第19回 籠城

まだ朝霞のうっすらと残り、寒さに身がすくんでしまいそうな明け方。

 順慶は背後に家臣を従え、祈りの時間を過ごしていた。

 一心に釈迦像に祈をささげている。

 ただいつもと異なるのは居並んだ諸将は順慶をはじめとして、みな、戦装束に身を固めていることだった。祈りるその表情は硬い。

「……もう、良いだろう」

 順慶の一言で諸将は広間へ移った。

 用意されていた床机に順慶たちは座る。

「左近、状況を」

「多聞城より打ってでた松永の軍勢は斥候の報告によりますれば南下をつづけているとのことにござる。支城は一切無視している模様」

 進軍の背景に三好を洛中より追い払った織田家の力があることは疑いようがなかった。すでに松永方の兵粮や、その傘下にある兵の動きは九月下旬から活発になり、十月に入ってから間もない出陣だ。久秀は一息に筒井家をたいらげようというのだろう。

 主立った重臣たちは手勢を引き連れ、一週間ほど前から筒井城へ参集していた。

「先陣は郡山辰巳衆」

 諸将からため息が漏れる。

 織田家に通じた久秀有利を知ってから大和の国人の足並みは乱れた。

 それは順慶が考えたよりも多く、一族の中からも松永の陣営にはしるものがあった。

 当主には一族を生き残らせる責務がある。そのためにはたとえ一方の陣営と血縁関係があったとしても、時に長いものにも巻かれなければならない。

 順慶は裏切られたことに対し、諸将よりも衝撃は受けてはいない。

 ただ、順慶が憂えるのはそこまでして生き残ってどうなるのかということだった。

 久秀が勢いをもりかえしたのは織田家の応援があればこそだ。

 しかし織田家が近畿の情勢に理解が深いとは思えない。たとえここで一端勝ち馬にのったところでどうなるというのだ。領土の差配は久秀の意向よりも織田家の意向が大きく反映されるはずだ。

 名は保てるだろうが、大和の国人として生き残れるかまではわからない。

 根無し草の駒になってまでも保つ家名に意味はないと順慶は思っていた。

 離反していったものたちは果たしてそこまで考えて行動しているのか。

 順慶が真に憂えるのはそこだ。

(しかし、今、そんなことを考えていても仕方がないか)

 今や筒井家は根無し草になる将来への不安どころではなく、滅亡の瀬戸際に立たされているのだ。左近の説明はつづいている。

「敵方はおよそ一万。我がほうは二千」

 重臣の何人かが俯く。味方不利を承知の上で集まってきたとはいえ、やはり数をあらためて言われるとのしかかるものは重い。

 左近は説明を終えると、身体ごと順慶と向かい合う。

「どういたしまするか」

「籠城する。逃げはせぬ。久秀の軍に背中をみせては筒井家の恥ぞ」

「殿、正気にござりまするか」

 重臣の一人が弾かれるように顔をあげた。

「正気だ」

「ここは城を落ち、再起を期すべきでは……」

「むろん、ここで討ち死にするつもりは毛頭ない。だが、我らはここで少しでも久秀の鼻を明かさねばならない。良いか。今、大和は揺れている。鞍替えした味方や一族がいる。しかし我らについている味方もいる。その心中はまだ迷いに揺れているだろう。みな、我らがどう行動するかを見ているのだ。なにもせず逃げるのか、筒井としての気概を見せるのか」

 順慶は重臣たちを見やる。家臣たちは唇を引き結び、力強い視線を返してきた。

「左近。まずは野戦だ。精鋭を率いて一当たりし、相手の勢いを挫け」

 順慶は命を下すや、すぐさま櫓に上る。

 二里ほどの距離に黒い塊が見えた。その一つ一つが兵であり、久秀の軍だ。

 一万と口で言うのはたやすいが、やはりその数は圧巻だ。つい数ヶ月まで多聞城から見ていたであろう光景だ。

 すべてが変わった。今や三好は微々たる勢力を近畿に残すばかり。

 松永方はこちらの兵力を把握しているのだろう。野戦はないものと陣形らしい陣形を組んでいるようにはみえず、攻城戦のみを意識しているように思えた。

 兵粮攻めでなく、ただ力攻めしてくるはず。

 誰かの力を借りれば自分の戦はできない。

 それは順慶が身に染みて感じていることだった。

 織田家の進軍、それはそのまま主君の色だ。

 悠長な戦を信長は望んでいないだろう。ましてや筒井城に籠もるのは小勢なのだ。

 となれば久秀はその助力を得ている以上、その色に染まないわけにはいかないだろう。

 順慶が三好の苛立ちさえ覚えるほどの悠長な色に染まざるをえなかったと同じように。

 だが、その圧力を感じているのは久秀だけに過ぎないのはなんとなく、進軍してくる集団からたちのぼってくるものから分かった。

 勢いはあるが、どこか覇気に欠ける。こちらを小勢、勝負は一、二日で片づくだろうとたかをくくっているのかもしれない。

 前衛の郡山辰巳の軍勢は八百前後。

 距離が一里ほどに縮まった時、左近が出るという報告があった。

 百の騎馬が飛び出す。鋒矢の格好でまっすぐ前衛めがけ駆ける。

 敵が揺れる。土煙をあげ、左近は矢のように飛ぶ。

 敵の面前ぎりぎりのところで部隊を二つに分けた。

 郡山辰巳の側面までくるとそこではじめて鋭く、軍に突っこんだ。

 たちまち前衛が二つに割れる。

 まるでそういう遊戯のようだ。面白いように集団が割れ、くずれていく。

 敵部隊は混乱しながらも必死に立て直しをはかろうとする。それぞれ小さな集団をつくろうとするが左近は動きの遅い集団を容赦なく掻き乱した。

 前衛の崩壊を防ごうと、中堅部隊が押し出してくるや騎馬隊は鮮やかに離脱していく。

 土煙が敵陣より線を引くようにこちらに向かう。

 城壁よりその様子を眺めていた兵士たちは湧き、はしゃいだ。

 勝利というにはあまりに微々たるものだが、これで一日戦える日数が増えたともいえる。戻ってきた左近を兵たちが歓呼の声とともに迎える。しかし。

「さっさと戦闘態勢につけ。敵はこれっぽっちもこたえてはいないのだぞ」

 左近は馬から下りるなり、笑顔の兵たちの横っ面を弾くように叱咤の声をあげた。

 兵たちは慌てたようにおのおのの持ち場へ戻る。櫓に左近がのぼってくる。

「無事か」

「はっ。全員、戻ってこられました」

「これで一日延びたか」

「楽観的ですな。一刻がやっとでしょう」

「それほどか」

 乱れた前衛はすでに立て直している。黒い波が城を包みこむ。いきなりは攻めかかってはこない。ゆっくりと広がり、包囲していく。

 城壁に火縄銃を手にした兵たちが並ぶ。

 包囲部隊より少し離れて固まっているところに、久秀はいるのだろう。

 城外の家々に火がつけられた。風に煽られ、火が燃え広がっていく。

 それから一刻ほど経つか経たないかのうちに兵が押し寄せてきた。

 空気をぴりぴりと震わせる震動と共に鼓膜を叩く火縄銃の発射音が炸裂する。

 攻め手からも銃撃がみまわれる。

 櫓から戦況を眺める順慶からも、たちこめる黒煙に視界を遮られ一瞬状況が分からなくなったが、そんな中でも攻め手の放つ鉄砲の弾けさせる火花はしっかりと見えた。

 それはこちらの比ではない。叫びと共に城壁際にいた味方が弾けるようにそっくりかえった。

 鉄砲隊と入れ替わりに長い梯子がたてかけられ、兵士がのぼる。

 筒井方は槍をふるって、突き落とし、梯子を蹴った。しかし弓が、鉄砲が絶え間なく責め手より射かけられる。

 悲鳴や怒号が櫓にまで届く。

 負けると分かって戦っている兵は誰もいない。しかし順慶たちには負けが見えている。これは勝つための戦ではなく、見せるための戦だ。

(どこまで踏みとどまれるか……そこに俺たちの未来がある)

 順慶は拳を握りしめ、櫓から退いた。

「左近、なにがなんでも二日は保たせなければならない。なにをつかっても構わない。死守しろっ」

「承知ッ」

 ここにはいない国人たちの視線が突き刺さるようだ。足が重い。国人たちの心の波が絡みついているかのようだ。

 広間に戻り、一人床机に腰を据える。

 遠くで銃撃音がつんざく。

 やがて日が落ちた。

 外に出ると呻き声が聞こえた。

 そこかしこで手傷を負った兵がいる。壁によりかかっているものはまだ良い。

 重傷の者は城内へ!

 動けるものは夜襲に備えろ!

 腹に傷を負ったものは飲食を控るんだ!

 侍大将や重臣たちの声が交錯する。

 火をいれられた篝火に兵士たちの長く伸びた影がおどる。雲が出て、月も星も見えない。

「被害は」

 重臣の一人を捕まえた。

「百は越えるかと」

「玉薬のほうは」

「足りてはいますが、火力が違いすぎます」

「耐えてくれ。まだ城を捨てるには早い」

 さらに各部署を回った。本来であれば責任者が報告にくるはずだったが、悠長に待ってなどいられなかった。筒井のために苦しみ、呻き、手傷を負い、命を落としたものを見なければ、その苦悶を感じなければならない責務が順慶にはあるのだ。

 飯炊き場には見慣れぬ女たちの姿があった。家臣に聞くと、城に逃げこんだ人々が手伝うと申し出てくれたとのことだ。

 朝菊もまたたすきがけをして侍女を連れ、走っていた。

 額に汗を光らせ、兵たちに声をかけ、手ずから水を飲ませている。

 順慶は城内を歩き回った。

 とりあえず城内への侵入はなかった。

(明日が正念場か)

 久秀は今日以上に激しく攻め寄せてくるだろう。今日の手応えからして攻めているのは織田家からの援軍はなく、とりあえずは麾下の兵と寝返った国人だけだろう。

「殿、夜襲の許可を」

 左近が順慶を見つけて近寄ってきた。

「馬鹿な」

 順慶は吐き捨てるように言ってしまう。

「今日あたえた損害はそこそこにすぎませぬ。明日が勝負にござりまする」

「だからこそ無駄に兵を失うわけにはいかない」

「明日では夜襲さえできぬやもしれませぬ。できるかぎり、敵の士気を削がねば」

 篝火をうつした左近の目が輝いていた。そこには自暴自棄な色はもちろんあるはずもなく、冷徹で冴えた輝きが宿る。

「……兵の選抜をしろ」

 それから半刻もしないうちに左近が兵士たちを二十人引き連れてきた。いい面構えをした若者、勇猛そうな壮年の男だ。

「頼んだ」

 左近たちは素早く駆けていく。

 城にはいくつか隠し通路があるが重臣たちが知るのみで、城外にいる国人たちにその知識はない。

 やがて城外が騒がしくなる。

 順慶は最初はじっとしていたが、いてもたってもいられず櫓に上った。

 城の南方に敷かれた陣が忙しなく蠢いているのがかすかに分かるだけでどうなっているかまでは分からない。

 握りしめた手が汗で濡れる。

 陣幕に倒れた篝火が陣幕を焼くのが目に鮮やかに映った。

 混乱に陥った声が錯綜する。

 他の部隊たちにも動揺がうまれたようで明らかに忙しなく動き、陣を移動させようとする部隊までいた。

 城内が湧く声に弾かれるように櫓をおりると、左近たちが戻ってきていた。

 篝火に赤々と照らされた男たちの顔が艶々と輝いて見えた。

 順慶が片膝をつく。

「申し訳ありませぬ。六名を失いました」

 順慶は肩で息をする男たちを見やり、大きくうなずく。

「みんな、休んでくれ。お前たちには明日もがんばってもらわねばならん」

 男たちが散らばる。

 順慶は城内に入った。一人、まんじりともせず広間にたたずむ。

「順慶様」

「朝菊か」

 彼女は小袖姿で、たすき掛けはといている。 彼女は城内の兵を叱咤し、城内の女性たちを率いて飯炊きなどの雑用をこなしてくれていた。

「支度はすんでいます」

「そうか。伝えさせたとおり夜明けの霞にまぎれて落ちよ」

「順慶様はどうされるのですか」

「今日一日、城は保たせる。できなければ筒井はどのみち潰えよう」

「分かりました」

 あっさりとした返答に順慶はたまらず苦笑してしまう。

「不安ではないのか」

「できなければ筒井の家が立ちゆかぬといわれるのならば、するしかありません。私はただお待ちするだけですから」

 朝菊は笑みを浮かべ、「それではお待ちしております」と広間を去る。

 順慶は汗ばんだ頭をなで上げた。

 女の強さに一人笑ってしまった。

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