後日談:The Day After Tomorrow

アラタなる出会い

 そんなこんなで。

 私とクロウはアラタの部屋にシェアするべく、吉日をえらんで引っ越してきた。


 相生さんの運転で京都のホテルから出立し、支度のために先に帰ったアラタを追うようにして西濃地方にはいった。


 引っ越しというのは、さんざん住居を転々としてきた私にとってはもはや新鮮味もないものだけど、でも私に笑ってくれる人たちと暮らすのは久しぶりだ。


 やや緊張しながら車を降りた私の目の前に、長細いデザイナーズマンションがぬっと姿を見せた。

 エレベーターで七階まであがり、チャイムを鳴らすと


「よっ」

 とアラタがさわやかに顔をのぞかせる。

 そんな彼女の背後には、こだわりの二十畳ほどの空間が広がっていた。


 打ちっぱなしのコンクリート塀に、なんだか古民家カフェっぽいキッチン。

 その背後には種類豊富な調理器具や香辛料のビン。

 居間には黒いソファとガラスのテーブル。ハチの巣みたいなキャビネットのなかには、洋書とかバイクとかファッションの雑誌とかCDとか、洋画のブルーレイとかあるいはサボテンとか写真とかが飾ってあったり実用的に陳列されている。


 ベースだがギターだかエレキだか、うとい人間にはよくわからないオシャ弦楽器が無造作に壁に立てかけられて、部屋に差し込んでくる白い陽光がその流線型のボディを浮かび上がらせていた。


 そして私は、そんな部屋の前に踏み込むことができずに背を丸めてヒザをついたのだった。


「……なにやってんだ、このアホは」

「察するに、このリア充感を醸し出すそこの空間、陰に日向に生きてきたボッチには刺激が強すぎるんだろう」

「ダメだ……この部屋に入った瞬間私は溶けて消滅してしまう……」

「のっけからめんどくせーなぁ! ほらっ、入れ」


 と、むずがる私を強引に荷物ごと引きずりあげた。

 ソファに放り出された私の腹に、容赦無く荷物が積み重ねられていく。


「ぐえっ」と悲鳴をあげてから、私がアラタをにらむと、

「自分のことは自分でやれよ」

 イタズラっぽい笑みととももに、見下ろしてくる。

 こういう表情をするあたり、妙に人を手なずけるのに慣れてるっていうか、ズルいっていうか。ぜったいどこからしらで男に「アラタは俺に惚れてる」ってカンチガイさせてるし、女の子だってコマしてるに違いない。


「自分も入っていいのか? あと、二、三人手伝いに来る予定だが」

「いーよ別に。タンスさえのぞかなけりゃな」

「するかっ!」


 だなんて相生さんもからかい半分招き入れ、クロウも自分と私の手荷物を頭に乗っけてお邪魔した。相生さんの部下もおっつけ、かんたんな家具類を抱えてやってきて、女の子だけの花園は一転、むせかえるような男くささが侵入してきた。

 といっても中性的なこの部屋には、この時点で男が入りやすい空間になっていたけれども。


 いくら人並みはずれた怪力を持つ娘たちだからって、手間と労力はかかるし、人手は多いに越したことはない。

 そこで私もようやく手伝おうという気になって、アラタの指揮によって居住空間の手伝いをすることになった。

 といっても、私たちが来る前の準備のせいか……それとも、つい最近までルームシェアでもしていたのか、私の使うというロフトにはあらかじめスペースが作られていた。

 天井は直立すれば頭をぶつけかねないけど、座って生活する分には問題なさそうだ。


「これ、礼金と生活費だから」

「べつに要らないってのに。今もこうやって手伝ってもらってるんだしさ」

「そう言うな、『吉良会』にいつ見捨てられるかもしれない立場だろう?」

「あのジジイも、そこまで狭量なヤツでもないっしょ。親の遺産あるし、ヤバくなったらバイトでもしますよ」

「……良いから、とっておけ。これは高速道路の借りでもあるから」


 だなんてやりとりとともに、相生さんはアラタに小切手をにぎらせた。

 値段を見てアラタがわずかに顔をしかめたから、たぶんそこには、割ととんでもない額が書かれていたかもしれない。


「で、そこのカラスもいっしょに生活するわけか」


 相生さんがロフトにのぼりかけた鳥を、ジロリとにらみつけた。


「いやだってさ、ここらの不動産屋敷居が高くてさ。なかなかないんだよな。鳥類に部屋貸してくれるところ」


 日本全国どこを探したって、そんな奇特な賃貸契約をむすぶ会社はないと思う。

 せいぜい小学校の飼育小屋かペットショップのケージぐらいなものだろう。


「行動をともにしてきた桂騎習玄も、意識はもどったがまだ入院中だったか?」

「あー……なんか『ヤクト・ハウンド』にスカウトされてるらしい。連中が追ってる案件のなかに、どうにも銀……俺らの関係者がらみの話があるらしくて、それを探ってみるそうだ。輪のお目付け役もあるからな。ここが一番なわけだ」

「にしてもだ。いい歳の娘さんのなか、曲がりなりにも男だぞ?」

「心配ないって。まさか『トライバルX』と『デミウルゴスの鏡』が鳥相手に寝込みをおそわれるとか思ってんのか」

「それに、俺は年上好みだ。こう、出るとこ出た豊満な感じの?」

「……九十歳とんで何千年以上とか豊満どころかもう骨も残ってねーだろ」

「身体に関しては九割カンペキなんだけどなー、も少し肉付きが、皮下脂肪的なアレがよければなー!」

「おい、こんなこと言うヤツだぞ!? アラタ、ほんとうに大丈夫か!?」

「だから信頼できるんだろ。素直でいいじゃんか」

「お前も相当変わり者だなぁオイ!」


 変わり者、という相生さんの発したキーワードに、私はあることに気が付いた。いや、ずっと気にかけてこなかったことに、ようやく目が向いたというべきか。

「あ」とちいさく漏れた呼気に、アラタが反応して顔を寄せた。


「なんだ、どうかしたのか? 足りないモノがあったら、買いにいくけど」


 だなんて、温情の言葉をかけてもらって心苦しいけれど、私が失念していたことはアラタ本人に対するものだった。


「あのー、さ」

「うん」

「今気づいちゃったんだけどさ」

「なんだよ、もったいぶるなぁ」


 相槌を打ちながらじっと私を見つめる。女でもドギマギする迫力ある美貌からそれとなく目をはずしながら、私は重い口をひらいた。


「そーいえば、私アラタのことよく知らなかった」

「は?」

「うん、そもそもアラタって何者なんだってレベルで知らんわ」

「……ルームシェアしようって相手に、よくそんなセリフが吐けたな」


 あきれるアラタの後ろで、

「おいッ、本当にこの共同生活大丈夫か!? 変な女と変な女と変なカラスしかいないぞ!?」

「うーん、でもよく言うだろ。ワレブタトジブターってな」

 だなんてオブラートもへったくれもない失礼きわまる暴言を、相生さんがクロウ相手にぶつけていた。


 怒りを通り越した果ての表情の楢柴アラタ。『吉良会』幹部候補。あと女。その程度しか知らないことに気が付いた私はあえて勇気をふりしぼって踏み込んでみたのだけれども。

 アラタは、ため息をつくと私から身を引きはがして作業にもどった。


「楢柴改。今年で春斎館学院三年生。血液型はO型。十月十日生まれ。覚えやすいだろ」


 とあらためてそう名乗りなおして。

 ……『三年生』?


「っていうか、高校生? もっと年上だと思ってた」


 そう驚かれ慣れているのだろう。アラタは反応せず、淡々とつづけた。


「趣味は音楽、映画をメインにいろいろと。ジャンルはあんま気にしない。ってそりゃ部屋見りゃわかるか。身長163cm。体重は46kg。あぁ、ちなみにこれは変身フルアクセスしてるときの数値な。そういうのは施設でやってるからわかるけど、素で体重はあんま計らねーしなー」


 といっても、布地の重量なんて一般的にタカが知れてるし、逆に増えるってこともないだろうから、素の体重はそれより一回り下、という勘定になる。

 あんまりにあけすけに答えてくれるもんだから、私よりも逆に、男衆のほうがそわそわとした空気をかもし出していた。


「で、けっきょくあの包帯姿ってなんなの?」


 そして彼女に残る疑問は、最終的にはそこに行き着く。

 本棚に私の参考書を挟み込んでいたその手が、ぴたりと止まった。


「死んだ親からもらった」


 返答は、じつにシンプルなものだった。

 ただ、「死」と「親」という二つのキーワードは簡潔ながらも強烈なパワーと重量を持っていて、今はそれ以上の追及は、さすがにためらわれた。


「じゃ話変えるけど、胸のサイズは?」

「F」


 ……とたん、周囲でコケる音や荷物を壁にぶつける音が聞こえた。

「げほっごほっ」とわざとらしく相生さんが咳払いはするし、ほかの男どもは妙にそわそわしだした。

 彼らに総じて言えることは、手は動かしながらもあきらかに作業に統制を欠き始めたこと。そして私のほうに振り向いたアラタが組んだ腕を載せた、上半身の盛り上がった一部位に、注意を向け始めたことだった。

 クロウにいたっては私たちの真正面で正座していて、ここまでで一番マジな顔をしている。


「彼氏いる?」

「彼女ならいた。ほら、さっきそこのスペース空いてたろ。あそこ、元はそいつと同棲してたあとだぜ?」

「マジで? じゃあ私貞操ヤバイじゃん」

「安心しろ、好みじゃねーから」

「それはそれでショックだなぁ。っていうか、なに食ったらそんなに乳育つの?」

「やっぱ毎朝の牛乳は欠かせねーよなー。あと、風呂上りにはいつもストレッチと豊胸体操をしたっけかな。それを小学生のころからつづけて、今ではこんなに立派になりましたとさ」

「マジかー。小中と運動不足だったしなー、私」


 ここまで騒がしかった周りが、今この会話の瞬間だけは静まりかえっていた。

 ただ私はもうすでに、毎朝の牛乳のくだりから察しがついていたので、あえて言うことにした。




「ぶっちゃけウソでしょ」

「当たり前だろ。好き好んでデカくしたわけでもないし、そもそもアタシはノーマルだ」




 ちらちらとこちらを見守っていた男たちの視線が、失望に変わる。クロウは私の真正面で露骨にガッカリしていた。ちらかってるうちにぶっ飛ばすか、ひと段落して落ち着いてから蹴っ飛ばそうか。それが悩みどころだ。


「だから……働けスケベどもッ!」


 ヘラヘラと笑っていたアラタの形相は一転、怒りに変わった。

 ムチ打つような叱咤が響き、相生さんたちはあわてて作業にもどった。

 彼らの様子を見届けてから、アラタの目が私に向けて注がれる。


「まぁ、こんなんがアタシの自己紹介だ。わかってくれたか?」

「うーん、なんか肝心なことははぐらかされた気がするんだけど?」

「ばれたか」


 悪びれた様子もなく、アラタはベッとちいさく赤い舌を出す。

 そんな彼女に、私は「でも」と返した。


「肝心なことはさ、わかってるつもり。楢柴アラタは多芸多趣味かもしれないけれど、根は真っ正直で曲がったことが大嫌い。面倒見のいい姉御肌で気風がいい。あとちょっとカッコつけ。だから私はアンタと一緒に住みたいと思ったし、もっと知って仲良くなろうと思った。だから言いたいことは素直に言ってほしいし、」


 仲には知らなくてもありのままで、ただそばに居てくれればいい、なんてヤツもいるけれど。

 そんな風に感がる私の視界のすみに、チラとカラスの黒羽が映り込む。

 この違いがなんなのかは、私にもよくわからない。今はまだ、気づいちゃいけないような感じもした。


 アラタは私に対して目をほそめて「そっか」とうなずいた。

 どこまで呑み込んだうえでの「そっか」だったのかはわからないけれど、相変わらず、気持ちのいい笑みをたたえていた。

 ただそれが意地悪いものに変わって、私の差し出した手のうえに残る教科書を積み上げた。


「じゃ、言わせてもらえば、自分の面倒は最低限のラインはきっちり見ろよ?」

「わぶっ……わかってるよ」


 唇をとがらせて毒づく私に、さらに一枚のCDを棚から引っ張り出して、本の上にさらに重ねた。


「なにこれ?」

「CDぐらいは貸してやるよ。そういうとこからアタシを知るのも、アリなんじゃないか?」


 素直に好意を示されて、私は手の重さも忘れて顔をほころばせ、アラタもそれに歯を見せて応えてくれた。

 きっとこんなハイセンスな部屋の主なんだから、洋楽の隠れた名曲とか、そんなものを貸してくれたんだろう。これで私も立派なシャレたリア充のひとりになれるというものだ。

 そんな気持ちであらためて自身の手でそのCDを手にとってみると、


『仁科巴 サヨナラヨワムシさん』


 ……とか書いてある。

 なんかカバーのオンナノコは十二、三ぐらいの愛らしいオンナノコで、ややぎこちなくて不自然なスマイルで、フリフリの衣装でジャンプしている。


 というかアイドルソングだ。

 どう見てもロックやパンクのアルバムじゃない。邦楽も邦楽。ジュニアアイドルのシングル曲で、しかも気まぐれで買った中古とかじゃない。思いっきり大事に保管されていた新譜だ。


 アラタの顔色をうかがう。

 ルームメイトは本気かどうか判別できない満面の笑みで、


「いい曲だぞ?」

 だなんて言い添える。


 そうして自分の作業へともどっていく彼女を、私たちは茫然と眺め

「……ごめん、やっぱアラタが一番よくわかんないや」

 という私の前言撤回に、クロウも相生さんたちも首を上下させたのだった。

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