第2話 出会い

 ―明鷹―


 目が覚めた。

 毎朝の気怠い覚醒は、まだ生きていることを幸か不幸か実感できてしまう。

 上半身を起こして目をこすり、尻を支点にして九十度横回転。ベッドの縁に足がかかる。かかとをひっかけ、尺取虫のように体を引き寄せる。着地した冷たいフローリングの床に、足の裏の熱が奪われる。無視して、馴染むまで足をつけたままじっとしていると、冷たさが気にならなくなってくる。人はあらゆる環境に順応できる生物なのだとこの程度のことで再認識しておく。

 洗顔、着替えを終えて、寮部屋から出る。廊下には誰もいなかった。時間を確認するのを忘れたが、もしや結構時間ぎりぎりなのではないか? と危惧する。なぜ誰も起こしてくれなかったんだ、と隣人たちに憤りを感じる。同じクラスメイトなんだから、声くらいかけてくれても良いはずだ。怒りで鼻息荒く廊下を歩くと、共用の食堂に行きつく。そこに、一人前の朝食と、メモ用紙が数枚置かれていた。

 念のために言っておくけど、朝、一度起こしたからね  命

 朝ご飯用意しておいたから、ちゃんと食べてきなさい  夕映

 大分待ったけど、遅いから先いくね  セシエタ

 嘘だと思うなら、携帯端末をご覧ください  シャオ

 シャオの伝言に従って、無造作に放り込んだ携帯をポケットから取り出す。着信が二十五件、うち通話が一件ある。寝ぼけながらも一度電話に出ていた。まったく記憶にない。

 隣人たちは、俺が勝手に勘違いしているのを見込んで、俺の思考の先を読んで先手を打っていたようだ。長い付き合いだと、ここまで読まれるのか。俺が単純なのか相手が鋭すぎるのかわからないが、とりあえず、今の俺に出来ることは二つ。

 彼らに謝罪と感謝、そして朝飯を食うことだ。手を合わせて「いただきます」と唱えた。

 一キロほどの林道を歩く。むせ返るような緑の青臭い匂いに顔をしかめる。学園は王国と帝国の学生を共に学ばせることで、国の境界線を取り払い、共存共栄の精神を植え付けることを目的としている。が、その一方で、両国から戦闘技術や軍事演習などを義務付けられている。運動場が二つあるのも、敷地にある広大な森林も訓練・演習のためだ。友好の懸け橋という目的とは矛盾しているが、致し方ないことだろう。十年前まで殺し合いをしていたのだ。それにこれは天秤学園に限らず、両国に現存するすべての教育機関に戦闘訓練など、そういった教育は当たり前のように必須科目として存在する。みんな思っているのだ。戦争は再び起こると。諦めているのだ。平和など来ない。どちらかの種族が死滅するまで訪れるはずがないと。心のどこかで。

 どうでもいいことだと思う。仮にそういう状況になったとき。すでに自分はこの世界にいないことが確定している。

 学園の玄関で靴を履きかえていた時、入口の隙間から車が停車するのが見えた。あの車は学園長のものだ。こんな時間にめずらしい。いつもは誰よりも早く学園に来るのに。少し気になって、こっそりのぞく。

 車に乗っていたのは学園長だけではなかった。運転席から降りてきた学園長とは別に、助手席から見知らぬ少女が舞い降りた。

「ほほう」

 目を細め、顎に手を当てて思わずうなった。太陽の光をそのまま閉じ込めたかのように煌めく金髪の下には、生気に満ち溢れた大きな目が輝いていた。目だけでなく、唇、鼻、眉、それらのパーツが最適なバランスで小さな顔の中で整列している。体つきも良い。少し小柄ながら、すらりとした手足には余計な肉のない均整のとれたスタイル。うちのクラスの夕映さんやシャオとはまた異なる魅力を持った少女だ。

 えらい美人さんだが、転入生だろうか。自分もこの学園の全員を見た覚えはないけれど。むしろ知らない人間の方が多いけど。なんとなく、どこかで見たことがあるようなないような。学園長直々のお出迎えということは、それなりに高い身分の子女だ。もしかしたら国賓級かも。それなら、新聞かニュースかネットで見たのかもしれない。けれど

 猛烈な勢いで彼女から関心が薄れていく。たとえどんな美人だろうが、自分の人生に二度と関わらない人間を気にしても仕方ない。

 薄暗い階段を下りながら、俺は納得したように頷く。あんな、絶対成り上がってやる感に満ち溢れた、生きている人間が、俺と同じ場所に来るはずがない。


「あ、明鷹だ。おはよお」

「遅いよ」

 教室に辿り着いた俺にかけられたのは、セシエタの元気な明るい挨拶と、からかいと忠告が半々に混ざった命の非難だった。「おはよふ」とあくび交じりに挨拶を返しておく。

「どうして起こしたのに遅刻するの?」

「そんな記憶はありません」

 素直に非を認めたくないので、少々芝居がかった口調で言い返した。

「現に、俺は先ほど起床した。その間は眠っていた記憶しかない。本人がそういっているのだから、君たちが起こしたのなんだのと言おうがこの事実は覆らない。よって俺に罪はない」

「なんで二度寝をしたとかしてないとかの話が不祥事起こした政治家の弁明調になってんのよ」

 夕映さんが呆れてため息をついた。

「大体ね、電話のほかにも、どんだけドアの前で呼びかけたと思ってんの? 私もそうだし、命もセシエタもシャオも代わる代わる呼びかけたのよ? 再度の呼びかけに応じないってどこの立て籠もりよ」

「明鷹は立て籠もりというより、引きこもりですけどね」

 シャオが上手いこと言った。自身もそれなりに手ごたえを感じているのか、すまし顔のくせにドヤオーラがあふれていた。そういえば、まだ朝飯の礼を言ってないや。

「あ、シャオ、朝ごはんありがとう。ごちそうさま」

「いえいえ、お粗末様」

 ぺこりとお互いにお辞儀をする。

「ちょっと、なんでシャオにだけ礼を言うのよ。私も用意するの手伝ったのよ?」

「ああ、夕映さんも、皿とか茶碗とかありがとう。手に取りやすい抜群の位置に食器が並べられててとっても食事がしやすかったよ。レストランの一流ウェイトレス級だね」

「何それ、嫌味? どうして料理に対する感謝の意が込められてないのよ」

「だって夕映さん料理出来ないじゃん」

 だから食器を並べるくらいしかできない。寮で料理ができるのは、上手な順にシャオ、俺、命だ。セシエタはまだ小さく台所に立てないから、実質あの寮で料理が出来ないのは彼女だけになる。

「出来るわよ! パンをトースターにセットしたりポットのお湯を沸かしたり、しかも今日はゆで卵の殻をむいたんだから!」

 夕映さん、それは料理ができるとは言わない。あえて告げず、生暖かい視線と「そうだね、よく頑張ったね」という賛辞だけを返しておいた。

「何よ馬鹿にして。ふん。料理なんてできなくたっていいのよ。みんながみんな料理出来たら料理人の商売あがったりじゃない。私はそんな人たちのために、あえて料理の練習をしないだけよ。料理が出来なければ料理人を雇えばいいのよ。それで万事解決じゃない」

 どこの女王様だ。ふてくされる夕映さんを放置しておくことに決め、自分の席に座る。そして突っ伏す。

「早いよ。寝るの早すぎるよ。到着して座って二秒も経ってないのに寝ようとしないでよ」

「許してくれ。昨日夜遅くまでカンフーマスターの指導の下、一子相伝の暗殺拳を学んでいたんだ。過酷な試練の数々があったんだ」

「それ昨日の深夜放送された映画だよね。そんなの見てるから眠いんだよ」

「そんなのとはなんだ。お前にはあの良さがわからんのか。繰り出される華麗な技の数々が、拳を交えることで深まる漢たちの友情が、力を合わせて巨悪を打倒するカタルシスが!」

「わからなくもないけど、ほら、僕はどちらかと言えば恋愛とか、ラブコメ派じゃない? 楽しくて糖分過多になるほど砂糖ぶち込んでじゃりじゃりいう紅茶のような甘い話の方が好きなんだよ」

 くそうこの軟弱者めが。貴様それでも漢か!

「何言ってんだよ。明鷹だって好きじゃないか。それとも、君の部屋に積まれた可愛い女の子が描かれたゲームのパッケージは偽りだとでも?」

 すみません。平身低頭謝罪する。ただ一つ反論させていただければ、甘々なラブストーリーがお好きとおっしゃいましたが、貴方のベッドの下にはなかなかのハードプレイが描かれた十八禁ものがございます。あれは幻でありましょうか? 砂糖のSはサディズムのSなの?

「ねえシャオ。二人は何について話してんの?」

 純真無垢なセシエタが不思議そうに尋ねていた。シャオは実に答えにくそうにしながら言葉を探して

「現実に絶望した男性が心の救いを求めて手にする最後のオアシスについて、です」

 ある意味正解だがその表現方法はどうなの、と問い詰めたい。全世界数千万のユーザーに謝れこの野郎。

「じゃあ、明鷹は絶望しているの? お先真っ暗なの?」

 セシエタが悲しそうに眼をうるませ、俺の顔を見上げた。全員がしまった、という顔をした。まずい、完全に勘違いをしている。泣き虫のセシエタの前でそういう話は禁物だ。

「え、いやいや、シャオが言いたかったのはそういうことじゃねえの。セシエタが考えてるようなことじゃないんだよ」

 たまった涙をこぼさせないようあわてて言葉を繕う。すかさずシャオは同意して

「そうですそうなんです。これは、明鷹が命みたいに女の子にもてないのを世の中のせいにして「俺には嫁がいるもん! 画面の向こうに日替わりでいるもん!」と泣き寝入りしているのを嘲っただけなんです」

 この機会に言いたい放題だな。あれか、焦って本心が漏れ出したってやつかな? シャオ、君とは一度じっくり話し合わなければならないようだね。

 そうなの? と俺の方を見るセシエタに力強く頷いて見せる。

「ああ。本気でそう思ってるわけじゃない。ジョークだ。洒落た大人はクールなジョークを飛ばすもんなんだ」

「そうだよ。明鷹なんて半分以上がジョークみたいなものじゃない」

 命よ。それはフォローになってない。

「でも、その割に明鷹はそんなにオシャレじゃないよ? 制服以外はいつもジャージだし」

 子どもとは、よく見ているのだな。そして素直に無自覚に毒を吐くのだな。

「馬鹿だなあセシエタは。最近巷でジャージが来ているのを知らないのか? 空前のジャージブームなんだぞ? 道を歩けば右見て左見てジャージだ。石を投げればジャージに当たるくらいジャージなんだよ」

「そ、そうなの? そんなにジャージが来ているの?」

「そうだ。そして俺はいち早くそれを察知し、ジャージを取り入れていたに過ぎない。いや、むしろようやく世間が俺に追いついたというべきか。つまりこの俺こそファッション最前線と言っても過言ではない」

 過言にもほどがあるわよ、と夕映さんが苦笑するが気にしない。どうやら話をうまくそらせることができたらしい。危ない危ない。セシエタを不安がらせるのは本意ではないからな。「明鷹はファッションリーダーだったんだ!」と透き通った瞳で見上げてくるセシエタ。うん。頭はいいがまだまだ子ども。人を疑うことを知らぬようだ。なにとぞそのまままっすぐに育ってください。

 いつものような朝のやり取りを終えた俺は、寝た。本当に眠かったからだ。今度は誰も俺を止めなかった。いや、何か言ったとは思う。意識の遠くの方で命が何か呼びかけていたのがかすかに聞こえた気がした。だが、今の俺を止められるものは存在しなかった。

ぐう。


 ゆさゆさ ゆさゆさ

 肩が揺さぶられている。

「明鷹、起きてよ」

 早朝の風のような爽やかな声が人の耳朶を震わせる。くそう、この人間ミントガムめ。耳朶リフレッシュ機能付きか。男前は声すら男前なのか。憎い、恨めしい、キィーッ!

 半分冗談はさておき、さすがに起きよう。もうすぐ授業が始まる。こう見えて俺は根が真面目なのだ。

 顔を上げる。まず目に入ったのは命だ。奴は自分の顎のあたりを指で示して何か伝えようとしている。手の甲で拭うと冷たくてちょっとねばっこい液体がついた。理由はよだれかと何度も手の甲で拭う。よし、これで文句なかろうと命の顔を見ると、今度は俺の後ろを指差していた。周りを見渡す。視線に気づいたシャオと夕映さんも目の動きでそっちを向けと言っている。セシエタは、俺の後ろに向かって笑いかけている。なんだ? 先生が来たくらいで何をそんなかしこまってんだ。あの年中サボり魔のガドっちだぞ。

 振り返ると、そこにガド先生のむさくるしいおっさん顔はなかった。

 きらめく金髪、綺麗なお顔にスレンダーな体、そして辛気臭いこの場所にそぐわない生き生きとした目。なんでこやつがここにいる?

 目の前にいたのは朝に学園長と一緒にいた美人さんだ。美人さんはガドに促されて俺たちの前に一歩進み出る。威風堂々、という言葉が頭に浮かんだ。

「ティアマハ・レガリスと申します。本日から、このクラスでお世話になります。宜しくお願い致します」

 綺麗な所作で美人さん、レガリスさんは頭を下げた。はて、レガリスとな? どこかで聞き覚えのあるような無いような。

 ふと周りを見回すと、他の連中も俺と同じように首を傾げたりして怪訝な表情を浮かべている。それを見ていたガドが苦笑して説明する。

「あー、君たちがまさか、と思うのも無理はない。うん、だってマジだもの」

「マジって、何がですか?」

 返ってくる答えにある程度の察しと嫌な予感を抱きながらも、一度念のために聞かざるを得ない質問を、クラスを代表して命が問いかけた。

「こちらにおられるのは、帝国現皇帝がご息女だ」

 は? 

 思考が停止したのはきっと俺だけではあるまい。そんなことお構いなしで、ガドは説明を続けた。

「だから、マジもんの皇女が、今日から君たちのクラスメイトです。仲良くしてあげてね? いやマジで。でないと俺の監督責任とか問われちゃうから。君たちも、いぢめとかしないでね。一国家を敵に回したくないっしょ?」

 しねえよ。したくてもできねえよ。なんだそれ。なんだこいつ。なんでそんなロイヤリティなやんごとない人種がこんなとこに来るんだよ。そういや新聞かニュースかなんかで見たことあるわこの顔。あのときはもっとドレスアップしてたし化粧や髪型が違ったんだ。女性って髪型と服と化粧でこんなに変わるのね。

 声も出ない俺たちの視線が彼女に集中する。あ、あはは、とひきつった笑みを浮かべながら、彼女は言った。

「その、あんまり気にしないでください。もっと気楽に接していただけると、私としても助かります。ここでは皇女の前に一人の学生ですから。フランクに、そう、ティアとでも、はーたんとでも好きなように軽々しくあだ名で呼んでいただければ」

 軽々しくて。はーたんて。

「本人がこういってるんだ、かしこまったらそれこそ失礼にあたるってもんだぞ」

 ポンと軽々しく彼女の肩を叩くガドを初めて尊敬した。気安くと言われて気安くできていれば苦労はしない。そんな真似できんのはあんたくらい

「よろしくね、ティア姉ちゃん!」

 セシエタ君がやってのけましたよ。さすが純真無垢を体現したようなお方だ。身分? 肩書き? 何それ、美味しいの? 友達になるのに理由はいらないんだぜ?!

「あ、はい。こちらこそよろしくね」

 その笑顔に安堵したのか、自身も笑顔を返しながら彼女は答えた。そして、そのやり取りに安心したのは俺たちだ。これが古語曰く、ベルリンの壁が崩れた、というやつだろうか。

「でも、どうしてうちのクラスに?」

 夕映さんが当然の疑問を口にした。まったくもってその通りだ。彼女のような国賓をおもてなしするにはここはあまりにいわく過多だ。

「お前らなあ、あの神経すり減らして胃腸薬を手放せないやつれきった教師陣を見てやれよ。察してやれよ。これ以上心労増やしてやんなよ」

 ああ、とみんなが納得の吐息を漏らす。この学園でその手の薬を持ってないのは学園長とガドくらいだ。

 自分のことを厄介者のように言われた皇女は不服そうに綺麗な眉をひそめた。さっき自分で言っていたように、特別扱いしないでほしいのだろうが、それは無理な注文だ。彼女は自分の価値が分かっていない。

「それにほれ、うちはちょいと両国兼用の特殊なカリキュラム組んでるだろう? スポンサーの娘に良いとこ見せとけって義輝、学園長がな」

 ガドの言うとおり、このクラスは二つの国の技術を出し合い、研究はしてる。けど、そんなに大したもんじゃない。学生に出来るような技術なんてたかが知れてるからだ。専門的な技術になればなるほど機密扱いされるのは当然で、いま俺たちの技術を自国の技術を専門的に学んでいるクラスと比べれば大きな開きがある。仮に俺たちの科学技術方面の知識、技術が五十とすれば、帝国の同年代のクラスだと百以上、倍は違う。同じことが王国の魔法技術にも言える。中途半端な器用貧乏になるくらいなら、どちらかの技術を専門的に学んだ方が有意義だ。もちろん、学ぼうと真剣に思えば方法は無いわけではないけれど。

 それを無視して、たかだか教師の二、三人の健康状態を危惧してガドに預ける意味が分からない。確かにガドは権威など気にするようなやわな心臓の持ち主じゃないけれど。それでもこのクラスに送り込むなんてどうかしてる。このクラスの危険性をもっとも理解してるのは俺たちと、学園長とガドのはずだからだ。

 何か裏でもあるのか、と勘繰るには十分すぎる疑問だった。

「ほれ、レガリスさんが自己紹介したんだ。お前らも挨拶しろい」

 そう言ってガドが俺たちをせかした。率先して立ち上がったのはシャオだった。

「初めまして、ティアマハ皇・・・さん。このクラスの学級委員長を任されております、シャオ・フィンメルと申します。何かわからないことがございましたら、気軽に声をおかけください」

「フィンメル、さん。ですね。宜しくお願いします」

 如才なく挨拶を交わす二人。そこから夕映さん、セシエタ、命の順に回って、いよいよ出番が回ってきた。人が人に持つ印象の大半は、初対面の時の第一印象にかかっている。今後の人間関係はここでほぼ決まってしまうのだ。

 用意するもの

 1:まずは爽やかなスマイル。口角をクイッとあげて。

 2:ハンズアップで敵意がないことを証明。大丈夫、怖くないよ?

 3:ゆっくりと接近しつつも、相手のパーソナルスペースを考えて一定距離で止まる絶妙な距離感。間合いを測っているわけではございません。

その場でくるりとターン。武器の携帯がないことを示す。丸腰アピール。

「明鷹、何かおかしい・・・」

「明鷹がおかしいのはいつものことだけどさ」

「まるで銀行に立て籠もった犯人と交渉を開始しようとしているネゴシエーターみたい」

「まぁた映画か何かの影響を受けたのね」

 後ろで外野がなんやかんや言っているが気にしない強心臓もセットでどうぞ。

「どうも初めまして。諏訪明鷹、といいます」

 かける声には気を付けて。心持ち低めを意識して。男の低音ボイスに女性は安らぎと魅力を感じるもの。しかし低すぎれば違和感を与えるから、その中に年相応の明るさ高さを含める。裏返るなど論外だ。

「は、初めまして・・・諏訪、さん・・・」

「はい、諏訪さんです。が、ここでは明鷹と名前で呼ばれているんで、できれば名前で呼んでください。苗字はちょっとこそばゆいんで。あと敬語も。あなたがフランクに、と言ったんですから。俺もここからは普通に喋らせてもらうし?」

「あ、はい。わかりまし」

「敬語」

 彼女の鼻先に指を向ける。より目で俺の指先を見た彼女は一拍の間きょとんとしてから、「はい」とクスリと笑う。幾分彼女の警戒心が薄れたようだ。

 虚を突き、すぐさま親近感あふれる態度で一気に心理的距離を詰める。お茶目なTA・SHI・NA・MEはご愛嬌。これが許されるなら心の距離は大分近づいたはずだ。

 さあて、ここで一発クロスカウンターをかましておくか。このままではただの気の良いお調子者。

 そんな評価はいらん。なぜなら俺はちょっと危険な香り漂う男、妖しいフェロモン漂うナイスガイだ。

「お近づきのしるしに一つお聞きしてもいいかな、え、と、ティア、でいい?」

「はい、明鷹。どうぞ?」

 ふ、この俺の巧みな話術によって、彼女は俺がそういうおちゃらけキャラだという印象を持っている。油断・・・・。隙だらけ・・・!

「ではティア。どういう目的があってここに?」

 皇女が大きな目をパチクリさせて俺を見た。そしてフッと哀愁を込めた微笑みを浮かべ

「それは、その、言いにくいのだけれど、この学園が島外の方々からなんて呼ばれているかを察していただけると嬉しいかな、なんて」

「ふむ、人質学園、と。その言葉通りの理由で飛ばされてきたと言いたいんだね」

「あ、もちろん表向きの理由だって大切です。王国側の学生と交流を結び理解を深め、この学園の教えにあるように共存共栄を目指す、それだって目的であり目標なんだから」

「ご立派な精神だ。あなたのような人が国のトップに立てば、この世はもっと平和になるだろうね」

「あ、いえ、なんか恥ずかしいこと言いまして」

 照れりこ照れりこする彼女。うむ。きゃわいいね。そんな彼女をこれから問い詰めねばならんとは、少々心が痛むが仕方ない。これも仕事だ。誰に頼まれたわけでもないし給金出るわけじゃないけどね。とっても大事なことだから。

「いやいやいやいや、そんなことないよ。・・・ただ、それだけじゃないよ、ネ?」

「え?」

 再度きょとんとした彼女に、僕はパーソナルスペースを突き破りすすっと接近し顔をずずいと近づける。今や息のかかる距離だ。舌を出せば彼女の鼻を舐められる距離。

「それがどれだけ難しいか、おそらく一般人の俺よりも良く理解した、この世でも十指に入るいと高き身分の貴女が、そんじょそこらの二流三流の貴族の次男次女その他どもと同じ理由でこの学園、しかもこのクラスに来るわけねえだろう?」

「え、え。え?」

 俺の豹変ぶりに戸惑う彼女。周りも何かおかしいと気づきざわつき始めた。時間はあまりない。

「おうおう、ネタは上がってんでいコンチキが。きりきり白状しちまいな。ほれ、何か言ってねえことがあるんだろう?」

 昔見た警察もののドラマの取調べ風に詰め寄ってみる。携帯をライト代わりにして斜め上から彼女を照らし詰め寄ってみる。

「い、い伊衣イ伊ИEい、や、ぁ、何かの勘、違い、じゃあ、ないかなぁ、なんて?」

 なんで疑問形だ。しかしこの御方隠し事下手ねえ。目は泳ぐ、声は割れる裏返る、汗はかく、手は嘘をついたり動揺している人間特有の仕草 ―髪をいじったり指をさすったり― をする、嘘つき専用の大会があったら間違いなくグランプリに輝く法螺吹きの典型だね。ちょっと気の毒になって、忠告してあげる。

「あの、ティアさん。そこまで挙動不審な態度をとられちゃうと、疑ってくれと言ってるようなものなんだけど」

「へ? あ、しまっ・・・」

 皇族のくせにこんな程度で狼狽して失言して、本当に大丈夫なんだろうか。お兄さんちょっとこの子の未来が心配になってきたよ。

「しまっ、何?」

「いえいえいえいえいえいえいえいえ? 別に、何も? 問題はないよ?」

「ないことはないでしょ? ほら言っちゃいなさいよ楽になるよぅ」

 う、うう、と後退りするティア。俺はストーカーも驚きのねちっこい追撃戦を開始しようとして

「おぎゃふっ」

 横合いから伸びてきた数本の腕により組み伏せられた。しかも誰だ上に乗っかりやがって。完全な不意打ちに肺から空気が逆流して変な声が出たぞ。

「バッカ明鷹何やってんの!」

「ついさっき問題起こすなって言われたばかりでしょう!」

 この声、人の上に乗っかって腕極めてんのは命とシャオか。

「ごめんねティアちゃん。こいつちょっと頭おかしいのよ」

 すかさず夕映さんがティアのフォローに回った。慌てたようにセシエタも後に続く。

「おかしいだけでホントは優しくて良い人なんだよホントだよ」

「セシエタ、おめ、そんなにホントホント重ねたら余計に怪しいだろが」

「明鷹は黙ってて!」

 はい、すいません。

 ふ、子ども子どもと思っていたセシエタが、俺に説教かますほど成長しているとはね。お兄さん大満足だよ。

「何巣立っていく子どもを見つめる親の顔をしてんのよ。結婚式で娘を見送る男親かアンタは」

「事の次第が分かってないようだね」

「まったくです」

 ギリギリと腕が締め上げられる。絞められる前のニワトリみたいになっている。

「ちょ、お、前らっ・・・無理! 痛、痛いって! 人間の関節はそれ以上曲がらないようになってんだって! 神様がそう設計したんだって」

「大丈夫、外れたら戻してあげるから」

「なんで外すの前提になってんのっぉふうっ」

 それから「反省した?」「してるしてる!」などとの質疑応答を繰り返して、ようやく解放された。肩をぐりぐり回しながら起き上がる。顔を上げると、セシエタと夕映さんと、かなり警戒したご様子のティアマハ皇女がいらっしゃった。

「仲良くしようネ?」

 満面の笑みで、そんな彼女に右手を差し出す。

「何食わぬ顔で何事もなかったかのように何をぬけぬけとっ?!」

 差し出された手は彼女によって良い音を立てて跳ね除けられた。残念。

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