第4話


オレは病院の中で、一人タバコを吸って悦に入っている宇木林を見つけて怒鳴った。

「宇木林!!」

びくりと肩を震わせる。

慌ててタバコを隠す所作は、漫画本を学校に持ってきたのがばれた中学生と大して変わらない。

「あ、ああ、久城さん。お久しぶりです。……できればもう会いたくなかったかな」

オレは宇木林の胸倉を掴んだ。

ボタンを押すと名セリフを吐く戦隊ものの玩具のように、宇木林は「ごめんなさい」と素早く言った。

「頼んでたもんはちゃんとできてんだろうな。できてなかったら────」

「で、できてます! できてますって!! すぐ持ってきますから!!」

オレは手を放してやった。

「すぐ暴力を振るうんですから……まったく」

ぶつくさと文句を言いながら、宇木林は受付のカウンターの奥へと入って行き、例のブツを持ってきた。

「上出来だ」

オレはその仕上がりに満足し、それを懐に入れた。

やはり、これがあるのとないのとでは身の引き締まり方が違う。

「あとこれも没収な」

奴の懐からタバコの箱を取り出し、自分のポケットに入れた。

恨みがましい宇木林に手を振り、オレはその場をあとにした。


◇◇◇


「久城さん! どこに行ってたんですか!!」

「悪い悪い。ちょっとした野暮用だ」

オレは目の前の学校を見上げた。

今日は休日で、人は誰もいない。悪霊たちからすれば、何かしでかすには好都合な日だ。

オレ達は学校に入った。

「人の気配がしない学校ってのは、なんとも不気味だねぇ」

オレはタバコを口にくわえた。

巴がそれを一瞥し正面を見る。しばらくして、ようやく自分の見たものを脳が理解したのか、再びオレの口元を凝視した。

「それなんですか!?」

「……タバコ?」

「そうじゃなくて、なんでそんなもの持ってるんですか! そしてナチュラルに吸ってるんですか!!」

「ったく。まるでヤクでもやってるような言い草だな。こっちの世界でも全域禁煙促進キャンペーン中か?」

「当たり前です! 徳をモノに変えて嗜好品にするなんて!!」

「規約違反?」

「神の冒涜です!」

「規約違反じゃねえんだな。ならよし」

「ならよしって……」

「あーもううっせえな!! 霊界じゃ吸わねえんだから別にいいだろ!?」

ふと、校舎をくり抜いて作られた通路から、二人の男が歩いてきた。

一人はオレのよーく知ってる奴だ。

「隠れるつもりはねえってか。随分と男前じゃねえか、荒久根源内」

「俺の名前知ってるのか。光栄だな」

「よく分かってんじゃねえか。本来なら悪党の名前なんてトイレでケツ拭く消耗品程度にしか考えてねえから、覚えてるだけ光栄に覚え。ラノベみてえな奇天烈な名前にしてくれた親に感謝するんだな。知ってるか? それ、今じゃキラキラネームっていうんだぜ」

二人は黙って銃を取り出し、こちらに向けた。

巴が驚愕している。

「アンタの小粋な喋りをずっと聞いていたいところだが、こっちも暇じゃない。手っ取り早くいかせてもらう」

「……いいもん持ってるな」

もう一人の男は下卑た笑い声をあげた。

「そっちの時代遅れの札とはまるで違うだろ?」

オレは煙草の煙を吹かした。

「……時代遅れ?」

「ああそうだよ。お前ら、死んだ時から時代が止まっちまってんだ。悪党と違って頭がかてえからな」

オレはため息をついた。

「まるで、若い奴らに説教食らってるような胸くそ悪い気分だぜ」

「あぁ? てめえ、なに────」

悪霊の一人が、煙になって弾丸の中に消える。

オレは銃口からあがる硝煙を、ふっと一息に消した。

「銃ってのは、やっぱぱねえな」

唖然としている荒久根にオレは銃を向けた。

「……それで勝ったつもりかよ」

「いいや? てめえら全員豚箱に放り込んでから、悠々と勝利宣言してやるよ」

校舎の窓からこちらを覗く悪霊共を感じながら、オレは頬を緩めた。

「巴、先に行け」

さっきから電車に乗り遅れたサラリーマンみたいな顔をしていた巴が、ようやく我に返った。

「わ、分かりました。ご武運を」

オレはため息をついた。

「人の運を祈ってる暇があるなら、自分の心配しとけ」

「へ?」

その瞬間、校舎の窓ガラスが一斉に割れ、大量の悪霊共が降って来た。

「走れ!!!」

巴は慌てて走り去った。

彼女に襲い掛かろうとする悪霊共を撃ち抜きながら、オレは物陰へと駆けた。

荒久根の弾丸が足元の砂利を飛ばす。

物陰に身を隠し、巴に照準を定めようとしている荒久根に向けて発砲する。

巴が校舎に入るのを確認し、オレは叫んだ。

「おい荒久根!! そんなにサシの勝負が怖いのか! あぁ!? 図体でかくなった分、ケツの穴が小さくなったんじゃねえか!?」

返事の代わりに弾が飛んできて、オレは思わず顔を手で覆った。

その瞬間、別の悪霊が銃を持つ腕を掴み、そのまま羽交い絞めにした。

オレは思わず銃を落とす。

ただでさえ野太い腕が、さらにどんどん大きくなる。

地面にスマートフォンが落ちた。そこにあるゴリラの待ち受け画面とともに、スマホが煙になって消える。

最悪だ。

この状況で完全に怪物化されたら、一瞬で首と胴体が泣き別れるハメになる。

オレは足で銃を探り当て、それをそのまま蹴り上げた。

近くにあった柱に当たってバウンドし、銃が宙を舞う。

その柱を駆け上がり、くるりと一回転する合間に銃を取り、ゴリラ野郎の額を撃ち抜いた。

オレを支えていたものがいきなりなくなり、オレは地面に転倒した。その隙にと集まった悪霊たちが銃を向ける。

しかしそれより早くオレが引き金を引き、二匹の悪霊を撃ち抜いた。

残った悪霊たちがごくりと息をのむ。

その間に、オレはゆっくりと立ち上がった。

「さて、第二ラウンドといこうか」

悪霊たちは顔を見合わせ、いきなり逃走した。

「てめえら何やってる!! こいつをぶっ殺せ!!」

荒久根の号令もなんのその、奴らは振り返りもせず学校から走り去る。

「……どうやら部下に恵まれなかったらしいな。馬鹿にはしねえよ。オレも似たようなもんだ」

荒久根は歯を食いしばり、オレに銃を向けた。

すぐさまオレもそれに倣う。

「んで、どうする? またこの前みたいにしっぽ撒いて逃げるか? いや、トカゲ的にはしっぽを切ってか?」

荒久根は黙ったまま動かない。

「ん? どうしたビビッたのか? ガンマンの真似事じゃジョン・ウェインには勝てないもんな。じゃ、これならどうだ」

オレは銃を放り投げた。

「ほら。これで小便は止まったか? それとも、丸腰相手でもビビッて動けないチキンなのか? あん?」

荒久根はオレを睨みつけたまま銃を下ろし、同じように放り投げた。

「後悔するなよ」

オレはにやりと笑った。


◇◇◇


巴は校舎の中を慎重に歩いていた。

「落ち着いて。落ち着いて私。マニュアルを思い出すの。悪霊が暴れた時の対処法その3。周囲を警戒し、心を落ち着かせるために深呼吸。すー、はー。すー、はー」

胸に手を当てて、何度も深呼吸している。

その背後に、こっそりと男が近づいていく。その瞬間、彼女の裏拳が顔面に飛んできてひっくり返った。

「こんなの役に立つわけないでしょ! そんな悠長なことできる暇あるなら悪霊の一匹くらい捕まえてるわよ!! ……ってあれ?」

気付けば、そこには倒れている男。

巴はしばらく茫然としていたが、やがて思い出したように札を貼った。一瞬にして霊は札の中へと収まる。

「……一応、マニュアル通りで成果は出た……のかな?」

巴がしばらく進んでいくと、明かりの灯った教室があり、物陰に隠れた。

「やばいですって! 出て行った奴ら全員やられちまったみたいですよ!?」

焦った悪霊の声が聞こえる。どうやら相手は二人だけのようだ。

「とにかく、オレは捕まるのはごめんです! さっさと逃げさせてもらいます!!」

男が教室を出て、こちらへ向かってくる。

巴はすぐさま飛び出し、男が走るエネルギーを使ってそのままぐるんとひっくり返した。

悶えている間にさっさと札を貼り、閉じ込める。

一人なら自分だけでもなんとかなる。

そう思い、巴はほくそ笑んで教室の方を見た。

ちょうど、そこには最後の悪霊がいた。

そこにいる自分のよく知る霊を見て、巴は驚愕する。

そこにいたのは、自分の子孫である紀州本由香だった。


◇◇◇


「おらぁ!!」

オレの華麗なドロップキックがトカゲと化した荒久根の顔面に直撃し、その巨体がひっくり返る。

仰向けになった荒久根が立ち上がる前に身体を跨ぎ、どっかと座る。

首を掴んで引き寄せると、思い切りその顔をぶん殴った。

「てめえは真っ向からぶっ飛ばしてやろうと思ってたんだ。ようやくあん時の借りが返せたぜ」

その分、いらないダメージを何発かもらったが。

まるで水をやりすぎて萎れた花のように、奴の身体が元の人間に戻っていく。

「これならジョン・ウェイン相手にガンマン対決した方がよかったかもな」

オレが拳を振り上げた時、荒久根はぼそりとつぶやいた。

「……なら、俺の役回りはロイ・ロジャースだ」

それを聞いて、オレはぴんときた。

「おたく、ダイハード好きなの?」

「だからなんだよ」

オレの振りかぶっていた拳が鈍った。

「野沢派? 村野派?」

それを聞き、当然だと言うように荒久根は笑った。

「……決まってる。村野派だよ」

オレは思わず微笑み、その顔を思い切りぶん殴った。

「お前は敵だ!!」

さっきの一撃で、荒久根は完全に伸びてしまったようだ。

オレは手をぶんぶんと振りながら、タバコをくわえた。

「yippee yi yea、mother fukerだ、くそったれ」


荒久根に手錠をかけて拘束していると、巴が学校から出てきた。

「おう、今からそっちに行くつもりだったんだが────」

巴が連れてるガキを見て、オレの言葉は途中で止まってしまった。

そこには、手錠をかけられたユカの姿があった。

「……どういうことだ?」

巴が戸惑う様子で口を開いた。

「……彼女が、事件の黒幕だそうです」

「黒幕だと?」

「彼女がスマートフォンを使って悪霊の思念を強化していたそうです。その力を使って霊界を占拠するつもりだったと、たった今自白しました」

オレはユカを見た。

彼女は俯いている。

以前話していた時とも違う。オレの顔を一切見ようとしない。

「……それがお前の秘密か?」

ユカは答えない。

オレはため息をついた。

ガキが道を外すところを見るのは、なんとも堪えるものがある。


ようやく他の保安官が増援にやって来た。現場の後処理を命じられたオレ達は、捕らえた大量の悪霊共を他の保安官に託すこととなった。

手錠をかけられた荒久根が、両側から保安官に引っ張られながらこちらを見て、小さく笑う。

オレはそれを見て、眉をひそめた。

「ほら、早く来い」

小突かれるようにして、彼らは学校から去って行った。

オレは茫然とそれを見つめている。

「どうしたんですか? 憮然として。久城さんのことだから、祝勝会だって言って盛り上がるものかと思ってましたが」

「……気に入らない」

今の心情を一番はっきりと示した言葉を、オレは発した。

「え?」

「あいつのあの眼だよ。気に入らねえ。ありゃ負けた時の目じゃねえ。万馬券当てて、かっさらわれないように換金所へ向かうオヤジの目だ」

「その例えはどうかと思いますが……私達が彼を捕まえたのは事実ですよ。FRDへ移送して、ここから一発逆転なんて不可能です。何より、彼の身柄は閻魔様が受け持つことになりますから」

あのいけ好かないガキか。

「閻魔様は地獄の住人となった霊は決して手放しません。永遠に閻魔様の隷属として過ごすことになるんです。ただの強がりですよ。気にする必要ありません」

オレは何もない地面を睨みつけていた。

気にする必要がない。ただの強がり。

本当に強がりだとするのなら、この状況で強がりを見せれるような悪霊が、罰の悪さにオレと目も合わせないガキの下についていたことになる。

「閻魔、閻魔か……。あいつに引き渡される前に何かするつもりか? いやでも、そんな危険を冒す理由がねえし。だがここで勝ちを確信するってことは……」

「何をぶつぶつ言ってるんですか。何か企んでいたとしても、神の目を盗むことなんてできません。それこそ透明人間でもなければ」


『私、いじめられてたの。学校でもそうだし、家でだってそう。お母さんもお父さんも、まるで私なんていないみたいに生活して。ごはんだって……』


オレの頭の中でフラッシュバックが起こった。

初めてユカに会った時のこと。誰もいない席に食事を運ぶじじいにボケたと文句を言い、満員電車で空席に誰も座らないことに苛立っていたオレ。そしてあの、オレを殺した目に見えない幽霊。

そうだ。

オレは確かに、見えなかったんだ。

「盗む必要がなかったとしたら?」

「え?」

「あいつはただ地獄にいればいい。その地獄が、丸々変わっちまうとしたら、どうだ?」

「……何を言ってるんですか?」

オレは興奮して叫んだ。

「入れ替えるんだよ。霊界と下界をそっくりそのまま!」

巴はあきれてものも言えない様子だった。

「いいですか? 霊界と下界を入れ替えるなんて、そんなことできっこありません。最初に霊界に来た時に教えたでしょう? 確かに霊は、霊界という場所を作るほどに強い思念を持った存在です。けれど、それは神様が霊界という常識を作って下さったから維持できるものです。もしもそれをする方法があるとすれば、霊界に住む霊達全員が、霊界を下界だと思い込むくらいしか方法がありません」

「そうだよ、思い込ませるんだ。オレ達幽霊全員の錯覚を利用するんだよ!」

巴は唖然として、硬直していた。

「……か、仮にそんな方法があったとしても、私たちは縁を持たない存在ですよ。そんなこと────」

「オレ達じゃねえ。生者がやるんだ!!」

「せ、生者……?」

「あのユカってガキ、本当は生きてやがるんだ!!」

「……は?」

オレは自分を落ち着かせるためにタバコを吸った。

「よくよく考えりゃおかしな話だ。オレはじじいの居酒屋に屯する霊にすら気付かなかった。なのにあのガキだけ見えるなんてな。最初は存在強度のせいかとも思ったが、それならオレを殺した悪霊の姿を見れなかったことの説明がつかねえ。だが理屈が合わねえのは当然だったんだ。ユカは生きてたんだからな」

「な、なにを言って……そもそもそんなの、不可能に決まってる……。だ、だってそんな縁、どうやって……」

「お前が言ったんじゃねーか。縁は生者の賜物だってな。つまり、あのガキが今回の事件の縁であり、死者を生者にする因なのさ」

縁とは一本の糸のようなもの。その糸で結べば、因果をつなぐことができる。けれど縁は生者の賜物。縁を作ることができるのは生者のみだ。

オレ達幽霊は霊媒師を疑問に思っただけで成仏できない。そんなオレ達が、この霊界という世界を作っているオレ達の思念が、全員あのガキを幽霊だと信じ込んだらどうなるか。

思念によって、死者と生者の定義が逆になった存在が、霊界という思念でできた世界に入ればどうなるか。

どう考えても、碌なことにならないのは目に見えている。

「で、でも、私は彼女が死んでいることを確認しています。他の地縛霊と違って、宿縁である彼女の活動も見守ってきました。私がそれに気づかないなんて……」

「資料で、だろ?」

巴は信じられない様子でオレを見つめた。

「……改ざんされていたとでも言うんですか? そんなことできる人なんていません!」

「一人だけいるだろ。下界にいる霊を全て把握していながら、この矛盾を黙っていられる奴が」

「……まさか」

「ああ、そうだ」

オレは頷いた。

「黒幕は坂上だ」


◇◇◇


「以上が今回の事件の顛末です」

定例会議であらましを説明し終えた坂上は、いつものように余裕のある笑みを浮かべてみせた。

「首謀者である紀州本由香は無事に逮捕し、霊界の威厳を悪霊たちに示すことができました。どうかご安心ください」

「ふむ。君がそう言うのなら安心だ。皆さんも、今後このことで日本を責めることのないようお願いします」

議長のその言葉で、定例会議は終わった。

坂上は資料をカバンにしまいながら、一人ほくそ笑む。

今回の事件は日頃ほとんど事件のない霊界にとって、かなり大きな出来事だ。悪名として紀州本由香の名前は一瞬にして霊界中に知れ渡る。

生者でありながら、幽霊であると思い込まれている紀州本由香が霊界にやって来れば、霊にとっての死者が現実での生者となる。そうなれば、生者が死者の定義に当てはめられ、霊界を作るほどの強力な思念がそのまま下界を飲み込むことになるのだ。

本来なら、このような出来事が起きないように霊は縁を持たない存在となっている。霊は下界に干渉できない。死者は何もすることができない。

だからこそ、私は生者を巻き込んだ。

生者の縁を使った下界の転覆。そしてその結果得られる蘇り。

そうなれば、縁などというまやかしに付き合わされることもなくなるのだ。

これからの混乱と死者の繁栄を想い、私は頬が緩むのを止められなかった。


◇◇◇


「そんなことありえません」

巴は強情にもそう言って聞かなかった。

「現にそれが起きようとしてるんだよ! あのガキはお前との宿縁で繋がってる。ちょうど霊界と下界を結ぶ赤い糸のようにな。あいつはその縁を利用したんだ」

「利用なんてできません。霊が干渉して、生者の行動を変えるなんて────」

「変えてねえんだよ! あのガキは最初から死のうとしてたんだ。あいつはそのやり方を教えただけだ。徳を使って、わざわざ縁を結び直してな」

「……確証がありません」

「確証なんてあとでいくらでも見つけてやる! だから早くあいつのところへ行くぞ!」

オレが走り出そうとした時、ガチャリという音がして、思わず自分の手首を見た。

綺麗に手錠がはめられ、それが近くの柱に繋がれる。

「……てめえ」

オレは巴を睨んだ。

「あなたはまったく進歩していません! そうやっていつも突っ走って、人を振り回して!! 挙句局長が……、局長が、こんな常軌を逸した計画の首謀者だなんて!!」

巴は半狂乱になっていた。

「私は生きていた時も死んでからも、ずっと疎まれていました。宿縁は下界への過干渉です。ですがそれを切るのは生者の役目。どれほど辛くても、私はずっとそれを持っていなければなりませんでした。皆が私を責め立て、私自身も、ずっと自分を責めていました。そんな私を、局長だけが許してくれたんです! 千年もの間、私の一族が私の縁で苦しんでる姿を見続けて、それでも何もできない情けない自分を、ずっと慰めてくれていたんです!!」

オレは黙って巴を見つめていた。

彼女の瞳からは、止め処なく涙があふれ出ている。

「あ、あなたは……あなたはそれが、全部偽りだって言うんですか!! 私を慰めていたのも全部、宿縁を繋ぎ止めておくためのものだったと、そう言うんですか!?」

巴の気持ちは、オレなんかが察するに余りある。

抱えてきた年月も、抱えてきた悲劇の重さも、オレには想像することもできないだろう。

だが。

だがそれでも……

オレは巴の手を握って壁に押しやると、そのまま彼女の真横の壁に手をついた。

まったく。霊にもなって壁ドンなんかやるとは思わなかった。

「巴。お前はなんだ? 悲劇に暮れるかわいそうな亡霊か? それとも正義に殉じる刑事か?」

巴は息をのみ、オレをじっと見つめている。

「たとえどれだけ目を背けたくなるような真実でも、刑事なら目を背けるな。どれだけ親しい奴でも、どれだけ人のできた優しい奴でも、そいつが罪を犯したなら迷わず任務を遂行しろ。それが刑事で、人を裁くってことだ」

オレはもう一度言った。

「巴。お前はどっちだ? ただの幽霊か、それとも刑事か」

巴は唇をかみしめ、オレから目を逸らした。

そのままぎゅっと目を瞑り、それから……その場を去った。

オレは誰もいなくなったその場で、壁を殴りつけた。


◇◇◇


巴は局長室に入った。

坂上はそれを見て、いつもの微笑みを浮かべて立ち上がる。

「確か、現場の保全を命じたはずだったがね。何かあったか?」

巴は喋らない。

「……その隠し持っている札と、何か関係があるのかな?」

巴がびくりと身体を震わせた。

彼女は渋々、札を前に出した。

「あなたを拘束します」

「何故かな? 一体私が何をしたというんだ?」

「紀州本由香を霊だと偽った罪です」

坂上はため息をついた。

「久城の入り知恵だな? 君に思いつくはずがない」

「……お認めになるのですね?」

坂上は余裕の表情で足を組んだ。

「由香さんはここには来ませんよ。私の権限で、移送は取り止めてもらいました」

「ほう。生真面目な君が規約違反を犯したわけか。悪霊に関するすべての出来事は、まず局長を通すようにというルールが存在したはずだが。久城の自警主義が移ったか?」

「そうじゃありません。霊になって、保安官になって、千年もの間彷徨ってようやく見つけた……私の正義です」

坂上は巴を睨んだ。彼女は一切ひるまない。

それを見て、坂上は小さく笑みを漏らし、きょろきょろと辺りを見回した。

「それで? 肝心の彼はどこだね?」

「久城さんは置いてきました。これからのことを考えれば、彼の徳では一瞬で地獄行きですから」

「ずいぶんと甘いことだな」

「私の夫ですから」

坂上はぽかんとした。

「……いやはや。まさかそんな関係になっていたとはね。だが、私の言った甘いというのはそういうことではないんだよ」

「え?」

そこでようやく背後に気配を感じ、巴は振り向いた。

そこには、思念化した荒久根の姿があった。

「こんにちは。お嬢さん」

荒久根は、にやりと笑った。


◇◇◇


「ふんっ!!」

オレが思い切り引っ張ると、盛大な音を立てて柱がへし折れた。

手に嵌められた手錠を外せないのなら、柱の方を破壊してしまえばいい。単純な話だ。

「ったく。無駄な時間使っちまったぜ」

オレは遅ればせながらも走った。

ちょうど学校をまっすぐ行ったところに大きな神社がある。この場所から霊界に行くなら、そこの鳥居を使うはずだ。

学校を出て住宅に囲まれた道を通り過ぎ、神社の駐車場へと入った時、その神社の正門前で待機している保安官とユカを見つけた。

「おい、そいつ連れて行くんじゃなかったのか?」

オレが息を整えながら聞くと、保安官が言った。

「それが、巴さんが待機するようにと仰るものですから。局長から許可を得ていると言うので」

オレはすぐにぴんときた。

「あの馬鹿……」

あいつは自分一人で今回の件を片付けるつもりだ。

だが、それが簡単にうまくいくとも思えない。なにせ坂上は、千年以上もの間、今回の計画を温めてきたのだから。

ふいに、保安官の一人が携帯に耳を当てる。誰かから連絡が入ったのだ。

「おい、ユカ。ちょっとツラ貸せ」

ユカは何も言わないが、抵抗もしなかった。

その手を繋ぎ、オレはゆっくりと歩きだす。

「わ、分かりました。すぐに拘束します」

そう言って携帯を切った保安官に向けて、オレは銃を撃った。

吸い込まれるように弾丸へと入って行き、もう一人が唖然としている間に再び発砲。

二人を簡単に無力化することに成功した。

保安官を名乗るには、あまりにあっけない連中だ。

ユカが少しおびえた様子をみせている。

「大丈夫だ。別に死んだわけじゃない。ただちょっと拘束したってだけだ」

死んだわけじゃない。

既に死んだ人間に対する説明としては不適当だ。そんなことを自然に思えるようになったということは、オレも幽霊暮らしが板についてきたということだろうか。

オレはため息をついた。

だが少なくとも、オレの手を握るこの少女は、こんな幽霊だの縁だのというものとはかけ離れたところで生活していたはずだ。

「お前、死にたいのか?」

その言葉ですべてを理解したのだろう。

ユカは小さく頷いた。

「そうか」

オレはユカを連れて歩いた。

隣の道路で、車が往来する。彼らにはオレの姿なんて見えていない。ただ一人の少女が歩いているだけだ。

「怒らないんだね」

ユカは言った。

「みんな、最初は怒ったの。でも、今はもう誰も怒らない。みんな、あたしのことなんてどうでもいいと思ってる」

ユカは自嘲するように笑った。

それはオレの知る中で、子供がみせる笑みではなかった。

「学校でも家でも、幽霊ごっこしてるの。あたしなんて存在しない。この世にいない。みんなそう思ってる。だから、死んでもいいんだ。こんな世界なら、きっと死んだ方が幸せだし」

「……お前、オレが幽霊だって知った時、泣いてたよな」

ユカは何も言わない。

オレは構わず続けた。

「本当に死んだ方が幸せだと思ってるなら、あそこで泣いたりなんかしねえよ」

オレ達は緑地公園に入った。池と緑が生い茂った場所で、広場には遊具もある。

その隅にある石でできた階段を、オレ達は上った。

「人生の先輩として、オレが一つ教えてやる。最近の馬鹿は自殺だなんだと、この世の価値をとんでもなく低く見てやがるが、そんなことはねえぞ。幽霊になれば、満足にビールも楽しめない。生前、オレの周りは倫理観の腐った馬鹿野郎共しかいなかったが、そんな奴らをぶん殴ることも満足にできやしねえ」

階段を登り終え、オレはユカにその風景を見せた。

彼女の丸い目が見開かれる。

そこには墓がずらりと並んでいた。均等に並べられた、形状も何もかも、“全てが同じ墓”だ。

「これがオレ達だ」

そこには、オレの墓もあった。

久城はじめと、ただ名前が書かれているだけの墓だ。

「FRDとか言って正義の味方気取っちゃいるが、オレ達には何もできない。縁すら持てず、ヤク中のガキを更生させることすらできねえ。オレはお前とこうして話ができる。FRDに入って、悪霊をぶっ飛ばすこともできるだろう。だが、それは本当に何かをしてるわけじゃない。オレも悪霊も、聖人君子と言われるような偉い奴も。死んじまったら、この墓と同じだ。個性も何もない。オレ達ができるのは、マイナスをなんとかゼロにすることだけ。決して、誰かを幸せになんてできないんだ。それができるのは、生きてる奴らだけなんだよ」

オレは振り絞るようにして、言った。

「人間はな。死んだら終わりなんだよ」

オレはユカを見た。

その表情から何を考えているのかは読み取れない。

「頼むよ。死んでもいいなんて、言わないでくれ。可能性っつー言葉は、生きてる奴にしか使えないんだ。それにな。それに……」

オレは躊躇した。

これはオレのエゴだ。それをこの場で言っていいのか、分からなかった。

それでも自然と、その言葉が口から出てきた。

「子供のことをどうでもいいと思ってる親なんて、この世にはいないんだ」

その時だ。

突然背後から衝撃を受け、オレは地面に組み伏せられた。

保安官だ。

おそらく、坂上が派遣した連中だろう。そいつはオレに手錠をかけ、もう一人の保安官がユカを連れて行く。

彼女は抵抗しなかった。

オレはそれを見て、思わず苦笑した。

分かっていたさ。

霊は縁を持たない。オレの言葉が、生者の意思を変えることなんてないんだ。

「立て。お前は即刻地獄行きだ」

オレは無理やり立たされた。


『あなたはまったく進歩していません! そうやっていつも突っ走って、人を振り回して!!』


そうだな。なんでなんだろうな。

もしかしたら、何かが変わると思いたかっただけなのかもしれない。

信じる者は救われる。そんなことを本気で信じてるわけじゃないが、それでもがむしゃらに突っ走れば、何かが変わるような気がしたから。

色んな不満を抱えて、文句を垂れ流して、それでも必死に手を伸ばしていれば、何かが掴めると思ったから。

だが、それももうおしまいだ。死んじまったら何もできない。オレ自身でそう言っておきながら、オレはそれを信じちゃいなかったんだ。

オレの目に、墓を区切る手すりが映った。その先には何もない。丘の上に作られた墓なので、その下の道路とはかなりの隔たりがある。

「霊界の扉」

オレの言葉に、保安官が眉をひそめた。

「下界と隔てるものなら、なんでもいいんだったよな」

保安官が口を開いた時、オレはその腕を振り払い、その手すりに向かって走った。

オレは何も信じちゃいない。神も、救いも、何もかも。

だがだからこそ、知っていることもある。

この世には、あきらめちゃいけないことがあるってことを。そしてそれを知らない馬鹿なガキが死のうとしてると言うのなら、それをぶん殴ってでも止めてやるのが大人の仕事だ。

オレは手すりに足をかけ、飛び越えた。

何もない宙を泳ぎ、重力によって落下する。一瞬で人を死に至らしめる高さだ。

死は下界を隔てる扉。理屈で言えば、霊界への入り口ともいえる。だが死ぬほどのダメージを受けて、霊体を維持できるかどうかは分からない。

「死んでも食らいついてやるぞ、くそったれえええ!!!」

そんな叫び声をあげ、オレはもう一度死んだ。


◇◇◇


坂上はリバーサイドに来ていた。

受付で悪霊の護送に立ち会う旨を告げ、ゲートに入る。

その時だった。

坂上の眉間に、銃が突き付けられた。

「よう。そんなに急いでどこ行くつもりだ?」

オレの顔を見ても、坂上は大した驚きもない。

「重要な悪霊だ。私自ら天界を案内しようと思ってね」

「へぇ。そのサービス精神、オレの時にも発揮してほしかったぜ」

「君はこういう堅苦しいのは苦手だろう?」

「お前がそんなに空気読める奴だとは思わなかった。若い奴らにその気遣いを見習わせてやりてえよ」

オレはゲートの外にいる受付の女に叫んだ。

「おい受付嬢!! どの国でもいいから、片っ端から保安官集めて来い!!」

返事がない。

オレが怪訝に思うのと同時に、坂上が押し殺すように笑った。

「君はずっと私を毛嫌いしていたようだが、本当のところ、私自身はずっと君とは気が合うと思っていたのだよ。君も面倒ごとは嫌いだろう?」

「まあな」

「では面倒な上っ面のおしゃべりはなしにして……」

霊界に繋がる扉から、怪物化した荒久根が入って来る。その腕の中にはがっちりと捕まえられた巴がいた。

「そこをどいてもらおうか」

リバーサイドからばたばたと保安官たちがやって来る。しかし荒久根は霊界と通じる扉を閉めてしまった。

エレベーターの中にいるような、部屋が移動する音が辺りから聞こえる。

オレはちらと巴を見た。

手荒な真似をされた様子はなかったが、悲痛な面持ちで俯いている。

「ごめんなさい。私────」

「さて久城君! 私の言うことを聞いてもらおう」

坂上はオレの銃を押しのけるように間近に迫り、顔を近づけた。

「そこを、どけ」

オレは黙ったまま銃をその場に落とし、手を上げた。

満足そうに坂上は頷き、銃を足で滑らせて遠くへやった。

「素晴らしい働きだな。まさか真相を暴かれることになるとは思わなかった」

オレの周囲を回りながら、楽しそうに語り始める。

その様子は、まさしく物語のラスボスだ。

まったく。アクション映画の観過ぎだぜ。

「君のことだ。紀州本由香を説得しようとしたんじゃないか? どんな言葉を並べた? 縁を持たない君が、彼女に何と?」

オレは何も言わない。

「クックック。そうだよ久城君。君の行為はすべて無意味だ。縁を持たない霊は、新たな縁を結ぶことはできない。どれほど心響く言葉を投げかけようと、生者の意思を変えることはできないんだよ」

オレの姿を見て、坂上は余裕の表情で首を傾ける。

「健気なものだな。服も身体もボロボロじゃないか。存在強度が消えかかっている証拠だ。ここに来るのに、よほど無茶をしたんだろう。だが結果どうだ? 結局、君にできることは何もない。これがこの世に存在しない君の限界だよ。だが安心したまえ。私は寛大なのだ。この計画によって、君たちにも生を与えてあげよう。私はすべての霊の味方だからね」

「そうかい」

オレは言葉短に言った。

「興味がないとは言わせないぞ。徳で得られる快感などちっぽけなものだ。生きている人間は、生きているというただそれだけで快感を得ることができる。そしてあろうことか、この空虚な世界に行きたいと渇望する者がいる。私はね。そんな人間が心底憎らしい」

初めて、坂上は感情を持って言葉を発した。

それは一流のビジネスマンが壇上に立ってスピーチをしているようにも思えたし、子供の駄々のようにも聞こえた。

「我々はもっと生きたかった! 死にたくなどなかったのだ!! そんなに死にたいというのなら、我々の代わりに死んでもらう。これは至極当たり前の話だ」

チーンと、下界に到着した音がして、霊界とは逆の扉が開く。

そこにはユカの姿があった。

「来たな。さあ、こっちに寄るんだ。それで君の望む世界を手に入れることができる。悲しみの存在しない世界になるんだよ」

「……坂上。さっきの話だが、お前は勘違いしている」

「なに?」

オレはそのまま黙った。

坂上はもはやオレの言葉などどうでもいいらしく、ユカの手を取って霊界の扉へと歩いていく。

が、途中でその動きが止まった。

ユカが立ち止まったのだ。

「あたし、ずっと死にたいって思ってた」

ユカの目は、じっと霊界への扉を見つめている。

生者であるユカにとって、それは死者の世界の入り口だ。何か、オレ達とは違う見え方がしているに違いない。

「……でも、分かった。死ぬのって……怖いんだね」

「は?」

坂上が、初めて呆けたような声をだした。

ユカは坂上を見上げた。

「あたし、やめるよ。死ぬの」

「な、に……? 今更、何を言っているんだ、お前は? な、な、なぜ……」

「怖いから」

ユカはオレを見つめた。

「ゼロになるのが、怖いから。あたし、やっぱり誰かに見ていてほしい。誰かと、一緒にいてほしい。その願いを……あきらめたくないから」

「い、今更……今更、何を言っている! 早く来い!! 来るんだ!!」

坂上がユカの手を引っ張る。しかしどれだけ力を出しても、ユカはその場から一歩も動かない。

生者である彼女を強制的に動かすことは、霊にはできない。

「く、久城だな? お前が何か吹き込んだんだろう!? そうだな!?」

「違う。さっきお前が言っただろ。オレ達幽霊は生者に干渉できない。これは……ユカ自身が自分で悩んで、決めたことだ」

「ふ、ふざけ……ふざけるなああああ!!!!」

オレは黙ってタバコをくわえた。

「だから言っただろ。お前は何も分かっていないってな。……本当に死にたい奴なんて、この世にはいないんだ」

オレはユカと向き合った。

「わざわざオレが殴るまでもなかったな」

ユカはそれを聞いて、首を振った。

「そんなことない。おじさんの言葉(パンチ)、けっこう効いたよ」

オレは思わず笑った。

「おじさんじゃねえ。お兄さんだ、クソガキ」

その時、荒久根が巴を放り出してこっちに向けて走って来た。

「おい、もうやめとけ。これ以上暴れても何もならねえよ」

「うるせえ! このまま終われるか!! せめてお前を道連れにしてやる!!」

オレはため息をつき、身体を動かそうとして、それができないことに気付いた。

どうやら、自分が思っている以上にダメージが大きかったらしい。

奴の拳が飛んでくる。

これはやばい……!!

オレが思わず目を瞑った瞬間、荒久根が吸い込まれるようにして弾丸へと消えた。

撃った人物を見て、オレは思わず言った。

「……ゲートでの発砲は禁止じゃなかったか?」

巴は銃を下ろした。

「なんのことですか?」

彼女は澄ました顔で言った。

オレは思わず笑みを浮かべ、改めて坂上に向かい合った。

「さて、坂上さんよ。そろそろお前の情けない弁明の言葉を聞きたいところだが、どうだ?」

坂上は膝に手をつき、じっと地面を見つめていた。

しかし急に立ち上がると、こちらを向いて微笑んでみせた。

「弁明? なぜそんなことをする必要がある?」

オレは眉をひそめた。

「何を言ってるんですか! あなたのやったことは重大な規約違反です! あなたは即刻……」

巴の言葉が止まった。

「ようやく理解したか? そうだよ。私の天国行きは決まっているのだ。生者だった時にな」

霊は縁を持たない。言い換えれば、霊になってからの悪行が地獄行きという結果に繋がることはないのだ。

徳を積めば縁を結び直すことができる。しかしそれは自分の意思でだ。他人が干渉すれば、それは新たな因果を作ることになる。

「確かに、今回は君達の勝ちだ。潔く負けを認める。なので私は、天国でゆっくりと蘇りの方法を模索することにしよう。なあに、百年もすればすぐに思いつくさ。ここの連中を輪にかけたような能天気共の集まりだ」

巴が怒りに震え、ユカが軽蔑の眼差しを送る。それでもなお、坂上は高笑いしていた。

オレは黙ったままタバコを吹かす。

オレの冷静な様子に気付いた坂上が、あざ笑うかのように叫んだ。

「どうした久城! お前らしくもない。小気味の良いジョークの一つでも言ってみろ!」

「ジョークか。なら、今からてめえを地獄に叩き落とすってのはどうだ?」

坂上は笑った。

「確かに、なかなか面白い冗談だ。しかし少々馬鹿らしくもある。私はすでに死んだ身。生者の縁で落ちる地獄とは、文字通り無縁なのだよ!!」

「そうだな。確かに、お前を直接地獄と縁でつなぐのは不可能だ。直接は、な」

坂上の顔から笑みが消えた。

ゆっくりと、坂上は自分を見下ろした。

その指には、一本の糸が括られている。

「お前には脱帽だよ。別の縁を使って、別の因果を成立させる。まったく、よく考えたもんだ。さすがの神様も、人間の小狡い考えには敵わなかったってところか」

オレはタバコの煙を吐いた。

「オレもお前と同じだ。オレはエリート野郎が大嫌いだが、お前は違う。常識に囚われない柔軟な発想と、目的を達成するためなら手段を選ばない行動力。こんなことがなけりゃ、一緒にうまい酒でも飲めただろうな。そんなお前だからこそ、オレも一つ学ばせてもらった。霊は縁を持たない。だが、オレにも一つだけ持ってる縁ってやつがあった」

坂上の顔が青くなる。

「千年越しの計画だ。無下になるのはお前も嫌だろ? だからオレが、この事件に意味を与えてやるよ。こういうのを、腐れ縁っていうんだったか?」

オレは自分の小指を突き立てた。そこから伸びた糸は、坂上の小指に巻き付いており、そのまま巨大な糸巻きに繋がっている。

「オレとお前を縁で結んだ。この事件の因縁は、地獄行きが決定してるオレと共になるっつーわけだ」

その時だ。

突然坂上の周囲の地面から無数の腕が生え、彼の身体を捕らえた。

「良い仕事だ、久城はじめ」

一体どこから湧いたのか。

閻魔がポケットに手を突っ込んだままその姿を現した。

「ちょうど、この男のすまし顔を歪めてみたいと思っていたところだ」

坂上が必死の形相でその拘束から逃れようとするも、びくともしない。

まるでそこだけ水にでもなったかのように、ずぶずぶと坂上が足先から地面へと沈んでいく。

「久城~~!!!」

顔だけになった坂上が必死の形相で叫んだ。

「文句なら、地獄でゆっくり聞いてやるよ」

ずぶりと音をたて、坂上は完全に地面の中へと沈んでいった。

決して裁かれないとタカをくくっていた男の、哀れな末路だ。

閻魔が、オレに向き直った。

「さて、久城はじめ。君はなけなしの徳をすべてはたいて縁結びを行った。結果はもちろん、分かっているね?」

「当たり前だろボケ。オレが天国なんか行ったら、あの悪党も連れてきちまう」

オレはゆっくりと閻魔へ歩み寄った。

「そんな! 久城さんは正しいことをしたんです! なのに地獄行きだなんて、そんなのあんまりです!」

「そうだよ! よくわかんないけど、おじさんが地獄に行くなんてだめだよ!!」

まったく。

子孫だと言うことも変わらねえらしい。

「オレ自身が決めて、やったことだ。別にどうこう言うことじゃねえよ。心残りは……まあ、あるにはあるがな」

巴はそれを聞いて、真剣な様子で俯き、閻魔を見据えた。

「待ってください閻魔様。少しだけ時間をください」

「僕は気が短いんだ。待てないね」

「そこをなんとか────」

「その必要なーし!!」

突然、第三者の声が聞こえてきた。

見ると、閻魔同様どこから出てきたのか、そこにはアミダちゃんがいた。

「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃ~ん!! みんなのアイドル、アミダちゃんですよ~。てへぺろ♪」

舌を出して、オレ達に向けてポーズをとっている。

見ると、ユカが心底殴りたそうな顔でアミダちゃんを見ていた。

「巴さんに言われて探してた子、ようやく見つかったんで連れてきちゃいました~。えいっ♪」

指をステッキになぞらえて、軽く振ってみせる。

すると、突然どこからともなく後光が差し、そこに一人の少女が現れた。

オレはその少女を見て、思わず目を見開いた。

「あなたのことを知るにつれ、何故あなたがそこまで天国に固執するのか分からず、気になって調べさせてもらいました。あなたはずっと昔、一人の女の子とある約束をしていました。天国に行くその女の子が一人では寂しいと泣くので、自分も同じ天国に行くと。……あなたの、娘さんですね?」

巴の言葉はオレの耳に入っていなかった。

戸惑いがちに歩み寄り、ふとそこで自分がタバコをくわえていることに気付き、慌ててそれを靴底で消し、自分のポケットにねじ込んだ。

オレの娘は、不思議そうに眼を瞬かせながら、オレを見つめている。

「あー……悪いな、突然。お前は会いたくなんかなかっただろうし。その、なんだ。……何喋っていいかわかんねえな」

この瞬間を、ずっと待っていた。

何回この時のことを想像したかも分からないくらい、脳内シミュレーションはばっちりだった。なのになぜか、言葉が出てこなかった。

『約束、守ろうとしてくれたんだね』

その声は透き通っていて、本物の天使のようだった。これは絶対、親の贔屓目なんかじゃない。

「ああ。けど悪いな。オレ、不器用だからさ。なんだかんだあって、そっちには行けないみたいだ」

『そう、なんだ。でもうれしいよ。お父さんが、私のためにがんばってくれて。天国から、ずっと見てたから』

情けない話だ。

悪党どもを何人も逮捕してきたこのオレが、ガキの言葉一つで涙が出そうになるなんて。

その時、後光が薄まっていくことに気付いた。

見ると、娘の身体がだんだんと透き通っていく。

このままだと消えてしまう。

「待ってくれ!」

オレは思わず叫んだ。

「最後に……最後に一つだけ。聞かせてくれ」

色々な思いが錯綜する。

天国は快適か? お前も仕事を押し付けられたりしたのか? 移籍してみたい国とかなかったか?

もう最後と言われた途端、聞きたいことがあふれ出てくる。

その中で、一番鮮明に浮かんだ言葉が、オレの口から自然と出た。

「オレの子供に生まれて、幸せだったか?」

娘はにこりと笑い、そのまま消えていった。

当たり前だよ、と口が動いたのを、オレは確かに見た。

光が消え、オレは茫然とそこに立ち尽くしていた。

「久城さん……」

巴の悲痛な声が聞こえる。

「……昔のオレは、手がつけられねー悪ガキでな。悪いことは何でもやった。大人になってもそれは変わらない。嫁作って離婚して、ガキ押し付けられてようやくだ。変わろうと思えたのは」

オレは天井を見上げた。

「なのに神様ってのは残酷でな。ようやく真っ当に生きようとしていたオレに、娘を取り上げるって言ってきやがった。小難しい名前の病気で、治療費なんてオレが払えるわけもなく、あいつはそのまま死んじまった。何もしてやることができずに、ただ死なせちまった。だからせめて……せめて、死んだ後くらいは、な」

オレは感情を押し殺し、巴の方を向いた。

オレが我慢してるってのに、こいつは目じりに涙を溜めてやがる。

「……ありがとよ。もう未練はねえ。最後に……あいつに会えたからな」

オレは閻魔に向き直った。

「いいぜ。連れてけよ」

閻魔はふっと笑った。

坂上の時と同様、地面から無数の腕が生えてくる。

「久城さん!!」

巴の叫び声を聞きながら、オレは目を瞑った。


第四話 了

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