の次男だが、生涯宮中に籠っていた父よりはるかに行動的な人間だった。

 宮中の馬事苑で馬を乗り回し、帝都郊外の帝室狩猟地で狩を行い、スポーツ大会に臨御して観戦し、比較的貴族や民衆の前にも姿を現すことが多かった。オートノーマスヴィークルが当たり前のこの時代に、自らマニュアル車を運転することもしばしばあったという。

 生涯に一度だけだが、帝国領全星系を大々的に巡幸しており、これは初代を含めて初めてのことだったので、空前のお祭り騒ぎとなった。警護関係者がヤキモキするほど、人々に親しく接し、巡幸先では市民が殺到した。彼は群衆に手を振って答え、花束を贈呈しに来た子供の頭をなで、ボランティア活動する婦人たちと談笑し、整列する兵士たちを激励し、鉱山労働者と一緒に削岩機を動かすこともした。多分にそれはパフォーマンスであったろう。だが、パフォーマンスだと非難する人は殆どいなかった。

 むしろ、その行動ゆえに、臣民の人気が高い皇帝だった。

 彼は自意識過剰なところがあったに違いない。たとえば芸能人などは、それを目指す時点で、自意識過剰も当然のところがある。だが、皇帝というのは、創業初代を除けば、血筋で決まる。望まぬしてその地位に就くものだっている。3代ユルベンス帝などは、そうだったに違いない。皇帝でなく、市井のささやかな市民であることを密かに望んだかもしれない。逆にカスペルは皇帝という地位を進んで望んだ人だった。

 とにかく目立つことが好きだった。人々が自分に注目し、手を振り、歓声を上げるのが楽しくてしょうがなかった。そのたびに、ゾクゾクするような快感を味わえた。狩りも、スポーツ観戦も、それが好きだからそうするのではなく、そうすることで人々の注目が集まるからした。

 行動だけでなく、会話においても、彼は自分が第一であった。宮中での貴族らとの会話でも、輔弼内閣の閣僚らへの政策諮問においても、彼は自分の話をした。余はこう思う、余もそういうことがあった、余ならばこうするであろう、余は、余は、余は……。

 相手が皇帝ならば、貴族らは内心どう思っていても、笑顔で相槌を打つ。

 流石に政策に関しては、自我ばかりを通すわけにも行かなかったが、むしろ、閣僚や専門家の意見に耳を傾け、それを理解している素振りをわざとらしく見せることすらあった。知能的に問題があったわけではなく、それなりに知識も豊富であったから、さほどおかしくはなかったし、専門家らはむしろ皇帝に理解してもらったと満足した。

 ただ、皇帝という地位ゆえに人々に受け入れられていたところも大きい。もし彼が一般市民であったら、周りの人間にとって鼻に付く人物だったかもしれない。

 カスペル帝は、外見もなかなかのハンサムで、さわやかな笑顔は人々を魅了した。引き締まった体つきをしており、背筋を伸ばし、颯爽とした雰囲気で、歴代変わらぬ皇帝の服装も、まるでカスペル帝が登場するのを待っていたかのように思わせるほど似合っていた。

 当然、女性にもモテて、その権力だけでなく、見た目から言動までが貴族の令嬢たちの心を虜にした。彼もまたなかなかの好色ぶりで、側室を何人も抱えた。

 3代ユルベンスの時代の著しい停滞の反動からか、カスペル時代になると、人々は活動的になり、様々なプロジェクトが推進された。皇帝はそれを称揚した。

 カスペルは、文化活動にも熱心だった。

 文芸を奨励し、音楽会を宮中で開き、自ら映画の脚本を考え製作させたこともある。

 少なくともその治世前半を見る限り、彼は名君と言っても良いだろう。この頃はまだ、賢明な母親が健在であったというのもある。

 行動的な皇帝は、貴族・国民の高い支持を得て、国家は一体化したように見えた。

 しかし、その高い人気が、逆に皇帝の精神を狂わせていったのかもしれない。母親が亡くなり、理性的に掣肘する事の出来る人物がいなくなると、彼は徐々に変質していき、自意識過剰が独善的になり、補弼内閣の意見に耳を貸さなくなり、その視野も狭くなっていった。それがのちに大きな悲劇をもたらすことになった。

 5代皇帝リンゼル・ウズキ・ドゥアン・キャスレル・セオン・ロード・カンヴァーン・ベルトラス・アンベラ・ハンガルーラ・ド・フンダは、4代カスペルの甥に当たる。すなわち、3代ユルベンスの長男で皇太子時代に亡くなったザール・デテラン・バッフバルン・ギュータンス・ロード・ファルシオン・オブ・ベルトラーザ・カリオンブール・シュロン・ド・フンダの長男であった。

 リンゼルの父ザールは突然変異性の遺伝子上の要因で病弱であり、生前から皇太子にすべきかどうかの意見が補弼内閣の間でも取りざたされたほどであった。皇太子にはなったものの、案の定、23歳で病死してしまう。遺伝子の問題が不安視されて、産まれたばかりのリンゼルは皇太孫の地位に就くことは認められず、父の死後、皇太子にもならなかった。彼は一家を興すことになり、カンヴァーン公となった。そして叔父のカスペルが帝位を継ぐことになったのである。ただし遺伝子の問題はザール一代の突然変異だったと後に判明しリンゼルへの懸念は解消している。そのため、皇位継承権は残っていた。

 カスペル帝にも側室との間に生まれた男子が複数あり、その長男は、名をベーヌ・ビューワー・フェンフェルスカル・アンオンケナス・ロード・カンディーン・バラーク・ド・フンダと言ったが、正室に子がなかったため、彼がカスペル即位後に皇太子となった。これは側室だった母親の強い希望もあったと言われる。

 ベーヌ皇太子と、従兄弟のリンゼルは、幼なじみで、年齢も1歳違いだったのだが、これがまったくそりが合わず、10代前半頃から非常に仲が悪くなり、顔を合わせれば罵りあうような犬猿の仲となった。

 ベーヌは、いつか自分が即位したら、リンゼルをそれこそ残忍な方法で処刑してやろうと常日頃から思い、またそれを側近連中に公言していた。

「リンゼルのやつは、遺伝子異常者だ、どうせ長生きはしないだろうが、国家のためだ、早めに駆除した方がいい」

 口汚くそう吐き捨てるベーヌに周りの人々は眉を顰めた。

 側近らは、そんな皇太子を諫めもしたが、ベーヌは諫言に機嫌を悪くし、「おまえはあのクソバカリンゼルの味方か」などと決めつけて、暴力をふるい、側近から解任し、父帝に讒言して罪人に落としたりしていたものだから、誰も意見を言うことが出来なくなってしまった。

 さすがにリンゼル自身が先帝の直系の孫だけに、ベーヌにも今すぐにどうにか出来るというわけではなかった。その不満が側近や貴族らに向けられたわけである。

 一方、リンゼルは、ベーヌとは仲が悪かったものの、それ以外のものには比較的親切で、ベーヌの悪口も公然とは言わず、公の場ではそれなりに礼節を保っていた。

 そのため、貴族らの間では、ベーヌの評判は落ち、リンゼルの評判は上がる一方だった。

 ベーヌが母親に甘やかされて育ったのに対し、リンゼルは親の不幸もあって苦労したことが性格の差に出たという説もある。

 ところが、カスペル帝は、我が子可愛さに目が眩んで、そう言った状況に全く気づかなかった。年をとるに連れて彼は思考狭窄・頑迷固陋になった。

 カスペルは、すでに成人となっていたベーヌの讒言をそのまま信じて貴族らを処断し続けたため、これまで初代アレクサンドル帝以来の、貴族層に支えられていた皇帝の地位と権威は徐々に失墜することになった。

「父上、あの者共は、影で父上の誹謗を繰り返し、私をも悪く言いふらしております。私はともかく、父上の権威を否定するとは、神聖不可侵の皇帝を汚す言語道断な行為です。帝国の根幹に関わりましょう」

「けしからぬ話だ。よし、やつらの地位を剥奪し処刑せよ」

「父上、あの者共は徒党を組んでおり、他にも同じ考えのものがいるはずです。私にお任せくだされば、仲間の存在を炙りだしてみせます」

「よかろう、ベーヌ、お前に任せたぞ」

 こうしてベーヌは、気に入らない貴族共を捕まえては、拷問にかけさせた。そして泣き叫ぶその様子を見て悦に入るという異常ぶりを見せた。人を苦しめることで、自分の優越感を満足させようとしたのだろう。その異常性は時とともにひどくなり、爪に針を刺す、生きたまま皮膚を剥がす、眼球をくり抜く、睾丸を潰すなど、異様で残酷な拷問の方法を自ら考え実行させるまでになった。陰謀を否定する貴族の前で、その妻女や娘を拷問にかけて自白を強要するといった卑劣なことまでした。

 側近や補弼内閣の面々が何度もカスペル帝にベーヌの異常ぶりを訴え諫めたのだが、カスペルは息子を誹謗するとして腹を立て、全く意見を聞かなくなった。諫言する閣僚を入れ替え、ベーヌに引き渡して厳罰に処し、やがてベーヌとは無関係の政策に関しても耳を貸さなくなっていった。そのため、様々な国家プロジェクトが中断したり、皇帝におもねる小人物が要職に就くようになり、その下で汚職が蔓延するような事態になった。

 こうして貴族だけでなく、臣民の間でも皇帝への人気は凋落の一途をたどった。

 カスペル帝も自身の評判が悪くなっていることを薄々感じていたらしい。しかしそれを自分が原因とは思わず、貴族らの広める噂が原因だと思うようになった。

 一方、貴族層の中では、カスペル帝と皇太子ベーヌを憎悪するものが増え、また国家の行く末を案じて、皇帝の交替を望むようになった。このままでは平民共が大規模な反乱を起こしてしまう。そうなれば貴族体制もおしまいだ。貴族たちは密かに会合しては陰謀を企むようになった。

 貴族の動きを知ったリンゼルは、これが皇帝親子に知られたら、皇位継承権の高い自分も巻き添えで処断される、と考え、いましか機会はないと思うようになった。人の口に戸は立てられぬ。また自分が火消しに回れば、それだけ目立つことになり、貴族の反発も、皇帝の不審感も、どちらも買うであろう。これはもう、選択肢など無い。まさに時間勝負であった。

 彼は、軍の司令官でもあった大貴族当主ムーネヤ・ケディ・タイ公爵に密かに面会し、彼を味方に付けた。その結果、彼に連なる多数の貴族らが、リンゼル支持を密かに表明した。というより貴族らにしてみれば、やっとリンゼルがその気になってくれたか、という思いであったろう。リンゼルはついに反乱に踏み切った。

 こうして帝国建国以来初の内乱、「リンゼル・カンヴァーン公の乱」が起こった。この名称は他国からの名称であり、当のリンゼルらは継承戦争と呼んでいる。

 リンゼルは密かに帝星を脱出すると、自らの所領である、星系ベドベタラの第3惑星ドロヤンヌにある第2の都市カンヴァーンで蜂起した。同地の帝国軍が味方に付いたため、瞬く間にドロヤンヌを制圧、そこで新政権樹立を宣言した。ほかに有人惑星がないベドベタラ全域もほぼ手中に収めた。同時に星系フンゲスタの第3惑星ブラドーにあるタイ地方で、タイ公爵も挙兵、こちらも賛同した貴族の支援や麾下の帝国軍の力でブラドーの半分をほぼ支配下に収めた。一部の帝国軍とにらみ合う状態となったが、大規模な戦闘にはならず、同惑星各所の総督らが味方になることを表明したため、軍も矛を下げ、全域がやがて反乱勢力に従った。

 反乱勃発を知った皇帝は激怒した。皇太子ベーヌは宮中に諸貴族を集め、「ほらご覧なさい。リンゼルが反乱を起こすことはわかっていたのです。私の言ったとおりになったでしょう」と述べて、かつてリンゼルに対する態度を諌めた貴族らの生き残りを見せしめとして処刑し、皇帝と自分に忠誠を誓うよう、諸侯に圧力をかけた。

 皇帝親子は、近衛軍や忠誠を表明した150家あまりの貴族の私兵、徴兵した平民らを動員し、総兵力280万の陸空宇宙軍をリンゼル側の支配地域に派遣した。対するリンゼルの当初の総兵力は105万人。主に地方の貴族98家が味方した。

 兵力ではリンゼル側がかなり劣っていたが、反乱の正当性を信じて、また後がない事もあって、士気は高く、統率も取れていた。

 タイ公爵を総司令官とし、そのもとに比較的若い貴族や平民の士官らが、司令官や指揮官として抜擢された。

 惑星ブラドー軍の参謀となった少将アントン・ラウダー子爵は、地方貴族ということで高い地位に就くことは不可能だったために軍人になった。

 ベドベタラ警備艦隊旗艦の重巡洋艦グプタ艦長アイヴァン・クゾォネフ少佐は、士官学校を優秀な成績で卒業したが、平民ということで、軍中央にいることは出来なかった。

 惑星ドロヤンヌの陸戦隊指揮官ブルーノ・フォン・ベンダー大尉は、男爵だった父親と兄を皇太子ベーヌに殺され、没落した元貴族であった。

 彼らはいずれも、この戦いに賭けるものがあった。そして、その才覚で頭角を現した。

 一方の皇帝軍ではさほどの恩賞も期待できなかったことや皇帝親子の態度に不満を持つものが多く、士気は低いままであった。

 特に皇帝におもねることで公爵にまでなったセイバーヘーゲンが総司令官となり、居丈高に命令を出したことは、下級士官や兵士の間に大不評で、セイバーヘーゲンの部下たちの横柄な態度にも反発が広がった。

 反乱軍は押し寄せてきた皇帝軍をうまく分断。ベドベダラでは、アステロイドベルトに誘い込んで地の利を活かして艦隊を撃破。ドロヤンヌでは皇帝軍の半数が降下揚陸するまで待って、残りを降下中に迎撃。補給線を絶たれた揚陸部隊を包囲戦によって殲滅した。

 皇帝軍側の司令官達は、敗戦の責任を取らされることを恐れ、戦況を隠し、「かなりの戦果を上げたが、敵に寝返った中級指揮官らのせいで撤退することになった」と報告。罪を着せられた少将や大佐クラスの指揮官らが、怒り狂うベーヌによって残虐な方法で処刑されることになった。

 しかし、

「事実は異なるらしいぞ」

 そういう噂が流れだしたのは、それからまもなくの事だった。

 反乱軍側の工作員が、密かに各地に潜入して、タイミングを見て情報をばらまき始めたのだ。

「戦果を上げたのなら、なぜ、敵に寝返ろうとした指揮官が、撤退を余儀なくされるほど大勢出るのだ?」

「実際には、戦果どころか、無残にも敗北したらしい。20万人以上の戦死者を出し、50万人も降伏したという話だ。帰還兵の数を調べてみればわかる」

「リンゼル側は完全に独立状態にあるという。兵力を再編し、近いうちに帝星へ遠征してくるという情報もある」

「大貴族らの間でも、密かにリンゼルに忠誠の誓紙を送っているものが相次いでいると言うぞ」

 その噂に、日和見だった貴族らも次々とリンゼル側に付くことを表明。領地から私兵を率いて反乱軍側に加わり、反乱軍の兵力は倍増していった。リンゼルは各地に派兵を行い、2年後にはベドベタラ、フンゲスタに続き、グルバラ、コモルト・イレの星系もほぼ制圧した。

 そして、大小1400隻からなる宇宙艦隊を率いてリンゼル自身が帝星フンベントに進撃した。

 これに対して、皇帝側の宇宙艦隊840隻は、セイバーヘーゲンが皇帝に言われてしぶしぶ前線に出てきたため、統率が乱れまくっていた。皇帝軍は2戦交えて、どちらでも大敗を喫すると、贅を極めた乗艦で後方から見ていたセイバーヘーゲンが恐ろしくなって逃走を図ったため、ついに潰乱。多くの艦艇はあっけなく降伏を選択した。こうなるとフンベント各地でも流れに乗り遅れまいと貴族らが次々に蜂起して反乱軍に加わり、7ヶ月にわたる各地での戦闘の末、ついに首都市街は包囲された。

 ここまで逃げ回っていたセイバーヘーゲンは、この機になってようやく、反乱軍への降伏を検討し、心証を良くしようと皇帝親子の暗殺を企んだ。「首を手土産に」という古来からの常套手段である。

 そしてその陰謀は簡単にバレてしまい、皇帝側に捕らえられた。

 宮中の皇帝親子の前に引き出された彼に、

「話を聞こうか」

 と皇帝は冷めた口調で言ったが、皇太子ベーヌから、

「卑怯者めが、お前を抜擢してやった恩を忘れ、陛下と私に歯向かうとはどういう了見だ」

 そう口汚く罵られたセイバーヘーゲンは、覚悟を決めたのだろう。これまでの美辞麗句を連ねた言葉とは打って変わって、口元を歪め、

「笑止だな。お前らは、オレに忠誠心があると本気で思っていたのか」

「な、なんだと」

 皇帝親子は絶句した。

「出世し、権力を握り、贅沢できると思ったから、追従したまでだ。お前らにあったのは、権力、それだけだ。他にどんな魅力があるというのだ。自分が臣民から慕われているとでも思っていたのか」

 このようなこと、皇帝親子には誰も言わなかった。もっとも、二人に非道がなかったとしても、臣下が言うべきことではない。皇帝親子はしたたかに傷つけられた。

「権力を失ったお前らには、もう価値はない。リンゼルが次の皇帝になるのなら、そっちに付くまでだ」

「お、おまえは、あのバカリンゼルの、み、味方をすると言うのか」

 ベーヌが批判すると、

「リンゼルはお前なんぞより遥かにマシだ。人としても、皇帝としてもな。だから反乱軍がここまで迫ってきたんだろうが」

「……」

「もっと早くに見切りをつけておけばよかった。偉くなると、判断が鈍るというのはなるほどもっともだな」

 銃声がして、よろめいたセイバーヘーゲンは自分の腹を見た。高級なシルクの服に血がみるみる滲んでいく。痛みとともに力が急に抜けて、彼は倒れた。

 ベーヌは、怒りと屈辱に震えながら、更に銃を撃った。

「死ね、死ね、死ね」

 はあはあと息をついて、セイバーヘーゲンのそばに立ち、見下ろしたベーヌは、罵詈雑言を浴びせようとしたが、とっさに言葉が浮かばなかった。

 足で遺体を仰向けにひっくり返すと、血まみれの、もう死んだと思っていたセイバーヘーゲンが目を開けた。

 ベーヌは息を呑んだ。

「満足、したか……? 次は……、おまえ、の……、番だ……」

 セイバーヘーゲンは息絶えた。

 ベーヌは、表現しようのない異様な叫び声を上げて、腰を抜かした。

 それを見ていた皇帝は、青ざめた表情のまま、すべての命運が尽きたことを心底理解した。まさにこの日、この直前まで、まだ何かしらの反撃方法がある、あるいはリンゼルとの間で和睦の方法があると、彼は考えていたようだ。セイバーヘーゲンは、言葉によって皇帝の心を撃ちぬき、気力を奪い去って死んだのである。

 皇帝は降伏した。

 リンゼルはカスペル帝に退位宣言書と自分への譲位宣言書を書かせ、5代皇帝に即位すると、前皇帝カスペルと前皇太子ベーヌを精神病院に軟禁し、ふたりは生涯をそこで過ごすことになった。捕らわれた時のベーヌは、過去の大言壮語とは異なり、リンゼルに対して卑屈なまでに謝罪と命乞いをしたという。ある意味、その態度がリンゼルの憎悪を削いでしまい、命まで取らなかったのかもしれない。

 しかしそれでは、リンゼルに味方した貴族らの気持ちは収まらない。カスペルとベーヌによってひどい目にあったものが多かったからだ。そこでリンゼルは、前皇帝親子に味方した貴族からその領地を没収して、自分の直轄領地には加えず、その3分の2を味方した貴族らに配分し、残りのうち半分を帝国政府直轄領、半分を平民で功績あったものに与えた。カスペル側に付いた貴族の当主やその家族、家臣ら4千人以上が処刑され、女子供ら12万人が星系コモルト・イレの鉱山惑星ボビデに流刑となった。

 この内戦は、それまでの穏やかだった帝国内情を大きく変化させることになった。

 戦火によって一部の都市、多くの農地が荒廃し、特に帝星フンベントの被害は大きく、各星系の流通センターも機能を失ったため、安定していた経済に偏重が生じるきっかけとなった。その結果、流民が発生し、それが特定のいくつかの大都市に集まるようになり、スラムが生まれ、都市内部で格差が生じるようになる。

 このバランスのズレがのちのち、帝国の方針の変化につながっていくことになった。

 また、貴族層に変化が生じ、平民出身の軍人がその功績によってあらたに貴族化し、領地の増減が貴族勢力図を塗り替えた。以前は帝国貴族700家の中で100以上の大貴族がいたが、内戦後は13の巨大貴族と大多数の中小貴族に分かれた。そして安穏としてフンダ家による支配を受け入れてきた貴族の中から、皇帝家の権威を無視するものが出てくるようになった。

 最初に貴族同士の抗争が起こったのは、内戦からわずか1年後のことだった。

 帝国第2の大貴族チュベ家と10位ほどの貴族ギョローム家が、荘園の新開拓の権利で争ったのである。

 単に裁判で争うのであれば、それ以前にもいくつか見られたが、この2家の争いは、領地が隣接していたために武力を伴った。

 それぞれが私兵を出して、お互いの領地や、施設、城館などを攻撃しあったのである。

 皇帝リンゼルは事態を知って、仲裁に乗りだし、両家は和解に応じた。

 しかし、その2年後には、ダモス家とフンゴン家が領地の境界を巡って紛争を起こし、さらにその2年後にはアゾバード家が婚姻の破談をきっかけにゼーベル家と騒動を起こした。アゾバード家は前にも婚姻のことで騒がれた家である。皇帝は両家をとりなし、アゾバード家の娘にはわざわざ自分で婿を探してやった。その翌年には、グホン家がバーバル家と企業買収を巡って騒ぎを起こし、その2年後にはフンダ皇帝家の分家ド・ブイーター家と大貴族ボロドン家が領地を巡って衝突した。

 そのたびごとに皇帝は仲裁に乗りだし、後世「裁判官皇帝」などと揶揄されることになった。

 内戦に際して味方した貴族の力が強まり、皇帝は実力よりも、貴族を認証する機関のような存在になってしまったのである。

 その心労がたたったのか、リンゼル帝は12年で崩御し、その長男でまだ15歳だったバルゼー・ベンブタード・カラノベルデ・ロード・ボヴィアン・ヴァンダン・ジュドー・ド・フンダが6代皇帝に即位した。権威すらない少年皇帝の即位は、内戦の傷の癒えぬ帝国を、さらに暗黒時代へと引きずり落とすことになる。

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