実に中国史的である、と表せざるを得ぬ。結城藍人氏の文責のみならず、板野かも氏の評を交えた上で、の話である。まず、読者は作中のテクストが古代中国の哲人孔丘の、ある意味での「断筆」であることを学ぶ。この学習を経て、板野かも氏のレビューが「歴史の終焉、その先」を示すことに気付かされるのである。なお、斯くの如き「前提知識の習得による知的深層レイヤへのアクセス」と言った振る舞いは、何もこの物語にのみ求めらるる話ではない。常に、中国史の学習を志す各員に突き付けられるものですらある。学びたる後に目の当たりとする世界の広漠、深遠は言語を絶するのであるが、これらがただの二文字、或いは文字ですらない何かに凝縮されるわけである。この聳え立つ知の障壁を目の当たりとせば、愚人の如き未熟なる学習者は恐懼の余り、立ち止まるより他ない。壁に辿り着くためのよすがもまた、知そのものである。学ぶために学び、またそのために学ぶ。夥しき先賢の足跡を追い、無限遠とも思しき隔絶に挑む内、学習者はまた板野レビューの如き境地に辿り着く。そう、無である。ここで我々は思想の東西、その邂逅に驚きを見出すことが叶う。ヴィトゲンシュタインの残した箴言「語りえぬを前に人は黙すべし」である。孔子が何かを見出したか、見出し得なかったのか。答えは、無のその向こうにある。ならば我々の取るべき態度は、あえて無に身を晒すこと、となろう。無は無であるが、無に我、即ち有を投じることで一となる。無に一を得るらば、無と一、とで二である。一は二と出会うことで比較の対象を得る。一より端を得て、世界は無限に広がりゆく。ならば我らは、まずは始まりにまで戻らねばならぬ。これを孔丘より若干遅れてあった人李耳、俗に言う老子が「道」と呼んでいたことは、また無視し果せぬ事象であろう。ただし我々は「道」そのものと一になるには背負うものが多すぎる。「道」、あるいは「無」。どう足掻いてもこれらの観測者としかなれず、そしてそこで観測しているものもまた「道」「無」というものの本質が可知空間上に投影された写像であることを弁えねばならぬ。以上を模式化すれば、この物語が描く孔丘の思いと、我々との間には、いみじくも板野氏が雄弁なる評にて喝破なされたが如き、越え難い隔絶が存在している、となる。しかし思い返してもみれば、我々は隣人、手を携え、共に歩む伴侶との間にすら身体と言う越え難い隔絶を抱えざるを得ぬ。ともなれば況や上古の人をや、である。ならば基より理解が叶う、などと言った虚妄は捨て、ただ他者を思うに専念するのが、我々に示し得る最大限の誠意あであろう。そして、ここで我々が想起するのはニーチェの箴言であろう。「怪物と戦う者は、自分も怪物にならないよう注意せよ。深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込む」。知の怪物に覗き込んでこちらも智の怪物になれるのであれば儲けものであるが、そんな太平楽な話ではない。我々が孔丘を見ていると思い込んでいる瞬間は、往々にして、孔丘の言葉を通じ、自分自身を眺めているのである。先人の残した書や格言などを読むとき、我々は自我というフィルタを介してしか理解が叶わぬ。例えば孔丘は尊敬こそされていたものの、大いに重んじられると言ったことはなかった。しかしその思想は、死後弟子らの手を通じ、全中華的規範の支柱としての地位を築いている。ここまでで話を止めれば、ある種の復讐譚を好む者たちからは「その苦労が、ようやく報われた」となる。しかしここにこう付け加えるといかがであろうか。「しかしそのロジックは、往々にして支配者の放伐、即ち武力による征服のための大義名分に利用された。そして孔子は戦乱のさなかにある中、放伐的振る舞いをことのほか蔑んだ」と。ここまで聞いたときに、死後の思想の普及は、孔丘の慰めと感じるであろうか。作中にて結城藍人氏が提示なされた予言とは、斯くも多くの背景を抱く。以上を踏まえ、作品のタイトルを解釈してみよう。「これからスーパーチートな英雄が戦国乱世の中国で悪人共をバッタバッタとなぎたおして天下統一するぜ! って予言の書」。どれだけチートかというと、数百年にわたる戦乱を止めるほどである。後世的観点より結論を言ってしまうが、これを実現した人物は中国史を見渡しても二人しかいない。漢高帝劉邦、唐太宗李世民。孔丘の生きた時代より我々が生きる時代までの約二千七百年で、わずか二人である。ともなれば、かの二文字には、如何なる重みを内包しておろうか。孔丘より劉邦までは、あと三百年を待たねばならぬ。この間隙は、いみじくも板野かも氏が喝破なされた「 」である、とも指摘が叶おう。縦横の意図、思索に、愚人はただ、足を竦めさせるのみである。
以上、本文に千倍せる字にて評させて頂いた。なれど、書けど書けど本文の切れ味に届き得ぬ事、甚く慚愧に堪えぬ次第である。